【改】01-001. いきなりですが、三位決定戦です
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20250209 改稿
――Der Anfang der Geschichte.
少女は【姫騎士】に夢を馳せていた。
誰もが自分をそう呼ぶようにと。
そのためならば全ての手を使ってでも。
この物語は少女が現実を見据えながら過ごした細やかな日々の記憶。
――Hat sie die Zukunft bekommen.
二一五六年二月一三日 金曜日
折しも降り始めた小雪が、まだ春が遠いことを臭わせる。しかし、ニーダーエスターライヒ州ザンクト・ペルテン屋内競技場では、外の寒さなど関係ないと言わんばかりの熱気が渦巻く。
今日は、四日に渡るChevalerie競技エスターライヒ全国大会の最終日。
これから始まるのはDuelの部、三位決定戦。
観客席上部に複数設置されたインフォメーションスクリーンには、これから試合を戦う騎士のプロフィールや戦績データ、過去試合動画などが流れ、場内を彩る。
試合開始の待ち時間でも観客は熱狂的に盛り上がり、その熱量を利用する術さえあれば公共事業の一つも賄えるのでは、と揶揄される程である。
女性解説者がトーク番組の如く、軽快に解説を添える度に歓声が上がり、熱狂冷めやらぬ、と言ったところだ。公式競技くじの売り上げも上々だと放送で口走っているのは如何なものかと思うが、観客の笑いを見るに、普段の芸風なのだろう。
世界規模で人々が熱狂するChevalerie競技とは何かを簡単に説明しておく。
二一世紀後半からVRやAR、MRと言ったXRが日常となり早や半世紀たった頃。
二二世紀初頭に、特定のサイバースペース内で特殊な物質を介して触れることの可能なホログラムが発明された。瞬く間に普及した其れは、アミューズメントに留まらず、公共機関や一般企業、果ては私的利用など幅広く活用されている。
その中で、この機能を十全に生かす剣戟競技が登場した。ホログラム武器により、安全且つ、本物の戦いが繰り広げられる。剣での戦いなど映画やフィクションの中でしか見たことがなかった人々は、生々しくも野蛮な刃物での斬り合いが如何に高度で精密な駆け引きによって繰り広げられていたのかを知った。
宛ら騎士物語を体現する競技は、見る者の奥底に眠っていた在りし日に夢見た自分を呼び覚まし、憧憬と共に熱を今へ伝えている。
蛇足ではあるが、第一回世界選手権大会から一〇連覇を成し遂げた女性競技者が美しくも卓越した技術と優雅さを以って社会現象を引き起こす程に熱狂的な人気を博し、その影響から競技者人口の七割を女性が占めている。
Chevalerie競技の競技者は敬意を払い、こう呼ばれる。騎士と。
閑話休題。
――インフォメーションスクリーンの表示が特設コートの映像に切り替わる。試合開始直前は決まってこの映像だ。観客も慣れたもので、騒めきは波を引くように静まる。
女性の声で選手入場のアナウンスが流れる。
『皆様、お待たせいたしました。これよりDuelの部、三位決定戦の騎士入場です』
そのアナウンスを女性解説者が引き継ぐ。
『皆さんGrüß Gott! 今日はDuel担当の国際シュヴァルリ運営委員会エスターライヒ支部公式アナウンサー、孤高の解説者アンネリース・ペルファルがお送りいたしまっす!』
陽気でフランクな自己紹介に、観客席から指笛まで飛び出す歓迎ムードだ。意外と人気の解説者らしい。
『まずは東側選手~! 第二ゲートから入場するのはー。私もコレの一気飲みで下らん上司のストレスをぶっ飛ばしてますっ! 世界中で長~いこと人気のアノ清涼飲料水メーカーとくれば! Red Pull GmbH所属Drapeauプロチーム「Salzfestung(ザルツフェストゥンク)」のリーダー! 二つ名【砦の軍師】(壮大な溜め中)……↓るぇぇ↑ーでるとるぅぅーとぉぉっ↑りゅぅぅぅべっ↑くぅぅぅ~っ‼(エデルトルート・リューベック)』
観客席では一際大きな歓声が上がり、第二ゲートから一人の女性が歩み出てくる。黄色い声援が飛ぶ中、観客に向け軽く手を振っているが、苦笑しているのはファンキーなアナウンスが原因だろう。
近年、競技のエンターテイメント性が高まり、公式大会でも場を盛り上げるようなアナウンスが主流となっている。紹介の仕方は、所属・二つ名・騎士名の3つが含まれていれば、解説者の裁量に任されている。今回の解説者は、言葉尻から判るように、おもしろトーク系だ。
ちなみに二つ名は他称で呼ばれていることが前提で、自称では名乗れない暗黙のルールがある。
今年二〇歳になるエデルトルートは淡いブラウンの髪をシニヨンに纏め、バレッタ型の簡易VRデバイスで髪を止めている。一七〇糎半ばに近い高身長が相まって、凛とした大人の雰囲気を醸し出している。少しソバカスが残った白い肌と濃い水色の瞳も良いアクセントだ。
強化プラスチック製の鎧は、少し黄色がかった胴鎧に同じ色で合わせた、腕鎧(上腕鎧、前腕鎧、手甲を纏めて呼称したもの)と、脚鎧(膝上一〇糎くらいまでの太腿鎧と膝鎧、脛鎧、足鎧を纏めて呼称したもの)を装備している。
鎧下は深緑のワンピースでスカート部分はフレアとなっており、股下数糎程と丈が随分短い。頭部と下腹部は攻撃判定対象外であるため鎧を付けず、スカート部分と太腿部分がよく見える。女性騎士のスタンダードと言っても良い絶対領域が確保されている。
そして、女性解説者の声が響く。
『続きまして西側選手は~! 第四ゲートを注目~! 去年に続き今年もやってきたーっ! 二年連続最年少上位入賞確定! その若いスベスベお肌を私によこしやがれ下さい! マクシミリアン国際騎士育成学園騎士科二年所属! マジモンの公爵姫君っ! 二つ名【姫騎士】(やはり溜めが入る)……ふ↑ろるぇん↑てぃぃぃなぁ~ふぉん↑ぶるぁうぅん↑しゅぶぁいくぅ↓ぅ↑ぅか↑るぇんべる↑くぅぅ~‼(フロレンティーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク)つーか名前長っ!』
ノリノリである。観客もノリに乗っている。もはや乱痴気騒ぎに近い。
そんな喧噪の中、第四ゲートから、まだ幼さが残る面立ちの少女が現れ、会場に向かって丁寧なお辞儀をする。
本作の主人公、フロレンティーナ。
愛称がティナであり、今後はその呼び名で記載させていただく。
彼女は現在十三歳、春に誕生日を迎える。まだまだ成長途中であろうと思われ、身長も一五〇糎半ば程。腰より少し上まで伸ばされたストロベリーブロンドは少し赤色寄りのクセ毛で、大きく波打っている。深い緑の瞳は磁器のような白い肌によって、より鮮やかに映える。
繊維強化プラスチック製の鎧セットは青みがかった銀色で、金属を焼き入れした時の青焼きが表現された妙に渋い仕上げ。上半身の可動域を広げるため、要所を分割した鎧は、意図せずご立派な胸を強調されており、正に胸部装甲と言ったところ。
鎧で見えにくいが下に纏う鎧下は、軍服のようなデザインで白を基調としたタイトなワンピース。スカート部は横にスリットが入ったプリーツ構造で股下三糎となっている。そして簡易VRデバイスは、公爵家の姫が代々着用するティアラをデザイン元としている。その出で立ちは、正に姫騎士である。
「(ようやく二つ名が浸透してきました。これからの予定を考えると、この試合は落とせませんね。メンドイですが)」
ティナは嫋やかに微笑み、顔の高さで小さく手を振るロイヤルお手振りを観客に振舞いながら、そう独り言ちた。
ティナとエデルトルートは観客の声援に応えながら、本日試合をする中央の特設コートに辿り着く。
縦横一〇米でラインが引かれた四隅に、高さ七米のポールが立っている。ポールの内側が「SHF」と呼ばれる競技空間となっており、ポール自体がシステムに重要な役割を持つ。各種波形や量子データ、簡易VRデバイスからの脳波送受信、内蔵された複数カメラによる映像送信、そしてホログラムの投影を受け持つ。
特設コートの脇には、競技コントロール用演算機や管理モニタ等の機器類が配備されている。試合前に武器デバイスのデータ読み込み、装備鎧の攻撃有効箇所の確定、簡易VRデバイスの同期設定が義務付けられている。この場所は通称、「登録エリア」と簡素に呼ばれており、選手の位置が東西に別れるため、其々専用に左右へ一セットずつ配備されている。
当然、各データは大会開始の前日までに登録済ではあるが、大会開始以降で装備不良による変更や申請されていないデータ改変等のチェックなど、データに齟齬がないか最終確認を兼ねている。
ティナは徐に鞘から剣を引き抜いた。が、そこに刀身は無い。柄部分が武器デバイスであり、刀身は試合開始時にホログラムで生成される。
柄の内部には各種センサーとホログラム用の剣身データを格納している。剣身データは、材質、重心や重量、材質が持つ特性や強度など、現実同様だ。基本的に現存する、あるいは存在した武器――科学的にデータ化出来る情報が残っているものを含む――であることが前提であり、ゲームで良くある物理法則と乖離した架空の武器を登録することは出来ない。武器の強度や用途を考慮し、現代の技術で実物を作成し、武器デバイスに登録する者も少なからずいる。
競技では主武器デバイス、および副武器デバイスの二種類デバイスを持ち込むことが出来るため、スキャン台へ騎士剣の柄とサブ武器として使うことになるだろうと持ち込んだサクスの柄を読み込ませる。再び鞘に戻しながら、ティナの視界ギリギリに入ったエデルトルートの主武器デバイスを見て小声で呟く。
「あれがエデルトルートの使うエストックですか。対装甲の刺突用途なのに扱いを騎士剣運用してましたよね、あれ。現代鋼ならではの強度ですか」
武器デバイス一つのみしか登録していないようで、剛毅だなぁ、とティナは呆れもするが。しかも鼻歌まで飛び出すエデルトルートは、随分とこの試合を楽しみにしていたようだ。その様子を見てとても有難くはあるが、確実に獲るため、メンドクサイ手を使うことになるのが確定した瞬間でもある。
「(ポイントの絡みで、この試合を落とせなくなったのが失敗でした。さて、どこまで見せるか悩みどころです)」
口には出さない心の声ではあるが、相手は世界選手権大会にも出場する高位の騎士だ。
決して新人では在り得ない匙加減を思案するティナである。
空中に自身の身体がMRで立体表示された。管理モニタがポールの各種カメラとセンサーで読み込まれたデータから三六〇度方向全てを精密に再現する。被弾判定箇所の設定、および確認をする段になったのだ。首から上と、臍下辺りより膝上一〇糎を除いた鎧部分が攻撃有効箇所としてピックアップされており、心臓部位がクリティカル判定箇所として拳大の涙滴型で表されている。これは身体の裏側も同じ位置で同判定となる。
機器の登録手順に促され「OK」表示をタップすると、簡易VRデバイスの同期調整フェイズが実行され、試合準備が完了したことを告げるメッセージがAR表示で流れる。
試合を開始できる準備が整った段階で、審判より入場を促される。
特設コート内に入ると、頭上三〇糎の位置に、スコア用のホログラムが表示される。十字を切る様に罫線が引かれ、その上下左右にアラビア数字の「〇」がそれぞれ右寄せで光っている。
Duelは、一試合三分で三試合中二本先取が勝利条件であり、クリティカル攻撃成功で一本、三ポイント取得で合わせて一本の判定がされる。判定はコンピュータ制御で即座に通知するシステムだ。(ポイントは三試合累積)
各種ポイント等が表示される仕様だが、実際戦っている騎士は意識すらしていない。
一瞬の視線移動が隙を生み、勝敗を左右することもあるからだ。
このスコアが役に立つのは、特設コートから離れた位置で参考にと試合を見ている騎士や、観客と言ったところだろう。
中央の開始線に競技者二人が位置に付くと同時に、騎士の礼――右掌を心臓に置き、片脚を半歩後ろに引きながら上半身を下げる礼――をまずは審判へ。そしてお互いに騎士の礼。
場内の騒めきが静まる。
実はファンキーな騎士紹介アナウンス後、ずっと女性解説者はしゃべり続けていた。
時に笑いを時に涙を誘い、観客と妙な一体感まで生まれていた。
試合準備完了までの数分の間に。
騎士同士で正対すると双方の目が合い、エデルトルートが口を開く。
「はじめまして、かな? フロレンティーナ。去年は結局、対戦する機会がなかったからね」
「はい、はじめまして。呼び名はティナで結構ですよ。若輩なる身ですが本日は胸をお借りするつもりで挑ませていただきます」
シレッと差し障りのない言葉を返すティナ。
この堂々たる新人騎士に半ば呆れたようにエデルトルートが返す。
「よく言うよ。キャリアで言うなら、君の方がずっと長いじゃないか」
「長さは強さではありませんから。それは良くご存じでしょう?」
エデルトルートは転向組と言われる、全く別の競技から参入した競技者だ。この競技と相性が良かったようで、水を得た魚の如く、ごく短い期間で世界選手権大会に出場するまでに走り抜けた。
それに対して、ティナは物心つく頃から騎士と言うより武術家として鍛錬している。
競技技術も並行して修練しているため、今年で一〇年のベテランと言える。小等部時代から名を馳せてはいたが、大人を対象としたシニアクラスの全国大会は昨年から参加資格を得た。そして、あれよあれよと勝ち進み、丁度良いランクに収めていた。
「でも、負ける気は毛頭ないって顔をしているよ?」
その問いに、ティナは騎士としての笑顔で返す。
この会話もハッキリとした音声で拾われ、観客席に流されている。
観客に向けた一種のサービスであり、プロレスなどに見られるマイクパフォーマンスと方向性は同じである。エンターテイメント性の高まりは、こんな処にも影響していた。
審判も慣れたもので、会話の空気を読んでから言葉を発する。
『双方、抜剣』
先ほどまで柄のみであった剣は、鞘から引き抜かれるごとに刀身が現れていく。映像でしかない筈が、まるで本物のように鞘から抜ける感触をその手に返してくる。
――簡易VRデバイス。
それは、競技に必要不可欠な小型のアクセサリ型VR補助装置兼脳波制御装置。一般に広く普及しているデバイスで、基本機能は電話、ネット、情報表示、ナビゲート機能、各種センサーなど様々な役割を担い、一人一台以上は持っている。
脳波制御装置が組み込まれた物は頭部へ装備し、脳へ特定の信号を送信することで身体へ状況による負荷を与え、現実であるように錯覚させる。その機能により、剣同士の討ち合い、重量や感触、ダメージを受けた部位の疲労感や身体操作の緩慢度などを制御する。より現実に近い体現を可能とする立役者でもある。
故に競技コントロール用の機器とのデータ送受信が必須であり、円滑な動作のためにはリアルタイムの同期が必要となった。
剣を引き抜く音が鳴る。鞘と剣の材質に合わせた音が然るべき位置から発せられる。このシステムは、音像の位置までコントロールしている模様。
音の発生源を見ると、双方ともLangenSchwert、つまり騎士剣だ。
(ロングソードは幅広い意味合いを持つため、ここでは騎士剣などの両手剣を表すカテゴリーとする)
エデルトルートが持つ剣はエストック。鍔の根本から刃が付いており、刀身は尖端へ行くほど鋭くなる細長い二等辺三角形状で一一〇糎の長さ。全域に渡り断面は菱形、尖端は断面の形状から強度が高く、15世紀の全身鎧に対して刺突や、剣身を左手で持ち正確な攻撃をする技術――ハルプシュヴェーァト――による急所への突き込みが考慮されたものだ。柄は柄頭まで含め二五糎程。
剣身の鍔側から中ほどまでが厚めだが、多種多様な剣を相手とするにはビンデンが後塵を拝し易い。更に、剣戟で斬り合うには構造が向いていないのだが、エデルトルートは欠点を補うため現代鋼でオリジナルを作成し、武器デバイスのモデルとしている。何と芯材を炭化タングステン、芯を覆う被せ部位は、強度と切れ味に定評がある青紙鋼製だ。
ティナの騎士剣は、剣のカテゴリーでも異質。剣身は短めの八〇糎程で、鍔側から尖端に向け細くなってはいるが目立たない程度の直刀。剣先を頂点に七、八糎かけて三角になるようカーブしている。刀身自体は剣先から鍔元へ向け四〇糎程しか刃が付いていない。鍔側は、四〇糎程あるリカッソの剣身部分に豪奢な浮彫が施されている。
断面も複雑で、鍔元側が長方形、剣先に進むにつれ、六角形、楕円を潰して角を付けたような二角形となる。全体の重心は、刃のついている剣先以外は鉄塊のような拵えであるため、リカッソの剣先寄り部分にある。一番異様なのが、剣の色が白に近く、灰色のマーブル模様が波紋のように浮かんでいることか。
柄の長さもバランスがおかしく、柄頭まで三〇糎もある。
この剣は、ブラウンシュヴァイク=カレンベルク家に代々伝わる家宝の一つで、現存しているものだ。長い歴史のある家などは怪しい物品が良くあるのだ。
『双方、構え』
審判の掛け声に、二人は剣の構えに入る。お互い、現在西洋で復古された伝承の内、騎士剣に最適なドイツ式武術から剣術の型を見せる。
ティナは静かに下段の型、Alberの構え。剣身も短く武器自体で差がある上、相手と比べ体格上も身体能力に差が有ると見える。それ故のカウンター戦法であろう。それが外から見たときに判断された姿だった。
それに対してエデルトルートが見せたのは、剣先を左に流すように背中へ向けて担いだ型、Zornhutの構えであった。
攻防どちらにも対応でき、強攻撃を繰り出せる上、エデルトルートの高さを生かせる。身体のリーチに加え、剣自体のリーチも有利であり、試合運びの主導権を握り易いことからの選択だった、と評論家達は言うだろう。
しかし、内情は違う。
エデルトルートは構えの合図で、迷いなくAlberの構えを取るティナに戦慄した。
昨年、実際にティナの試合を目の当たりにし、あどけなさの残るこの新人は、既に同格であると認識していた。何れ対戦することを想定し、彼女の小等部時代を含めた公式・非公式に関わらず入手出来るだけの試合情報を集め、対策を用意しておいた。
ところが今、目前の少女は過去に一度も見せたことのない防御の構えを熟練のレベルで見せている。彼女の戦法は完成された王道派騎士スタイルと呼ばれ、攻防一体となる全ての技が高レベルにある。つまり、態々防御から繋げる構えの必要性が全くない。底の見えない不気味さを提示されたエデルトルートは、全てを打ち砕けるようにZornhutを構えざるを得なかった。
むしろ、あの瞬間に判断し、即座に対応したのは、さすが世界選手権大会に出場する選手なだけはある。
審判員が右手を上げ、合図と共に振り下ろす。
『用意、――始め!』
――キンッ、と甲高い金属音が鳴り響く。そして、最初の立ち位置から入れ替わった場所で二人は対峙していた。正に一瞬の出来事であった。
結果としては、ティナの攻撃がエデルトルートに防御されたのだが、見ていた観客も何が起こったのか分からなかった。ティナが予備動作なく仕掛けたことも理由であるが、エデルトルートが審判の掛け声が終わった瞬間に試合集中のため無意識で思考を切り替える隙間を利用したのだ。無論、それは観客達にも効果覿面だった。
女性解説者も『ああぁぁぁ、いったい何が! 訳わかんないんすけど!』と、今の攻防に理解が追い付いていない様子。慌ててリプレイ動画を用意している。
本来、Alberの構えは後の先であり、攻撃を誘いカウンターを仕掛けるのが基本である。ティナはそれを無視して突撃した。
開始の合図で、エデルトルートが一息吐きながら瞬きして意識を切り替える瞬間、ティナが仕掛けた。受けの姿勢に見せるため後側の脚に重心を置いていたように見せかけ、実際は前脚を軸にしていた。それが最初の一歩分を通常の認識より速い挙動で生み出す。構えの姿勢そのままに、中世式歩法に見せかけながら、運足を紙一枚の隙間で滑らせる。頭部の位置を変えずに相手の脇を掻い潜るように後方まで移動し、次弾を放つ。
移動の流れに合わせて放つ第一撃は、地面すれすれまで下がっていた剣先を運足の邪魔にならないように移動したと見せかけ、行きがけの駄賃とばかりに最短距離であるエデルトルートの左脛へ斬り上げを敢行した。
「鎧は防具ではなく生身の代わりに被弾判定を設定するもの」であるからこそ、攻撃対象となる箇所に当てればポイントと出来るために取った手段だ。
この時使った身体運用は、ヨーロッパの古流武術で謳われる、動作に対する四つの時間概念「腕」「身体」「踏み込み」「足」を二つに纏めて同時実行し、実質一拍の動作で結果を出した形となる。纏め方としては、「踏み込み+足」と「腕+身体」の同時実行だ。
本来、踏み込み→足が移動→体勢を制御→剣(腕)を振る、のように身体運用は動作による消費時間が累積である。どの武術にも当てはまるが、攻撃までの消費時間を如何に減らすかが長い時間の中で練られてきた。動もすれば奥義に往き付くことさえある。
ティナが講じた策は、思考の空白を利用した距離の認識に欠落を産む接近法と、構えのセオリーを無視した予備動作もない予想外からの攻撃。
しかし、驚くべきはエデルトルートだった。
剣を担いだ位置から身体の前に割り込ませて防御してみせた。それも反射神経だけで。
突撃スピードのまますれ違った運足をしたティナと、初撃を迎撃して見せたエデルトルート。さすがにお互いの位置と姿勢では追撃に繋げることは出来ず、再び距離を取ったまま向き合うこととなった。
これが試合開始直後、一秒にも満たない時間で起こった出来事であった。