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相互作用

作者: 月立淳水
掲載日:2026/04/27



 街の小さな喫茶店は、今日も雨の中。

 しとしとと降る雨は、窓に雨粒を生み出し。その雨粒は、つ、と滑り落ちていく。


 彼は、その落ちていく雨粒にそっと指をあて、落ちる流跡に合わせて、滑らせていく。

 曇ったガラスに、垂直な線が、伸びる。


「ねえ」


 彼は、そっとつぶやく。

 彼女の好む紅茶の香り。その小さな分子が、彼の嗅覚受容体を優しくなでている。


「この雨粒。君、動かせる?」


 尋ねる彼に、彼女は、くすっと笑う。


「そんなの無理だよ」


「どうして?」


「さわれないもの」


 その答えを聞いて、彼も、ふふ、と小さく笑う。


「動かす方法、教えようか」


 その言葉に、彼女は首をかしげる。

 窓ガラスに隔てられた外側。

 そこに手を触れることもできないのに?


「この世のすべては小さな粒でできてるんだ」


 あ、これはまずい。

 と、彼女は思った。

 これは長くなるやつだ。

 ちょっと物理オタクな彼は、時々、こんな話を始めがちで。

 周りの女子たちも、あの人、ちょっと変よね、と距離を置きがちで。

 でも、彼女は、案外、嫌いでもない。

 だから、時々、暇を持て余したとき、彼の誘いに乗ってゆるいデートくらいのことはする。

 付き合ってるのかどうかは、分からない。


「僕がこうしてガラスに触れて、押し返されてるとき、僕の指の粒と、ガラスの粒は、お互いに反発してる」


「でもね、じゃあ、どうして、僕の指に押されたガラスは、バラバラにならないんだろう?」


 それは問いの形をとっているけれど、黙って聞いていればいいのだと、彼女は知っていた。


「ガラスの小さな粒の間には、引き寄せ合う力が働いている。だからガラスはバラバラにならない」


「だったら、やっぱり、雨粒を動かすのは無理じゃない?」


 時々、こんな相槌を入れてあげる。すると、彼の瞳が輝くのを、彼女は知っている。


「引き寄せ合う力は、相互作用って言うんだ。そして、相互作用は、もっと小さな粒を、お互いに交換し合うことで起きる」


「粒と粒が、もっと小さな粒を交換し合ってる」


「そう。そのもっと小さな粒は、どんなものでも突き抜けていって、自分が渡される相手を見つけ出すんだ」


 彼女は、ふうん、とうなずく。


「もし、僕が、この雨粒にだけ届く小さな粒を指先から出せて、もし、雨粒が、僕にだけ届く小さな粒を僕に返してくれるのなら。きっと、雨粒は、動くんだ」


「じゃあ、雨粒と仲良しになればいいのね」


 彼女のその言葉に、彼は、ドキリとする。

 この後、彼が続けようと思っていた言葉を、何か、先取りされたようで。


「うん、多分、そうなんだ。仲良しになって、いろんなものをやったりとったりできるようになって。この世を構成するすべての粒は、そんな風に、周りの粒から受け取った相互作用で、その飛跡をちょっとずつ、変えてる」


 彼は、窓ガラスに、もう一本、『飛跡』を描く。

 途中で止め、さっき描いた雨粒の飛跡から、細い線を出す。

 あみだくじのように引かれた線は、新しい飛跡にぶつかり、そこで、新しい線が、古い線の方に、ほのかに折れ曲がる。


「小さな粒を受け取って、ほら、ちょっとだけ、近づいた。これが、引力」


 そして、古い線と新しい線の間に階段のように小さな線を引きながら、下まで伸ばしていく。二つの線はちょっとずつ近づいていく。


「この小さな粒、素粒子って言うんだ。聞いたことある?」


「もちろん。君の与太話、どれだけ聞いてきたと思う?」


 彼女が言うと、彼は、また、くす、と笑った。


「僕の飛跡も、だいぶ曲がっちゃった」


 彼の言葉に、彼女は、ちょっと真顔になって、大きく首をかしげた。


「君からとんできた素粒子。君に飛ばした素粒子。僕という素粒子の飛跡はだいぶ曲がっちゃって」


「どのくらい?」


「たくさん。数えきれないほどの素粒子が、僕らの間をいったりきたり」


 何かを得心したように、笑みを浮かべて、彼女は、紅茶を持ち上げて、香りを大きく吸い込む。

 そっか、今日が、その日なんだ、と。

 彼は、同じようにコーヒーカップを持ち上げて、二つの香りの相互作用を楽しむ。

 そう、今日が、その日なんだよ、と。


「ねえ、その素粒子に、名前をつけてみて」


「名前なんていらないよ。昔からみんな知ってる」


「……なんて?」


「たぶん、愛、って言うんじゃないかな」


 また、つー、と雫がガラスを滑り落ちる。

 ふらふらと揺れたその小さな粒は、隣から落ちてきた小さな粒にふれあい、一つになった。


挿絵(By みてみん)





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― 新着の感想 ―
いい話ですね。愛の素粒子ですか……
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