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勇者の人間関係  作者: みのる
1/2

幼馴染

 勇者とは基本的にお人好しであると相場が決まっている。

 そういう意味では、彼程勇者に相応しい者もいないかもしれない。


『じゃあな、フィカ。元気でな!』


 三年半前、能天気な笑顔で手を振りながら村を出て行った彼。

 今では魔王を見事打倒した勇者と称えられる彼が、戻ってくるらしい。


 * * * * * * * * *


「ヤハルの奴、明日凱旋だって?」


「王都で派手にやるそうだぜ。なんたって世界を救った英雄だからな」


「良かったじゃねえか、フィカ。明日は見に行くんだろ?」


 急に話題を振られて、手元が狂う。天秤の皿にのせた紙から、粉末状の薬草が机の上にこぼれた。

 またやり直し。今日はこんなのばっかりだ。

 小さく息を吐いて、顔を上げる。カウンター越しの常連客の楽しそうな笑顔に、曖昧な笑みを返した。


「お店もあるので……」


「なぁに言ってんだ。そんなめでたい日をわざわざ選んで来る無粋な客がいるかよう!」


 がははと髭面の大男が笑う。その隣でひょろりと背の高い男がうんうんと頷いた。


「フィカちゃんが行ってあげれば、あいつも喜ぶんじゃないかなあ」


 どうかしら。

 口に出そうになった一言を呑みこんで、フィカは手早く薬を計りなおして丁寧に包み、ふたりに差し出す。


「お待たせしました」


 ありがとよ、と口々に礼を言って店から出て行くふたりの姿が扉の向こうに消えると、大きなため息をついて机の上にぐったりと体を投げ出した。

 地方の村の小さな薬屋には、知った顔しかやって来ない。それは気楽でいい半面、時々居心地の悪い思いをする事がある。今みたいに。


「フィカ、疲れたのか?」


 いつの間に薬草採りから戻って来たのか、背後からかけられた父の声に慌てて飛び起きる。


「あ、ううん。大丈夫。おかえり、お父さん」


 父の差し出す籠を受け取り、机の上に広げながら中身を分別していく。薬草ごとに処理の方法が違うのだ。

 父は水を飲みながらしばらくフィカの作業を見ていたが、小首を傾げるとフィカの頭をぐりぐりと撫でた。長く伸ばした髪が背中で音をたてる。


「行ってきていいんだぞ」


 心中を慮るような優しい声音にも、フィカは素直に頷けなかった。


「……ん、考えとく」


 父はなんとも複雑そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

 夕方、店を閉めるとフィカはひとりで教会に向かう。祭壇の前で膝を折り、祈りを捧げる。その後は並べられた椅子に腰かけて、物思いにふけるのがフィカの日課だった。

 人気のない静かな教会の中では、ステンドグラスを透過した夕日の光が壁に美しい模様を映し出していた。それを見る度、この村の教会は美しいとフィカは思う。と言っても、フィカの知る教会はここと、精々王都の大きな教会くらいだ。勇者として世界中を旅していたヤハルは、もっといろんな教会を見てきた事だろう。それでも、この村の教会が彼にとって特別であればいいのにとフィカはぼんやりと考えた。


「来ていたのですか、フィカ」


 静かな空間に響いた柔らかい声に、フィカは振り向く。


「神父様」


 黒い衣装に身を包んだ神父が、柔和な笑顔で歩いて来るところだった。七年前にやって来た神父はまだ若く、あまり威厳がない。けれど、彼の持つ穏やかな雰囲気と忍び寄るような優しさが、フィカは気に入っていた。


「ヤハルが帰ってくるそうですね」


 フィカの隣に腰をおろし、嬉しそうに神父が言う。


「これであなたの願掛けも終わりですか。三年半、よく務めましたね」


「……はい」


 頷くフィカの背中で長い髪が揺れる。ヤハルが旅立ってから、一度も切らなかった髪。随分と伸びてしまった。


「明日はあなたも見物に行くのでしょう? 帰ってくるとは言っても、しばらくは国を挙げてのお祭り騒ぎですから、ヤハルがこの村に戻って来れるのはいつになるかわかりませんし」


 和やかな神父の言葉に、フィカは眉尻を下げて俯く。彼女のしょんぼりした様子を見て、神父は首を傾げた。


「まさか、行かないのですか?」


「……迷っているんです」


 そう答えると、神父は不思議そうな顔をする。


「どうしてですか? ああ、お店の事を心配して……?」


 難しそうに考え込む神父に、フィカは首を振った。


「違うんです。お父さんも心配しないで行って来いって言ってくれますし」


「ではなぜ?」


 フィカは膝の上で手を固く組み、黙り込んだ。神父は辛抱強く彼女の言葉を待っている。やがて観念したように、フィカはぽつりぽつりと話し始めた。


「……神父様もご存じだと思いますが、ヤハルは馬鹿なんです」


 思いもよらない言葉を聞いたという風に、神父が目を瞬く。


「脳みそが全部筋肉なんじゃないかってくらい、馬鹿なんです。三年半前、勇者に選ばれた時だって、布の服とこんぼうなんていう心もとないにも程がある装備で旅に出ようとしたんですよ? まずはこの近辺で雑魚相手に経験値を積みながらお金を稼いできなさいって私が叱らなきゃ、多分あの装備のまま突っ走ってどこかで野垂れ死にしてたと思うんです」


 フィカは生気のない目で遠くを見つめた。当時の苦労は思い出したくもない。


「稼いできたお金で、それでも随分武器屋のおじさんにおまけしてもらって、なんとか装備を整えて。何の計画性もないまま出発しようとするヤハルをまた叱りつけて、ありったけの薬草と食料を持たせて。私がこんなに心配しているのに、ちょっとそこまで薬草摘みに行ってくるわ、位の軽いノリで旅に出たんですよ」


 神父が苦笑をこぼす。


「良く覚えていますよ。彼は……何と言うか、とても明るかったから」


「馬鹿なんですよ。ただの馬鹿」


 泣きそうになりながら、それでも泣くまいと唇を噛んで見送るフィカに、ヤハルは笑顔で出て行った。いつもと全く同じ大好きな笑顔に、あんなにも焦燥感をかき立てられたのは初めてだ。


「国とか、世界とか、そんな大きなものを背負わされて、君しかいないなんて分かりやすいおだて文句でそそのかされて、そういう事ならってその気になっちゃうくらい、馬鹿なんです」


 大きな軍隊や沢山の魔法使い達を従える一国の王ですら対処できないものを、こんな片田舎のひとりの少年に委ねようだなんて、暴挙もいい所だ。勇者の選定にどんな根拠があるのかは知らないが、齢十五の少年に託すには重すぎる荷物だろう。

 フィカはそう憤ったが、ヤハルは大丈夫だよと快活に笑っていた。その根拠のない自信がまた不安を誘う事を分かっていない。


「十歳の頃、西にある洞窟にふたりで行った事があるんです」


 フィカの言葉に、神父は言葉を失った。


「……! あの洞窟は、強い魔物が出ると……」


「大人からは行ってはいけないときつく言われていました。当時、私のお母さんは重い病気にかかっていて。本で読んだんです。その洞窟にはお母さんの病気に効く薬草が生えているって」


 普段のフィカなら絶対にそんな事はしなかっただろう。けれど、母の病状は日に日に悪くなって行くのが幼い自分にも明白で、何もできない自分に焦りだけが募って行った。そんな時、本で見つけたその記述をヤハルに話すと、彼は「じゃあ行こう」といとも簡単に言ってくれたのだ。

 生きて帰ってこれたのは、かなりの幸運だったのだと思う。今でこそ勇者として絶対の強さを誇るヤハルとはいえ、当時まだ十歳。魔物を倒す事こそできなかったが、持ち前のすばしっこさを駆使して魔物をかわし、どうにか目的の薬草を手に入れた。しかし、それが母の口に入る事はついになかった。傷だらけになって戻ってきたふたりを出迎えたのは、もう動く事のない母の姿だった。


 その夜フィカは高熱を出した。普段村から出る事のないフィカにとっては遭遇する事のない魔物、母の死、喪失感に無力感、そして後悔――いろんなものがごちゃまぜになってフィカを襲い、酷くうなされた。

 目を覚ました時、側にはヤハルがいた。フィカが起きた事に気付くと、充血した真っ赤な目から、大きな涙をこぼした。


「ぼろぼろ泣きながら、ごめんって謝るんです。あんな所、連れて行かなきゃ良かったって。私とお母さんが最期に一緒に居られなかったのは自分のせいだ、おばさんにもお前にもどんなに謝ったって足りないって。……行きたいって言ったのは私なのに」


 フィカには彼を責める気持ちなんて欠片もなかった。だから、ヤハルは悪くないよ、皆の言う事を聞かなかった私が悪いんだよと慰めた。


「でも全然泣きやまなくて。私はその時思ったんです。ヤハルって馬鹿だなあって」


 ふふ、と吐息のような笑いが落ちる。


「人の痛みを全部自分の物みたいに簡単に引き受けて、無駄に傷ついてる。そんな必要もないのに……誰よりも、優しいから」


 その時から、ヤハルはフィカの特別になった。


「ヤハルは馬鹿だから。私が一緒にいて面倒見てあげなきゃって、ずっと思っていたんです。だけど」


 フィカが躊躇うように言葉を切る。神父は優しい目で続きを促した。


「あの日、急に勇者なんて言われるようになって。世界を救うために旅に出なきゃいけない事になって。……私は、ついて行けるはずもなくて」


 母を失った時と同じくらいの無力感に襲われた。

 自分はどうして今まで薬草の事しか勉強してこなかったんだろう。魔法の勉強でもしていれば、彼と一緒に行く事もできたかもしれないのに。

 「踊り子くらいなら今からでも何とかなるかしら……」と懊悩するフィカに、父は残念そうな目を向け、「踊り子というのはもっとこう……凹凸……い、いや、お前はそのままでいいんだよ」ともごもご呟いた。

 薬屋のひとり娘としては、父も店も放って村を出て行く訳にも行かず、大人しく……いや、今ひとつ頼りないヤハルを叱りつけながら送り出した。

 三年半の間、毎日教会でヤハルの無事を祈った。ヤハルが無事に帰ってくるまでは、と髪に鋏も入れなかった。


 そんなフィカの耳には、いいものから悪いものまで、様々な噂が届いた。

 街道で悪さをしていた魔物を倒して商人達に感謝された、とか。

 忘れられていた村の呪いを解いて村をひとつ救った、とか。

 新しい仲間は酒場で引っ掛けた巨乳の踊り子らしい、とか。

 人間に化けていた魔物にまんまと騙されてあわや壊滅の危機に陥った、とか。

 伝説の武器と防具を求めて険しい山脈に分け入って行ったまま戻らない、とか。

 真偽さえはっきりとしないいろんな噂を耳にして、その度にフィカは心配したり、慌てたり、呆れたりした。遠く離れたこの地にいる限り、そんな事しかできなかったのだ。


「本当の事を言うと、ヤハルに務まる訳ないって思ってたんです」


 酷いですよねとフィカは弱々しく笑った。


「腕っ節は強いけど、優しくて騙されやすくて、単純で駆け引きなんて知らなくて。世界を救うなんて大役、ヤハルみたいな馬鹿には無理だって思ってたんです」


 けれど、彼は見事にその責務を果たして見せた。それを聞いた時、フィカは怖くなったのだ。それは本当にあのヤハルなのか――と。

 静かに聞いていた神父は、詰めていた息を小さく吐いた。


「ヤハルは勇者として三年半、厳しい旅をしていたんです。いろんな事を経験して、成長したんですよ。おかしい事はありません」


「分かっているんです。三年半も時間が経てば、人は変わります。ましてや今までと全く違う環境にいたのなら、なおさら。でも私は……私が待っていたのは、馬鹿のヤハルなんです」


「成長するのは悪い事ではないと思うのですが……」


 神父が困ったように小首を傾げた。自分でも変な事を言っている自覚はある。頭の中が混乱していて、勝手に口から出てくる言葉の意味が自分でもわからない。

 私は一体何がそんなに嫌なんだろう。

 わからない。わからないが、とにかく嫌なのだ。

 フィカが俯いて黙り込むと、神父はふむ、と腕組みをした。


「なかなか複雑ですねえ……まあそれも、必要な事なのでしょう。では、それを確かめるためにも、明日は王都へ行ってみては?」


 ヤハルの顔を見てじっくり考えてみるのもいいかもしれませんよ、と人のいい神父はにこりと微笑んだ。


 * * * * * * * * *


 王都は人でごったがえしていた。

 もともと小さな村とは比べ物にならない程住人は多い。しかし、今日は凱旋する勇者たちの姿を一目見ようと近隣の街や村から集まって来た者や、更には常よりも人が集まる王都に商機を見出した商人達などが、道幅いっぱいにひしめき合っている。


 結局、こんな日に客なんか来ないと言い放った父は『臨時休業』と書かれた紙を店のドアに貼り付け、半ば引きずるようにしてフィカを王都へ連れてきた。お祭り騒ぎを幸いに、普段とは違った販路を得られるかもしれないと、父は営業活動に勤しむつもりなのだと言う。

 それならそれで手伝おうと思っていたのだが、父は集合場所と時間を決めると、薬草の詰まった鞄を持ってあっさりと姿を消した。フィカの手元には何も残っていない。これでは営業などできようはずもなく、仕方なく街中で配られていたビラを頼りに、凱旋パレードが行われるという大通りに足を向けた。


 大通りの人出は更にすごいものだった。通りの両脇にはひもが張られ、数メートルおきに衛兵が目を光らせている。どうやらひもの内側をパレードが通るらしく、一般人は入ってはいけないという事らしい。ひもの外側にはみちみちと人が詰まっていて、移動するのにも苦労した。大通りに面した建物の窓から顔をのぞかせる人もいて、上からなら良く見えるだろうなあと背の低いフィカはうらやましく見上げた。

 どうにか隙間を見つけて自分の位置を確保すると、思わずため息が漏れた。


 ヤハルが戻ってくる――そのためだけに、こんなに沢山の人が見物に来ている。

 今やヤハルは世界を救った英雄なのだから、それは当り前の事なのかもしれない。三年半前の、田舎の村の馬鹿なヤハルではないのだ。

 三年半前と変わったところと言えば、髪の長さ位しか思い当たらないフィカは自分が情けなくなった。この三年半、して来た事と言えばヤハルの心配くらいの物で、フィカは本当に何も変わっていないのだ。


 何度目かわからないため息をついた時、後ろの方で誰かが「来たぞ!」と叫んだ。反射的に顔を上げ、街の門の方へ続く道を見つめる。やがて衛兵の規則正しい足音と、馬の足音、ガラガラと馬車の車輪の回る音が聞こえてくるのと同時に、周囲からは歓声が上がり始めた。

 徐々に近づいてくる馬車の上で、ヤハルは手を振っていた。

 背が伸びて、筋肉も随分ついたようだ。痛々しい傷痕が体中に刻まれていて、顔は日に焼けて黒く、浮かんだ笑顔は以前とまったく同じ、フィカの大好きな笑顔。けれど、見た事もないような綺麗な鎧と兜――伝説の防具とやらなのだろうか――に身を包んでいて、それは頼れる立派な勇者の姿だった。

 怪我は沢山したようだが、元気そうだった。よかった、と胸をなでおろす。


 ゆっくりと目の前を通り過ぎて行く高い所にある彼の顔を、フィカはじっと見つめた。目線が合う事はない。それはそうだろう、通りに溢れかえった人の中でたった一人を見つけるなど、砂漠に埋もれたひと粒のケシの実を探し出すようなものだ。

 胸によぎるほんの少しの寂しさを追い払うように頭を小さく振る。長く伸びた髪がぱさぱさと背中で音をたてた。

 きゃあと一際黄色い声が巻き起こる。視線を戻すと、慎みの欠片もない随分と布地面積の少ない衣装を身につけた巨乳の美女が、ヤハルにしなだれかかっていた。


「おっ、あれが例のお仲間の踊り子かい?」


「そのようだな。あと後ろにいる女が神官で、その横の男が武道家らしい」


 美女がぐいぐいと大きな胸をヤハルに押し付ける様を、僧衣の女が親の仇でも見る様な眼で睨みつけている。その横ではぼんやりとした大男が頬を染めて、もじもじ周囲に手を振っていた。


「何でも勇者を取り巻く三角関係で大変だったんだって?」


「神官の方は否定しているらしいが、随分分かりやすい女だって噂だ。踊り子は踊り子であんな風だしなあ」


「へええ、さすが勇者様、両手に花じゃねえか」


「ぱふぱふデビューはあのナイスバディかあ。うらやましいぜ」


 ぱふぱふ?

 思わず聞き耳を立てていたフィカは聞き慣れない単語に首を傾げる。語感から推理しようとするが、いまいちすっきり当てはまるものがなく、早々に諦めた。


「しかし、神官じゃ結婚できねえしなあ。となると最終的には踊り子の勝ちなのかねえ」


「なんだお前、知らないのか。勇者は王女との結婚が決まってるんだってよ」


 背後の男の発言に、フィカが固まる。


「なんたって世界を救った勇者様だぜ? 王は末の王女様と結婚させて、将軍職をお与えになるおつもりだそうだ」


 今思えば、どうしてそんな簡単な事に気がつかなかったのだろうと思う。

 ヤハルは、世界を救った勇者なのだ。そんな輝かしい功績を持つ者が、あんな辺鄙で小さな村に帰って来るはずがない。

 フィカはヤハルに背を向けて、よろよろとした足取りで人ごみを抜け出した。人気の少ない路地裏に座りこんで、膝を抱えた。

 王女様と結婚。将軍職。

 これ程ヤハルに似合わない言葉はない。

 ふっと口の端に無気力な笑いが浮かぶ。

 もうあのヤハルはいないのだ。フィカの大好きだった馬鹿のヤハルは、きっとどこにも。


「ああ、そうか……」


 こぼれた涙を袖で拭う。

 やっとわかった。

 何がそんなに嫌だったのか。

 ヤハルが馬鹿のままでいないと――フィカが側にいる理由がなくなるからだ。

 けれど、もういいのだろう。

 ヤハルに自分は必要ない。

 彼は立派な将軍になって、妻となった王女様とこの国を守れる力を手に入れている。

 馬鹿のヤハルはいないのだ。

 フィカは父との待ち合わせの時刻まで、薄暗い路地裏の片隅で声を殺して泣いていた。


 * * * * * * * * *


 丘の上には墓がふたつ並んでいる。

 ひとつはフィカの母の墓。その隣にあるもう少し大きい石はヤハルの父の墓である。

 ヤハルの母の墓がどこにあるのか、はたまたまだ存命なのかさえ、フィカは知らない。ヤハル達親子がこの村に定住を決めた時から、母の姿はなかったからだ。

 爽やかな風の吹く青い空を、フィカは腫れぼったい眼で見上げた。定休日でもないのに、こんなに日の高い内に店に籠っていないのは久し振りだ。


 ほんの数時間前までは、フィカも店番をしていたのである。しかし、店に顔を出す常連客は皆一様に、フィカの顔をぎょっとした顔で二度見した。最終的に苦い顔をした父に、「今日はもう休んでいなさい。お父さんがやるから」と言われて自宅となっている店の二階に追い払われたのだ。

 休んでいろと言われても、別段体に不調をきたしている訳ではない。ただただ、ひと晩中泣きはらした顔が不細工なだけなのだ。加えて、じっとしているとろくでもない事しか頭に浮かんでこないフィカは、帽子を目深にかぶって顔を隠すと、墓参りに行く事にしたのである。


「おじさん、ヤハルはとっても立派になってたよ」


 みちみち摘んできた花を墓前に供えながら、フィカは話しかけた。

 ヤハルが旅立って二年と少しが経った頃、ヤハルの父は彼の帰りを待つ事なく亡くなった。魔物に襲われた子どもを助けようとして怪我をしたのだという。その魔物は運悪く毒を持っていたらしく、村で一番強くて丈夫だったヤハルの父はあっけなく逝ってしまった。親子してお人好しだったのだ。

 どこへ届ければいいのかわからなかったけど、村長に頼み込んで出入りの商人にヤハルへの手紙を託した。商人たちは大陸のあらゆる場所にいる。彼らのネットワークを使えば、ヤハルの後を追う事も可能かもしれないと思ったのだ。けれど、返事が来なかったから、届いているかどうかもわからない。


「ヤハルは……戻って来ないみたい。でも、安心してね。おじさんの事は私がちゃんとするからね」


 答えのない事を分かっていて、ぽつりぽつりと呟く。

 心の中を整理したいときには、よくここに来る。時には母に、時にはヤハルの父に、聞いてもらっているような気分になって、少しだけ落ち着くような気がするのだ。


「私ね、お見合いしようと思ってるの。ヤハルの心配ばっかりしているうちに、気が付いたら適齢期も後半になってたわ。王都に住んでる叔母さんが、婿入りして薬屋を継いでもいいっていう人を紹介してくれるって」


 平凡な薬屋のひとり娘には、きっとそれに見合った幸せがある。それを探そうと今は思う。あの大好きな笑顔を忘れてしまう事はきっとできないけれど。


「お前結婚すんの?」


 誰もいないと思っていた所に聞こえた、聞き覚えのある、けれど少し低くなった声に、しゃがみこんでいたフィカは立ち上がって振り向いた。


「ヤハル……!?」


 そこには昨日華々しい王都のパレードで目にしたままのヤハルが立っていた。


「よう、久しぶりだな。元気だったか……ってなに、その顔」


 しまった今すごく不細工なんだった!

 そう思い至って、慌てて帽子を深くかぶりなおして俯く。三年半ぶりに会うのに不細工なんて居た堪れない。


「み、見ないで……! えっと、その、ちょっと顔の調子が……!」


 あわあわと言い訳を探していると、頭上からぷっと吹き出すような音がした。


「なんでだよ。三年半ぶりなんだぞ、顔ぐらい見せろよ」


 筋張った大きな手が伸びてきて、フィカの両頬を包み込んだ。そのままぐっと顔を上げさせられる。目に映ったヤハルの笑顔が、浮かんだ水分でぐにゃりと歪んだ。


「確かに不細工だな」


 嬉しそうに笑うヤハルに胸が高鳴る。そんな顔見せないで欲しかった。勘違いをしてしまいそうになるから。

 そっと頬に当てられた手を外して、フィカは一歩後ずさる。どきどきしすぎてヤハルを直視できない。


「あの……どうしてここに?」


 視線を逸らしたまま問いかけると、ヤハルはフィカの背後に視線を向けた。


「ああ、お前、手紙くれただろ。さっき村に戻って来てすぐ村長のところへ挨拶に行ったら、親父の墓の場所も教えてくれて。……お前とおじさんには随分世話になったらしいな。ありがとな」


 フィカが場所を開けると、ヤハルは墓前にしゃがみこんで目を閉じた。その横顔に少し差した影は、後悔だろうか。


「……あのね、おじさんのお墓の事なら心配しなくてもいいよ。私がちゃんとするから」


 随分大きくなった背中を見つめて話しかける。フィカにできる事はそんな事ぐらいしかもうない。ヤハルが手に入れた場所で華やかな人生を送るために、彼の憂いを失くす事くらいしか。

 思いつめたフィカの言葉に、ヤハルはきょとんとした表情で振り返った。


「へ? いやこれからは俺がやるよ。戻って来たんだし」


 そんな事も自分には任せてもらえないのだろうかと、フィカは眉尻を下げる。


「でも、その、色々と忙しいでしょ? お役目もあるし、結婚の準備だって……」


「は? お役目? なにそれ」


 ヤハルは立ち上がると、不思議そうに小首を傾げた。


「噂で聞いたよ。王女様をお嫁に貰って将軍職につく予定だって……」


 しぼみきったフィカの声音に、納得した風にヤハルは手を打った。


「ああ、あの話な。断って来た」


「あ、そう、断って……って、えええええ!?」


 思わず大きな声が出る。

 何その展開、予想してなかった。


「えっ、だってそんなの断れるもんなの……?」


 王様が褒美に娘をくれようというのだ。比類なき栄誉であると同時に、断ったら王様の面子を傷つける事になるではないか!

 頭の中でいろんなものがぐるぐると回る。これ以上ない程の混乱に陥ったフィカに、ヤハルは真面目くさった顔で諭すように言う。


「だってな、考えてもみろよ」


「う、うん……?」


「俺だぜ? 俺に将軍なんてできると思うか? いやー、無理無理!」


 ひらひらと手を振って見せる彼に、どうやらそんな自信はないらしい。というより、できない方に自信満々だった。


「将軍なんか俺には無理っすって断ったら、じゃあ他の役職でもいいから王女だけでも貰ってくれって言われてさあ。でも俺この村に住む気だしって言ったら、当の王女があんな田舎行きたくないって駄々こねたんだ。いやまあ、王女と結婚なんて気さらさらなかったから良かったんだけど」


 フィカは愕然とした。

 国の要職と王族との姻戚関係を結べる程の功績を上げておきながら、あっさりとその権利を放棄する人物がいるとは思わなかった。


「あんた……馬鹿なの!?」


 思わず口走った言葉に、ヤハルがにかっと笑う。


「そうだよ。俺が馬鹿なの、フィカが一番良く知ってるだろ?」


 今度こそフィカは言葉を失くした。

 馬鹿だ。大馬鹿だ。

 ヤハルはやっぱり馬鹿のままだった。


「ああ、そうだ。いろんな薬試したけど、やっぱお前の傷薬が一番効くんだよなあ。今度作り方教えてくれよ。どうせこれから暇だし」


「いいけど……」


 急に転換した話題に、フィカはなんだか色々誤魔化された気になって渋い顔をする。けれど、話題を戻す事はできなかった。


「そしたら、俺が婿入りして薬屋継いでもいいよな」


 今日一番の爆弾発言に、フィカの思考が停止した。意識ももしかしたら数秒失っていたのかもしれない。気が付いたら何故か温かい物に包み込まれていて、耳元から聞こえる鼓動の音と、ほんのり漂ってくるヤハルの匂いで、やっと抱きしめられている事を理解した。


「あー。温いな」


 フィカの首元に埋まったヤハルの口が動いて、首筋を吐息が撫でる。真っ赤な顔でじたばた抜けだそうと試みたが、三年半前より太くなった腕はがっしりとフィカを捕らえたまま放さなかった。観念したフィカがそっと背中に手を回すと、ヤハルが空気を震わせて小さく笑った。

 将軍職と王女様、薬屋とフィカをそれぞれ天秤にかけて薬屋とフィカを選ぶなんて、少数派もいいところだろう。

 だけど、ヤハルは馬鹿だから。

 もう少し側にいてもいいのかもしれない。


「……ねえ、ぱふぱふデビュー、したの?」


 王都での噂話を思い出してぽろりと出た疑問に、ヤハルはぎくりと体をこわばらせた。


「え……っ! いや、その、デビューという訳では決して!」


 うろたえたような声が頭上から降って来る。何をそんなに焦っているんだろうとフィカは首をひねる。


「ぱふぱふって何なの?」


「…………!」


 ヤハルの顔が見えないフィカには分からない。それは勇者ヤハルにとって、魔王を倒した事よりも難解な試練であった。


※サブタイトル、本文の言い回しの一部を修正しました。

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