第六話 魔法
この世界には魔力というものが存在していて、変化の際にそれを操ることは以前にも説明した通りだ。
だが、この魔力という代物は転生前の私にとってはよく解らないもので、変化以外の正しいあり方や使い方を知らない。
里の皆の目があるので、好奇心のままに試すことも出来なかった。
今、兄が今夜と明朝用の食料調達に行ってしまい、母と二人でそれを待っている。
することもなかったので、その辺に落ちていた枝などを集めていたのだが、焚き火をするにしても火を熾せない。
そこで、魔力を使って火を熾せないかと考えていたのだ。
この世界には魔法があり、人間はそれを使うと母や兄から聞いていた。
だから、出来るかもしれないとは思っていた。
忘れないよう言っておくが、私達はこれでも魔物なのだ。
人間と違い、火を使う習慣などない。
獲物を仕留めたとしても、食べる時は生のまま。
自分の毛皮があるのと、割と温暖な気候のおかげで暖をとる必要もなかった。
ならば何故、私が枝を集めていたのか。
こればかりは「つい」としか言いようがない。
屋外での寝泊まりは私の中ではキャンプだった。
そして、キャンプと言ったら焚き火だろうと、ハイテンションで枝を集めてしまったのだ。
母は私が嬉しくて動き回りたいのだろうと、温かな目で見守ってくれていたようだ。
集めた枝を椅子代わりにする丸太の近くに置く。
必要じゃなくても雰囲気は大事だと自分に言い聞かせ、私は焚き火をしようとしていた。
そこで、件の魔力と魔法に繋がるわけだ。
「ファム、何をするの?」
「焚き火でもと」
「焚き火? 火なんて祭事以外で使うこともないでしょう?」
そうなるよね。
魚や肉を焼いて食べるわけでもない、暖をとるわけでもない。
この焚き火はただの飾りにしかならない。
苦肉の策で灯りということもできなくはないが、普段から灯りなどない生活しかしていなかったのでやはり必要がない。
「私達の新たな門出ですもの。火で祝うのも悪くないです」
かなり苦しいが、まともな理由はこれしか思い付かなかった。
「そういうことなら焚き火も良いけれど。
火なんてどうやって点けるの?」
里では祭事で使う火を山から持って来ていた。
つまりは溶岩で火を点けて里まで持ち帰るのだ。
ある意味でそこから儀式のような位置付けになっていたので、全容を知った時は愕然としたのを覚えている。
「ちょっと試したいことが」
「試したいこと?」
私は目を閉じると、魔力を指先に集中させた。
イメージするのはライターの着火。
オイルライターのオイルが魔力、ライターが私の手。
大きな火や爆発は要らない。というか困る。
枝に火を点けるだけの威力で良い。
集中させた魔力が炎の形を作ったところで、その魔力を自分から切り離す。
自分自身が炎になるわけではないのだ。独立したものとしなければ意味がない。
ちなみに、変化を応用した形で魔力を切り離すと、分身を作ることが出来る。
分身の大きさに比例して魔力もごっそり消費されるので使う者は居ないが。
魔力は体に保持できる量が限られていて、その最大値までなら一晩寝るだけで回復する。
ゲームで言うところのMPと似ているかな。
切り離した魔力がどうなるかというと、元が自分の魔力なのである程度の制御は出来た。
ただし、エネルギーとして消費される方が早い為、自由自在に動かせるとまではいかない。
目を開けると、そこには焚き火が出来上がっていた。
切り離した炎の形と効果を込めた魔力を、焚き火に放る形で思い描いたのだが、意外と上手くいくものだ。
失敗するくらいであればまだ良いが、魔力が暴走するとか、とんでもない爆発を起こすとか、下手なことにならなくて良かった。
「ファム、あなた……!」
恐らく、火の点く瞬間を見たであろう母が、驚きの表情で私を見ていた。
「魔法が、使えるの?」
「使えたようです」
「え?」
「私もたった今、初めて使いました」
私は自分の両手を見詰め、不思議な感覚に戸惑っていた。
こんな、少し想像しただけで使えるようなものであるはずがない。
正解が判らないというのはもどかしいものである。
ただ、これくらいであれば難なくできそうなので、火を簡単に使えるようになるのは嬉しい。
「我が子ながら……末恐ろしいわ」
「どういう意味ですか?」
「獅狼族で魔法を使ったという話は聞いたことがないのよ」
仔犬姿に続き、前例のないことばかりのようだ。
むしろ、獅狼族から外れてるいることで、他の柵や常識に当てはまらないのかもしれない。
「獅狼族は元々武闘派のようなので、魔法に興味がなかったのでは?」
どちらかというと私の意見はこれである。
獅狼族は脳筋だと思っている。
己が肉体で強者と相対することを至上とする彼らが、例え可能であっても魔法など使うだろうか。
過去には魔法を使えた者もいたと思う。私が使えるんだし。
だが、闘いに不要なものは受け継がれず、今に至るのではないか。
「それは……あるかもしれないけれど」
「使えることが解ると欲が出ますね。
何が出来るのか、きちんと知っておきたいくらいです」
その辺に魔法使いとか落ちてないかな。
教科書でもいいから──。
そうだ、まだこの世界の人間の文明水準を確認していないんだ。
紙はあるかな、銃火器は多分ないと思うけど、機械とかもないかな。
村を作るにあたって、あまりにも高度な文明の道具は避けよう。
作れるとも思わないけど、一応ね。
ちょっと人間に会って話を聞きたい。
出来るだけ手広く色々知ってる賢人みたいな人がいい。
「また考え込んでるわ、この子ったら」
いけない、これまで抑圧していた思考が嬉々として回り始めている。
里のことや周りの目を気にしなくて良いとはいえ、ある程度は自重しなければ。
「すみません、楽しくて」
「野宿の家なしが楽しいだなんて」
「楽しいですよ。自由なんですから」
「……そうね、その気持ちはすごくよく解るわ」
少しだけ、母の表情に憂いが見えた。
「私は、もともとあの里とは別の里の部族だったの。
その部族は、あの里よりも開放的で、ある程度は外にも出られた。
ほら、私って好奇心旺盛だから。いっぱい外に出てたのよ。
人間に見付かっても自慢の跳躍力があったから。
戦いを回避するのも簡単だった。
あの時は自由で、そんな生活がすごく好きだった」
初めて聞く話だった。
そういえば、昔は穏健派の里もひとつではなかったと里の誰かから聞いたことがある。
今の里の在り方も、長く存続する為のものなのだろう。
あの父の指導のもと、今まで存続できたのは理解してくれる皆のおかげだと思う。
母が好戦派に拐われた時点から、恐らく狂い始めたに違いない。
父も、まさか母が自力で戻るなどとは思わず、しかも好戦派の雄の子と解っていながら産むなど考えられなかった。
私を産ませたのも、どこか意地のようにも感じる。
そうなると、跡継ぎにならない雌だったのは、母の意地かもしれない。
「生まれ育った里でも、魔法を使う仲間はいなかったわ」
「私のようなのは稀なのですね、本当に」
「そうよ。だから、怖いの」
怖がられるとは思わず、少しショックを受ける。
呆然とした表情が出てしまったのか、母は慌てて身を乗り出してきた。
「違うわよ⁉︎ ファムのことは怖くないわ!」
必死に否定するので嘘ではないらしい。良かった。
「きっと、ユティも同じだと思うけれど……。
ファムが遠い存在になって、いつか離れて行ってしまうかもって」
それこそあり得ない。
私は首を横に振る。何度も。
「私は兄上の側を離れるつもりはありません。
だから、ここに居るのです」
何をするにしても、まずはそれありきなのだ。
兄と暮らす村だからこそ、考えるのも楽しいし、それに役立つ魔法があるならいくらでも活用する。
誰かを傷付けるつもりはないけれど、兄上と居ることを邪魔するなら、それも厭わない。
それくらい、私の愛は深いのよ。一応ね!
この十六年を共に過ごしてきたことで、初めて会った時よりも、想いは格段に募ってる。
「兄上以外の雄と番う気はさらさらないですし。
子を作るつもりもありません。
兄妹では禁忌に触れるのでしょう?
それなら、私は独身のまま、兄上の側で一生を過ごします」
兄の居ない今だから堂々と宣言できる。
母であっても少し恥ずかしいが、ここははっきり言っておかなければ。
これで異常者扱いされたら、残念だが母とはここまでになるだろう。
「……ユティが異常なのだと思っていたけれど。
ファムもそこまでだったなんて……」
「里を出たので、我慢する必要もないですから」
「むしろ、そこまであなたを押さえ付けていたのね、あの人は」
父=里なので、まあ間違ってはいないかな。
というか、あまり表に出し過ぎて兄に避けられたくなかったからなのだが。
私はパチパチと音を立てる焚き火を見詰める。
火の温かさを感じるなど、いつぶりだろうか。
「まあ、それでも、ファムがユティを避けるよりはいいわね」
「避けるなどあり得ませんが、どうしてですか?」
母はよく私と兄の仲を気にしていた。
里の皆が兄を嫌うから、私もそれに染められると思っていたらしい。
それにしても、気にし過ぎではないかと思っていた。
「あの子は父から疎まれていた。好戦派の血を持つ故に。
あなたが生まれるまで、あの子の存在を認めてくれる者は居なかった。
……私以外ね。だから、余計に嬉しかった。
生まれたてのあなたが、無条件にあの子を頼ってくれて。
私は母親だから、あの子に頼る機会は少ない。
あの子は自分が必要とされることで、自身を確立していたの。
そうして自分に与えられた、初めての使命。
しかも、求められて得たそれは、あの子に必要だったものだわ」
私は今でも覚えている。
十六年前、生まれたての私をぎこちなく抱いて、嬉しそうに笑う兄の顔を。
その正しい意味を、ようやく理解できた気がした。
「思えば、あれも私から見れば魔法のようだったわ」
そう言って母は笑った。
兄を救った、魔法。
そんなものはないと解っているけれど。
その比喩は、何よりも嬉しいものだった。
次回、母子が挑む村作り。
兄の信頼、私の覚悟、絶対いい村作るんだから!