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アンダーダーク パラダイム〈ドラゴンの娘の花冠〉  作者: あま太郎
第一部・異端のダークドラゴン
9/24

9.真っ白

闇に沈むザクシロアの空は、昼も夜もない。

作り物らしく一定に揃えられた瞬く灯火は、地上の星空を単純に模したもの。

その合間を縫うように何かが動くのを、気配に聡い者ならば気づけたろうか。


それは、一体のドラゴンだった。

寒空に溶けきれずわずかに姿が視認できるのは、どうやら鱗が黒一色ではないからだろう。

よく見れば、頭の上には小さな弱々しい赤ん坊もいる。

その組み合わせもだが、どちらもが、ザクシロアでは目をひく存在で──半端な者は、この地には珍しい。



〈見えるかグラノアよ…ここがお前の住む世界だ…〉


寒空でそう語りかけるのは、渋みの入った鱗を持つダークドラゴンのアグロィである。

今は先の襲撃された時のような鋭い滑空ではない。まるで散歩でもしているかのように、ゆるゆると空を漂う。


〈…ここは、たしかに…お前には生き難い世界かも知れぬな…。だが、案ずることはない。お前が生きる努力を、怠らなければ良いのだ…〉


腹に響く、ともすれば頷いてしまいそうな力のある低い声。しかし、どこか懇願も混じっていて。

…それでも、グラノアは動かない。


〈お前には、その程度の努力も難しいことはあるまい?…私も力を貸そう。ラミレア様もだ…〉


だから──だから、どうか。…絶望してくれるな。…あきらめてくれるな。


身じろぎもしない頭上の気配に、アグロィは、赤い瞳を細めた。

ぎゅう、と大きな手で拳を握る。


私はまだ、お前と…こうして共に生きたいのだ…。


アグロィにとって、初めて持った執着はグラノアだった。

命令ではなく、初めて自ら進んで戦う選択をしたのは、グラノアのため。

救いのない暗い世界で、アグロィは自分の生きる意味を、初めて見つけたのだ。


必ず、守る──お前は、私か守るべきものだ。


ふと、嘲笑が漏れた。

大丈夫だと。守るのだと。

震える幼子に言って聞かせたはずが、約束を破ったのは、自分ではないか。


スイと頭を下げると、アグロィは溜めの姿勢をとる。


灼熱の吐息(ファイアーブレス)!〉

ブアァンァァーーーァァア!!


暴風刃嵐(ウィンドスラッシャー)!〉

ズシャアァァァアーーー!


何もない暗い空で、突如、ブレスを吐き、マギアを放つ。

風が渦巻き空気は裂かれ、天を焼き火の粉が舞う……


その光景は、見える敵はおらずとも緊迫した空気をはらみ、何事かと見上げた者達は、震えながら蜘蛛の子のように散るのだった。




…話は、二時間ほどさかのぼる。


「ただ今戻りました、ラミレア様」

「アグロィか…待ちかねておったぞ…」


黒い絨毯の走る広間の中央に座するは、偉大なるロルド・ラミレア。

謁見の間には側近などおらず、その身が歩く要塞のようなダークドラゴンは、何事も単身で過ごすのが普通だ。

広い部屋に一人きりで俯いたラミレアの顔には陰がかかり、アグロィから表情が見えない。

だが…。


アグロィは静かに身構えた。

何故かその背後に、赤い炎と「悶々」という文字がおどろおどろしく踊って見える。


…ふむ。意を決するか…。


密かに息を吐き、腹に力を込め…単純な問いを口に乗せた。

ここ数日の気がかりであり、そしてラミレアが聞いて欲しそうな素振りでいる、それを。


「…グラノアは、いまだに?」


…ピクリ


微かに震えたかと思うと、ラミレアはゆらり立ち上がる。


「………そうなのじゃ……。散々心配させおって…グラノアめがぁぁ──ァグゥウオオオォォオオオオ──ウゥゥ!!!」


突如、広間に響き渡る──ドラゴンの咆哮。

深紅の瞳孔から光を放ち、腹の底から絞り出されたそれは、暴風を巻き起こした。空気は魔力(マナミ)を帯びて波立ち、超音波となって壁を削る。


────ついに怒りを爆発させた。

不安や心配を通り越すと、ダークドラゴンは本性に忠実になるようで──


─心配?…ラミレア様は、そうおっしゃられたか!?


爆発とも言える嵐の中心で、アグロィは息を飲む。


冷徹非道の暴君主であるラミレア様が。

いかに血を分けた我が子とはいえ、見るからに弱いグラノアを、心配しただと?


ジャキ!

──シュラッ


唐突に鋭い爪を伸ばしたラミレアに対し、アグロィも素早く剣を抜く。


「遅かったではないかぁ──っ!なぜ側にいなかったのじゃアグロィ!!──妾がっ!!!──どんなにっっ!!!──……どんな思いでぇぇええっっっ!!!!」

「──っ…申し訳ございませぬ…!」


鋭く飛びかかるラミレアを、アグロィは半歩身を退きかわす。

交差の瞬間、怒濤の早さで爪と大剣が打ち交わされた。

はた目にはただ、高い金属音を鳴らしながらすれ違っているようにしか見えない。剣撃音は、実に38回。

クルリと身を回転させ軽やかに着地すると、ラミレアはその足で床を蹴り、さらに飛び込んで来た。


「聞こえぬわっ!グラノアがっ、そなたがいない間にぃいっ!!」

「っくぅ!?グラノアが、──っつ!…どうかされたのです、かなっ!?」


キュイン──ッ、ガキンッ!!…キンッ!!!


派手に飛び回り力いっぱい腕を振るうラミレア。激しい打ち合いにも関わらず、アグロィはその場から動かず防戦一方である。


当然であろう。

ラミレアは由緒正しい王家の血族であり、ロルドなのだ。

例え伴侶たるゴイスとはいえ、アグロィは格下であり、ただの兵。


逃げるのは容易いが、それも不敬にあたるというから話は厳しい。

主に刃を向けるなど言語道断ではあるが、この場合、弾くくらいは許されるだろう。

何しろラミレアの爪は、ドラゴンなど容易く切り裂く。


「グラノアの……目がっ!!」

「…目が?」


ザザッ

突然、ラミレアは動きを止めた。

はぁふぅはぁふぅ…

互いに見合ったまま、ひとまず呼吸を整えあい。


「…薬師(くすりし)を呼んだのじゃ…」

「……結果は、芳しくなかった…と?」


ぽつりとこぼしたラミレアの様子に、アグロィは察した。

グラノアは、目覚めない。薬師に見せたが、きっと原因はわからなかったのだ…と。

思わず、苦い顔をする。


「……フン。相変わらず話が早い…そなたも来るが良い」

「…畏まりました」


シュルンと爪を納めたラミレアを見て、アグロィも腰に履いた鞘に大剣を仕舞った。

ラミレアは、否定も肯定もしなかった──どういう意味だろうか。

アグロィは静かに目を細めたまま、広間を後にした──。




「………っ」


見てアグロィは、立ち尽くした。

ラミレアは、静かに腕を組む。


ラミレアの部屋まで移動すれば、ベッドの上には赤子の姿。出かける前となんら変わりはないその光景。

アグロィはすやすやと愛らしく穏やかな寝顔に、ホッと息を吐いた。

先のラミレアの話で容態は重くなっていると想像しただけに、やや気が抜けてしまったようだ。


だが。

ラミレアがその顔に手を伸ばし、何気なくその先を見やって…文字通り、頭の中が真っ白になってしまったのだ。


「………………薬師は、なんと…?」

「治す手段はない、と言っておる…」


治らない──?

聞いてもなお、意味が頭に入って来ない。


「…生まれて間もない内に強い光を見ると、こうなるそうじゃ」

「────な…、まさか………」

「………」


愕然と見開かれたアグロィの目には、目の前のラミレアの姿はおろか、グラノアでさえ映っていない。

かわりに浮かんでいたのは、あの日の惨状だ。


襲撃された夜──グラノアに向かっていくつも放たれた、強大な魔法と激しい爆発、凄まじい閃光。

あるいは、頭上という至近距離から見たであろう、自分が吐き闇を焦がしたあのブレスか───。


そのどれもが、目も眩む鋭く強い光ばかりだった。

闇での生活に特化した幼い瞳を焼ききってしまうには、十分の威力だったのだろう。


息をのんで動けないアグロィの様子に、ラミレアは険しい表情のまま目を瞑った。

彼に心当たりがあるというのなら、そういうことなのだろう。ラミレア自身、グラノアの前で強烈なブレスを吐いているのだ。

この際、どちらが原因だったかなど意味のない話は必要ない。


グラノアの、大きくて、顔以上に表情を映す、あの深紅の瞳は。

ラミレア譲りの美しい瞳は、もはや見る影もなかった。

それは、透明なラインで縁取られた、無機質で真っ白なものに変わり果てていたのである──。



「…だが、目覚めさせる手立ては、お主が知っておると聞いたのじゃが…」

「…………───それは、どういう?」


グラノアを目覚めさせる──。

その言葉に、白い海に沈んでいたアグロィの意識が、素早く反応した。


とっさに浮上するも、自分が知っているはずもない。

怪訝に見やれば、ラミレアは真っ直ぐこちらを見つめていた。先程までの、不安や怒りといったものに揺れていた姿は、すっかり消え失せている。


「グラノアが初めてマギアを成功させた時の状況じゃ。魔力(マナミ)を見事操った時と同じことを試してみるがよい」

「────!?」

「なんでもガルルグが言うにはの……」


ラミレアは、薬師ガルルグから聞いたことを話し始めた。

魔力(マナミ)の活性化が問題であること。

今の姿ではなく、ドラゴンに戻れば緩和されるかも知れないこと。

きっかけは、おそらく複雑な魔力(マナミ)制御を行い魔法を使ったこと。


───…ならば、その時と同じ状況を作り、まずは魔力(マナミ)の制御を思い出させるのが近道では。

そう、ガルルグは結論づけたのだ。

一瞬でもそれができたなら、ドラゴンに変身させてしまえば良い──



…なるほど。そこまで割り出し解決法まで示してくれたのか…。


さすがはガルルグである。

ただの薬師とは何か違った空気を持つ、おっとりした男の顔を思い出す。彼には感謝しかない。


すぐ踵を返し、行動に移そうとして─思い出す。

アグロィは振り返ると、改めてラミレアを見つめた。


「…む、なんじゃ?」

「ラミレア様…失礼いたします」


言うやいなや、ふわりと腕を広げラミレアを抱き締めた。

深紅の瞳を大きくしている相手に気づかないふりをし、そのまま、耳に唇を寄せる。


「…お一人にしてしまい、申し訳ありませぬ…」


答えを知りながら、自分では解決できずアグロィを待つことしかできなかったのだ。そんなラミレアのやるせなさは、いかほどだったろう。


どれだけ心細い思いをされたのだろうか…。恐らくは、一人で悩まれたに違いあるまい…。


何しろラミレアが我が子を心配する気持ちは、アグロィにも伝わっている。

その思いは、自分と同じだ。

ぎゅう。と、抱く腕に力がこもった。


このような考え方や行動ができるダークドラゴンは、このザクシロアではアグロィだけだ。

故に、ラミレアはアグロィを手離さない──こうして気遣われる心地好さというものを、知ってしまったがために。


照れ臭そうに耳まで赤く染め、ラミレアはアグロィの背中にそっと腕をまわした。


「ふん…先程、お主と打ち合ってすっきりしたわ。良さそうな奴隷がおったのじゃろう?」

「はい…しばらくは教育が必要ですからな。私の部屋に置いておりますが…ラミレア様も気に入って下さるに違いありませぬ」


それは半分本当だが、半分は嘘だ。

エルフのディティは、まず病を完治させねば仕事にもならない。

娘のクジャには、立場というものを理解してもらう…これは、母親であるディティに任せておけば問題なかろうが。


そして多分、ラミレアが気に入るというのは本当だ。


何しろ、ダークエルフの血が混じるロルド・ラミークには、煮え湯を飲まされていた。

ダークエルフといえば、地上に住むエルフに対して強烈な敵対心を持つのは有名な話。そのエルフを囲うとなれば、ロルド・ラミークへのほどよい当て付けにもなろう。


「ふむ…。まずはグラノアを見事目覚めさせよ。全てはそれからじゃ!」

「…必ずやご期待に応えてみせましょう…」


心なし名残惜しそうなラミレアから体を離したアグロィは、真面目な面持ちでグラノアを抱き上げると、静かに暗い外へと連れ出したのだった──。

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