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短編

終わる世界に告げる言葉

作者: 如月あい

*****

「本当に行くのかい?」

 私は宿屋の女将さんの言葉に、迷うことなく頷いた。

 女将さんは空を見上げた。

 月が大きい。

 三日後には月が空から降ってきて、世界は全て弾け飛ぶそうだ。

 それはそうだろう。あんなにも大きいものが落ちてくるのだ。

 子供の頃に見た小さな月は、もう思い出せなかった。

「言いたいことがあるんです」

「後悔はしないかい?」

 心配してくれてるみたいだ。嬉しい。

 しかしそんな心配はまったくもって必要ない。

「しませんよ。だって後悔する前に、月が降ってきますから」

 あえて笑い飛ばした。元気いっぱいに。

 すると女将さんもふっと笑った。

「そうだね。でも、元気でね」

「はい、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 まるでただ出かけるだけみたいだ。これはたしかに最期の別れなのだけれど、あえてそんな風には別れなかった。

 私は月が落ちてくる現実を受け止めてはいるが、まだ、生きられるかもしれない希望を諦めてはないのかもしれない。

 私は軍人だった。仕事は昨日やめた。最後の三日間は、仕事ではなく、やらなければならないことを成したかった。

 私は女将さんに行ってきますを言った後、馬で平原を渡った。丸二日かけて見えたのは、小さな村だ。

 昔、軍人になりたてだったころ、この村を訪れたことがあった。

 怪我をしていたため、薬をもらおうと思ったのだが、村に入ることを拒否された。

 どうやら昔、軍人に村をめちゃくちゃにされたことがあったらしい。私は平原の真ん中にある一番大きな都市にすんでいたため分からなかったが、辺境の村は有事の際に補給用の村としてあつかわれることが多いようだ。

 この村は、補給と称して略奪をうけたらしかった。そのため軍服を着ていた私は警戒され、村に入れなかったのだ。

 私の怪我は動けないほどのものではなかった。しかし出血が激しかったため、意識を失ってしまう可能性があったのだ。

 途方にくれた私は、村を迂回し、近くの小川にでた。

 彼女に会ったのはその時だ。

 彼女は村の人間だったが、怪我をしていた私を助けてくれた。

 その時は名前を聞くことでせいいっぱいだったが、いつかお礼に行こうと思って、ずるずるとこんな時まで延ばしてしまっていたのだ。

 人間というものは、目に見える期限を設けられないと、なかなか達成できない生き物なのかもしれない。

 私はドキドキしながら村のそばまで来た。そして馬から降り、一度深呼吸をした。

「すみません」

 村の門の前に立っていた人に声をかける。

 そして、相手の名前をつげて話したいと言うと、今度は簡単に村の中に入れてくれた。

 村の人間には穏やかに挨拶されて、基本的にこの村の人々は穏やかだということを知った。

 軍を辞めていなければわからなかったことだ。

 そして村を歩くうちに、ようやく彼女を見つけた。

「あの」

 女性は何か憂いに満ちた表情をしていた。それはもうすぐ世界が終わるからというわけではなさそうだ。

「以前、あなたに助けられたものです。どうしても世界が終わる前に一言言いたくて」

「……わたしに?」

「はい。あの時はありがとうございました! あなたのおかげで、私は今日まで生きてこれました」

 私は全力の笑顔でそういった。

 女性は一瞬、虚を突かれたような顔をした。

 よく考えてみると、私からすれば大きな恩だが、彼女からすればそれは大した出来事ではなかったかもしれない。

 いきなり感謝を述べられて、全く何の話か見当もつかないのかもしれない。

 説明するべきだろうか、そう悩み始めたところで、女性の顔が大きくゆがんだ。

「……ひっく」

「え」

 なんと女性は泣き出してしまった。

 私は混乱して、狼狽していた。

 何か気に障ることをしただろうか。考えてみるものの何も思いつかない。

「あり、がと……」

 しかし震える声で彼女が紡いだのは、なぜか感謝の言葉だった。

「わた、し……生きてて、よかった……んだね。私、わたし……」

 私は彼女の背をさすった。

 そのあとに出てきた言葉は分からないが、私の伝えた言葉は彼女に響いたようだった。

 大きな月が目前に迫る。

 空の半分は月だった。

「ありがとう」

 なぜか、私は月に礼を言った。

 どうやら世界最後の日は、ごく自然に進んでいくようだ。




***** 

 私はずっと待っていました。

 月が大きくなって、みんな逃げ出したけれど、私はずっと待っていました。

「逃げても意味なんかないのに」

 もう、月は大きくて、空いっぱいをしめているのですから。そして、この世界は粉々になって、だれも助からないと。

 私は不思議な気持ちで今日を待っていました。

 彼を待ち続けて、もう三年になります。

 私はいつでも待って待って。彼から何の便りがなくとも、彼がどこかで生きていることを信じて、私はただ待っています。

 しかし世界が終わってしまうと聞いたとき、私の心は二つに分かれました。

 世界が終わるまでに彼に会いたいと思う気持ちと、いっそ会いたくないと思う気持ちです。

 なぜって? だって、彼に会ってしまえば、私は生きたくなる。

 世界の終わりを、こんなに穏やかに受け入れることはできないでしょう。生に縋り付いて、私は必死に生きようとするでしょう。

 しかしもし、彼に会えなかったら。私はいっそ世界とともに散れることを喜ぶでしょう。

 たとえ便りがなくとも、私と彼は同時に逝ってしまえるのですから。

「すみません!」

 突然、だれもいないこの村に一人の男の人の声が響きました。

 私はびっくりして窓から離れ、そして扉をあけて家の外に出ました。

 彼の手には一枚の封筒が握られていました。

 名前を聞かれてうなずくと、彼は封筒を差し出しました。

「これを、あなたにと」

 震える手で受け取ったそれには、女性の名前が書かれていました。そしてなぜか、ずっしりとした重さがありました。

 私はそれをあわてて開けて、そして読みました。


 私はまずあなたに謝らなければなりません。

 私が旅行に行っていたときのことです。森に入ったときに道に迷って迷子になった私は、彼に出会いました。

 彼は恋人のこと、つまりあなたのことをうれしそうに話してくれました。

 雨がひどくなって、雨宿りをしようとしたら、うっかり足を滑らせて、私は崖から落ちそうになりました。

 それを彼はかばいました。そして、私と体の位置が入れ替わり、彼は崖から落ちたのです。

 彼はしばらくの間枝につかまっていましたが、雨で手が滑ってしまいました。私は何もできませんでした。手を伸ばしても届かない。

 あの時の彼の目が忘れられないんです。

 そんなことはどうでもいいですね。

 本題だけ。

 落ちる直前に彼はこのペンダントだけ投げてよこしました。

 ペンダントさえ持っていてくれれば、もう、俺のことは忘れてくれていい。

 彼はそういって、落ちていきました。

 これはもう二年も前のことです。

 今まで私があなたに伝えることができなかったのは、私の弱さゆえでした。

 世界が終わるときになって初めて、私は自分がしたことの残酷さに気付いたのです。

 私にとっての世界が終わっても、あなたは彼の安否を知らなければ、終わることすらできないのだと、気付いたのです。

 ごめんなさい。

 私からの最大限の謝罪と、そして、ありがとうという感謝の気持ちを込めて。

 このペンダントを同封します。


 封筒をさかさまにすると、見覚えのあるペンダントが出てきました。

 すっと、私は肩の力を抜きました。

 どうやら、私はもう、待つ必要がなくなったようでした。

「ありがとうございます……。最後の日まで、お仕事をしてくださって」

 私は手紙を届けてくれた郵便屋さんにお礼を言いました。

「いえ。僕は……僕のしたいことをしただけなんです」

 私は一つうなずいて、空を見上げました。

 月はもう、そこにあります。

 私は月に向かって言いました。

「おかえりなさい」




*****

 二年前のあの日から、私はずっと罪悪感を抱えて生きてきた。

 あの目が忘れられないのだ。

「伝えたい言葉はありませんか! 最後の日に、言い残したことはありませんか!」

 世界が終わる日を一週間後に待ち構える今日、最後の記念にと訪れた大きな町で、私は声を張り上げる青年に足を止めた。

 そして、カバンの中に入れていたペンダントを見た。

「あの」

 そろそろ、私は伝えるべき時なのではないか。

 そんな風に私は思っていた。

「これ、届けてくれませんか」

 私はペンダントをそのまま彼に渡してそういった。

 彼はそれを受け取りかけて、そして、ゆっくりと首を振った。

「手紙も書きましょう。言葉を伝えること、それが大切なことです」

「でも……彼女は私の言葉なんて望んでないわ……」

 私がいやいやというと、彼はきっぱりとした口調で言った。

「いいえ。人はいつでも言葉を望んでいます。だから、手紙はあって、僕たちの存在があるんです」

 それがあまりにも自信のある言葉だったから、私は彼に待ってもらい、手紙を書いた。

 あの日のことを思い出すのがつらかったが、かいているうちに、この事実を知らない彼女のことを考えられるようになった。

 私が言葉にしなければ、彼女はこれを知らないまま、世界が終わる日を迎えてしまうのだ。

 書いていくと、不思議と心がすっきりした。

「これ」

 手紙を書いて、ペンダントと一緒に封筒に入れる。すると今度は彼も受け取ってくれた。

「確かに、届けます」

 ふと空を見上げると大きい月が目に入る。

 一週間後にはあれが降ってきて、世界は終わってしまうのだ。

「いってらっしゃい」

「! ……行ってきます」

 彼は驚いたような表情をして、それから、笑って、そして町を出た。

 彼は間に合うだろうか。

 間に合うだろう。

 なぜかそんな気がして、私はふっと小さく笑った。



 


*****

 僕は逃げたかった。

 どこまでも逃げたかった。

 でもどこまで逃げたらいいのかわからなかった。だってみんな世界は終わるって言うんだから。

 最後に僕は何をしたいのかわからなかった。

 僕は最後まで逃げて終わるのも嫌だった。

 でも僕は、何もしないままに死ぬのも受け入れられなかった。

「どうしたんだい」

 話しかけてきたのは、三十歳くらいの男性だった。

 とても落ち着いた雰囲気で、彼は十日後に世界が終わるなんて知らないんじゃないかと思うほどだ。

「逃げたいんです、終わる世界から」

「逃げたい、か。どうして?」

「生きたいからです」

「生きたいのはどうして?」

 その問いに、僕は一瞬だけ答えを探した。

「……運びたいから」

「運ぶ?」

「僕は郵便屋さんなんです。みんなの想いを届ける仕事をしてるんです」

「君はそれを続けたい」

「はい。僕はそれが僕にとって一番世界のために為せることだと思うんです」

 ふむ、といって男性は考え込むそぶりを見せた。

 そして、とても不思議そうな表情で僕の方を見た。

「じゃあ、想いを渡せばいい」

「え」

「生きるために逃げると君は言った。でも、逃げている間にも、君が運ぶことができる想いがあるとは思わないかい? 世界が終わるその瞬間まで、君は想いを運び続けたいんじゃないのかい? それが、君の希望がすべてかなう方法だと僕は思うけどね」

 当たり前のようにいった男性に、僕は絶句した。しかし考えてみると彼の言っていることは正しい。しかし早く死んでしまうという事実は、彼の論でもひっくり返りはしない。

 そんなことを思っていたら、それが顔に出ていたらしい。彼は笑って、そして言った。

「いつ死ぬか。それはね、本当はわからないことなんだよ。ところが、今は全員が知ってる。十日後にお前は死ぬってね。だからパニックになる。でもね考えてごらん。事前予告なしに十日後に死んだら、君は命を惜しんだのかな? 死ぬなんてこと考えもせずに死ぬんだろう? 日常の中で死ぬか、確固とした意思を持って、やり遂げたいことを全力でやり遂げたうえで死ぬか……そのどちらかなんだよ。人はいつか死ぬ。それが早いからと言って、それが絶望だというわけでもない。もちろん、生きれるだけは生きるべきだと僕は思うけど。でも、明日死ぬと言われたからといって、君が絶望する必要はないんだよ。少なくとも君は、死ぬまでに何をするか、自分で選べるというおまけをもらえたわけなんだからさ」

 すとんと、何かが落ちてきた気がした。

 僕のやりたいことは、想いを渡すことだ。

 それならば、ここでためらっている時間ももったいないんじゃないんだろうか。

 僕は、行かなければいけない。

「いい顔してるよ」

「行ってきます」

 僕は一歩踏み出した。

 月は大きい。

 けれど、そんなに気にすることでもない。そんな気がしていた。 






*****

「何を書いてるの?」

 大人びた少女が、僕の机を覗き込むようにして問いかけてきた。

「そうだねえ。終わる世界に告げる言葉、かな」

「終わる世界に? 世界が終わっちゃうのに、言葉を残すの?」

 どうやら僕の行為は無意味に見えるらしい。

 しかしそれはしょうがない。

 僕は物書きである以上、後世に言葉を残さなければならない。

 たとえ人が全員死んでも、一枚の紙は残るかもしれないじゃないか。

「僕の仕事だからね」

 そういって僕はペンをインクに浸した。

 そして、ふむ、と声を出す。

「終わる世界にだったら、さようなら、とか」

「……さようなら、か。悪くない」

「悪くないって……よくもない?」

「だってそれじゃあひねりも何もないし、のこすまでもない言葉さ」

「……そっか」

 少女はがっくりとうなだれて、そしてうんうんうなって考え始めた。

「世界に告げる言葉ってなんだろうね。……ありがとう、さようなら、好きだよ、ごめんなさい、初めまして……」

「それだ!」

「え?」

 少女はとてもびっくりしたようだった。

 僕もそのことにとても驚いた。彼女はとてもいい言葉を残したのに。

「初めましてだよ!」

「え、終わっちゃうのに?」

「終わりと始まりは常にともにある。終わるから始まるし、始まるから終わるんだ」

 ぼくはそういってインクに浸したペンを紙につけた。


 終わる世界に告げる。

 さようなら。

 そして、来るべき新しい世界に告げよう。

 はじめまして。


 描き終えた途端、大きな揺れが伝わった。ペン先が紙の上を滑り、不要な線を引いていく。

 次の瞬間には、世界がはじけた。

 そして僕は叫ぶ。

「初めまして! よろしく!」

 




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