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職人通りを抜けた少年たちは、なだらかな丘の道を登っていった。
城壁に沿ってしばらく歩いていく。
正式に訪問するときに通る楼門は遠かったが、向かっている副門のほうはそれほど離れてはいなかった。
形をそろえた切り積み石が集められた正面にくらべて、このあたりの城壁は大きさのばらばらな荒石の集まりだ。
それでも上部にはパステナーシュの文字がていねいに装飾してあり、裏手まで心配りされていることを示している。
側塔にはさまれた副門の扉は丈高く分厚い木製で、開閉する守衛が来訪者を見定めていた。
顔馴染みの守衛はアルヴァンを認めると笑顔になった。
「これはアルヴァン様、いらっしゃい」
城壁は丘の上の広大な敷地を囲んでいるが、中でさらに低目の城壁が外庭を区切り、王城とその他の場所を区分けしていた。
区分けされた南側には果樹園や牧場などがあるのだが、手入れされた木立も広がっていて王族の憩いの場となっている。
女王陛下やご家族が城外にわざわざお出ましにならなくても、自然の中の散策を楽しむことのできる場所だ。
そんな場所に、コールディング家をはじめとする貴族も立ち入りを許可されているのだった。
「こんなとこにおいらが入って平気なの……?」
鳥かごをぶらさげたナジャが、びくびくした様子で後ろを歩きながら言った。
当然のことながら守衛はナジャだけ追い返そうとしたが、そこをアルヴァンの日頃の行いのよさで、なんとか通してもらったのだ。
ほかならぬ、おぼっちゃまのお友達でしたら……などと守衛はうなずいていたが、遠くから別の衛兵がさりげなくついてきているのは、まあしかたないだろう。
「平気だよ。あんまり長くはいられないけど」
「あんた、よっぽどいい家の生まれなんだね。父親って誰?」
「コールディング侯爵」
「わあ、侯爵様!」
ナジャは口をあんぐり開けてアルヴァンをみつめた。
見世物小屋の一座で旅回りをしていた少年には、興味もない名前だろう。そう思って答えたのだが爵位にだけ反応したらしい。
「すごいなあ、あんたってえらかったんだ」
「えらいのはお父様だよ。ぼくじゃない」
なんだかうっとうしくなってきて、アルヴァンは足を早めた。
見張られてもいるし、早いところプラムをとって帰ってもらおう。
果樹園が近づいてくると、みずみずしいプラムがたわわに実っているのが遠目でもわかった。
果樹園自体は珍しいわけでもなんでもなかったが、王城のくだものは大きさも甘さも別格だ。
散策する人々も、よくその場でもいで持ち帰っているし、子どもひとりが持てる程度の量をいただいたところで別に問題はないだろう。
と、ふいにナジャのぶらさげている鳥かごが、ガチャガチャと音をたてはじめた。
中でおとなしくしていたエルフたちが動き出したのだ。
細々とした手が突き出されてきて、入り口の掛け金を中から簡単にはずした。
エルフふたりはあっというまに外にすべり出て行った。
考えてみれば、あたりまえなのだった。
入り口に鍵がかかっているわけではないのだし、針金の柵は隙間だらけ。
鳥とはちがい両手をそなえたエルフなら、わけなく出られたことだろう。
いままで出なかったのは、単にその気にならなかっただけなのだ。
くだものの香りに誘われたのか、エルフたちはふわふわと果樹園の方角にただよい始めた。
鳥かごを放り出したナジャが、あわててつかまえようとする。
だが大きく腕を振り上げたとたん、木の根につまづいてバランスを崩した。
横にいたアルヴァンにぶつかり、少年たちはふたりそろって勢いよく転んでしまった。
尻もちをついたアルヴァンが相手から身体をひいたのは、予想外の接触に驚いたからだった。
そしてもしかすると、エルフも少年たちの急な転倒に驚いたのかもしれない。
空中で向きを変えると、ひらひら舞い戻ってきて彼らの肩先にとまったのだから。
アルヴァンの肩の上でピアの羽が、ナジャの肩の上でアピの羽が、それぞれ淡く虹色に光った。
次の瞬間、アルヴァンはピアの口から、ナジャの心の中の声をはっきりと聞き取った。
【侯爵様の息子なら、プラムじゃなくてお金くれればいいのに。案外けちなんだなあ】
アルヴァンは青ざめた。
だが青ざめたのは、ナジャの声が聞こえたせいではなかった。
至近距離だったので、アピの口から放たれた自分自身の声が聞き取れた。
その声は、こう言ったのだ。
【汚い手でさわんないでよ。病気がうつったら婚約者になれなくなっちゃうじゃないか】
いまの、聞いてた?
アルヴァンは目の前の少年をみつめた。
聞いてませんように。どうか聞いていませんように。
だが、ナジャのほうはナジャのほうで青ざめていた。
彼は泣きそうになりながら必死に言い始めた。
「い、い、いまのは嘘だよ。おいら、けちだなんて全然思ってないんだから。ねえ、侯爵様に言わないで。都から追い出されたら、おいらほんとに困るんだ」
少年ふたりがみつめあっていたそのとき。
まったく予期していない別の声が、背後からふいに響いてきた。
「アルヴァン様、いまのはなあに? エルフがおしゃべりしていたの?」
少年たちは振り返り、眩しさに思わず目を細めた。
陽の光に金髪をきらめかせた幼い少女がふたり、肩を並べて立っている。
ふたりそろって青い瞳、襟元を金糸でかがった子どもらしい形のドレスは、おそろいのクリーム色だ。
「リデル様、セレナ様」
アルヴァンが飛び上がるように立ち上がると、ナジャもびっくりしてあたふたと立った。
けれど小さな姫君たちは、すでに彼らのほうを見てはいなかった。
再び舞い上がったピアとアピを、興味しんしんで見上げている。
リデルライナ姫が、かわいらしく小首をかしげて呟いた。
「エルフの声なんてはじめて聞いたわ。男の子の声なのね、女の子だと思っていたのに」
「いえ、あれは正確にはエルフの声じゃなくて……」
アルヴァンは思わず言いかけ、余計な発言をしたことに気づいてすぐに口をとじた。
もちろん、姫君たちがそんな言葉を聞き逃すはずはない。好奇心いっぱいで、次々に質問を投げかけてくる。
そして不思議な交信能力についてをすべて聞き出すと、彼女たちの瞳はさらに輝いた。
「いいこと思いついたわ。あなたがた、ちょっと待っていてね」
あなたがたというのは、アルヴァンたちとエルフたち、双方に向けた言葉だったようだ。
小さな姉妹はあわただしく走り去り、そしてほどなく、特別あつらえの乳母車を注意深く押しながら戻ってきた。
ゆったりと大きい乳母車の天蓋は折りたたまれて、二歳になったばかりのエセルシータ姫が、ふかふかのクッションの上にちょこんとすわっている。
いままで、みんなで日光浴の散歩を楽しんでいたらしい。
少し離れた大木の下では、侍女たち数人がかたまってこちらを見守っていたが、近づいてこようとはしなかった。
近づかないよう頼まれているのだろう。
「この子は言葉が遅くて、まだほとんどおしゃべりしてくれないのだけど」
と、発案者のリデルが言った。
「心の中ではきっと、いろんなことを思っているにちがいないわ。ね、この子の声を聞かせてもらえないかしら」
両方の掌をエルフに向けて差し出すと、瑠璃色の瞳のピアが引き寄せられるようにそこにとまった。
「わたし、リデル。この子はエセルよ」
あどけない末の姫君の膝には、深緑の瞳のアピが舞い降りた。
まだ金髪がのびはじめたばかりの姫君は、アーモンドみたいに温かみのある茶色の瞳を見開いて、妖精をみつめかえす。
そのとたん。
リデルの掌の上で、ピアが大きく発声した。それはそれはあどけなく、幼い声だった。
【ママ! ママ! へんなのがいる!】
「きゃあ、しゃべった!」
リデルライナ姫は感動の叫び声をあげた。一拍遅れてアピが同じ声、同じ言葉を叫んだ。
【きゃあ、しゃべった!】
【ママ!】
「わたし、ママじゃないわ。リデルよ、あなたのお姉様よ」
【わたし、ママじゃないわ。リデルよ、あなたのお姉様よ】
【おなかすいた、おなかすいた。甘いのほしい、甘いのほしい!】
「さっき食べたばかりじゃないの、食いしん坊ね」
【さっき食べたばかりじゃないの、食いしん坊ね】
「お姉様、わたしにもわたしにも」
セレスティーナ姫が叫ぶなり、姉の手からピアをひったくった。もはや自己紹介もしていない。
「エセル、わたしがセレナよ。わたしにもお話して」
【エセル、わたしがセレナよ。わたしにもお話して】
【甘いの、甘いの、おいしいの!】
「まあ、この子ったら食べ物のことしか考えてないわ。なんて失礼なの?」
【まあ、この子ったら食べ物のことしか考えてないわ。なんて失礼なの?】
「でも、どうして声が二重に聞こえるのかしら」
【でも、どうして声が二重に聞こえるのかしら】
「きっとエルフが心の声をしゃべっているのよ、セレナ」
「あら、ちょっとうるさいわね」
【あら、ちょっとうるさいわね】
エセルシータ姫が、ふわふわ金髪の頭をゆらして、きゃっきゃと笑いはじめる。
上の姉妹も、きゃあきゃあと笑い合いながら、エルフたちを行ったり来たりさせている。
ピアとアピは、混線気味の幼女たちの心に混乱して目を回しかけている。
ちょっとどころか、すごいかしましさだ。
アルヴァンは、圧倒されながらこの様子を眺めていた。
突然の成り行きに頭がついていかなかったが、ひとつだけはっきりわかることがあった。
この姫君たちは、心の声が外に出ることをまったく嫌がっていないのだ。
アルヴァンの横で同じくあぜんとしていたナジャが、感にたえないように呟いた。
「最強……」
アルヴァンは大きくうなずいた。
そして、たとえ自分が大人になっても、この姫君たちにかなうことはないであろうと強く思った。
それから、何年もたったのち。
姫君たちが成長し、心の声がもしも外にもれたりしたら、恥じらいの悲鳴をあげるにちがいない年頃になってからも──。
あのとき彼女たちについて抱いた見解は、まったくもって正しかったと、アルヴァンはときおり考えるのだった。
姫君たちには、かなわない。
アルヴァンは、やがてリデルライナ姫の正式な婚約者となった。
家柄が釣りあうからではなく、幼馴染だからでもなく、お互いがお互いに恋したからこその婚約だった。
そして次期女王のもっとも大切な人物として、名実ともにレントリアを支えていくことになる。
抱き続けた熱い志が、真に生かされる時がくる。
けれど、思い返せば些細といってもいい少年の日のできごとを、彼が忘れることはけしてなかった。
肩先にとまったエルフ、淡く虹色に光る羽。
自分の心がみにくいと、はじめて思った日のことを。
忘れてはいけないのだと知っていた。
一生忘れずにいる、覚悟を決めた。
(あき伽耶さまからバナーをいただきました)
あとがき
今回は短いお話でした。
エルフという名称ですが・・・私はゲームとかの世界をほとんど知らないのですが、もしかすると一般のエルフって、もっと大きいイメージなのかもしれませんね。
でも私の中では、エルフはなぜか小さいイメージなんです。
シシリー・メアリー・バーカーのフラワーフェアリーみたいな感じに近いかもしれません。
次回の前日譚は、ラキスの子ども時代のお話です。
ちっちゃいラキスと養父母との生活。タイトルは「星の下の晩餐会」。
明日から投稿しますので、よろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。