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アンダーダーク パラダイム〈ドラゴンの娘の花冠〉  作者: あま太郎
第一部・異端のダークドラゴン
7/24

7.逢着のストレンジャー

「ひぃぃ!」


店番の男が尻餅をついた。

瞬時に表情の抜け落ちたアグロィの様子を、間際で見てしまったのだ。


「…エルフではないか…?コレが母親というなら、さっきのアレは使い物にはならん。戦闘民族だと言ったか?」


先の凄みなど比べようがない程の、怒気さえ滲ませた声が静かに響く。


「──っ!」


店番は声すら出せないでいた。

人の見た目をしているとはいえ、その身はドラゴンだ。威圧感は、他種族からしたら相当なものだろう。


そんな圧迫された空気に気づいたのか、エルフの単語に反応したのか。

檻の中の女が、のろのろと顔を上げた。


…顔色はもはや土気色に近く、唇は黒かった。よほど酷い目にあったのか、深緑を連想する濃い色の瞳はすっかり死んでおり、目の下の隈はいっそ模様と言われた方がしっくりする。

何一つ身につける物はなく、おかげで、ゲッソリと骨の形がわかるほどには痩せ、白い肌には鞭打たれた痣がくっきりと黒く残っている。あれはもう消えないだろう。

寒くもないのに震えている体は、どれだけ長く洗っていないのか。ガビガビになった汚れが貼りついているのが、嫌でも見てとれた。


──腐敗臭か…膿も酷い。…これでは、もう。


このまとわりつく異臭は、放置されている排泄物のせいだけではない。

高性能なドラゴンの鼻でそれがしっかり嗅ぎとれてしまうのが、実に忌々しく思う。


商品である奴隷を痛めつけ弄ぶなど、アンダーグラウンドではよくあることだが、明らかにやりすぎだ。死んでも良いと判断されたか、加減を間違えたのか。


アグロィは、顔をしかめたくなるのを無表情で押し留めた。

アンダーグラウンドの者ならば、わかる。時には奴隷に落ち散々な目に会うのも、ここで生きる以上、仕方がない。


だが──このエルフは、違う。

地上という、比較的平和で暖かな環境に住む、明るい場所が似合う者であるというのに。

アグロィの胸中は、嫌悪感ではち切れそうだ。

日の差さない暗い地底で、こんなにも汚され理不尽に死を迎えて、良いはずがない。


喉元が、ふるりと小さく震えた。何者にも容赦がない、このアンダーグラウンドという世界に怖気が走る。

なぜ、自分はこんなところに生まれてしまったのだろうか。

この世は、絶望に囲まれすぎている──。


急いで表情をなくしたのは、動揺する自分を隠すため。アグロィは、心を読まれないよう無表情の仮面を丁寧にかぶり直した。


このザクシロアで、身内ならまだともかく、他者を気遣ったり同情するような者は、ありえない。

いるのであれば、その者はすなわち『異端』である。


荷物から使い古されたローブを取り出すと、アグロィはエルフの檻へ投げつけた。

いかにも、汚ならしい物をこれ以上見せるな!と言わんばかりの仕草を取り繕いながら。

鉄の柵に阻まれ床に落ちたが、檻の中から手を伸ばせば届くだろう。これは元々、買った奴隷に着させるために持参した物だ。


そうとは知らず、店番の男はいまだ立ち上がれずにいた。ドラゴンの機嫌を害してしまったのだと思い込み、腰が抜けたようだ。


「…エルフの血が入っているのならば全く話が違う…よく覚えておけ。これらは弱すぎて仕事にならん。愛玩用というならまだしも…慎重に扱うべきだったな。こんな状態で売りつけようとは、ずいぶんと見下げられたものだ」


アグロィは無表情のまま殺気を滲ませて見せた。それはとても静かで、しかし冷え冷えとした視線は見られただけで血が吹き出しそうに鋭く。

ヒュッ。と男の喉から震える音が漏れた。


「…お…お言葉ですが…っ、エ…エルフは、珍しく…っ。それに、エルフが弱いっ、とは、限りませんで…っ!屈強な魔法剣士なども、確認されて…っ」

「…」


カチャリ…と、アグロィは無言で腰の大剣を鳴らした。見て、男は顔色をなくす。

やっと何とか弁明らしきものを捻り出したものの、相手はドラゴンでありながら、剣も使うのか。まさか、魔法剣士…などとブツブツ言いながら、ついには口から泡を吹き出しはじめた。


「…あの…旦那様…。発言をお許し願えますか…?」


ふいに、か細い声でエルフの女が嘆願してきた。

正気だったのか。と振り返れば、先程とは打って変わって強い光を宿した瞳が、アグロィに注がれる。


──ほう…意識はしっかりしている。だが…


「良いだろう。何が言いたい?」

「ありがとうございます…。私は確かに弱いですが、多少はマギアも使えます…どうか、娘を、買ってくださいませ…」


普通、奴隷が直接口を聞くのはおろか、自ら客寄せなどはしない。客によっては、奴隷と言葉を交わすなど論外という者が多く、大概は気分を害されるからだ。

だが、アグロィには望むところだ。


「娘…あれか。悪いが、愛玩用は間に合っているし、多少マギアが使えるくらいでは困るのでな」

「聞いておりました…。あの娘も、力こそまだ足りませんが、暗器を扱えます」


……あの歳で?


ほんの一瞬動いたアグロィの心の機微に気づいたのか、いよいよ女は身を乗りだし両手をついた。


「この階にいらしたということは、単純に力をお求めという訳ではないとお見受けします…。どんな『仕事』かは存じませんが、私には、多くのマギアを操る心得がございますし、柔軟に対応してみせます。この身もよろこんで捧げましょう…娘にもしっかり仕込みます…っ。必ずや、旦那様のご期待に答えてみせますので、どうか、どうかあの娘を…お願いいたします!」


壊れかけた体のどこからそんな力が?と驚くほど、エルフは熱心に娘と自分を売り込みはじめた。深緑色の目に涙を湛えながら、それこそ必死の様相で、アグロィに向かって額を床へすりつける。


──頭の回転はなかなかのものだ。この状態で『仕事』と言った私の言葉にすがるか。


アグロィは、あくまで使用人を探しているのだ。単なる玩具が欲しいわけではない。

それを、店番との少ない会話から読み取ったのだろうか。


…ああ、なるほど。


ふいに、得心がいった。

彼女は、親なのだ。

自分の子供を守りたい一心で、あれ程までに擦りきれていた意識を浮上させ、今にも倒れそうな体を起こし、このように無我夢中になって売り込んでいる訳か。


売れ残りの末路がどれだけ凄惨かを、こうして身を持って理解している。我が子には、こんな目に合って欲しくはない──そんな叫びが聞こえるようで。


「…だが、お前はもう長くはないであろう?体を患っているのはわかっている。それにあの娘は、お前がいなければきっと…」

「大丈夫で、ございますっ。私は、回復のマギアも、使えますのでっ、必ずや完治、して、みせます…だから、どうか──っ!」


アグロィの言葉を遮って、すでに息も切れ切れに懸命に食い下がるエルフ。

だが、変わらず無表情のアグロィに、次第に絶望的な表情になり、やがて嗚咽をもらしはじめた。


「……ふむ」


左手を顎に添えて、アグロィは思案する。

横では、エルフの勢いに我に返った店番の男が、ハラハラしながら見守っていた。


アンダーグラウンドには、そもそも回復系のマギアを扱える種族はいない。

それ欲しさに、わざわざ地上から使える者を浚って来ては奴隷にするのはよく聞く話ではあった。

が、この過酷な世界に生きる大抵の者は、とにかく基礎体力が大きいのだ。結果、地上の者が使う回復のマギアなど、大して効果はないのが現状。

また、浚われて来たほとんどの者が短命で終わるという生産性の悪さ──。


ゆえに需要はあまりなく、危険を犯して地上まで出向くメリットは少ない。

珍しいのは確かだが、その手間から価格ばかりがつり上がり売れ残るという悪循環なのだろう。

しかも、すでに寿命が見えている。


「…良いだろう、この親子を買ってやる。まずは契約に耐えられるくらいは体力を回復させ、もう少し小綺麗にさせておけ。これでは連れて帰れぬ」

「…………え」


相変わらず無表情のアグロィの口から、唐突にこぼれた購入宣言。

エルフの女も、奴隷商人でさえ、信じられない。とばかりに目を見開き、呆然としている。


「どうした?」

「──おおぉ!これはこれはありがとうございますっ。正直、こちらとしても手に余っておりまして…いやいや、旦那様でしたらそうおっしゃって下さると思っておりましたとも!もちろん、汚れは落として…そうですな、食事をさせましょう。精一杯勉強させていただきますので、どうぞよしなに──!」


先程まで死にそうな顔をしていた奴隷商の店番は、一転。興奮で顔を赤らめながら、アスラ族の子供の方へと走って行った。その小躍りするかのような足取りに、よほどの快挙だったのがわかる。

手に余っていたというのは、本当なのだろう。

無表情でそれを見送り、アグロィはエルフの女を振り返った。


「あ、あの…よろしいのですか?」

「何を言う。お前が願ったことだろう…そのかわり、確かに生き残るのだぞ?こちらも事情がある。制約はきつく縛らせてもらうが、耐えきってみせろ。…まずはそれを着ておけ」


そこはきっちりと、念を押さなければならない。何しろ奴隷紋を刻むだけでも、このエルフは息絶えてしまいそうだ。


アグロィは努めて無機質に、脅すような低い声で、まだ呆然としている裸の女に冷たく放つ。

母親が倒れれば、あの娘は見るからに手に負えなさそうなのがはっきりしている。そうなれば、母親の後を追わせる他はない。

アグロィにとっては、無駄な買い物に終わるだけなのだ。


だが彼女には、それは温かみのある響きに聞こえたようだった。

棒のようになった白い手で落ちたローブを引き寄せると、それで顔を覆う。そのまま肩を震わせながら、何度も、何度も、頷いてみせたのだった───




最強国家ザクシロアの王家・第3分家のロルド・ラミレア。

最恐のダークドラゴンの王の娘でもある彼女が、今、物憂げにその長いまつ毛を伏せていた。

暇さえあれば、こうして自室に籠り、ぼんやりと呆けている。


ラミレアの部屋もまた、ドラゴンにふさわしい暗い装いだった。

敷き詰められた混じり気のない黒の絨毯は、ザクシロアでは高貴な色とされているもの。中央に置かれたソファには稀少なケルベロスの黒い毛皮が張られており、非常に張りのある心地好い手触りである。

無人のテーブルは硝子のように艶やかで、見る角度により仄かに緑がかった模様の浮き出る不思議な鉱石で作られていた。

光沢のあるシックなパープルのシーツは、足元に行くほど黒みが増し、黒い寝台と一体のように感じさせる。


色はともかく、素晴らしい調度品ばかりである。


そんな中で、美しい深紅の瞳の向こうには、こんこんと眠る小さな赤子の姿。

黒に包まれたその寝息は規則正しく、まるであたりに「スヤスヤ」と書かれているのが見えるようだ。


はた目には、愛らしい我が子の寝顔に和む母親のワンシーンなのだが。

しかしラミレアは、彼女には似合わぬ物思いにふけっていた。


…こうなると、ラミークめがこれを偽物じゃと進言したのも、わかる気がするの…


はふぅ…と、悩ましげな溜め息を吐き、赤ん坊の頬をぷにぷにとつつく。

やたらやわらかなそれを、いくらつついてみても目覚める気がしない。


「早よう…早よう、目覚めよ…さすがの妾も訳がわからん。そなたに何が起こっておるのだ?」


ラミレアが思わず懇願するのも、無理はなかった。

あの襲撃の日から、グラノアはこんこんと眠り続けている。


アグロィからの詳細な報告はどれも前代未聞で、長く生きたラミレアをして理解不能の珍事てんこ盛りだった。


この赤子は、殺されかけながらも落ち着いて状況を観察していたという。

なぜそんなことがわかるのか?

証拠に、戦況を見て創作魔法を発動。見事成功させ、敵の魔術師(マゴス)を葬ったというのだ。


ありえない。

卵から孵って1年にも満たないドラゴンに、そんなことは不可能だ。

戦いに浮かれて飛び出し、命を落とすのが関の山。

しかも、こんな弱々しい赤子の姿で──


「グラノア…そなたは妾の娘じゃ。ダークドラゴンなのじゃ……」


…くっ。と、言葉に詰まる。

本当に?

我が子でありながら、本当にダークドラゴンなのか断言出来ない己が、つくづく忌々しい。


──グラノアよ…なぜそなたは、ダークドラゴンでありながら…『光属性』の魔力(マナミ)を持っておるのじゃ──?


それは、口にするのも憚られる。

グラノアが戦場で放った創作魔法。その魔法は、『白い魔力』の粒だったと聞く。


『白』──それは『光の属性』を示すものだ。


アグロィの見間違いではないのか。

いや、あれが思い違いを報告するなど、まずなかろう…。


ふん…と、鼻から息を吐く。


「ただのダークドラゴンではないとは思っておったが…どこまで予想外な娘じゃ。そなたからはなぜか妾も目が離せぬ。まったく、早よう目覚めぬか」


いつもは高圧的なまでに自信にあふれた深紅の瞳が、誰もいないのを幸いに、不安げに揺れるばかりだった──。




ふた晩置いて、アグロィは再びあのエルフのいる奴隷商へ出向いた。

昨日は別の店や市場にも足を運んだが、他にめぼしい奴隷は見つかっていない。


…昨日一日はずいぶんと無駄足となったが…まあ良い。あれに奴隷紋を刻むには、少しでも体力を回復させる時間が必要であったしな。しかしエルフか…さすが老舗というべきか。



奴隷紋。

奴隷には、主から課せられる条件も様々あるが、それらを違えることがまず出来ないようにさせる、処置が必要である。

確実に反旗を翻さないよう、体を巡る魔力(マナミ)を書き換え、直接命令を染み込ませるのだ。


魔力(マナミ)は、血に乗って体を巡る。つまり心臓近くに奴隷紋を刻み込むのがてっとり早く、当然ながら体への拒絶反応は半端なものではない。

弱い個体にはあまりいくつもの縛りは無理なため、身近に置くような厳しい縛りの必要な奴隷ならば、強靭さは必須なのである。



…あの様子ならば、意地でも乗り越えてみせるだろうが…回復系の魔法(マギア)か。…それも万能という訳でもなかろうに。


そう思いつつアグロィは、心配はしていなかった。娘を売り込んで来た時の、弱りきったエルフの、あの強かな眼差し。

味方はおらず多数の敵の真ん中で、グラノアを抱えて走ったことを、ふと思い出した。


本当に大事な玉を、守るための戦い。あれは、そういう類いのものだった。

知らず口端が上がってくる。

あの時、かつてなく力がみなぎり、負ける訳にはいかないと腹に力がこもった──不思議な感覚。


あのエルフも、そうだったのだろうか。もしや、あれこそが──親心というものなのか?


どこか浮き立つ自分に気づき、アグロィは小さく苦笑した。


確か、エルフの方の名をディティ、娘の方はクシャといったか…。むしろ、売り込まれた娘よりもエルフの方が拾い物だったかも知れん…。


地上の者が当たり前に持つ、温かみのある感情というもの。

それに触れられる機会は、二度とないに違いない。



奴隷市は、遠目にも良くわかる。

似たような灰色の建物が並ぶ中、小さな換気孔から漏れる明かりを目指せば良い。他と比べて非常に明るく、店の存在を主張しているからだ。


… グラノアはおそらく『他者を慈しむ心』の持ち主。…赤子でありながら私を労ったのだ…この世界で普通の者に出来ることではない…。


思考を続けながら歩くアグロィから、ギイギイと乗り合い車の音が遠ざかっていく。


幸いなことに、ラミレアは、グラノアが『光属性』ということに気をとられ気づかなかった。

だが、アグロィは認識している。我が子が、普通のダークドラゴンとは違う心の持ち主だということを。


隠さなければ、ならない。

知られれば、生きては行けない。


恐らく苦労は避けられないだろう。辛さや寂しさというものも、わかるつもりだ。

だがそれも、地上の種族が側にいるならば、ずいぶん埋められるはず。

あの親子も、グラノアの側に仕えることが出来るのは、きっと救いになる。守ってやらねばならない存在だろう


アグロィは、満足そうに息を吐いた。

この暗い世界で、『異端』であるがゆえの孤独感を、グラノアからは遠ざけることが出来そうだ。


ふと、常に暗い空を見上げる。

このはるか向こうにあるはずの暖かな明るい世界を、アグロィは見たことがなかった。



グラノアが眠りに落ちてから、4日が経とうとしていた──。

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