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暖かい雨の日に…

作者: 春はあけぼの

私たちは、地球という海に泳いでいる魚だ。固定された枠もなく。自由にいきている。


人生は大きな海原で、嵐の様な日々もあれば、穏やかな日が差す波も静かな日々もある。


それは、天候を指すものではない。私たちの心だったりする。


1人の人が嵐の様な気持ちになれば、周りも湧きこまれ、大変な時を過ごすだろう。


嵐は傷を残す。


だから、私の家族も壊れた。


私がお構い無しに、皆を巻き込んでしまった。


嫌な思いもしただろうに。わたしのせいで。親兄弟。


御迷惑おかけしました。


でも、今はこうして、自分の気をコントロール出来るようになってきたのだ。


何も自分を責めるような事は無い。してはいけない。責めてはいけない。


人生ずーっと嵐の中にある訳では無いが、残痕はある。


それは後に、自分の生き方を指し示してしまう。


この広い、人生と言う海を、泳ぎきることは無いのだろう。


人生は終わりや答えの無い海なのだから。


ここまで来たから、だからどうした。

泳げ泳げ。


例えば、何かに終止符を打ったとして、

海原に区切りができるはずもなく、泳いできた、その周辺を変える手立てさえないのだ。


本当に終止符を打ちたいと思ったときは、かなりの気力・体力を使うことになることを私は知っている。

それは川の流れを背くダムのようなものを自分の心に作らなければならないといったとこだ。


自然の流れを変えてしまう本当のダム作りには死者も出るほどの気力だ。


だから、人生に何かと終止符をつけるということは、海原をせき止めてしまわなければならないほどの強い意志が必要なのだ。


1日…ううん。1年…ううん。5年…ううん。じゃ…10年。


いえいえ。


魚の私たちには思いもよらない、天候(心の迷いやら、出来事)が待っている。


結果は、その流れでできた川や海原にあるのだから。


そんなにその人が、強く願ったって…なかなかダムができてしまうわけではない。


なんせ、過去という思い出が私たちの中から消えることはないのだから。

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