未解決事件記録課 ――欠け座
以前書いて、お蔵入りにしていた短編です。今回、なろうに読み切りとして投稿することにしました。
いつもの『ハゲ×ヲタ』とは雰囲気はちがいますが、こちらも楽しんでもらえたらうれしいです。
今回はホラーミステリーなので、怖い話や人の死にまつわる描写が苦手な方はお気をつけください。
【記録一|同じ建物】
保管整理番号 未整-2016-0047
件名 東都食品物流第三低温倉庫・七名死亡事案
分類 死亡事案関連資料/未解明事項あり
発生年 2016年
保存資料 現場写真・検視関係書類・関係者聴取記録ほか
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午後三時のニュースは、いつも音量が小さい。
警視庁未解決事件記録課の部屋で、私は十年前の資料をスキャンしていた。ファイルの背には管理番号と保存区分が印字されている。段ボールの底から引っ張り出した古い現場写真。端が折れた勤務表。判読できないほど薄くなった感熱紙。誰かが一度調べ尽くしたものを、もう一度整理する仕事だ。
「……都内の食品倉庫で男性一人の遺体が見つかり、警察は殺人事件として調べています」
私は画面を見た。
灰色の建物。出入口の上の青い看板。塗装が剥げて、会社名の一部だけが残っている。
手元の写真を持ち上げる。
同じ看板だった。
「久世さん。ちょっといいですか」
向かいの席で書類を読んでいた久世さんが顔を上げた。
「この倉庫、今整理してる事件と同じ場所です」
彼は画面と写真を見比べた。
「そうだな」
画面には、さっき入力した管理番号が残っていた。紙の表紙にある数字と一桁ずつ照らす。こういう作業で間違えると、後から探す人が困る。普段なら、ニュースを見ながらやる仕事ではなかった。
七人の成人男女が倉庫の奥で死んでいた。施錠された部屋。争った痕跡はなく、遺書とも取れる短い文章が残されていた。事件は集団自殺とみられたが、なぜ七人が集まったのかは分からなかった。
職業も住所も違う。交友関係も金銭関係も調べられた。七人が事件前から付き合っていたことを示す記録はない。だが、なぜ同じ部屋で死んだのかについては、捜査資料を一通り読んでも分からなかった。
「これ、担当している人は知ってるんでしょうか」
「古い事件の資料がここにあることか」
「はい。倉庫の見取り図もあります」
「所轄の担当に連絡してみよう。必要なら写しを出せる。原本は動かさない」
久世さんは古い現場写真を一枚持った。
「死亡場所、どこだった」
「旧仕分け室です。奥の窓がない部屋」
テレビの字幕が切り替わった。
〈遺体は倉庫奥の資材置場付近で発見〉
私は何度も字幕を読み直した。
その日は、まだ怖くなかった。
むしろ、私は少し浮き立っていた。整理していた十年前の資料が、いまテレビに映っている。仕事が突然、外の世界につながった気がした。
ニュースが終わっても、私は看板の剥げ方を写真と見比べていた。久世さんに二度同じことを聞いて、二度目は返事がなかった。
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【記録二|残された捜査】
新しい被害者は長峰修一、五十二歳。所轄で身元が確認された。私たちは過去事件の資料を持って担当刑事に会った。
「十年前にもここで七人が?」
若い刑事が現場図を広げた。
「同じ建物です。新しい遺体は旧仕分け室の手前。過去の現場とは数メートル離れています」
久世さんは黙って図面を見た。
「今の倉庫は稼働してるのか」
「一部だけ。奥はほぼ使ってません。被害者がなぜ入ったのか調べてます」
古い事件は捜査が甘かったわけではない。七人の通信履歴、移動経路、金融記録、親族、勤務先、宗教団体との関係。考えられる線は当時の捜査員が追っていた。記録には、否定された仮説まで丁寧に残されている。
久世さんは古い調書の端に残った付箋を指で押さえた。担当者の手書きで「母親再聴取」「配送記録照合済」とある。
「ここまで追ったんですね」と私が言うと、久世さんはうなずいた。
「当時の人間が、何も考えずに帰ったわけじゃない」
その言い方には、私が聞き慣れない硬さがあった。私は彼が捜査一課にいたころの話をほとんど知らない。
「一からやり直す必要はない」
久世さんが言った。
「新しい事件から見よう。十年前と違うものがあれば、それを調べる」
若い刑事が写真を一枚出した。
旧仕分け室の壁。床から膝ほどの高さに、円が描かれていた。周囲には七本の短い線。
「古い写真にも似た印があるんですが、当時からあったものですか」
私は写真を見比べた。十年前のものはピントが甘く、円の端が棚に隠れている。
「同じ場所には見えます」
「宗教の印じゃないかって話も出てます」
宗教。
古い記録にも、その文字が何度か現れた。
十年前、倉庫の事件の直前に、三つの家族が相次いで殺害されていた。最初は都内の住宅街、次は隣県の郊外、三件目は都内の集合住宅。発生場所は離れており、被害者同士のつながりも見つからなかった。いずれも未解決のままだった。
七人が死亡したのは三件目の六日後だった。
当時の捜査本部も、その時間的な近さを見逃していない。七人が殺人事件の被害者や容疑者と接触していないか、家族に脅迫が届いていないか、調べていた。だが、共通する人物も動機も特定できなかった。
「それで、宗教団体の話が出たんですか」
若い刑事は古い資料の一頁を指した。
「それは次の綴りです。こっちは三件の捜査結果。宗教の件は別の捜査から出てきています」
私は頁をめくった。過去の担当者が、別々の事件を混同しないように記録を分けていたのが分かった。
七人の死を境に、同じ特徴の一家惨殺事件は報告されなくなっていた。
私はその順番を紙に書いた。
久世さんは赤いペンで日付の間隔を記入した。
「偶然でしょうか」
「分からない。順番が並んでるだけじゃ証拠にならない」
私はうなずいた。
帰宅後、三件の事件資料を読み直した。被害者には子どももいた。七人のうちの一人にも、同じ年頃の娘がいた。
怪談の本なら、怖くなれば閉じられる。
この資料には、遺族の名前と住所が書いてあった。
私はそこでページを閉じた。
机の上に置いた携帯電話が震えた。兄からだった。夕食に来るか、とある。私は「今日は遅い」と返した。すぐに「了解」と返ってきた。
コンビニで買ったおにぎりを開けたが、海苔がうまく剥がれなかった。机に米粒が落ちた。拾おうとして、開いたままの資料に載った女の子の顔を見た。
食べ終わってから、その写真のページだけ裏返した。ほかの資料はそのままにした。
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【記録三|白輪会】
新しい被害者、長峰修一には弟がいた。過去の捜査資料を追うと、宗教法人の名前が出てきた理由も分かった。
長峰啓介。十年前、宗教法人「白輪会」の儀式中に死亡している。
白輪会は郊外に研修施設を持ち、非公開の儀式を行っていた。参加者を一時的に意識不明にする演出があったとされ、啓介は儀式中に倒れ、そのまま亡くなった。薬剤の扱いを誤ったのか、誰かが故意に手を加えたのかは確定していない。
法人側は当初、急病だったと説明した。参加者にも口止めがあったという。後に事件は表沙汰になり、法人は信用を失って解散した。
「じゃあ修一は弟の件で恨んでたんでしょうね」
私は言ってから、少し早まったと思った。
「恨んでたかどうかは、本人に聞けない」
久世さんは修一の過去の供述を読んでいた。
修一は当時、法人の責任者を厳しく非難している。弟の死を隠そうとした法人に対して、訴訟も考えていたらしい。
私は三件の一家惨殺事件の発生日をもう一度確認した。最初の事件は啓介が儀式で亡くなってから二十三日後。残る二件も、その後に起きている。
そのため、当時の警察は、宗教法人が事故の口封じのために関係者を襲った可能性と、啓介の兄が報復した可能性の両方を調べていた。
修一も事情を聞かれ、関与を否定している。裏づけのない疑いとして扱われたまま、捜査記録はそこで途切れていた。
「この七人が、儀式の参加者だったんですか」
私は古い名簿をめくった。
久世さんが別の資料を示した。
「七人が儀式にいたことは、当時の捜査でも確認されている。最初の名簿は通称で書かれていたが、後から本人確認が済んでいる」
七人は儀式で啓介が倒れるところを見ていた。
「つまり、口止めされた人たち」
「そうなる」
私は日付をもう一度並べ直した。啓介の死、三件の惨殺、七人の死。いずれも十年前のことだ。
今度は、修一が同じ倉庫で殺された。
「元幹部を調べてるそうです」
所轄から連絡があった。
久世さんは短く礼を言い、電話を切った。
「今の事件の犯人が分かれば、古い事件の意味も変わるかもしれない」
私は古い名簿の七人の名前に付けた付箋を数え直した。六枚しかなかった。机の下に一枚落ちていた。
拾って貼り直すと、久世さんが「今日はここまででいい」と言った。私はまだ資料を閉じたくなかった。
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【記録四|事務所で会った人】
東都食品物流の事務所は倉庫から車で十分ほどの場所にあった。
一階が配送受付、二階が事務室。昼前で、電話とプリンターの音が絶えなかった。私たちは所轄の担当者とともに、当時の図面や管理記録を確認しに来ていた。
担当の女性社員が資料を探している間、壁際に立っていた作業着姿の男が声をかけてきた。
「昔の第三倉庫のことですか」
「ええ。ご存じですか」
「前にあそこで働いてたんで。もう古い話ですけどね」
四十代後半くらい。少し猫背で、笑うと目尻にしわが寄った。
「大庭和彦です」
大庭さんは図面を見るなり、古い冷却設備の位置を教えてくれた。冬場に結露する配管、修理の多かった扉、夜勤者が使った休憩室。話が具体的で、しかも必要以上に知ったかぶりをしない。
「その線は、もうありません。設備を入れ替えたとき塞いだはずです」
「いつ頃ですか」
「事件のあとだったかな。すみません、年までは」
女性社員が書類を抱えて戻ってきた。
「お待たせしました。これが保管されていた図面です」
大庭さんは通路を空けるように少し横へよけた。社員は私に資料を渡し、現在の管理体制を説明した。忙しい事務所では、誰がどこに立っているかなんて誰も気にしない。
「助かりました」
私が大庭さんに言うと、彼は照れくさそうに笑った。
「会社じゃ昔話ばかりするなって、あんまり相手にされないんですよ。ハハッ」
「でも、助かりました。あの図面だけじゃ分からなくて」
「そう言ってもらえるとね」
彼は小さくうなずいた。
社員の女性が説明を始めたところで、配送の人が伝票を持って入ってきた。机の前が混み合い、私は図面をいったん畳んだ。大庭さんは窓際の掲示板に貼られた古い安全標語を眺めていた。
事務所を出るとき、私は振り返った。
大庭さんはまだ壁際にいた。社員が電話に出る声に紛れて、こちらに軽く会釈した。
車に乗ってから、久世さんが言った。
「配管の話は、改修記録で確かめよう」
「はい。でもいい人でしたね」
「そうだな」
私は手帳に名前を書いた。設備のことは、あとでもう一度聞くかもしれない。そう思ったし、なぜかあの人とはまた会う気がした。
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【記録五|誰が見た未来か】
七人の遺族に、十年前の話を再び聞くのは簡単ではなかった。
所轄の担当刑事に同行して、私たちは当時の死亡者の妻と面会した。女性は今も同じ街に住んでいた。玄関には古い靴箱があり、その上に家族写真が置かれていた。
亡くなった夫は、死の数日前から眠れなくなっていたという。
「誰かに狙われてるって言ってました」
「警察には相談されましたか」
「私が行こうって言ったんです。でも、あの人は……」
女性は言葉を切った。
「警察に話したら、今度は私と子どもが危ないって」
夫は娘を学校に迎えに行き、夜になると窓を何度も確認した。携帯電話を変え、家族を実家へ避難させようとした。それでも、何かが近づいてくると信じていた。
「最後に、何か言っていましたか」
女性は写真を見た。
「自分がいなくなれば、私たちは助かるかもしれないって」
私はメモを取る手を止めた。
女性は話の途中で、湯飲みを一度持ち上げた。口はつけずに戻した。私は用意した質問のうち、宗教団体についての項目を飛ばした。帰り際に聞くつもりだったが、結局聞けなかった。
「そのとき、どう思われましたか」
「何を馬鹿なことを言ってるんだろうって。……今でもそう思います」
帰りの車で、私は窓の外を見ていた。
「家族を守ろうとしたんですね」
「そう思ってたんだろう」
「でも、残された家族は……」
久世さんは返事をしなかった。
私も続けられなかった。
帰庁してから、聞き取った内容を入力した。夫の最期の言葉は、女性の言い回しを変えずに残した。
久世さんが「休んでこい」と言ったので、私は自販機へ行った。買ったコーヒーはひどく甘かった。いつも同じものを飲んでいるのに、その日は最後まで飲めなかった。
その夜、当時の七人のうち一人が残したノートの複写が見つかった。原本は遺族が保管し、警察に提出されていたものだ。表紙には子どもの名前が小さく書いてあった。
最後の数ページは、文字で埋まっていた。最初の方には、家族の名前と電話番号、引っ越し先の候補らしい地名が並んでいた。途中から、同じ文だけになる。
俺が死ぬ。あいつらは助かる。
俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
俺が死ぬ。
お前が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
誰が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
俺が死ぬ俺が死ぬ俺が死ぬ俺が死ぬ俺が死ぬ
あいつらは助かる。
俺が死ぬ。誰が死ぬ?俺が死ぬ。
俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
お前が死ぬ。
次のページは途中から筆圧が変わっていた。複写なのに、字の重なったところが黒い塊になっている。余白に小さく、家族の名前が一度だけ書かれていた。そこには二重線が引かれていない。
私は「お前が死ぬ」の行を指で隠してみた。前後は同じ文章だった。隠した指を離すと、やはりそこにあった。
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【記録六|死んだ弟の兄】
長峰修一の部屋から、古い録音機が押収された。
所轄の担当刑事が内容の一部を聞かせてくれた。音質は悪い。何人かの声が混ざり、場所は特定できない。
『お前がやったのか』
男の声。
『そうだ』
別の男が答える。
『あの家も、その前の家も?』
『そうだ。家の中がどうなっていたか、教えてやろうか』
そこで長い沈黙が入る。
『警察はまだ発表してない。子どもの……』
声が途切れた。録音機が何かに触れたような音がした。
次の言葉は、かすれていた。
『次はお前たちだ』
私はヘッドホンを外した。
「これ、誰の声ですか」
「修一の声だとみられる。もう一人は特定できていない」
久世さんが訊いた。
「録音はいつのものですか」
「記録上は十年前。ただし機器の時刻設定は当てにならない。解析中です」
「現場の詳細は本当に非公表だった?」
「そうです。少なくとも録音に出てくる特徴は、報道されていません」
録音の男は、三件の一家惨殺を自分の犯行だと告白していた。声が修一のものなら、少なくとも彼はそう信じさせようとしていたことになる。
その情報が七人に伝わったのなら、七人が恐れた理由は理解できる。
弟を死なせた儀式の目撃者たち。自分たちの家族も同じ目に遭うと脅された。しかも相手は、本物の殺人犯しか知り得ない話をする。
「でも、修一が犯人なら……」
私は言いかけた。
久世さんが資料を開いた。
三件目の一家惨殺が起きた夜、修一は県外の病院にいた。入院中の母親に付き添っていたことが、当時の捜査で確認されている。監視映像と複数の証言が残っていた。
「全部一人でやったとは考えにくい」
「共犯がいた?」
「可能性はある」
「じゃあ、なぜ犯人だって……」
「そこが分からない」
私はもう一度録音を聞いた。
『そうだ』
あまりに平坦な声だった。
人を殺したと告白している声なのに、怒りも、興奮もない。
ただ、相手が何を信じるか確かめるような声だった。
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【記録七|口止め】
白輪会の元事務局長は、現在、小さな印刷会社を営んでいた。
所轄の刑事が事情を聞く場に、私たちは記録の照合役として同席した。男は初め、十年前の話を避けたが、啓介の名前が出ると表情を硬くした。
「事故だったんです」
「当時もそう説明されていますね」
「本当に、あんなことになるとは……」
久世さんは資料を見ながら尋ねた。
「参加者には口止めを?」
男はしばらく黙っていた。
「……しました。会が潰れると思ったからです」
「七人は、その場にいましたか」
「いました。みんな、見ていました」
「誰が倒れたんですか」
「長峰啓介さんです」
「ほかに倒れた人は?」
「いません」
男は指を組み、何度も握り直した。
「私たちは……あの儀式を特別なものに見せたかったんです。死に近い体験をした、というふうに。みんな、戻ってくるはずだった」
「何人いたんですか」
「参加者は八人です。啓介さんと、あとの七人」
「職員は?」
「別にいました」
久世さんは何も言わず、参加者名簿を見せた。
男は七人の名前を指さし、最後に啓介の名前を示した。
「この八人です」
会場の見取り図もあった。椅子らしい四角がいくつか並び、右端の一つは線がかすれていた。久世さんは図面の日付を確認し、名簿とは別の日に作られたものだと分かると、次の資料へ移った。
私はコピーの端が切れていることの方が気になった。事務局長に原本の所在を聞いたが、分からないという。
私は名簿を見た。
たしかに八人。
それだけなら、おかしくない。
帰り際、元事務局長は私に言った。
「長峰さんは、弟さんが亡くなってから、何度もうちへ来ました。私たちを訴えると言っていました。でも、七人が亡くなったあと、ぱったり来なくなった」
「それは、なぜだと思いますか」
「……分かりません」
彼は初めて私の顔をまっすぐ見た。
「ただ、あの人、最後に笑っていたんです。七人のことを話したら」
私はその笑顔を想像できなかった。
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【記録八|誰も殺していない】
長峰修一の自宅には、十年前の一家惨殺事件の記事が大量に保管されていた。
それだけではなかった。被害者の家族構成、勤務先、事件現場の見取り図、捜査の進捗を記したメモ。報道されていない細部も混じっていた。
所轄は情報の入手経路を追った。
修一は過去に、事件関係者を名乗る人物から資料を受け取っていた可能性がある。匿名の郵便物や、記録の写しもあった。出所が確かなものは少ない。
そして修一の手帳に、短い一文があった。
俺は誰も殺していない。
その下に、別の日付。
七人が死んだ。これで終わりにする。
「あの録音、脅すためだったのかもしれませんね」
私は呟いた。
修一が殺人犯を演じて七人を脅した、という筋は考えられた。弟の死を見ていながら沈黙した七人に、家族を失う恐怖を味わわせたかったのかもしれない。
七人は本物の殺人犯から脅されていると信じた。少なくとも修一は、そう信じさせるだけの情報を持っていた。
「でも、あの三件は誰が?」
久世さんは答えなかった。
修一の記録は、彼が三件の殺人を実行していない可能性を強めた。だが、それだけで完全に無関係と断定はできない。犯人しか知らないはずの情報が、なぜ彼の手元にあったのかは依然として分からない。
新しい事件の捜査では、白輪会の元関係者の一人が重要参考人として浮上した。修一と金銭上の争いがあり、事件当日に倉庫近くへ向かった記録があった。
所轄はその人物の行動を確認していた。
私は、七人のノートをもう一度開いた。
俺が死ぬ。
あいつらは助かる。
修一は七人が死ぬことを望んでいたのだろうか。
それとも、そこまで追い詰めるつもりはなかったのだろうか。
どちらであっても、七人は戻らない。
私は資料を閉じた。
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【記録九|旧仕分け室】
その週の金曜日、倉庫の奥を確認することになった。所轄の立会いで、古い現場写真と現在の設備を照合する。私たちは資料を持って同行した。
倉庫は外より寒かった。停止した冷却装置の周りだけ湿った空気が残り、床には古いテープの跡がある。大庭さんが教えてくれた配管の位置は、図面と一致していた。
「ここが旧仕分け室です」
管理者が扉を開けた。
窓のない、思ったより狭い部屋だった。棚も机もない。七人がここで死んだという事実だけが、空気を重くしていた。
壁には円と、七本の短い線。
久世さんは写真を見比べ、床のテープの跡を測っていた。所轄の刑事は入口で電話を受け、管理者は通路へ照明を取りに行った。
私は壁の前に立った。
円は塗料で描かれていると思っていたが、近くで見ると表面が少し削れていた。指で触れる前に、写真を撮った。壁の下には古いパレットの傷がある。所轄の刑事が電話を終えて戻ってきて、別の角度から撮影を始めた。
「こっち、照明が届かないですね」
私が言うと、久世さんは懐中電灯を向けてくれた。私は古い現場写真と壁の傷を見比べた。撮影位置を変えないと、棚の陰で七本目の線が隠れる。
そのとき、通路の奥で金属が鳴った。
コツ。
「管理者さん?」
返事はなかった。管理者は照明を取りに行ったはずだった。
私たちは通路へ出た。先ほど通った場所なのに、灯りのない奥は急に遠く感じられた。壁際に積まれた空の容器、床の排水溝、扉の上に貼られた剥がれかけの番号。懐中電灯が当たるたび、見慣れた倉庫のものに戻る。
「配管が冷えてるんじゃないか」
久世さんが言った。
「停止しているって聞きましたけど」
「全部が止まってるかは分からない」
私はうなずいた。現場ではまずそう考えるべきだ。久世さんが扉の蝶番を見ている間、私は排水溝の向こうを照らした。
ヒタッヒタッ……。
濡れた靴で歩いたときのような音がした。
私は靴の裏を見た。乾いている。久世さんの靴も同じだった。
ヒタッヒタッ……。
今度は奥からではなかった。私たちが立っている通路の、すぐ脇の棚の向こう。
「誰かいますか」
声が思ったより大きく響いた。しばらく待った。返事はない。
棚の端から、白いビニールが一枚垂れていた。送風のない通路で、わずかに動いている。私は懐中電灯を持ち替えた。手袋の中に汗がたまっていた。
「見てきます」
「一緒に行こう」
二人で棚の反対側へ回った。
空だった。
床に水が一滴落ちている。天井の配管からの結露だろう。私は上を見た。配管の継ぎ目に小さな水玉が膨らんでいた。
ポタッ。
「これですね」
自分で言って、少し恥ずかしくなった。久世さんも配管を見て、頷いた。
私たちは旧仕分け室へ戻った。所轄の刑事は壁を撮り終えていた。管理者も照明を持って戻ってきた。倉庫の奥が一気に明るくなる。
「何かありました?」
「水が落ちる音でした」
私はそう答えた。
それで済んだはずだった。
旧仕分け室から出る直前、私は最後に部屋の中を振り返った。さっきまで何もなかった壁際に、細い水の筋ができていた。天井から床まで、一本だけ。
天井を照らしても、そこには配管がなかった。
久世さんを呼ぼうとして、やめた。結露が壁を伝ったのかもしれない。写真は撮った。後で確かめればいい。
私は扉を閉めた。
背後で、
コツ。
短い音がした。
振り向いたとき、管理者が扉の取っ手から手を離すところだった。金具が戻った音だったのだろう。
誰もその音を気にしていなかった。
私は何も言わずに歩き出した。
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【記録十|大庭和彦】
翌週、会社に電話をした。大庭さんに設備改修の時期をもう一度聞きたかった。
「大庭さん、ですか?」
電話口の女性が聞き返した。
「和彦さんです。先日、事務所でお話しした方です」
しばらく保留音が流れ、別の男性が出た。
「大庭和彦は、もう退職しています」
「連絡先は分かりますか」
「申し訳ありません。退職者の個人情報はお伝えできません」
当然の返事だった。
後日、古い人事台帳の写しが届いた。大庭和彦の名前はすぐに見つかった。
退職年月日。その横に、備考欄。
死亡退職。
日付は七人の集団死から二年後だった。
同姓同名かと思った。生年月日も当時の勤務先も一致していた。
久世さんに見せると、彼は所轄へ確認を依頼した。私たちが会った男について、記録を照合してもらうためだ。
夕方、会社から連絡があった。
「大庭さんは八年前に亡くなっています」
私は机の端をつかんだ。
「先週、そちらの事務所でお話ししたんですが」
「……先週ですか」
「作業着の、四十代くらいの男性です。倉庫の設備に詳しくて」
「似た方はいるかもしれません。ただ、大庭さんご本人ということは……」
声が遠くなった。
私は事務所を思い出した。
女性社員が書類を持って戻ってきた。
大庭さんは横によけた。
誰かが彼の名前を呼んだか。
誰かが彼に返事をしたか。
私は名刺を渡そうとした。
彼は受け取らなかった。
「久世さん」
「うん」
「私たち、誰と話したんでしょう」
久世さんは手帳を開いた。大庭和彦。確かに私の字で書いてある。
「見たのは俺たち二人だ。二人とも間違えた可能性はある」
「……はい」
その冷静さがありがたかった。
同時に、少しだけ腹が立った。
私はあの人の声を覚えていた。図面を指した手も、照れくさそうな笑顔も。
会社じゃ相手にされないんですよ、と言ったときの顔も。
あれは、誰だったのだろう。
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【記録十一|終わった事件】
長峰修一殺害の容疑者が逮捕されたのは、それから三日後だった。
白輪会の元幹部。修一と金銭上の争いがあり、倉庫付近の防犯映像や車両記録、所持品から犯行を裏づける証拠が得られた。男は関与を認めた。
修一が十年前の儀式事故について再び資料を集め、元幹部を追及していたことも分かった。倉庫での面会は、そのためだったらしい。
少なくとも、今回の殺人については具体的な容疑者と証拠がそろった。
「所轄からの追加資料、こっちにも来ています」
私は報告を閉じた。
「ありがとう」
久世さんは七人の事件のファイルを開いていた。
修一は「誰も殺していない」と手帳に書いた。だが、その言葉が真実かは分からない。惨殺現場の詳細をなぜ知っていたのかも説明できていない。情報を渡した者がいた可能性はある。その相手は分からない。
七人は修一を恐れて死んだのか。
本当に自分たちが死ねば家族を守れると思ったのか。
大庭和彦についても、当時の社員写真を確認した。私が会った男と、確かによく似ていた。久世さんもそう言った。
事務所の防犯映像は保存されていなかった。社員は忙しい時間帯で、誰がその場にいたか覚えていないという。
私たちが会った男の正体は確認できなかった。
私は会社へもう一度電話をかけるつもりで番号を控えたが、その日は結局かけなかった。ほかの資料を処理しているうちに、終業時刻になっていた。
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【記録十二|欠けた席】
白輪会の元事務局長から、儀式の前に撮った集合写真が届いた。参加者名簿の写しも添えられていた。
写真には、建物の玄関前に並んだ人々が写っていた。私は名簿と見比べた。
七人の参加者。長峰啓介。
その端に、もう一人いた。
「職員でしょうか」
久世さんは写真の撮影日時を確かめた。
「分からない。確認しよう」
元事務局長は、写真の端の男も参加者だったと答えた。しかし名前を尋ねられると、答えられなかった。名簿を見せると、八人の名前を一つずつ読み上げたあと、写真を見て言ったという。
『ええ。みんないると思います』
私は人数を数え直した。
九人。
その男の顔を拡大した。輪郭は粗い。目尻のしわ、少し傾いた肩。
会社の事務所で話した大庭和彦に似ていた。
久世さんも写真を見た。
「似てるな」
「……よく似ています」
「写真だけじゃ断定できない。原本を見よう」
所轄から追加の連絡があった。元事務局長は、端の男が儀式の参加者に連絡を取っていたことを思い出したという。
私は、面会した女性が湯飲みを持ち上げて戻したところを思い出した。あのとき聞かなかった質問がまだある。聞いたところで答えがあるとは限らないが、連絡を取ろうと思った。
その夜、私は七人の一人が残したノートをもう一度読んだ。
俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
俺が死ぬ。
お前が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
誰が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。俺が死ぬ。
何度読んでも、途中の「お前」が引っかかった。家族を脅かす男へ向けた言葉なのか。それとも誰かに言われた言葉を書き写したのか。文字からは分からない。
私は鉛筆を持ちかけてやめた。複写に書き込むなと、以前久世さんに注意されたことがある。七人がどうして同じ場所に集まったのか。修一の脅迫だけでは、まだ説明がつかなかった。
久世さんが私の机に、今回の事件の処理状況を置いた。長峰修一殺害については元白輪会幹部の関与が裏づけられ、事件は一区切りついた。十年前の一家惨殺は未解決のまま。七人の集団死の動機も確定していない。
「遅いぞ。続きは明日にしよう」
「はい」
私はノートの複写をファイルに戻した。
大庭さんが教えてくれた配管の位置は、改修記録と一致していた。彼が話した昔のことには、嘘だと分かったものが一つもない。
あの事務所で私たちは、確かに一人の男と話した。
それだけは、久世さんも覚えている。
私は聞き込みの日の手帳を開いた。図面の番号。配管のこと。事務所の住所。話した内容は細かく残っていた。
なのに、私はそのページを見て、しばらく考え込んだ。
あの日、誰から聞いた話だったろう。
名前は書いてある。字も、間違いなく私の字だ。
大庭和彦。
私は声に出して読んだ。
何も思い出せなかった。
顔は覚えている。笑い方も、擦り切れた袖口も。会社で相手にされないと笑った声も。
それなのに、その四文字があの人の名前だという実感だけが、どこにもなかった。
帰り際、私は久世さんに聞いた。
「事務所で会った人、覚えてますよね」
「ああ」
「名前、何でしたっけ」
彼は少し考えた。
「大庭、じゃなかったか」
「そう書いてあります」
「なら、会社の記録ともう一度照らそう」
私はうなずいた。
廊下に出てから、もう一度手帳を開いた。
□□□□。
字は変わっていない。
あの人が「大庭和彦です」と言ったとき、私はどこに立っていたのだろう。
図面を見せてもらった場所は覚えている。作業着の袖の擦り切れ方も覚えている。
なのに、その四文字を誰の口から聞いたのかだけ、どうしても思い出せなかった。
手帳を閉じたあと、私はもう一度開いた。書き間違いはなかった。
あとがき
いかがでしたか?
何か、後に大事件につながるような話だった気もしますが、もう覚えていません(笑)
気が向けば、またチャレンジしてもいいかなっと!
ギャグが入るかも……。
この後はまた、20時10分の『ハゲ×ヲタ』をよろしくお願いします!
ん? 誰か来たようだ……。
『はーい! 今行きまーす』
キィ
バタン!




