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仕事で訪れた鄙びた街の喫茶店で、八重葉と出会った。十年ぶりの再会だった。
真奈と八重葉は小学生のときからの友達で、ふたりとも変わり者として有名だったので、他に友と呼べるものなど一人もおらず、互いに唯一親友と呼べる存在だった。けれど高校二年生の夏、真奈が突然県外に引っ越すことになり、それ以来音信不通になっていた。
こちらに気がついた八重葉は昔と変わらぬ笑顔で近づいてきて「いったい今まで何処に行ってたんだ! ボクはだいぶキミのことを探し回ったんだよ!」ボクという可愛らしい一人称まで相変わらずだった。
たくさん話をした。十年分積もりに積もった想いはすぐには口に上ってこなかったけれど、はじめは当たり障りのない、別れてからの互いの生活や今の仕事の話をするうちに次第に口はなめらかになっていき、大事な一言がぽろりと漏れれば、あとは堰切ったように次から次へとあふれでた。
真奈は、なによりもまず突然の転校を詫びたかった。何度も連絡をとろうと思ったが、なかなかうまくはいかなかった。色々あったのだ。それはお互い様だろう。十年間のうちには色々なことがある。
楽しく話しているうち、話題はしぜんとあの夜のことになった。
転校前夜、ふたりはあの夏の夜、死体を埋めた。
殺したのは真奈だ。相手は母の間男。母のいない隙を狙って真奈に覆いかぶさった。とっさにそばの鋏をとった。成人男性の死体は重すぎて、けれど真奈には八重葉しか相談できる友達がいなかった。ねえ、人を殺しちゃったの、一緒に埋めてくれないかしら、だなんて。
死体は寝袋に詰めて家に隠してあった。八重葉とリアカーに積んで真夜中の山中に運び、ふたりで掘った穴に深く埋めた。ところが、ちょうど土をかぶせ終えたとき、下のほうから草をかきわけるような音がして、「誰か来た! 見つかって、追いかけてきたんだ!」八重葉が鋭く叫んだ。ふたりは散り散りに逃げ、そしてそれっきりになった。
「キミは翌日には転校してしまった」
「そのことは、本当にごめんなさい」
「ボクはキミが逃げてしまったんじゃないかと思っていた。もしかしたらお母さんにバレて、それでこの街を逃げてしまったんじゃないかって。そうするとボクだけ残されあの夜を背負ったままで、押しつけられたんじゃないかって、キミを疑ったし、ひどく憎みもした。でも引っ越しは夏前から決まっていたって、あとで先生に聞いたよ」
「本当はちゃんとお別れを言うつもりだったのだけど、あのときはそれを言い出す踏ん切りがつかなくて、言いそびれたままになってしまったの」
「でもそのおかげでボクはいつまでも未練たらしくキミを探し続けられたし、今日こうして再会することもできた」
「あんなの頼めるのあなたしかいなかったし、あんなことだけど、最後の夜にあなたと一緒にいられて、わたしは嬉しかった」
「ボクもだよ、真奈」八重葉は笑った。「でもひとつだけ聞きたいことがあるんだ」
八重葉はコーヒーを口に含んで間を置くと、窓の外に目を遣った。視線の遠く先にはあの夜ふたりで上ったのとそっくりの山並みがどっかりと腰をおろしている。
この街を囲む山々。わたしが逃げだした土地。厭な過去を封じた土塊。
けれど、八重葉は何をみているのだろう。なかなか口を開かず、眼を細めて遠くの山に見入っている。
「そういえば、あの日の約束、憶えてるかい」
「約束?」
「そうだよ、キミはボクにこう言ったんだ、〝わたしのものなんでも好きなものあげるから〟って。憶えてない?」
「ごめんなさい、あの時は必死だったから………それに、こんなところであなたに会うなんて思ってなくて、わたし何にも」
「うん、ボクが欲しいのはね、」
こともなげに八重葉は言った。「キミなんだ」
それはお菓子をちょっと分けて、というような気安さで。
真奈は自分が聞いた言葉が理解できずに硬直ってしまった。
「え?」
「真奈、キミをちょうだい」
「何言ってるの? どういう意味?」
「どういう意味もないよ。そのまま」
「ちゃんと意味わかって言ってるの?」
「だからこそだよ。言ったろ、ずっと未練たらしくキミを探していたって。ただの親友がそこまですると思う? ……そうだな、じゃあこうしよう。ボクとキミとでゲームをする。それでボクが勝ったら、キミのものなんでも好きなものをボクはもらう。もう一度そう約束してくれる?」
「八重葉、ねえ八重葉、でも、わたしたちはもう高校生じゃないのよ、今の生活も、それに仕事だって……」
「難しいことじゃないんだ、ボクはひとつ質問をする。というより、これは答えだ。十年前にキミがボクに残した問題の」
「わたしが?」
「そう、だからボクが聞きたいことってのはね、あの寝袋には、ほんとうに死体なんて入っていたの? ってことなんだ」
雷が落ちたみたいに、頭の中が真っ白になった。
「じつは死体なんて入ってなかった。違う?」
真奈は急にあの日の重みが肩によみがえったような気がした。
この重みは、八重葉だって知っているはずなのに、なぜこんなことを言うのだろう。あの日のことが嘘だったというのだろうか。あの日ののしかかる重みが、自転車を漕いだ息の喘ぎが、むせかえるような土と草の匂いが、スコップを握ってできたまめが、全部嘘だったと、そういうつもりなのだろうか。
八重葉は、どうだい、と甘く問い詰めるように笑みを浮かべる。それがなんだか許せなくって、どうかしらね、と突っぱねると、真奈は八重葉の耳元にぐいと顔を寄せた。
あなたがわたしの嘘を糾弾するというのなら。
「あなたこそ、あのとき、本当は誰も追って来てなんてなかったんでしょう?」
口から出まかせだったが、どうしても何か、なんでもいいから言い返してやりたかった。はじめ何の反応もなくて不安になったが、八重葉はやがてくつくつと体を震わせた。
「なるほど、なるほどね。真奈、キミってほんとに素晴らしいよ!」
しばらく笑いっぱなしで口もきけない様子だった。笑いを抑えても八重葉はなるほど、なるほどねと何度も繰り返した。
「なるほど、わかった。ボクがキミにゲームを仕掛けるなら、当然キミもそうすべきだ。これでボクらは対等、引き分け、ゲームはまだ終わっていないというわけだ」
「ちがう、わたし、そういうつもりじゃなくて」
「でも、確かにキミの言う通り、ボクらはもう高校生じゃない。君も僕もいまでは……」
そのとき八重葉の手元で携帯電話が明滅しながら震えた。着信音はなく、簡潔な震動がテーブルを叩いた。
「ごめん、仕事の電話だ」
ちょっと待っててと八重葉は席を立った。
そう、わたしたちはもう高校生じゃない。真奈は胸のうちで繰り返す。あんな馬鹿げたことをもう一度繰り返すことは難しい。それでもひさしぶりに会った八重葉の変わらない笑顔が、瞳が、ボクという言葉遣いが、いくらでもあの時のことを思い出させて、まるであのまま人生がつづいてきたかのような、いままでもずっと一緒だったかのような、そんな気になってしまう。
もちろんそれは錯覚に過ぎない。わたしたちはもう高校生ではない。 八重葉の提案はあまりに唐突で突拍子もなかったし、一緒にいたいと思ったからといって、そうそう思い通りにいくものではない。
八重葉はなかなか電話から帰ってこない。冷めたコーヒーにいまさらミルクを入れてかき混ぜながら、ふと窓の外を見ると、暮れる夕陽を浴びて山々が真っ赤に染まっていた。一気に燃え上がっているようだった。あの日わたしたちが山に埋めた寝袋も、この胸の気持ちと一緒に燃えてしまえばいいのにと、真奈は少しだけ思った。それから、ホテルのフロントに早く帰ると言ってあったことを思い出した。
手帳から一ページ破りとり、さっとペンを走らせてテーブルに伏せ、代わりに伝票をとって席を立った。