5.報告せよ
ただ今、順番に改稿中です。すみません。
…あれ?
気づけば、お父様の気配が違う。
戦意は消えていない。だが攻撃が止まっているのだ。
ああ、周りも。あんなにも殺気ばんで取り囲んでいたドラゴン達は、いつの間にか距離を取って…いや。一目散に逃げ出している?…なんというか、猛烈な全力疾走に目を疑った。
うわぁ………なにかあったの?
さすがにおかしい。なんだ、このただならぬ雰囲気は。
わたしは、のろのろと重い体を起こし首を伸ばした。周りを良く見ようと思ったのだ。
バサリ…
ふいによぎったのは、大きな大きな黒い影。驚いて顔を上げれば、空を覆うばかりに巨大なドラゴンが、悠然と舞っている。
お父様を含めその場にいた誰をも凌駕する、とてつもなく大きなドラゴンだ。
黒光りする美しい鱗に、振り撒かれる圧倒的な存在感。
暗い空に、あれは溢れる魔力だろうか。かすかな燐光をキラキラ残しながら、ゆったりと優雅に羽ばたく荘厳な異様。
ふおお、すごい…!?なんかとんでもないの来た!!!
ぽかんと口を開けて目を見張るわたしは、たぶんおかしな顔をしている。まあ、赤ちゃんだからセーフだ、きっと。
だって、どう見てもあれはラスボス的なドラゴンだ。こんなのが来ちゃったら、いったいどうなるというのか。
ちょっと次の展開が読めなくて、興奮してしまう。
(ようやく戻られたか……)
え?…………まさか、お父様の知り合いですか?
それは、安堵感。
張りつめて熱かったお父様の心が、ゆるりとほどけて行く。まるで空気の抜けたふうせんのようにフニャフニャやわらかくなって行く様に、わたしは息を飲んだ。
ああ、お父様はどれだけ気を張っていたのだろう。
今ならばわかる。
あんなにも硬かった気配が、あからさまにホッとしているのだ。あの大きなドラゴンは、きっと味方に違いない。
うう…わたしって、本当にわかってない。
なにやらすごそうな強敵を前に、お父様がどんな戦いを繰り広げるのかワクワクしたなんて、とてもじゃないけど言えない。
わたしは、再びお父様の頭にパタリと身を沈めた。
……。そうだ…お父様は、斬った張ったの命の取り合いを演じていたのに…本当、もう戦いは嫌だよね。血も飛ぶし…甘いけど。
頭の上でうじうじ自己嫌悪に浸るわたしに気づくことなく、お父様は、つるりと滑るように地に降り立った。誰も追ってこない。
他のドラゴン達は、もうわたし達など眼中にないようだ。というか、逃げ出すのに必死感が半端なかった。
…とりあえず、もう大丈夫そうで良かったよ。
わたしも、ほぅと息を吐く。肩の力を抜けば、だるい体が少しだけましになった気がした。
頭に赤ちゃんなわたしをちょこんと乗せ、ただ空を見上げているお父様。
どうやらあの大きなドラゴンは、お父様にとって特別らしい。静かにたたずむお父様から伝わる気配に、わたしは首を傾げた。
…尊敬?とは違うか…憧憬?でもない。敬ってるような、羨ましそうな、それでいて恐れてもいるような…なんだろう?
言葉に出来ない思いは、『心の声』としては聞こえないらしい。自分でもよくわからない気持ちって、あるものね。
わたしは辺りを見回してみた。
今は、戦闘中とはまた違った混乱と喧騒に包まれ、とにかく慌ただしいの一言だった。
みんな心底慌てているようで、ドラゴン達は思いっきり背を見せて我先に逃走している。かと思うと、夢中でこちらに向かって来る集団もいて、わたしはコテリと首を傾げた。
お父様は特に反応しないので、敵ではないということだろうか。ああ、後ろに整列されてしまったよ。なんなのだろう、まるで訳がわからない。
先程まで戦場だったこの場を満たすのは、焦燥感のみだ。
この頃にはすでに、逃げ出した者達の影すら見えない。さすがというべきか、それだけ必死だったというべきか。
消えたドラゴン達は、敵、だったのだろう。
…なら、ここにいるのは全員仲間なの?今までどこにいたんだろ…。
そういえば、お父様って他のドラゴンと少し違うように見えるなぁ。
何とはなしに眺めていて気づいた。
どのドラゴンも、黒い鱗にずんぐりと大きな体をしている。纏っているのは、仕草からして威圧感のある厳ついを通り越して恐ろしげな雰囲気。
そして極めつけは、独特の面構えだ。様々に隆起した分厚い鱗に、歪な形の角の間から鋭く光る赤いものは、おそらくは目なのだろう。
なんというか、やたらめったらおどろおどろしい。
うん。余裕なかったからわからなかったけれど、改めて眺めてみると一目瞭然だね。お父様は、他のドラゴンとは違って、全然怖くないや。
わたしは1人納得した。
まず、まとう雰囲気が重くなくて好ましい。無駄な肉が少ないのか、体は締まってスラリとしているし、サイズもやや小振りな気がする。
はっきり違いがわかるのは、その薄い鱗。渋みがかった黒色は、良く見るとどこか銀が混じっているようだ。
迫力では負けるかも知れないけれど、わたしにはお父様くらいのドラゴンがすっきりしてて好きだなぁ…。
侘・寂の多少は分かる日本人のわたしだからではないだろうが、銀がなかなかに良い仕事をしている。
でも、果たして黒一色で揃ったこの集団の中では、ずいぶんと浮いた存在であるのは違いなかったけれど。
〈…お帰りなさいませ、ロルド・ラミレア〉
ふいに、お父様が口を開いた。その言葉にわたしは固まる。
………今、なんとおっしゃいました!?
ゆっくり降り立った巨大なドラゴンは、瞬時に縮むと人の姿に変わった。
それを皮切りに、揃って出迎えていたお父様と他のドラゴン達も一斉に人の姿へと変身していく。そのまま、かしづいた。
膝まづくお父様の腕の中で、冷たい汗がわたしの背を伝う。
あはは…間違いない。
動けないままチラと盗み見れば、あの巨大ドラゴンが降りた場所には、壮絶な美女が力強く立っていた。周りには紳士然とした男達がかしづき、その先頭にわたしを抱いたお父様がいる。
ボリュームたっぷりな艶々した白髪を複雑に編み込み、アップに纏めたその美女は、男達の中で際立って輝いていた。
黒いタイトなナイトドレスはやわらかそうなアレコレをしめつけ、溢れんばかりになっている。
だが、腰に手をあて足を豪快に開き、不機嫌さを隠そうともせずフンと鼻を鳴らす様は、はっきり言ってガラが悪い。
…間違いないよ。この人、わたしの『お母様』だった…!
ロルド・ラミレアと呼ばれるこの美女。畏れ多くもわたしの母親らしい…というのも、何度か母として交流したことがあるからだ。
肌はお父様と同じく浅黒く、でもしっとりやわらかくて…わたしの記憶の中では、いつも上機嫌でお美しい笑顔を見せていた。
こんなにも迫力の人だったとは。
「──なんじゃ!そなた、満身創痍ではないかっ!?」
出迎えたお父様を見て、お母様は開口一番まず驚き、唖然と目を丸くする。
それはそうだろう。何しろ、お父様もわたしも血濡れである。全て甘い返り血だけれど。
おっかないドラゴン達には追いかけられたし、魔法の嵐の中ひたすら囲まれ回り込まれる中を、かわしまくって激走したのだ。
よくぞ無事だったなぁと、お父様の逃げっぷりには感嘆が漏れる。さすがに疲れが隠せないのは、当たり前だ。
「お恥ずかしい姿で失礼を…」
「あだあだっ!だうう~」
物静かに控え、報告しようとしたお父様の言葉を、わたしは慌てて遮った。
違うんだよ!お父様はそりゃもう、凄かったんだからね!?
お母様は見てないからわからないだろうけれど、本当にたくさんの敵をやっつけたし、わたしを守ってくれたのだ。ここはしっかり弁護しておかねば。
二人して、視線が下がる。
お父様の太い腕の中から、わたしは愕然と二人を見上げた。
ダメだ。わたしはまだ話せないお子ちゃまだった!うがーっ…どうしよう!?
「グラノアか…ならばやはりラミークは、この子を狙ったのだな?」
「…ご存知でしたか」
ふぅ…と溜め息混じりに答えるお父様。それを聞きながら、お母様はわたわたしているわたしの頭を撫でた。
お母様の撫で方はちょっと乱暴だが、何だか嬉しい──ではなく。
今、何か不穏な言葉を聞いた気がする。
お母様は、そのまま後ろに控える面々を見やり、スイッと目を細めた。
なぜだろう。たったそれだけなのに、背筋が伸びてしまう。
辺りいっぱいに感じるのは、張りつめたそら恐ろしい空気。
十数人はいるだろうか。
一様に片膝をつき頭を垂れる人びとに、わたしはお母様につられて目を向けた。
ふと、お父様の肩越しに見える、一番手前の女性…いや、少女と目が合う。
おお、女の子もいたのか。
この男ばかりの中、お母様の次に目立つ彼女にわたしは感心した。
少女寄りではあるが、雰囲気は妖艶で色気を隠すつもりもないあたり、中身は大人びているのかも知れない。
黒い生地に優雅なレースのふんだんに使われたドレスで、体のラインを強調するデザインは豊満なバストを際立たせている。
たっぷりした長い白髪をゆるく縦ロールにしており、前髪はポンパドールに上げた、大きな垂れ目が印象的なとても美しい人だ。
あ、泣き黒子がある。
何だか吸い込まれるような彼女の美貌に、わたしが目を離せないでいた時だ。
──グワッ!
いきなり見開かれた、その優しそうな垂れ目。突然の迫力に息を飲む間もなく、憎々しげに睨まれる。ついで、これ見よがしな舌打ちを音無しで吐き出された。
うおお…なんという容赦のない「お前なんか嫌い」オーラなんだ。しかも、お母様からは見えないように披露されている。
わたしは、そっとお父様の腕に隠れた。
…わたし、何かしたかな……じろじろ見すぎたのかも。綺麗な人って迫力あるから、本気で怖い…。
ついうっとり見とれていたわたしは、その豹変ぶりに大ダメージである。
半泣きながらも涙を堪えたが、ちょっぴりチビってしまったのは内緒だ。何しろ赤ん坊なので、許される…はず。
一体、あの女の子は誰なのだろう?
「…よくぞ我が娘と城を守った!さすがは我がゴイス・アグロィじゃっ!」
「この身にもったいなき御言葉を賜り、恐縮でございます」
ああ、お父様が誉められている…そう思えば現金なもので、縮こまっていた胸の辺りがほっこりほぐれるようだ。
この際、お母様がどうしてこんなにも偉そうで、周りは急に怖い気配になったかなど、どうでも良い。謎の怖い女の子もスルーだ。
だって、とても誇らしいもの。
わたしは遠慮なく、顔を綻ばせた。
大好きなお父様の凄さを、お母様にも理解して貰えた。それが、とてもうれしいのだ。
深々と頭を下げるお父様。
良かったね。その場にいなかった人にきちんと評価してもらえるのは、信頼されてることでもある。ならば、嬉しさは別格のはず。
わたしがにこにこしていると、視界の端に数人の動く影。
ん?と思えば、面白くなさそうな顔をした男の人達が、ズズイと前へ出て来た。
「お待ち下さい、ロルド・ラミレア。我らもお屋敷を守るために命をかけてせめぎ合いました」
…え?そうだったの?
どうやらわたしの知らない場所で、彼らも奮闘していたようだ。
「ゴイス・アグロィは、ラミレア様不在の居室に勝手に押し入りお子を置き去りにしたあげく、間抜けにも敵に奪われ、危険にさらすという失態をしでかしております!」
う…それは…。
不安になって、お父様を見上げた。無表情は微動だにしない。
「そうですぞ!しかもお子を連れて戦場を飛び回るなどと…攻撃よりも逃げばかりだったのも、我らはしかと見ておりましたぞ!」
わたしは胸をぎゅっと掴まれたように苦しくなった。
どうしよう。こうして非難されてみると、お父様の失態は意外と大きいのかも。しかも、全部わたしが関係しているのが辛い。
…大丈夫かな、お父様…。
そもそも、最初にわたしを助けに来てくれたのは、お父様だけだ。誰も来てくれなかったら、あの時点でわたしは死んでいたと思う。
2回も救われて今生きている訳だし、頭の上に乗せてもらえて安心も出来た。それではダメなのだろうか。
心配になって、お母様を振りかえる。そんなわたしの頭を、うつむいたままのお父様の大きな手が、ゆっくりと撫でてくれた。
「……ほう?」
くっ、と片眉を吊りながら、お母様はお父様を見やった。
「──と言っておるが、まことか?」
「…はい。彼らの言う通りでございますな…」
やはり無表情。
静かに顔を上げたお父様の表情は、全く変わらず揺るぎなかった。一番前にいるため、他からは見えないだろうけれど。
だが、その開き直ったような素振りの背中に、進言した男三人はニヤリと小さく笑みを浮かべた。
むぅ…そういうことか。彼らは、お父様を貶めようとしているのだ。
「ふむ…全く持って忌まわしいことじゃ──妾の身内に、こうも役立たずがおるとはの…」
言うなりお母様は、彼らに向かってツカツカと歩み寄る。
嬉々として頭を垂れた彼らは、しかし次の瞬間。
──ひぇ!?
辛うじて悲鳴を堪えたわたしを、誉めて欲しい。
高々と空を跳ねたのは、彼ら自身の胸の辺りから上の半身。体からはぐれた腕が、バラバラと無造作に飛び散る。
ビクリと硬直したわたしを察したお父様は、すかさず抱き締めてくれた。
「あ…?」
「がぁ……っ!?」
「…っ!?」
「はぁ…忌まわしい。そなたらの綺麗な出で立ちを見れば、コソコソ隠れておったのは明白じゃっ。アグロィが妾の部屋を使ったのも、グラノアを連れて戦ったのも、誰も出てこなかったということじゃろうに!この妾をたばかるかっ!!痴れ者共がっっ!!!」
お母様からじわじわ膨らむ怒気たるや、最後は凄まじかった。
瞬間、その手にいきなり長く鋭い刃物が現れたと思えば、目にも止まらぬ早さで横に凪ぎ払う。まるで豆腐でも切るように、その刃は易々と大の男三人をまとめて分断したのだ。
いや。あれは刃ではない。お母様の手から生えている。
…自前!?──まさか、爪っ!一気に伸びちゃった!?
お母様の爪。なんというとんでもない凶器か。思いがけない得物に、わたしは震えが止まらない。
怒り心頭のお母様が、衝撃におののくわたしに気づくはずもなく、お父様も驚いた様子は見えない。三人も無惨に切られたというのに、周りも落ち着いたものだ。
ならば、これは普通に日常的な事象だったりするのだろうか。急に世界がホラーになった。
まだ腹の虫がおさまらないのか、お母様は半身を失い倒れた者達を蹴り飛ばす。とても見目麗しい貴婦人の脚力とは思えない、見事な蹴りだ。
ぎゅるりと捻りが入りつつ空高く舞うそれらは、先に飛ばされていた上半身へ追いつく。ボフリと煙を上げると、それぞれ胴体の分かれた巨大な三体のドラゴンへと変化した。
間髪入れずにお母様は、パカリと小さな口を開く。
─ドグオォォォオオ──ォォ─……!!
頭上に放たれたのは、圧倒的な威力と広範囲の炎の吐息。
暗かった空に突如、太陽が落ちてきたかのような光源が現れ、強烈な熱を降り注いだ。
人の姿のままのお母様に、あっという間にドラゴン達の巨体は、三体とも欠片も残さず蒸発してしまったのだった──
…こ、怖っ…いくらなんでも…半端なさすぎだ……
この夢はグロさ甘め仕様ではなかったのか。一部始終を見てしまったわたしは、緊張のあまり喉がカラカラだ。
腰の辺りが温かい。うう…やってしまった。
安心安全なお父様の腕に、しっかり抱き締められているというのに──。
オムツを履いているお年頃のわたしとはいえ、もう交換してもらわねば危険だろう。
今なら、尻尾を巻いて必死で逃げていったたくさんのドラゴン達の気持ちも、心から理解できる。
……お母様だけは…怒らせてはいけない……
プルプルしながらそう固く誓っていると、お父様と目があった。わかっている、と言わんばかりのその視線に、わたしは無言でお父様に抱きつく。
通じている。頭に乗っていなくとも、わたし達は間違いなく、今、心を通わせている。
あるいは、その場にいた全てのドラゴン達と寸分違わぬ同じ思いだったのかも知れないが。
◇
ロルド・ラミークは襲撃の前に、王へ進言したという。
──ロルド・ラミレアの二番目の娘は、卵をすり替えられた偽物である。証拠にドラゴンらしからぬ姿で生まれ、らしからぬ成長速度。王家に連なるロルドとして決して見逃せない、由々しき問題と思われる──
「グラノアが?…馬鹿馬鹿しい話ですな」
「妾もそう思っておる…グラノアは特別なだけじゃ。何しろ最初から人の姿で生まれ、このように早くから知能が高いのだからな…ラミークらには脅威となろう」
ラミレア達は各々自室へと戻り、後始末は配下や侍従達に任せ、ゆったりとしていた。
屋敷は、東の一角とグラノアの部屋を除けば、大した損傷がなかったのは幸いである。処刑されたドラゴン達の言う通り、確かに屋敷は守っていたらしい。
アグロィの大立ち回りにしても、面倒なことは押し付けてしまえという嫌がらせはあったにしても、そこまで緊迫してはいないとの判断もあったのだろう。
だとしても、ラミレアの〈戦え〉という命に背いたのだ。怒りを買うのは免れなかったに違いないが。
グラノアの部屋は倒壊したため、ラミレアは自室にベットを運ばせた。破格の待遇だが、グラノアが狙われているのなら、この判断は最善。
アグロィがグラノアを避難させたように、城の中で一番安全な場所はここなのだ。
体を綺麗にされた小さな娘は、布団に埋まるように寝入っている。よほど疲れていたのだろう。
そんな我が子の頭を撫でながら、ラミレアは目を細めた。
確かに、グラノアは普通とは違う。
生まれてすぐの幼いドラゴンは、まごうことなき爬虫類。いかに高貴な血筋であろうと、それは変わらない。
恐ろしく短慮で言葉も解さず、当然ながら変身などという緻密な魔力制御はできず。
下手に最初から力を持って生まれるため、幼いうちは正しく暴君で、ほとほと手を焼くのが一般である。
何百年か成長してやっと言葉を覚え、さらに何百年か過ごすうちにマギアを覚える。マギア習得とほぼ同時期に、やっと人形に変身できるようになるのだ。
それが──
グラノアが卵から孵った時の混乱を思い出し、ラミレアは愉快そうに赤い口角をあげた。13人目にして実に有益な子が生まれたものだと、今代のゴイスであるアグロィを、手放しで褒めたほどだ。
人の姿で生まれるドラゴンは、あまり知られていないが、まれにある。
様々な異種間で交配が可能なドラゴンは、人に近い姿の混血は確かによくあった。が、アグロィはダークドラゴンとスカイドラゴンのハーフ、ラミレアに至っては王族の血をひく純粋なダークドラゴン。
ドラゴン以外の姿で卵から孵る確率は、限りなくゼロと言えるのだが。
「…私も、人の姿で生まれてますからな。言うほど特別ではないでしょう」
どこか遠い目をしながら、アグロィは水を差す。
「ふん…聞いた時は妾も驚いたが、それこそ納得というものじゃろ。そなたのその若さで、素早い機転と多才な戦闘能力には目を見張るものがある。それに気づけなかったそなたの一族はただのアホウじゃの」
「…私は雄でしたからな。即戦力として期待されていた分、パワー不足がはっきりした時点で、裏切られたとでも思ったのでしょう」
それは間違いではない。
ドラゴンの世界では、雌の方が圧倒的な格上である。
数も非常に少なく、ゆえに雄はひたすら雌を守る兵士として育てられる。雌と比べて容易に生まれてくるため、替えの利く捨て駒という認識はかなり深い。
ラミレアも身内は大切にする方ではあるが、先ほどのように愚かな行いをした雄には情け容赦しないのは当然のことだ。
伝説に残るような素晴らしく強い雄もいるが、やはり彼らは特別なのだ。
そういうドラゴンは、卵から孵った時にはすでに人の姿をしており、早くから知能が高く、生まれて数年で言葉を話しマギアを使ったと言われている。
アグロィが生まれた時の期待感は、それはもう相当なものだったに違いない。
だが下手に知能が高かったことから、甘えん坊の泣き虫でドラゴンとしては手に余り、あまりにも情けなく映ったのもまた、捨てられた要因のひとつ。
さすがにアグロィも、そこまでは知らない。
そして、今…グラノアが生まれた。
いまだドラゴンの姿になれず弱々しい姿なのはやっかいで、育てるのに手はかかる。
それもきっと、ほんの数年だろう。
稀少な雌で、確かに知能の高さを伺わせる驚異的な成長の早さ。すでに言葉さえ理解している素振りに、驚きを隠せない。
早く対等に話をしてみたいものだと、ラミレアは楽しみで仕方なかった。
「…ですが、グラノアは確かに目をひく存在でしょうな。やつらも割れている気配がありました…奪いたい者と、消したい者と」
「わが城でそのようなことが、まかり通ると思われていたのが心外じゃの…全く忌々しい」
憮然と目を光らせるラミレアを見て、しかしアグロィは小さく息を吐く。ラミレアには、これ以上身内を処罰する気はなさそうだ。
「…グラノアに侍従は必要ありませんが、使用人では良いようにされてしまいます。いっそ全て奴隷と交換させてもらっても?」
奴隷であれば、契約により行いを制限し縛ることも可能だ。仮に他から命令を強いられたり、脅されたりしても、そこは安心できる。
ラミレアの身内からは、あまり快く思われていないことを知っていたが、今回ほどのことを仕出かされるとは予想していなかった。
対抗領地への誘拐を唆したり、見て見ぬふりや裏切りなどは、この国では当たり前によくある話。
とはいえ、第三位のラミレア直の娘を狙うとは、かなり大胆であったことは確かだろう。
「うむ、それが良かろう。…妾がグラノアに目をかけるのが気に入らぬのじゃろう…可愛らしいやつらじゃが、困ったものじゃ。だが、アグロィ…ことはそう簡単ではないのじゃ」
眉を潜めたラミレアの様子に、アグロィの瞳に剣呑な光が生まれた。
グラノア誕生の様子を知り、今の成長ぶりまでも把握され、他領へ漏れている。その時点で身内の誰かがラミレアを裏切っているのは間違いない訳だが、どうもそれだけではないと言っているのだ。
「…まさか、王でしょうか?」
「相変わらず察しがよいな…」
ふん。とつまらなそうに鼻から息を吐き、ラミレアは額に指を立てた。
「陛下はグラノアに興味をお持ちじゃ。ゆえにロルド・ラミークの所業も面白がって見ておられたようでな…」
「あれを…っ、…見ておられたのですか?」
…しまった。
上手く聞き流せなかった失態に、ややひきつり気味に取り繕うアグロィ。やはりずいぶん疲弊していたようだ。
見て、今度はラミレアの目が剣呑さを帯びる。
「…報告せよ。あれとは何じゃ?…妾のいない間に何があった」
…さて。
アグロィはひとつ、嘆息をこぼした。
どこまでを話すか考えあぐねている間に、そんな場合ではなくなってしまったようだ。
ラミレアの命は絶対である──誤魔化しなど出来ようはずもない。
いや、あの恐ろしい王に見られていたのだとすれば、逆にラミレアが知らなかったでは後手にまわってしまうだろう。
傍らのスヤスヤと眠る可愛らしい寝顔を、チラと見やった。
アグロィは腹を括ると、報告のために口を開いた──。




