No.46 最悪のクリスマスプレゼント
「もーろびと……、こぞ、り……てぇ~」
君と出会って六度目のクリスマスを迎える今日も、変わらず君はその歌を口ずさむ。
「むか……え、ま……ぁつれ……、ねえ、一緒に、歌、って?」
僕は君のように敬虔なクリスチャンではないから、歌詞など殆ど覚えていない。
「ねえ、泣かないで。笑顔で主を迎えましょう。ね?」
笑顔なんて、もう忘れた。君がこんな風になってから。それは君だって気づいてるだろう? だから一度は別れを告げたり、事実を知っても君の傍にいることを選んだ僕に向ける微笑が儚く哀しげに変わってしまったりしたんだろう?
「……歌詞、忘れた」
力なく僕は抗う。毎年繰り返す抵抗の中で、今年が一番弱々しい声になっていた。
「嘘つき。去年は英語で習ったから英語なら、って、嫌々でも歌ってくれ」
ごほ、ごほん。彼女が咳き込む。細い肩が苦しげに揺れる。
「ほら、もう無理するな、って。賛美歌はいいから」
結局今年も彼女の強い信仰心に負けてしまう。
「代わりに僕が歌うから」
じょーいとーざわーる ざ ろーど いーず かむ。
れっだーす りざーぶ はーきーんぐ。
下手くそな英語、とくすくす笑う。久し振りに見た、嬉しそうな本当の笑顔。
それが見たくてつい負けてしまう。
神様なんて信じてないのに。むしろ彼女の心を捉えるそのまやかしに、本当は嫉妬さえ感じていた。
クリスマス。子供の頃は
『サンタクロースがよい子にプレゼントを持って来てくれる』
それを信じて喜んでいた。
全部まやかしだと知ったのは、一体いつの頃だろう。
でもまさか、奪われることもあるだなんて思わなかった。
深夜、いわゆるクリスマスイブの夜。突然彼女を襲った激しい痛み。彼女の顔をゆがませる、永遠を思わせる長い苦痛。突然降って湧いた無理矢理の別離。
「下がって!」
僕は医師や看護師に突き飛ばされる。彼女の両親と弟が彼女に呼び掛ける。その一歩後ろからしか、彼女を見とめることが出来なかった。例え彼女の両親に呼ばれても近寄れなかった。彼女の苦しんでいるベッドへ向かって祈りを捧げるクリスチャンな一家が、神を信じていない僕には奇異に見えて仕方がなかった所為で。
苦しげに眉根を寄せる彼女の両手も、主へ捧げんと祈りの形を取っていた。
――ここに僕の居場所はない。
そう思うと、近づけなかった。
うっすらと閉じた瞳が開く。こちらをまっすぐ見つめながら、酸素マスクの向こうで彼女が何かをかたどっている。
――ジョイ トゥ ザ ワールド――。
「こんなときまで……賛美歌、なのか」
明け掛かった空の白さが、仄かに照らす朝陽が、彼女の肌をいつも以上に白く見せた。
――ホントは、辛いの、一緒にいられなくなる、ってこと。
長い時間を掛けてやっとかたどり終えると、彼女は透き通るひと滴を目尻からこぼした。
――最期まで、一緒にいてくれてありがとう。
潤んだ瞳をしているくせに、口は無理して下弦を描く。
――プレゼント、あげる……自由。忘れてね、私のこと。
彼女がそう言って左手をベッドの縁からだらりと下ろすと、からん、と何かが病室の床を小さく叩いた。彼女のやせ細った薬指から抜け落ちたのは、僕が彼女に贈った指輪だった。
気づけば僕は、彼女の大好きな『諸人こぞりて』を口ずさんで彼女に聴かせていた。
この世の闇路を照らし給う 妙なる光の主は来ませり。
しぼめる心の花を咲かせ 恵みの露おく 主は来ませり。
神様、どうか僕の闇路を照らしてください。
彼女を僕から奪わないでください。
あなたを信じると誓います。
だからどうか彼女を連れて行かないで――。
「あ、り、が、と……」
僕も洗礼を受けると思ったからか。
それとも、僕がこれまでの主張を押し殺し、自分から彼女の好きな賛美歌を口にしたから、そのお礼という意味なのか。
最期の力を振り絞ってそれを声にすると、彼女は眠るように静かに逝った。
僕の人生史上最悪だった神様からのクリスマスプレゼント。
信じなかった罰なのか、存在などしないから運命に逆らえなかったのか。
僕は今でも神様を信じることが出来ない。
そして、今でも賛美歌の流れるこの季節になると、彼女の「ありがとう」の意味を思いわずらう。