七つの鍵の物語 『初雪』
共和国暦1003年木枯の月(11月)7日目。
冒険者ニーダル・ゲレーゲンハイトは、西部連邦人民共和国のライプニッツ地方にある崩れた遺跡で、怪物を相手に大立ち回りを演じていた。
襲い来る全長3mの巨大な蟻に、腰まで伸びた黒い長髪をなびかせて、長身の体躯をバネのようにしならせて突撃する。彼の手には、この世界ではあまり見られない、三日月の刃を穂先につけた十文字鎌槍が握られている。全身に殺気をみなぎらせた戦士は、どこか優美さすら感じさせる凶器を横凪に振るって蟻の前足を叩きおり、返す一撃で眉間を貫いた。
刹那、蟻の眉間からびしゃりとオイルじみたものが噴出し、ニーダルがまとった赤い外套をかすめて地に落ちた。液体は、外套の裾にコイン大の穴を開けて、魔術文字がびっしりと書き込まれた材質不明な遺跡の床さえも、しゅうしゅうと音を立てながら溶かしてゆく。
「はっはっはっはっ。はぁあああっはっはっはっ!」
ニーダルは笑う。蟻の眉間からは螺子やら管やらわからぬ機械部品がこぼれ、切断した前足の間接部は火花をあげている。
コォワシテヤル。漆黒の瞳に破壊の意思を乗せて、ニーダルは眉間の下の蟻の視覚素子に叩きつける。蟻、機械に意思は無くとも、受けた殺気に反応するように、蟻は腹部甲殻の下から、触手じみた金属槍をダース単位で突き出して、酸のような液体を吐き出した。
酸と金属槍の猛攻を、ニーダル・ゲレーゲンハイトは跳躍してかわす。宙になびく黒髪は悪魔の翼に似て、まとった赤い外套は地獄の焔を連想させる。彼が縦横無尽に振るう十文字鎌槍は、死神の鎌の如く有機生命も無機生命も刈り取るだろう。
蟻の金属槍が蜂の巣状に遺跡の壁に穴を刻み、耳障りな破砕音が響くも、赤い外套をかすめもしない。一方、狂気じみた哄笑を続けるニーダルは、金属槍をかわしながら壁を蹴り、酸を吐き出そうとあけられた蟻の口へと槍先を突きこんだ。
「く・た・ば・れ」
十文字鎌槍の穂先に小さな焔が灯る。――爆発。それは、巨大蟻の全身を包み込んで、巨大な火花をあげて爆散した。戦闘の音を聞きつけて、蟻達がぞろぞろと集まってくるが構わない。その全てを破壊するだけだ。
「はははははは。はははっ。ああっはっは」
ニーダルは笑う。笑いながら右手で槍を突きこんで動きを封じ、左手で蟻の甲殻に魔術文字を刻み込んだ。綴られたルーンは、現実を侵食し、焔の柱として具現化した。鎧袖一触! 連鎖する火柱が蟻型戦闘機械20体を殲滅するのに、さほどの時間はかからなかった。
ニーダルは、最後まで残った蟻を腹部から輪切りにして残骸を蹴飛ばし、更なる先へと駆け出そうとしたが。
「あアアア」
比較的安全だと思っていた後方で、小さな声が聞こえたので、慌てて舞い戻った。
案の定、小さな女の子が一生懸命に笑い声のような叫びをあげながら、蟻型の戦闘機械に襲われていた。尤も、“本人からすれば”自分が襲いかかっているつもりだったのだろうが、傍目にはいたいけな女の子が悲鳴をあげて怪物に襲われているようにしか見えない。
少女の身長は、130cmと少しくらい。頭まで隠れる白いローブをすっぽりとかぶって、両手で抱えた石弓を巨大蟻に向けて撃っていた。弾丸には氷系魔術の魔力付与がされているらしく、蟻の甲殻や間接部が凍り付いている。ニーダルが手を貸さなくとも、もう少しで退治できるだろう。
「あアアアアア」
「……とぉりあえず、雑魚掃除でもやっか」
そういうわけで、少女が蟻を撃破するまでの間、ニーダルは周囲を警戒し、何匹かの怪機械生物をスクラップに変えた。少女もまた、根気よく蟻の足を凍結させ、動きを止めた上で、矢を雨のように浴びせかけて退治した。ニーダルが様子を見に戻って来ると、少女は小さな足でとてとてと走って、彼の胸中へと飛びこんできた。
「パパっ! できたよ、あのアリさんをコワせた」
「イスカ。いい子だ」
パパと呼ばれた冒険者は、少女、イスカを抱き上げて高い高いをする。
ローブのフードが外れて、亜麻色の髪と青灰色の瞳があらわになる。幼子のように抱き上げられたイスカの表情は、無垢な信頼と喜びに満ちていた。
「でも、ああいう声で笑うのはやめなさい。はしたないから、な」
「え、パパは……」
持ち上げられたイスカの顔色がしょんぼりと曇った。彼女は良かれと思い、父親の真似をしたからだ。
「いいかぁ、人には得意だったり、似合ったやり方があるんだ」
ニーダルは慰めるように、大きな手でわしゃわしゃとイスカの髪を撫でさすった。
「俺は大きくて強いから、ああやって敵の注意をひいて、叩きのめす。イスカは、まぁだちっちゃいだろ。ああいうときは?」
「うーん、ものかげにかくれて、いしゆみをうつ」
「そうだぁ。わかってるじゃないか」
「ン! エンゴだねっ」
ニーダルが抱きしめると、イスカは嬉しそうに、無精ひげのはえた父親の頬に頬ずりした。
「さ、今日はもう帰るぞ。荷物を取ってきな」
「はーい」
腕の中から降ろされたイスカは、幾何学的な模様の記された床の上を元気よく走ってゆく。
ニーダルは、突立てていた槍を引き抜き、重い息を吐いた。
「俺は何を教えているんだ」
ニーダル・ゲレーゲンハイトは雇われ冒険者であり、古代遺跡の調査をしたり、魔術道具を発掘するのが仕事だ。
けれど、もうひとつ、とある軍閥の食客としての工作員としての顔も持っていた。
そのため、だったのか。
別軍閥の暗殺者養成機関に、何の因果か、一年間彼女を育てろと預けられた。
断る事もできたし、むしろ、そうすることが自然だっただろう。
「この俺に父親役なんて務まるわけがないだろう」
暗殺者養成機関から事前に連絡はもらっていた。軍閥の主は引き受けても構わないと許可を出した。けれど、ニーダルは断るつもりだった。
断らなかったのは―――。
『№20です。きょうからいちねんかん、アナタのオモチャとなります。どうぞごジユウにおつかいください』
そう言って白い裸身を晒した少女と、少女をそんな風に育ててしまった大人たちに、本気で腹を立てたからだろう。
赤子や女性が平然と人身売買されるこの国で、自らが決して非難できる立場にない事を知っていてなお、ニーダルは許せないと怒った。
だが、戦うことしか出来ぬ、血塗られた道を歩む自分が、なぜ彼女をまっとうに育てられる?
「……」
イスカがパパと呼ぶ声がする。ニーダルは腕を横に振って、遺跡に燈した魔術の光を吹き消した。
□
イスカと共にねぐらへ帰ったニーダルは、食事とわずかな仮眠をとった後、ペットの鳩が眠る鳥かごにパンの耳を置いて、紅い外套をまとって夜の街へと歩き出した。
彼の数少ない趣味であるナンパ目的の為であるが、どうにも今夜は振るわなかった。
「お嬢さん、いまひとり?」
「こんばんは、どこいくの?」
「俺と酒場に……」
どれだけ誘っても、ことごとくスルーされる。
「あらら。こんな日もあるか」
悲観したニーダルが額に手を当てたとき、先約があると誘いを断った女が振り返った。
「今夜は雪が降りそうよ。早く帰ってあげたら、パパ?」
パパ? だって?
ニーダルは首を傾げた。
足元を見ると、怪物との戦いで穴を空けられた箇所が、ハート型のアップリケで補修されていた。
出発前に、浄化の魔術で汗や汚れを消しとばしたためか、あるいは疲労のせいか、気がつかなかったらしい。
アップリケには、『パパ大好き』――という文字が、刺繍されていた。
「……っ」
ニーダルは声を抑えて笑った。
悪くない気分だった。本当に、悪くない気分だった。
帰ろうと思った。彼に家は無く、故郷もない。名前すらも偽物だ。
ああそれでも、そうだとしても、部屋では二羽の鳩と、イスカ・ライプニッツが、ニーダル・ゲレーゲンハイトを待っている。
それは、きっと―――。
気が付けば、真っ黒な空から、黄色い雪が降ってくる。
この国の大気は汚れ、白くはない。それでも、ああそうだとしても。
「雪は、雪だ」
今年はじめの雪が降っていた。
拙作をお読みいただきありがとうございました。




