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勇者の人間関係  作者: みのる
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王と宰相

 内容はゼロですよ。


 王様というのは大変な稼業である。

 なにせ、国を背負っている。

 そんな大層な物のために日々神経をすり減らしているというのに、多少の贅沢で多方面からぶつくさ文句を言われたりするのだから、たまったもんじゃない。少しぐらい美味しい思いもしたいのが人情ってもんじゃないか。

 つくづく王位なんて継ぐんじゃなかった。

 そんな事を今ほど後悔した事はない。


「なあ……それほんとに何かの間違いとかじゃなくて?」


 王は机の向こう側に立っている宰相に縋るような視線を向けた。


「はい、間違いございません」


 視線の意味に気付いていながら、宰相は涼やかな表情で簡潔に肯定の言葉を返す。狐のように細められた瞳の奥に楽しそうな光が宿っているのを、王は見逃さなかった。心の内でこの嗜虐趣味者め……と悪態をつく。


「……うん。ちょっと落ち着こう。えーと、そうだな。疑問点がいくつかあるんだが、質問してもいいかな?」


「なんなりと」


 うやうやしい宰相の了承を得て、王はうむと重々しく頷いた。


「まず……そうだな。勇者の選定というのは何を根拠にどうやって行うのだ?」


「基本的には神託によって根拠と見做されます。時と場合に寄りますが、必要に迫られてなお適切な神託の得られない際には、血筋を辿る手段や預言書の粗探し、占い師等の証言が採用される場合もございます。時には捏造されたケースも何件かあったようですね。もちろん、今回は教会の方から神託ありとの報告が上がっております」


 なんか不穏な単語がいくつか聞こえた気がするが、そんな事に構っていては話が進まないので、聞かなかった事にする。大人にはスルースキルが必要不可欠なのだ。


「ふむ。では、勇者が見つかったとして、その後の流れはどうなる?」


「まずは城への召喚でしょうね。勇者として選定された事を通告し、その任を受けるかどうかの意志確認をいたします。ここまでは内密に事を運ばなくてはなりません。あくまでも勇者は自己の意志にて旅立つ事が求められますので」


 なるほど、と王は頷いた。

 勇者として選定された事が世に広まれば、多方面に影響を及ぼす。

 例えどんな事情があろうとも、勇者の任を断るという事は世界を見捨てるという事を意味するのだ。勇者として選定されていながらその任を断った事が広まれば、世間の反感を買う事は必至であろう。いくら勇者にも人権があると言ったところで、人間とは手前勝手な感情を持つ生き物なので仕方がない。

 一方で、勇者が快く受けてくれたとしても、事前にその件が世の中に広まっているとなると、断れない状況を作り出したと国が批判される恐れがある。本音では受けたくない話を、世間の反感を盾に無理矢理同意に持ち込んだと思われても仕方がないのである。

 往々にして、賞賛よりも批判の方が口に出しやすいものだ。つまり、勇者が了承の意を示す前にこの件が外に漏れてしまえば、誰にもいい事がないのである。両者の利害を考えれば、秘密裏に事を運ぶのが得策であろう。


「更に、勇者には憂いなく旅立てるように福利厚生面での保障を提示いたします。具体的に申しますと、残された家族への保障、任務遂行に伴う災害により生じた損失に対する補填、任務遂行後の生活の保障などなど」


 要は、勇者の任務を受けてくれたならば、その後の生活も家族の面倒もまとめて保障するよという事だ。


「それ……無事に帰って来ない場合はどうなるの?」


「遺族に対する補償のみが残る事になります。勇者が未婚の場合は両親の存命期間、既婚の場合は子どもが成人を迎えるまでとなっております。子どもがいない場合は、子どもの成人にかかる年数と同等の十六年間分の補償が妻に与えられますが、妻が再婚した時点で残りの受給年数に関わらず打ち切りとなります」


 ものすごく生々しい話に、王はげんなりと肩を落とした。

 世界を救ってくれと頼まれた勇者は、自分が戻って来る場合や戻って来ない場合、ありとあらゆるパターンを想定した将来をくどくどと聞かされ、どうにかなっても後は面倒見てやるから安心して行って来いと送り出されるのだろう。なんて気の滅入る話だ。

 しかも、気が滅入る理由はそれだけではない。


「……十五歳って本当に間違いないの?」


 今日何度目かの疑問に、宰相の眉がぴくりと動いた。何度も同じ質問をされるのは嫌いな性質なのだ。知っていたけれど、確認せずにはいられなかった。


「何度お訊ねになられても、私の答えは変わりませんが。氏名、年齢、経歴に関しては報告書に記載のある通りです。間違いはございません」


 報告書を疑われているのが腹立たしいのか、返答の声にとげとげしさが増す。王は「すまん」と小さく謝って縮こまった。常日頃から上下関係に多少の疑問はあれど、有能な宰相を手放すつもりはない。そんな事になったら自身の苦労がもっと増えるのは目に見えている。ただでさえ頭部が気になるお年頃だというのに。


「だけど、まだ未成年じゃないか」


 この国の成人は十六歳と決められている。

 これが三十路も超えた熊のような大男なら、王の心もいくばくかは軽くなっただろう(とはいえ歳を取り過ぎていてもそれはそれで良心が痛む)。それなのに、未成年の子どもなんて。


「左様でございますね。未成年が選定された場合には、保護者の同意が必要と決められております。急ぎ書類を用意させましょう」


 ピントのずれた返答に、王は遠い目をした。


「いや……、そういう事ではなくて」


「なにか問題が?」


 宰相が不服そうにずれた眼鏡を押し上げる。この男に人間味のある回答を望むのは無理というものかと、王は眉尻を下げた。


「十五歳の未成年に魔王を倒して来いっていうのは、どうなんだろうなあと……」


「仕方がありません。神託があったのですから」


 王の葛藤をばっさりと切り捨てて、宰相はふんと鼻を鳴らした。


「それに、選択の自由は許されています。何も無理矢理放り出そうという訳ではありません」


 こんなにも断りにくい話を持ち出して、それでも選択の自由があると主張できる宰相は面の皮が誰よりも厚いのだと思う。

 いや、そうではなくて。


「本人やその保護者が承諾しても、だ。十五歳の少年に全てを負わせて送り出す国って……ちょっと人道的に」


「非難を浴びる恐れがある、という事でしょうか?」


 もってまわった言い方が気に入らなかったらしい。宰相は王の言葉を遮って、さも不機嫌そうな声を出した。彼は自分達の上下関係をよく理解している。こんな事で不敬だと怒る勇気のない事を見抜いているのだ。


「う、うん、まあ、そういう事かな……」


 恐る恐る上目遣いで宰相の様子を窺う。宰相の眼鏡が蝋燭の光を反射して不気味に光った。


「王家も身を切るべきだとお考えであるのならば、王子殿下にご同行頂いてはいかがでしょうか。ボンクラとはいえ王太子殿下に何かあっては後々面倒ですので、第二王子か第三王子あたりが適任でございましょう。戦力になるかどうかははなはだ疑問ではありますが、世の中には『遊び人』なる理解不能な職業もありますので、王子殿下方であれば見事極められるのではないかと推察いたします」


「家族の悪口はいくら俺でもさすがに怒るよ!?」


「悪口などと、とんでもございません。到底『遊び人』なる職を全うする事などできないであろうこの私には、ただただ羨望の思いでございます」


 王太子に対するボンクラ発言についてはフォローなしか、と王は心の中で(重要)ツッコミを入れた。

 しかしながら、しれっと言い放った宰相の言は、悲しいかな、間違ってはいなかった。いくら可愛い我が子であっても、王子達に勇者のサポートが出来る程度の戦闘能力があると言い張るほど親ばかではない。むしろ下手をすれば足手まといになりかねないと思っている。


「……それもひとつの案として、ほ、他には何かないのか」


 宰相はしばし面倒くさそうに眉根を寄せて考え込んでいたが、持っていた資料をぱらぱらと眺めて何かを確認すると、「では」と口を開いた。


「何か装備を与えてはいかがでしょうか。聞けば勇者は田舎の村のしがない猟師の息子、戦闘のための装備にまわせる蓄えが十分にあるとは思えません。城下には腕の良い職人も揃っております。特注で作らせるもよし、城の地下におさめてある由緒正しい王家の鎧をくれてやるもよし」


「王家の鎧って……建国の初代が使ってたウチの家宝なんだよ!? 紋章も入ってるし!」


「あんな物、ただの錆の浮いた前時代の遺物じゃありませんか。使いもしない鎧など、いっそ下げ渡してしまえばいいんですよ」


「毒が駄々漏れだよ!」


「ああ、失礼。私とした事が、過去の栄光という絶大な付加価値がある事を失念していました」


「……………」


 自分自身にさしたる実績がない事を十二分に理解している王は、大人しく口を噤んだ。国民の批判を受ける前から、既に泣きそうだ。


「資金としてそれなりの金銭の用意もいたしましょう。旅程の全てを賄うほどの額を提供する事はできませんが、当面の生活費だけでも十分かと」


 王の涙目に多少満足したのか(四十路のおっさんの涙目に何の効果があるのか理解不能である)、嗜虐趣味の宰相は淡々と提案を再開した。


「送り出す側としてできるのはこれくらいの事かと存じますが。あまり派手な事をして過去の事例とかけ離れては、体裁も良くありませんから」


 話しながら、懐から取り出した懐中時計にちらりと視線をやる。どうやらそろそろ終わりにしたいようだ。宰相はいつでも時間に追われている。


「取り急ぎ、目立たないように村に使いをやり、勇者を召喚いたしましょう。では早速準備に取り掛かりますので」


 口を挟む隙も与えず、宰相は浅く礼をし、せかせかとした足取りで執務室を出て行く。


「……よ、よろしくねー……」


 後ろ姿に掛けた弱々しい王の声は、閉まる扉の音にかき消された。


 * * * * * * * * *


「大体さー……なんで俺の時代に魔王が復活するかなー……」


 執務室の机の上に無気力に突っ伏した王の恨めしげな呟きを、脇に立つ宰相はさらりと聞き流した。

 勇者が意志確認のため、とうとうやって来るのである。極秘のため、きらびやかな謁見の間をあえて避け、普段王が使用している執務室で面通しする事になっている。

 勇者の任を受けてくれる事になったら、今度は仰々しく儀礼的な謁見をやって、そこで任命という事になるらしい。二度手間ではないか。


「親父の時代はあんなに平和だったのに……。二百年も大人しかったんだから、あと二十年……いや三十年待ってくれたって……」


「七十になるまで居座るつもりですか」


 宰相がうっかり反応した。心底嫌そうだった。


「十五歳の少年が生きて帰れる保証のない魔王討伐なんて、嫌だろうなあ……。断られるんじゃないかなあ……」


「まあ普通は嫌でしょうね」


 かけていた眼鏡を外してハンカチで拭きながら、宰相が適当な返事をする。完全に他人事だ。


「断られた場合ってどうなるの……?」


「まず、勇者の資質を持つ者が他にいる可能性を探ります。しかし、魔王の脅威を放っておく訳にはいきませんから、そちらは関係諸国の統治者と連携を取りつつ、適宜国力で対処する事になるでしょう。平たく申しますと、国内における領土の防衛、場合によっては連合国魔王討伐隊に国軍から派兵する必要があるという事です」


 相手は魔王である。精鋭とはいえ、一般人では太刀打ちできないだろう。勇者に選ばれた事実という精神的な後ろ盾もなしに、魔王討伐に納得する兵士が果たしてどれほどいるだろうか。


「見込みがあろうとなかろうと、兵を出すという事が重要なのです。魔王という各国共通の脅威がある今だからこそ、他国との足並みを揃えなければなりません。将来的に軋轢を産む可能性があるような行為は控えるべきです」


 自分が行く訳ではない宰相は何の感情も見せずに言いきった。いや、この男なら条件次第では最前線に立つ事も厭わないに違いないと王は思う。剣術の心得など皆無に等しいくせに、うまく立ち回ってちゃっかり生還しそうだ。だって死ぬところとか弱ってるところとか、全然想像できない。


「もしかしてお前が勇者じゃないのか……?」


「はあ?」


 思わず口から飛び出した言葉に、宰相が盛大に眉をしかめた。

 何言ってんだこいつ。そんな顔である。

 室内が妙な空気で満たされたちょうどその時、執務室の扉がこんこんと音をたてた。


「入りたまえ」


 宰相が即座にいつもの無表情に戻って扉の外へ声を掛ける。


「失礼いたします」


 扉を開けて入って来た文官の後ろに続いて、如何にも場違いなあどけない少年が入室する。彼はぽかんと大きな口を開け、きょろきょろと周囲の様子を物珍しげに見回していた。


「ご案内いたしました」


 執務机を挟んだ向かい側で文官がぺこりと頭を下げ、少年を残して部屋を去る。残された少年は突っ立ったまま、ぱちくりと大きな目を瞬いた。


「お前がダニヤ村のヤハルと申す者か」


 右隣に立った宰相が尊大な声で手元の資料を確認しながら問いかける。


「あ、はい」


 威圧感たっぷりの宰相の声にも怯まず、少年はのんびりと返事をした。


「こちらにおわすは恐れ多くも国王陛下であらせられる」


「はあ。どうも」


 ぺこりと頭を下げる少年。宰相の片眉がぴくりと反応する。彼は礼儀作法にも細かいのだ。


「……こちらにおわすは」


「いや、あの、もう無礼講でいいよ! 非公式だし! ね!」


 やり直しを強要するかのような言葉を遮って、王がとりなすように言うと、宰相は幾分か不満そうだったが口を閉じた。

 静かになった室内で、目の前に立つ勇者に選定されたという少年をじっくりと観察する。

 ぴこぴこと飛び跳ねる様な黒髪、日焼けした顔は如何にも十五歳の少年らしい。質素な衣服から伸びる細い手足には適度に筋肉がついてはいるが、やはり兵士などに比べるとまだまだ頼りない。目が合うと、少年はにへらと笑った。


 なんせ十五歳。加えてこの物怖じしなさそうな性格。間違いなく宰相のもっとも苦手なタイプであると王は看破した。

 ここは自分が頑張らなければいけない。世界平和のためにも。

 王は気合を入れるようにげふんと咳ばらいをし、少年を見据えた。


「えー……、魔王が復活したという話は知っておるか」


 無礼講でいいとは言ったが、やはり多少の威厳は必要かもしれないと思いなおし、重々しい口調で切り出す。


「ああ、はい。村はその話題でいっぱいですよ。魔物が普段より増えて困るとか、今度の勇者様はどこの誰だろうとか」


 ジャブ程度にうちこんだ話題に、ボディーブローが返って来てむせる。

 君だ! 君なんだよ!

 というか、こんな状況になって自分なのかなとか考えないか? 何のために城に呼ばれたと思っているのだ? それとも何かの振りか? 振りなのか?

 若者の考えが分からずに悩む王である。思わず宰相を見上げたが、彼は明後日の方に視線を向けていて、取り付く島もなかった。


「……その、勇者なんだが」


「はあ」


 少年はきょとんした表情で立ちつくしている。


「君だ」


「はい?」


「君なんだよ」


 妙な沈黙が室内に満ちる。

 少年はぱちぱちと瞬きを繰り返してから、へらっと笑った。


「……いやいや、まさかあ。冗談きついですよ」


 あははと笑いながら手をひらひらと振る。

 じゃあ君がここに来たのは一体何のためだと思っている。それ以外にこんなところに呼び出される理由に心当たりがあるのなら、むしろそっちを聞きたい。

 心の中で湧き上がる感情を抑えて、王は努めて冷静さを装った。


「冗談ではない。神託があったのだよ」


 真面目な顔でそう告げると、少年は動きを止め、ちらりと宰相に視線を走らせた。渋い表情で小さく頷いた宰相の姿に、彼はようやくそれが事実だと受け止める気になったらしい。


「……マジすか」


「マジなのだ」


 少年は笑いを引っ込めて呆然とする。

 それはやはりショックだろう。自分が勇者であると宣告されたのだ。この後に続く言葉は馬鹿でもわかる。それでも説得しなければならない。

 決意を込めてぐっと拳を握った王は、闘志のたぎる目で少年を見据えた。


「君の気持ちは十分に分かっているつもりだ。なにせこれは世界の命運を掛けた戦い。いくら勇者といえど、無事に戻って来れる保証はない。どんなに腕に自信のある猛者であろうとも二の足を踏むだろう。ましてや君のようにうら若き少年の肩に全てを背負わせる事になるとは、なんと運命の過酷な事か……。 しかし! しかしだ! 神託があった以上、我々は君に頼むしかないのだ……!」


「はあ」


「もちろん、いろいろと心配事は多いだろう! 国内で手を打てる分に関しては我々が請け負おう! 国境までは兵をつけて送らせるし、資金の用意もある! 君が魔王討伐という大義だけに集中できるように、全力を尽くそうではないか!」


「はあ」


「残していくご家族の事についても心配はいらない。君が旅に出ている間、必要であれば人を派遣しよう。万が一君に何かあった時も、大義に殉じた君の名誉が語り継がれるとともに、ご家族には手厚い補償が与えられる事だろう。ああ、いや! もちろん君は無事に帰って来るだろうと信じてはいるぞ!? 信じてはいるのだが、百万が一、もしもの事があったとしても、とにかく心配はいらないという事が言いたいのだ!」


「はあ」


「未来ある少年である君にこんな事を頼むのも心苦しい限りなのだが、どうか、どうか引き受けてくれないだろうか! 全ては世界のためなのだ……!」


「はあ、分かりました」


「断りたくなる気持ちもわかる! わかるとも! ああ、魔王という強大な存在の前では、人の子などなんと小さく儚い存在であろうか! しかし、勇者は人の身でありながら、魔王に対抗する事が出来る唯一無二の存在なのだ! 勇者に選定された事を、どうか重く受け止めていただきたい!」


「いえ、あの、分かりましたって」


「いや! いやいや、何も性急に答えを出さずとも! 君は未成年であるからして、保護者の方とよく話し合いを……えっ?」


「そういう事なら、引き受けます。親父も多分やれって言うだろうし」


「えっ?」


「えっ?」


「………………」


「えっ?」


 大丈夫か、この子。

 随分あっさりした了承に、一抹の不安が心をよぎる。二の句を継げない王をよそに、宰相はこの機を逃すものかとばかりに一枚の書面を取り出した。


「では、こちらを。あなたは未成年ですので、保護者の同意が必要になります……が、本日は保護者の方は?」


「親父なら三日前から山に入ってます。明日か明後日には戻って来ると思いますけど」


「では、保護者の方が戻り次第そこに署名を。使いの者を村に待機させますので、その者にお渡しください。今後の予定につきましては、調整がつき次第、ご連絡差し上げます。それから、この件については王室からの公式発表があるまではご家族以外には内密に願います。よろしいですね」


 お引き取りいただいて結構ですよ、という宰相の言葉にぺこりと頭を下げると、少年は執務室を後にした。気負いのない華奢な後ろ姿が重々しい扉の向こうに消えると、王はぐったりと背もたれにもたれかかって大きなため息をついた。

 やりきったはずなのに、何故か拭い去れない不安が心に残る。


「大丈夫かな……あの子、ちょっとアレだよね……」


「ちょっとアレでも神託の結果です。大丈夫なんじゃないんですか」


 まるで他人事の宰相の返答に、ますます不安を募らせる王であった。


 * * * * * * * * *


 果たして、王の不安を見事に裏切り、勇者がその名にに相応しい働きを見せたのは、それから三年半後の事である。


「いやー、最初はどうなるかと思ったけどね。神託ってやっぱすごいんだな」


 魔王の脅威がなくなった世界で飲む酒は格段にうまい。王はご機嫌な様子でグラスに入った琥珀色の液体をくるりと揺らせた。

 昼間、ひっそりと城内へ入った勇者一行と面会し、魔王討伐を成し遂げた旨報告を受けた。城に用意した部屋で勇者たちは夜を明かし、明日、大規模な凱旋パレードを催す予定になっている。また謁見の間で仰々しい儀礼めいた報告会をするそうだ。例によって例の如く、二度手間である。

 よかったあーと暢気に酒をあおっている王を、宰相は冷めた目で見ていた。


「無事に魔王討伐が成し遂げられたのはようございました。……ところで、大事を成し遂げたのですから、勇者たち一行には何かそれに相応しい褒美を取らせねばなりません」


「褒美か。それもそうだ。よしよし、なんたって救世主だからな! 出し惜しみはせんぞ」


 酒のせいか、はたまた魔王という得体の知れない脅威が去ったせいか、王は豪気な事を言う。きらりと宰相の眼鏡が光った。


「では、第四王女のお輿入れというのは如何でしょう」


 思わぬ一言に、口に含んでいた酒が豪快に噴き出す。脇に立っている宰相にはしぶきがかかった様子もないのに、彼は眉間に深い皺を寄せた。


「こここ輿入れって! 俺の可愛いサニヤちゃんを!?」


「王女殿下方で未だ未婚であらせられるのは、第四王女のサニヤ様のみでいらっしゃいますので」


 宰相の差し出したハンカチで口元を拭いながら、王は眉尻を情けなく下げた。


「だってサニヤちゃんは十五歳だよ! 未成年だよ! まだ早いって!」


「他の王女殿下方も、サニヤ様の御歳にはご婚約が調っておいでだったと記憶しておりますが」


「ぐっ……」


「他国へ嫁がれた他の王女殿下方とは違い、国内でのお輿入れであれば面会も容易でしょう。双方にとって悪い話ではないと考えます」


「だって勇者でしょ? ちょっとアレな勇者でしょ? 魔王討伐から帰って来たばかりで、今となっては無職だよ!」


「ちょっとアレなのは如何ともしがたい問題ですが、無職に関してはいくらでも手の打ちようがございます。勇者が無事戻って来た折には生活を保障するとの規約もある事ですし。何と言っても魔王を打ち負かした実績がございますので、その戦闘能力を活かした職を任じられてはいかがでしょうか」


「戦闘能力を生かした職……?」


「そうですね……現在将軍を務めておられるナディム殿は昨今ぎっくり腰に悩まされているご様子で、引退をお考えだと伺っております。あの若さで将軍というのも異例ではございますが、さりとて世界を救った勇者に一兵卒と同じ扱いをする訳にもまいりません。後釜という事でいかがでしょうか」


「……将軍、なんて務まると思う? ちょっとアレな少年だよ?」


「務まるかどうかはこの際問題ではございません。ちょっとアレなのは、有能な補佐をつければなんとでもなりましょう。往々にして組織のトップというのは体さえあれば、頭の中身が有ろうが無かろうが関係ないものです」


 それは俺の事ですか?

 とはもちろん聞けなかった。絶対いい笑顔で肯定されるに決まっている。

 宰相の暴論を聞かなかった事にして、王は腕組みをして目を閉じた。

 想像してみる。将軍になったちょっとアレな元勇者の少年と、その横に寄り添う愛娘の姿を。

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ……。


「やっぱ嫌だ! サニヤちゃんにはもっと頭が良くてしっかりしてて、それなりに腕に覚えがあって、経済的にも頼りになる、俺が何の心配もしなくていいようないい男を見つけてやるんだ!」


 駄々をこねる四十路に冷ややかな視線が突き刺さった。


「……上の王女殿下方の時も、確かその様にわがままをおっしゃっておられましたね。王女殿下方はご自身のお役目をよくご理解なさっておられ、毅然としたお姿で他国へと旅立って行かれましたのに。おかげで他国の王室とのパイプもでき、周辺諸国との関係は良好でございます。それぞれお子さまにも恵まれ、恙無い結婚生活を送っていらっしゃる事と存じますが」


 何の文句があるのだと言わんばかりに宰相が鼻を鳴らす。

 分かっている。王家の人間として、王国の平和を維持するために必要な物のひとつとして政略結婚が存在する事は。だけど、どうしても割り切れない父としての部分があるのだ。


「国益という意味なら、上の王女たちと同じで他国の王室へ嫁にやった方が良いんじゃないのか」


 拗ねた口調で王がぶつくさ文句を言う。ちょっとアレで現在無職な勇者に嫁がせるよりは、その方が格段にいいように思えた。国内に住まわせてすぐに会える環境というのもなかなかに魅力的ではあったが。


「周辺諸国の王室よりも、勇者を優先する理由がございます」


「む……なんだそれは」


 やれやれと宰相が肩をすくめた。


「お考えになってください。魔王の脅威が去った今となっては、この世界最強の存在とは一体何なのか」


「最強……それはもちろん、魔王を倒した勇者だろう」


 それくらいわかるわと王は顔をしかめた。


「左様でございます。という事は我が国は世界最強の存在を手に入れているという事に他なりません」


「ふむ。素晴らしい事ではないか。これで我が国は安泰だな」


 暢気な王はぐびりと喉を鳴らして酒をあおる。今年の酒もいい出来だ。


「果たしてそうでしょうか」


「む?」


 いい気分に水を差す不穏な一言に隣を見上げる。蝋燭の光を反射して不気味に光る眼鏡に邪魔されて、彼の瞳は見えなかった。


「もちろん、彼の者が王に服従の意を示している内は安泰でありましょう。……ですが、もし何らかの理由で王家に反旗を翻す事になったら? もし他国が彼の者を取り込み、戦力として利用する事があったら?」


「む……」


「我が国の戦力では倒す事の出来ぬ魔王を討伐せしめた勇者の戦闘力に、国軍で敵うとお思いですか?」


「ぬう……」


「魔王の脅威を拭い去るための大いなる力は諸刃の剣なのです。魔王が消滅したからといって、目を離していいものではありません」


「なるほど……将来の新たな脅威になりかねんという訳だな」


 苦々しい表情で納得した王に、宰相は細い目を更に細めて頷いた。


「左様で」


 そのために一番いいのは王女との婚姻であるというのは十分に理解できる。より王家に近しい方が、抑止力になる可能性も高いだろう。

 重いため息が王の口から零れ落ちた。


「それなら精々いい職につけてやるとしようかな……ちょっとアレでも大丈夫な職……」


「私にお任せください。優秀な補佐を見つくろっておきますので」


「うん……頼むよ……」


 こんな形で末娘の結婚が決まるとは思ってもみなかった。今までの想い出が走馬灯のように駆け巡って、酒に緩んだ瞳がじわりと滲む。


「娘ってどうして嫁に行っちゃうんだろう……」


「行かなかったら行かなかったで気にするくせに」


 聞こえるか聞こえないかの音量で発せられた宰相のぼやきはスルーする。


「お前には分かんないだろうなあ」


「はあ、全く。うちには子どもがおりませんので」


「子どもはいいぞう。お前だってあんな若い奥さん貰ったんだから、頑張ればいいんだ」


 下世話な発言に、宰相が眉間にしわを寄せた。下ネタは嫌いなのだ。


「余計なお世話ですよ。大体、娘の嫁入りでそんなに萎れている人に言われたくはありませんね」


 真面目に講義したが、王の耳には届いていなかった。


「サニヤちゃん……幸せになれるかなあ……」


「さて、どうでしょうね」


 宰相の仕方なさそうな相槌でさえも、今の王には有り難かった。

 その日、王の執務室からは長い事嗚咽が聞こえていたという。


 * * * * * * * * *


「無理っすね」


 王は耳を疑った。

 王だけではない。隣に立つ宰相ですら、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしている。これは希少だ。王は思わず心のキャンバスに焼き付けた。

 いや、そんな場合ではない。


「……えーと、え? 無理?」


「はあ。将軍なんて俺には無理ですよ。センリャクとかヘーホーとかそういうのわかんないし」


 ヘーホー……ああ、兵法か。

 聞き慣れない発音に見合う適切な単語を探していた王に代わって、宰相が口を開いた。


「もちろん最初から重責に足る仕事ぶりを期待してはいません。補佐を何人かつけますから、まずはその者達から必要な知識を教わるところから始めていただくつもりですが」


「そんな大役、いつまでたっても務まらないと思いますよ。俺、馬鹿ですから」


 わははと屈託なく笑う彼に、王と宰相は肩透かしを食らった。ちょっとアレな感じで勇者の任を引き受けた彼なら、いきなり将軍といわれても軽く引き受けるのではないだろうかと思っていたのだ。


「あなたは世界を救った英雄なのですから、それくらいの職でないとつり合いがとれないのですよ。事前にご説明差し上げたでしょう、帰国後の生活についても保障があると」


「えっ、保障ってこの事ですか? じゃあ気にしないでください。生活なら何とかなりますから」


「お待ちなさい。何とかなると言っても、元勇者に倹しい暮らしをさせる訳にはいかないのですよ、色々な意味で王家の名折れになりますから!」


 イライラして来たらしい宰相の声が大きくなる。話を聞かない人間と理解の遅い人間を相手にするのは時間の無駄だと感じるらしい。


「あー、じゃあ職じゃなくて現物支給になりませんかね? 小麦粉一年分とか、希少な薬草とか、薬草がくの本とか。あ、もちろん現金でもいいんですけど」


 一年分で足りると思っているところがまたそこはかとなくアレである。あとなんでそんなに薬草にこだわる。王はむしろなんだか彼の事が心配になって来た。この少年は誰かに騙されていいように使われたりしないだろうか。


「将軍はどうしても嫌だと言うのですね……?」


「嫌っていうか、無理ですってば。俺以外の人が嫌だと思いますけど」


 この世の終焉を嘆くがごとくの深いため息が宰相の口から吐き出された。これも割と珍しい事だ。少年、すごいなと王は場違いにも少し感動した。


「……では仕方ありません。あなたのご希望に沿うような他の職を考えましょう。ところで」


 ちらりと宰相の視線が王の方を向く。楽しんでいたのがばれたのかと一瞬体を強張らせるが、すぐに王女の件を思い出して寂しい気持ちになりながらも、げふんと咳払いをして気分を切り替えた。


「えー……君は独身だったね」


「はあ」


「そろそろ結婚とか考えてもいい歳だと思うんだが、どうかな」


「はあ……まあ、その、それなりに」


「うんうん、そうだろうそうだろう。ついては君にだな、娘を貰って欲しいと思っているんだが」


 少年は物凄く微妙な顔をした。

 なんだその反応。


「うちの娘では不服かな?」


 若干むっとして、思わずとげとげしい言葉が出る。


「不服……とかそういう訳ではなく。多分王女様が嫌がるんじゃないかなーと」


 勇者の目がうろうろと宙を彷徨う。意味深な反応を訝しく思いつつ、王は質問を重ねて様子を見る事にした。


「どうしてそう思うのだね?」


「えーと……俺は村に戻る気ですし」


 なるほど、箱入り娘の王女に田舎暮らしは無理だろうと思っているようだ。というか、村に帰る気なのがまたびっくりだ。本当に元の生活に戻れると思っているのだろうか、彼は。


「職を世話するからには、君には王都に留まってもらうつもりだったのだがね。……まあどうしてもというのならば仕方がない。ダニヤ村であれば、通勤もできない事はないだろうしな時間めっちゃかかるけど。娘の事は気にせずとも良い。気は強いが優しい子だ。説得すればきっと……」


 王の言葉を打ち消すような爆音がとどろいたのはその時である。どかんと大きな音を立てて開いた扉の向こうには、美しいドレスを身にまとった憤怒の表情の少女が肩で息をして立っていた。


「サ、サニヤちゃん?」


 王女の予想外の登場に、王は口をぽかんとあけて固まった。隣で同様の表情で固まっている宰相の姿はプレミアがつくほどの希少さだったのだが、それに気付く余裕などない。

 少女はゆるく巻かれた金髪を優雅に揺らしながらつかつかと王の前まで足を進めると、きっと王を睨みつけた。


「お父さま! わ、わたくし、このひととは結婚したくありませんわ!」


 びしっと白魚のような指を指された勇者は、如何にも「ほらね」といった顔をしている。


「お、落ち着きなさい、サニヤちゃん。どうしたの? 何が嫌なの? お父さんに言ってごらん」


 娘に甘い父親モードにスイッチが切り替わった王が、猫なで声で王女の機嫌を取る。混乱状態からいち早く回復した宰相が、良くない流れに苦い顔をした。


「だってだって、わたくし田舎に行かなければならないのでしょう? そんなの嫌だわ」


「そんな事かあ。大丈夫だよ、侍女だって沢山連れて行けばいいんだし、必要な物は毎日でも届けてあげる。城みたいに大きなお家も建てようね」


「そんな事じゃないわ! わたくし、毎日蛙の掴み取りなんてごめんよ!」


 こらえきれない気持ちが涙となって溢れだし、感極まった王女は両手で顔を覆ってその場にうずくまった。


「か、蛙? 掴み取り? 何の事かな、サニヤちゃん!」


 王は椅子を蹴立てて立ち上がると、王女の隣にしゃがみこんだ。そっと背中をさするが、王女はわんわんと大きな声を上げて泣くばかりで要領を得ない。


「あなた、王女殿下に何を吹きこんだのです!?」


「蛙の捕まえ方を教えてあげたんですよね、三年半前。俺、得意なんです」


 やや得意げな少年には、宰相の絶対零度の視線を無効化する能力が備わっているらしい。さすが勇者である。


「何故! 何故蛙の捕まえ方を教わる必要があるんです王女殿下ともあろうお方が!」


 常に冷静沈着をモットーとする宰相が、これほどの大声を出した事が未だかつてあろうか――いや、ない。

 執務室は今や阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 というのは言いすぎだとしても、異変に気付きながらも足を踏み入れる事を躊躇う衛兵の気持ちを想像してもらえば、状況は理解できる事だろう。


「わ、わたくし、嫌よ! お嫁になんか、いか、行かない!」


「サニヤちゃん! そう言ってくれるとお父さんは嬉しいけれど、でも王様としてはちょっと困っちゃうかな!」


「王女殿下、落ち着いてください。蛙など貴女様が捕まえる必要はございませんから!」


「将軍は無理だし、王女殿下には嫌われてるし、結論出ましたよね。俺もう行っていいすか? 明日村に帰るつもりなんで、朝早く出ないと仲間達撒けないし」


「お待ちなさい誰が話は終わりだと言いましたか言っていませんよね!?」


 その夜、王の執務室の灯は、一晩中消える事がなかったという。

 朝方、よろよろと執務室から出てきた宰相の手には、一枚の書面が握られていた。王家の提案を受け入れない勇者に対する苦肉の策として用意されたその書面には、今後如何なる理由があろうと王家に造反する事のない旨と、ミミズののたくったような字で書かれた勇者の署名が記されていた。

 疲れ切った表情の宰相は、おそるおそるねぎらう部下に「あいつの顔は金輪際見たくない」とだけ言い残し、朝焼けの中、新妻の待つ自宅へ帰って行った。


 結果的に愛娘の婚約の阻止に成功した王は、やりきった気持ちで自室の大きなベッドに倒れ込んだ。

 褒美としての意味合いがあったのは事実だが、将軍職だの、王女との婚約だの、全ては勇者を味方に引きとめておくためだけの手段だったのだ。彼の命ある限り、現王家に盾突く事がないと保証されれば、それで十分ではないか。もっとも、紙切れ一枚がどれほどの効力を持つものかははなはだ微妙なところだが。

 これで何の心配もなくもう少しサニヤちゃんと一緒にいる事が出来る。布団をかぶりながら、王はむふふと気持ちの悪い笑いをこぼした。


 彼らは知らない。

 自分が署名した書類の内容を、勇者が全くと言っていいほど理解していなかった事を。

 そして、彼が田舎の村の薬屋の婿養子という立場に十分な幸せを感じ、権力を我が物にできるかもしれない事など思いつきもしない、想定していた以上の馬鹿である事を。

 これは盛大な取り越し苦労の物語である。


 書き散らした感満載ですいません。

 王女様と蛙の顛末は……気が向いたら書きます。

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