人と過ごすこと、暮らすこと
人と一緒にいると、理不尽に感じることや我慢をしなければならないことがある。
相手のために、もちろん自分のために、感情を抑えなければならないことがある。
そしてそれは親しければ親しいほど、難しくなるものなのかもしれない。
親しくなると、つい甘えてしまうものなのだ。「この人、私のこと知っているはずなのに何故○○してくれないの?」「あんなに仲良くしてくれたのに何故○○するの?」などと言った具合に。つまり期待をしてしまうのだ、
その期待が裏切られたように感じられると、とても悲しくダメージも深い。だから人には期待しない。いつからかそんなやり方を、大人になるにつれ覚えていくのである。
こう書いてみると、大人になることは何だか寂しいことのように感じられるが、きっとそうでもないのだ。期待しないと決めて過ごしてみると、アラ不思議。なんだか心地良くその人と一緒に居られものなのである。このようにして大人とは知恵をつけていくものに違いない。次から次へとやってくる悲しみを乗り越えるのが上手になるのだ。
期待しないことは、相手に絶望することとは違う。自分を持つということだ。
酷いことを言われたら「絶対に許さないからな」と心で唱えて笑顔でかわす。
嫌なことをされたら「絶対に許さないからな」と心で唱えてその場から早々に去る。
欲しい言葉をかけてもらえなかったら「他の人にかけてもらうからまあいいか」と流す。
して欲しいことをしてもらえなかったら「こいつはこういう習性の動物なのだ」と思う。
感情をワッと出さないことが、自分を持つということだ。
人と過ごすためには、人と暮らしていくためには、感情を衝動的に行動に移さないことが大切なのである。
そして心はどこまでも自由なのである。私たちは、本当は恵まれているのだ。
この心の柔軟性を頼みの綱に、今日も「アイツぜってー許さねぇかんな」と唱えて眠るのである。
おやすみなさい。
あまりに許せない相手には復讐をと思いたくなる気持ちもわかりますが、やめておきましょう。結局自分が傷付くので。復讐せずにいる自分にプライドを持っていれば良いのです。それこそがレベルアップに他なりません。そして相手に対して、「こいつは魔物だから仕方ない」と思うのです。