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第十八話 暗雲

 翌日、朝早くに水を飲もうと外に出たところ、例の女性達に遭遇した。

 彼女達も洗顔しようと川に来ていたらしい。

 当然、私は子犬姿のままである。


「ファムちゃん、おはよう!」


 しゃがんで両手を広げている金髪の女性を無視して、私は水を飲みに川へと向かう。

 何事もなく横を通り過ぎた私を、二人はゆっくりと視線で追った。


「清々しいまでに無視されたわね」

「やーん、こっちに来てくれてもいいじゃなーい」


 まずは水を飲ませてください。

 水分補給は大切なんです。

 川の清水をペロリと舐め、自然の冷たさが喉を通る。

 しかし、水面までが少し遠い。

 体の小ささが恨めしく思う。

 もう少しと前に出たところ、足元がボロリと崩れた。


「危ない!」


 これくらいならばすぐに飛び退けば落ちないだろうと脚に力を入れたが、人間の声に思わず体を竦めてしまう。

 身軽なところを見せたからといって、獅狼族だと勘付かれる可能性は低いだろう。

 それでも、私は慎重すぎるほどに警戒していた。

 結果、私はそのまま川に転落することとなったのだが。


 バシャン、と水音を立てて落ちた私に、二人は慌てて手を伸ばす。

 人間の声に異常を感じ取り、外へと出て来た兄もすぐに何が起きたか理解したようだが、さすがに人間達の方が早かった。


「ファム⁉︎」

「あ、お兄さん。この子、水飲もうとして川に落ちちゃって」


 全身ずぶ濡れの状態で持ち上げられ、私はただ水を滴らせることしか出来ない。

 そういえば、しばらく水浴びもしてなかったから丁度良かったかも。

 とりあえず、水が飛び散らない程度に手足をバタつかせて暴れる。


「わ、こら、暴れないで」

「大丈夫ですから、下ろしてあげてくれますか?」


 私の意図を察した兄がフォローしてくれる。

 金髪の女性は渋々といった感じで私を地面に下ろした。

 まずは水切りしないと。

 私は水が掛からないだろう距離まで離れると、体をフルフルと震わせた。

 残念ながら、四足歩行の獣で水を飛ばすこの動作も、慣れたものなのだ。

 人間の頃には解らなかった感覚だが、かなり違う。

 ある程度、体の水を飛ばすと、最後にたっぷり水を含んで重くなった長い尾を持ち上げる。


「もう少し離れましょう」


 すみませんね。尻尾だけ長いもので。

 一応、頭を兄達の方へと向け、尻尾を振っても掛からないように気を配る。

 ブンと勢いよく振れば、その方向に水滴が飛び散った。

 それを左右に何度か繰り返し、そこそこ軽くなったところで、最後にもう一度全身を震わせる。


「小さいと何してても可愛い!」


 そりゃどうも。

 誰も見ていないところだと、もっと乱雑なやり方するのは黙っておこう。

 まだ湿り気は残っているが、あとは自然乾燥で良いかな。

 私はスッキリしたとばかりに兄の方へと駆け寄る。


「まったく。あなたは何をしているのですか」


 苦笑する兄に、私は「だって」と言わんばかりにクゥンと鳴く。

 垂れ下がった耳ごと優しく頭を撫でられ、思わずうっとりと目を閉じてしまった。

 人間達の方から黄色い声が聞こえたが気にしない。


「ところで、あなた方はこれからどうするのですか?」


 ヒョイと私を抱き上げ、兄は人間達に尋ねた。

 一夜は明けたが、いつ出て行くのかと言いたげな兄の目に、私も彼女達を見やる。


「報告もあるので、もう行かないと」

「ええ⁉︎ もうちょっとファムちゃんと遊びたい!」


 私も暇じゃないので付き合っていられないのです。

 意に介さない雰囲気で私は欠伸をした。


「また来ればいいでしょう? 場所は解ったんだし」

「ううう、そうなんだけどぉ」


 名残惜しそうにこちらを見ながら、金髪の女性は大きな溜息を吐いた。

 また来るつもりか。それは困ったな。

 次は少し期間を開けて来て欲しいものだ。


「次に来る時までには、もう少しそれらしい村の形にしておきます」

「ここのこと、街の人に伝えても問題ないでしょうか?」

「勿論です。この滝もこれまで通り利用して下さって構いません。

 私達は新しい家があれば良いので」


 興味本位で訪れるのは勘弁願いたいが、滝まで来る人達を止める権利など、私達にはない。

 とはいえ、他人の家の前を素通りして滝や川を利用するのは抵抗があるかもしれない。

 道の整備を先にした方がいいかな。


 その後、呆気なく二人の女性は村を去って行った。

 昨晩はもう少し様子を見ると言っていたが、随分あっさりと帰ったように思う。

 私の可愛さに観念したかな。……そんなわけないか。

 私は小屋に戻り、人間の姿を取った。

 念の為に外から見えない角の方でという慎重さで。

 仔犬姿とは目線の高さが段違いだ。

 感覚が狂わないよう注意しないといけない。

 そんな私の周りに、兄と母とディロウが集まった。


「さて、嬢ちゃん。とりあえずどうする?」

「私と母で毛染め用の道具作りと材料の調達をしようかと。

 兄上とディロウさんは道の整備を進めて下さい」

「道の整備か……こりゃまた難題だな」


 畑を作るのに用意した簡易農具はあるので、それで何とかしていただくほかない。

 平らな石を用意しての石畳までは要求せず、ひとまず平坦な歩道が確保できれば上々だ。

 それをディロウに伝えると、彼は頷いてくれた。

 道を作る線だけ目印に引いて、後は任せる。

 私と母は道具作りを始めた。

 とは言っても、桶の類はちょっと難しい気がしたので、いっそのこと浴室にしてしまおうということになった。

 母は浴室を知らないので首を傾げているが、とりあえず水浴びを室内でできる場所と説明しておく。

 穴を掘り、底板と土留め用の横板を入れればそれなりのものになるかな、という適当さだが。

 水道がないので水抜きをどうするかは悩む。

 一旦、試作一号として作って後から考えることにした。


 あれやこれやという間に、日が傾き始めた。

 何かに没頭していると、時間はあっという間に過ぎてしまう。

 今日はもう作業終了だと伝えようとして立ち上がった時、鼻を掠める匂いに眉を顰めた。

 森の草木とは違う、独特な甘ったるい匂いだ。

 花の香りというわけでもなく、人工的な匂いに感じる。

 咄嗟に手で鼻を覆っていた。

 この匂いは、嫌いだ。

 そのまま小屋へと戻る。母がそこに居るはずだった。


「は──」


 呼び掛けようとして、言葉が詰まる。

 母は小屋の中で倒れていた。


「母上!」


 慌てて駆け寄り、抱き起こす。

 顔は蒼白だが、怪我をしている様子はなかった。

 体を揺らしても大丈夫だろうか。


「母上、母上!」

「……ファ、ム」


 呼び声に反応し、母は薄らと目を開けた。


「逃げ、なさい」

「え……?」

「このに、おい、は……き、けん……。

 は、やく、ユティの、とこ、ろへ」


 匂いが危険とはどういうことだろう。

 だが、母はこの匂いを知っているということになる。

 その上で、私に危険だというのは何故なのか。

 その答に行き着き、ハッとして辺りの気配を窺う。

 甘ったるい匂いのせいで鼻は効かないが、近くに何かの気配は感じられた。

 そういうのを感じ取るのが苦手な私でさえ、感じる程なのだから、相手は隠そうともしていないということだ。

 母が言う危険、それは恐らく好戦派の襲撃だと思う。

 何故ここに、という疑問は投げ捨てた。

 それを考えている時間などない。


「母上も一緒に……!」

「ダメよ。わた、しは」

「だって……だって、母上が……」


 置いていけば連れて行かれる可能性が高い。

 そうなれば、今度こそ監視付きで囚われてしまう。

 兄とディロウが居れば、動けない母も連れて行ける。

 頑張って母を担いで合流しよう。

 私は母を肩に担ぐ形で背負い、何とか歩き出した。

 甘ったるい匂いはどうやら空気より軽い成分らしく、屈んでいると効きが悪いらしい。

 小屋から出て、兄とディロウを探す。

 が、狭い村の中に二人の姿はない。

 ふと、遠くで複数の足音が忙しなく動いているのが耳に届いた。

 好戦派が引き離して戦っているのかもしれない。


 これはまずい。


 兄もきっとそう思っているはず。

 逃げるに逃げられないと悟り、私は一度母を下ろした。

 私も兄に体術は習った身だ。

 大勢で来られなければ何とかなるかもしれない。

 それに加えて、獣人形態を応用することにした。

 尻尾だけ、変化した時の長い状態で出しておく。

 こうして一部だけ変化させる事も可能なのは汎用性があって良い。


「どこからでもかかって来なさいよ……」


 少し震える声でそう呟くと、前から二体の狼が飛び掛かって来た。

 すかさず尻尾で弾き飛ばす。


 『何だ、あの尾は……!』


 獣人形態で尻尾を出しているのは不思議ではないが、やはりこの長さは見たことがないらしい。


『気を付けろ。奇形体かもしれない』


 どこまでも奇形というのかによるけれども。

 仔犬姿で尻尾が長いのは奇形までいかないのではなかろうか。

 とりあえず勝手に言わせておこう。


『二体も雌を連れて帰れば、恩賞ものだ。抜かるな!』


 ああ、もう、どうして獅狼族にはまともな奴が少ないのか。

 同意も得ずに連れ去る行為を、一族の為と正当化して。

 個の尊厳を踏みにじるのも厭わない、愚かな種族。

 こんな種族、そのまま滅んでしまえばいい。


 そんな考えが浮かんだ時、全身が熱くなった。

 不思議と、体の奥から力が湧いてくる。


『お、おい、何だよ……あれ』

『し、知らん!』


 目の前の狼達は私を見て狼狽している。

 外からの私はどう見えているのか解らないけれど、尻尾が長いことよりも驚かれている。

 驚くというより、慄いていると言った方が良いか。

 別に、他人にどう見られようと今更どうでもいい。


『やばいぞ、こいつ……』

『だが、せめて一体は連れて戻らないと……』


 保身。これもくだらない。

 そんなものの為に、私や母や兄が苦しまなければならないなど、許せない。

 ──してやる。


「ファミティア!」


 周りの音が何故か遠くに聞こえる中、鮮明に響く声。

 負の感情が一気に押し流されていくような感覚に驚いた。


「あにうえ」


 そう呟いた瞬間、全身が鉛のように重くない、立っていられなくなる。

 膝がかくりと折れ、地面に座り込んでしまった。

 体に力が入らない。

 あの、甘ったるい匂いが全身にまとわり付いているようで気持ち悪い。


「ファミティア! っ貴様ら……!」


 兄が好戦派を睨み付ける。

 気付けば、二頭の狼は獣人の姿になり、私の側まで来ていた。


「二体は無理だな。こいつだけ連れて行こう」


 兄を相手にしながら私と母を連れて行くのは無理だと判断し、片方が私を肩に担ぐ。

 良かった。母は助かる。自分の状況は最悪だが。


「ファミティアに触れるな!」


 私を担いだ男の前に、もう片方の男が出る。

 兄が邪魔する男に飛び掛かろうとすると、私を担いでいる男が、その爪を私の喉に当てた。

 驚いた兄が動きを止める。


「子供が産めれば多少傷付いても問題ないんだぞ、こっちは」


 いや、喉を切られたらさすがに危ないと思う。

 そんなことを考えていたら、意識が遠のいて来た。

 兄が足踏みした隙に好戦派は村から離れ始める。

 ああ、拐われてしまう。

 母にも兄にも、姿は見えないけどディロウにも、迷惑掛けちゃう。

 目蓋が、落ちてくる。


 ご め ん な さ い 。

次回、拐われたってへこたれない!

兄のいない地で、私は孤軍奮闘、お前達になんか屈しない!

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