2.虎口の夢
ただ今、順番に改稿中です。すみません。
ザクシロア王国。
圧倒的な厚みを誇る歴史あるその国は、冷酷非道なダークドラゴンがたった一代で築き上げ、王として君臨し続けていた。
アンダーグラウンドで最も古いその最強国家は、力こそが絶対という単純明快シンプルでわかりやすい国である。
王家の第3分家とはいえ、ロルド・ラミレアの屋敷も城と呼べるほど巨大で勇壮な神殿と見紛うような石造り。広大な敷地には、いくつもの塔や離宮も建ち並ぶ。
それほどに大きく広く頑丈でなければ、ドラゴンが住むには保たないためだ。
うっかりぶつかりでもして破壊しないよう、強力な防護のマギア付与は重要事項である。
ちなみに、抱える領土も凄まじい広さがあるのは、そんな強く巨大な生き物が群れで生活するが故にだろう。
そんなドラゴンの城を、東側だけとはいえ、強固な建物の一部までをも巻き込んで消滅させた。おそらく炸裂したのは、火炎爆発のマギア多重掛けと思われる。
あれだけの威力と範囲を鑑みれば、敵方にはレベルの高い魔術師が最低でも3人はいるだろうと、アグロィは踏んだ。
火炎嵐のマギアと違い、膨大な魔力と集中力を要する火炎爆発のマギアを、他者と寸分違わず重ねて発動するとは…余程の緻密な魔力操作に長けた者だろう…。
敵ながら素晴らしいものだと、小さく感嘆が漏れる。膨大な魔力を持ちながら大雑把なドラゴンには、細かい操作は難しい話なのだ。
…ラミレア様が王都へ向かうならば、時間稼ぎに専念すれば十分…か。
王に可愛がられている自覚のあるラミレアは、確実な後ろ楯とラミークへの正当な断罪許可をとってくるつもりだ。
もっとも、そんなものがなくともやられたら徹底的にやり返すのがダークドラゴン流。全て理解したアグロィは、屈んだまま、ふと自分の顎に手を添えた。
…まさか魔物か?…ロルド・ラミークは何を思って、こんな真似を…何が狙いだ?
ラミレアの屋敷内に投入された敵兵は、アグロィに感じ取れる気配にして60弱。どういう訳か、ここにドラゴンの存在感はない。
それどころか統率さえとれていない、つまりは雑多な魔物の群れのようで──意味がわからない。
…ロルド・ドラゴンの城に餌を送ってどうする。…そもそも、この襲撃に見合う利益など、何があるというのだ…
分家とはいえ王族の血を継ぐロルド達は、恐ろしく広大な余るほどの領土を互いに持っている。今さら資産目当てということも考えにくい。
ならば、やはりラミレアの言うように階位を上げることが目的なのだろうか。
そうまでして成り上がったところで、何が変わるのだ?対立するロルドが強敵になるだけではないか…。
階位が上がれば、敵も増える。その考えに至らないはずはなく、おそらくはそれさえ利益。
…『暴れられる理由が欲しい』…
これは正しく、ダークドラゴンの性から来るものなのだが、異端であるアグロィには理解出来ない話である。
「何を考えておる?強敵でもいたか」
「いえ…逆ですな。動きからして有象無象の魔物ばかりかと」
「ほう?…脆弱なダークエルフの血が混じったロルド・ラミークの考えそうな戦法じゃな。くくっ、ドラゴン抜きで奇襲とは笑わせるのう」
本来の姿に戻ったことで冷静さを取り戻したラミレアは、大きく裂けた口でグフグフ笑う。
やがて真っ黒な皮膜──巨大な翼をおもむろに広げた。全身を覆う鱗と同じく、それはつやつやと黒く輝き、強引なまでに雄の目を惹く。
アグロィは、そっと目を伏せた。
「では王都へ参る!妾を怒らせたこと、後悔させてやらねばな。そなたは残った者らを率いて対応しろ!あやつらが皆やられるはずもない…どこぞに潜んでおるはずじゃ」
「御意。…行ってらっしゃいませ、ロルド・ラミレア」
跪くアグロィの長い白髪をブワリと巻き上げ、ドラゴンの周囲を風が取り巻いた。悠々と翼を羽ばたかせ、ラミレアは大きく開いた窓から、バルコニーへ身を踊らせる。
アグロィは臣下の礼を取ったまま、その姿が闇に溶けるのを見送った──の、だが。
………?
ふと、違和感が浮かぶ。アグロィは大股でバルコニーへ出た。
ラミレアの消えた夜空は静かな闇に染まったまま。地上の喧騒など素知らぬ様子に見える。
おかしい…ラミレア様は確かに強大な力の持ち主。だからと言って、追撃をしない理由にはならない…これでは行ってくれと言わんばかりではないか。
アグロィは顎に手をやる。
理解出来ずとも、ダークドラゴンの考え方は知っている。
考えろ…ラミークの狙いは、もしやこうしてラミレア様を戦線から外すことでは…?ならば……真の目的は…─────
ぶわり!!
何かが内側で弾けた、途端。
アグロィの無表情が塗りかわった。
身を翻したその顔は、まさに鬼の形相。広間を飛び出し、弾丸さながらに駆ける。
──まさか!あれに手を出すつもりなのか!?
屋敷内にはドラゴンの気配はなかった。ロルドの身内のドラゴンさえ一体すらも感じられない──それ即ち。
ギリリと歯噛みの音が、他人事のように聞こえる。アグロィは、猛烈な速度で廊下を駆け抜けた。
目的の扉が遠目に見えたと同時、力任せに廊下を蹴る。瞬間、硬質なはずの床が捲れあがり、アグロィに襲いかかる。
否、黒い。これは影だ。
──やはり!!
中空で一閃。
ズバァン!!!と、霞のような影を切ったにしてはやたら重い断裂音と共に、黒い廊下が上下に分かたれた。その向こう側から、大量の魔物が雪崩れ込む。
「…この程度で足留めのつもりとは」
ぴょんぴょんと飛びかかってきた馬ほどもある黒蜘蛛を切り捨て、踏み台にして跳躍する。その勢いのまま軽々と魔物の山を飛び越えれば、向こう側から魔力の巨大な渦を感じた。
ちぃっ!棟を消した者らがそこにいるのか!!
一瞬、顔を歪めたアグロィを追うように、ジャキリ、バクリと鋭い牙や爪の波が押し寄せる。だが、どれひとつも空をすべる足には届かない。筋骨隆々の重そうな体でありながら、驚異的な脚力だ。
ふいに、アグロィはくるりと上下に反転した。
逆さにこちらを向いたアグロィに、魔物達は身構える。
──邪魔立てするな──っ!!
音は、ない。
ただそこにあったのは、爛々と燃える赤い瞳のみ。
それだけで、十分だった。
凍りついたように動きを止めた魔物達の間を、風が振れる。
──ダン!!
再び反転し、アグロィは力任せに廊下を蹴る。
まさに風が駆け抜けたかのような、瞬き程度の間の出来事だった。遅れて、石畳の廊下に大小様々な形の首が静かに落ち、遅れて血飛沫が舞った。
ダアァァ──ン!
ようやくたどり着いた扉を、アグロィは壊す勢いで開け放つ。
そこには──
今、まさに光りほとばしる杖を構えた、二人のダークエルフと。
正面には、長い黒髪に艶やかな笑みを浮かべた、若い裸の女。いや、その上半身が蜘蛛の体にくっついた、アラクネが一体。
その黒く細かい毛に覆われた長い脚の先には、汚れた白髪の小さな赤子が踏み敷かれており、───。
「──貴様らぁぁあっ!!!」
部屋の状況を見た瞬間、アグロィの思考は真っ赤に塗りつぶされた。
飛び出しながら、怒りに冷えきった赤い瞳で、チラと侵入者の杖をとらえる。
すでにかなりの魔力が込められ、光は爆発寸前──回避は不可能。
アグロィはそのまま、アラクネの足下に飛び込んだ。
冷静に、無造作に、しかし的確に、蜘蛛の脚から巨大な腹までをも切り裂く。同時に転がった赤子を左腕で拾い上げ、庇うように自らの体で包みこんだ。
そこにアラクネの体液と内臓が、バシャバシャと落ち。
ズドドドドドドオオォォオ───ォオンン──……
高威力の火炎嵐のマギアが二人を襲った。業火が叩きつけられ、高温の嵐が荒れ狂う。
アグロィは頑丈な体躯に物を言わせ受け流そうと試みるが、威力はろくに殺せず、ふっ飛ばされて石の壁に激突した。
いくつもの壁を突き抜け、柱を折り、やがて静寂が訪れる。
部屋は大破し、壁には外の闇がぽっかりと口を開けていた。
ガラガラ…
瓦礫の山から何者かが顔を出す。大剣を右手に握る、満身創痍のアグロィだ。
ぐるり見回すも、他に立ち上がる者はいないようだ。じりじりと血の焦げるにおいと粉塵が凄まじい。
「…突如乱入したことで、集中力が切れたのか?やはりマギアの重ね掛けは、魔力調整が難しいようだな…おかげで助かったが」
黒い煙りをあげていたのは、焦げた肉の塊になった魔術師のダークエルフ達だった。
制御に失敗したのか、自らのマギアに巻き込まれたらしい。
…ドラゴンの体であったなら、あるいは…。
焼け焦げた侵入者の体に黒い鱗を見とがめ、アグロィは左腕を優しく揺する。
「ふ…うえぇ…う」
場違いな弱々しい泣き声が聞こえた。アグロィの腕には、小さな赤ん坊が抱えられている。
酷く汚れていたが、赤く濡れていたおかげか火傷ひとつ負ってはいないようだ。
柔らかな赤ん坊の体など、アグロィがその身で守らねばひとたまりもなかっただろう。
…間に合って良かった…。
思わずアグロィは、ほうぅ…と、腹の底から息を漏らす。
にわかにわき起こる外の喧騒が、壁の大穴を抜けて耳に届いた。
ロルド・ラミレアの屋敷を揺るがせた、ダークエルフ二人による火炎嵐のマギア多重掛けは、初撃以降は外で待機していた敵の本隊突入の合図でもあったようである──。
◇
目映い光の中、なぜかわたしは、高々と掲げられていた。
暗いところから視界が広がってすぐ、火の玉やら氷の矢やら吹雪やらに取り囲まれてしまったのだ。なんというファンタジー。これはもう魔法である。
さらには、手、いや全身が小さく黒っぽくなっており、なぜか血濡れという驚愕の事実。
…うぎゃっ、ちょっと口に入った!…あれ?
頭から滴るこの血糊は鉄臭さはなく、むしろ少し甘くさえ感じた。不思議な話だが、ワインなどではなくこれは血液だという認識はある。
おお、さすがわたしの夢。緊迫のグロシーンも甘さたっぷり仕様らしい。都合良く出来てるものだなぁ。
「約束の赤子はお渡しします!だから、どうか…どうかそのマギアを、お止め下さい…!!」
必死で懇願しているのは、わたしを片手でぶら下げている男。
なるほど。赤ん坊の体なら片腕で持ち上げるのも不可能ではないかも知れない。男はかなり切羽詰まってるのか、声が震えていた。
ぞわり…と、肌が粟立つ。
うわぁぁ、息苦しいほどの緊迫感。これ、かなり絶体絶命なんじゃないかな…?
チリチリと肌を刺す空気は、何やら濃い気がする。ゴクリと思わず喉が鳴った。
『経験や記憶を、脳が整理するために見るのが、夢の正体である』
…とかなんとか聞いたことがあるけれど、わたしの脳よ。何を勘違いしているの!
わたしは、こんな風に恐ろしげな気配を向けられたことは、一度だってないですよ?初体験です!!!
良くわからない事態に混乱している間に、ついに全ての脅威が動き始めたようだ。ただ高速回転していたキラキラファンタジー達が、真ん中──わたしに集中して、一気に落ちて来る。
うきゃぁああ、やっぱりそうなるよねぇ!?
うすうす感じてはいたのだ。辺りは暗闇だからこそ、伝わってくるものがある。
わたし目掛けてこんなにも明確に突き刺してくる、複数の殺気は、本物だ。
本当になぜだ!?話がわかんないから!誰か説明をっ!ナレーションお願いします──!!
わたしは今、一人歩きも出来ないほどの赤ん坊寄りの体である。
そんなちびっ子にこれ程までに過剰な攻撃が繰り出されようとしている事実に──凍える思いで、叫びが口をついて出そうになった──その刹那。
──パシィッ──
わたしは、その場から奪われていた。白髪をなびかせ飛び込んで来た若い男に、抱き浚われたのだ。
ひぐぅっ、ななななに!?
ドオオォォ──ン──
一拍の後、わたしのいた場所はキラキラと氷の結晶が舞い、爆発と巨大な火柱に包まれ、暴風が吹き荒れる。なんということ。
それらから守るように、わたしの小さな体をがっしりと抱えているのは、硬く逞しい浅黒い腕と胸。
…あ…この腕!わたし、この腕を知ってるよ!?
いや、知ってるなんてものではない。四六時中こうして抱かれていたのを思い出したのだ。
身に覚えがありすぎる既視感に、わたしは慌てて相手を見上げた。
無愛想だが整っている浅黒い顔に、ごつごつと固い鋼のような逞しい胸。髪は自然に長く伸ばしたままの白髪で、赤々と燃える瞳がこちらを気遣わしげに覗いている。
片腕でわたしをくるむように抱き、もう片腕で悠々と大剣を振り回しながら風みたいに駆ける…───ああ、『お父様』だ。
「今のはラミレア様の侍従だったか。よもやグラノアを狙う者がこれほど身近にいたとはな…」
『お父様』の呟きを聞いて、ふと振り返った。遠ざかる魔法の吹き荒れたあそこには、わたしを掴んでいた男が、影も形もなくなっていた…何と恐ろしい。
「う…あうう~…」
「うむ。危険に晒してしまったな…。ラミレア様の部屋ならば危険は少ないかと思ったのだが…」
風をきり駆けながら、へにょりと申し訳無さそうに眉を下げる『お父様』。
頭からダクダク血を流し、服はボロボロ。ぐっしょりと赤く濡れているのは、わたしと同じだ。
一見、おっかない強面に見えるが…イケメンなのは、良く分かった。どんな状況でも顔が崩れないのは、レベルが高い証拠だと思う。
この人は、わたしの『お父様』でアグロィという。
まだわりと若そうだが、普段は無表情で話しかけるなオーラを振り撒いている無愛想な人。
だが、わたしは知っていた。
時折、思いついたように赤ん坊のわたしの頭を撫で、ぎこちない手つきながら、壊れ物を扱うように丁寧にわたしの世話をしてくれるのを。
笑いかけると、ちゃんとこの武骨そうな顔で、笑みを返してくるのだ。
…へぇーなんだ、実は優しいんだね。と思わず内心で突っ込んだわたしは、赤ん坊らしくない赤ん坊だという自覚もある。
──ああ…やっぱり夢だ。わたしは、ほぅと安堵の息を吐いた。
経験のある方なら、おわかりいただけるかも知れない。
こうして、ふいに後付けのように記憶が思い出される場合、大抵は「夢」なのだ。
展開によって必要になると、設定が追加されたりする「夢」を、わたしは今まで何度か見たことがある。
安心したと同時に、もうひとつ、ついでに思い出した。
こうしてわたしが危ないところに、お父様が必死の形相で飛び込んで来たのは、今が初めてではなかったのだ。
あれ?実はついさっきのことだったり…する??
赤く汚れたお父様を見て、思わず自分の手を見やる。
この甘い血濡れっぷり。どう見ても、お揃いだよね?
…ふるり。と体が震えた。
わたしは袋詰めされる前──ずるずるした格好の二人組と蜘蛛の化け物にタコ殴りされ、絶体絶命のピンチに陥っていたこと──を思い出したのだ。
…とてつもなく痛かったし怖かった。ということだけは、言っておきたい。
「う…ふええぇ…」
半泣きで、太い腕にぎゅうとしがみついた。お父様から離れるのは、大変に危険であるようだ。




