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壊れた席に残るエナ

壊れた席の下にあるのは、残骸じゃない。

失敗が捨てきれずに溜まったログの底だ。


白い回廊を抜けた先で、景色は一気に歪んだ。


雪が降っている。

なのに足元は砂だ。

吹雪の向こうで駅の発車ベルが鳴り、そのすぐ横の蔦に、港の荷札みたいな紙片が何枚も貼りついている。

鐘楼の鐘音が遠くで揺れ、その反響に合わせて温室の育成灯が点滅した。


どの世界も終わりきれず、最後の一秒だけを持ち寄って、ここで腐らずに積もっている。


「うわ……」

ユウトが思わず声を漏らした。

「嫌な景色の詰め合わせだな」


「下層キャッシュだ」

シキが先頭で足を止めずに言う。

「同期失敗、切り残し、戻し損ねたログが溜まってる」

「見た目を信じるな」

「音も、足場も、半分は嘘だ」


「半分本当ならまだマシか」

俺が返すと、シキは振り向かずに言った。


「ここは逆だ」

「半分本当だから、一番面倒だ」


それはよく分かる。


《分岐案内》を起動すると、白黒まだらの足元に、細い青い線が何本も浮かんだ。

だが全部が正解じゃない。

途中で途切れている線、途中から駅のホームに変わる線、砂の下へ潜る線、雪の壁へ突っ込む線。


そのうち一番細くて、一番嫌なところを通る一本だけが、かろうじて“先”まで続いている。


「左の鈴は無視だ」

シキが言う。

「右のラベルも触るな」

「真ん中の白だけ踏め」


ユウトが顔をしかめる。

「初見で分かるか、そんなの」


「だから先に落ちたやつが案内してる」

「ありがたく思え」


言い方はひどいが、その通りだった。


一歩、二歩と進む。

足元の白い床は、角度によって駅のホームにも、研究棟の霜床にも見える。

踏み外せば、どこへ落ちるか分からない。


その時、視界の端に小さな表示が灯った。


――――

Supplemental Witness Sync Up

Past route residues partially visible

――――


「……あ?」

ユウトが立ち止まる。

「なんか見える」


「何が」

俺が問うと、ユウトは前方の空間を指差した。


「足跡っていうか、薄い線」

「お前の《分岐案内》みたいなのが、ちょっとだけ見える」


「補助証人の同期が上がったか」

シキが短く言う。

「下層は証人の方が残留ルートを拾いやすい」

「お前、前より少しは役に立つぞ」


「そこは素直に褒めろよ」


軽口の最後に、足元の床が急に鳴った。


ゴォン、と。


鐘だ。

だが頭上には鐘楼なんてない。

音だけが落ちてきて、その反響に合わせて、右側の床タイルが一斉に半歩ぶんだけずれた。


「来た!」

俺が叫ぶ。


《アーカイブ・ガーデナー》が追いついたのだ。


白い根の束を脚にして、剪定鋏、移植アーム、ラベル刻印針、観測レンズを繋いだ異形が、雪と砂の向こうから滑るように現れる。

レンズの一つひとつが、こっちを“資産”として品定めしていた。


「失敗同期を回収します」

「補助観測子を剪定します」

「未承認の選択を許可しません」


「許可なんか取るかよ!」


床がさらにずれる。

鐘楼残響由来の足場移動だ。

しかも次の瞬間、ホームの下からレール状の拘束具がせり上がり、俺の足首を狙ってくる。


「右じゃない、前!」

ユウトが叫んだ。


反射で前へ飛ぶ。

さっきまで何もなかった空中に、うっすらと薄い路線図みたいな線が見えた。

補助証人の視界に映った残留ルートだ。


助かった。


レール拘束が空振り、そのまま後方の壁へ突き刺さる。

シキが横へ跳び、低く言った。


「こいつ、俺の“Interrupted”を追ってくる」

「未完了席を優先して回収する」

「俺が前へ出る。お前らは下へ行け」


「また一人で引き受ける気か」

俺が言う。


「仕事が合ってるだけだ」


その言葉に、皮肉はほとんどなかった。

ただの経験則だった。


シキがわざと床を鳴らす。

《アーカイブ・ガーデナー》のレンズが一斉にそちらへ向く。

やはりだ。壊れた席の痕を持つシキが、一番の優先回収対象になっている。


「ナギ!」

ノアが細い声を出した。

「こっち、何かいる」


見れば、雪まじりのガラス壁の向こうに、人影が二つ映っていた。


一人はシキ。

今より少しだけ幼い。

そしてもう一人は、見たことのない少女だった。


砂色の短い髪。

薄い緑の作業コート。

右目は淡い琥珀色で、左目の奥にだけ、ノアと同じような幾何学の光が細く走っている。


エナ。


壁に触れた瞬間、映像が再生された。


『席に座れば、少しは保てる』

記録の中のエナが、静かに言う。

『落ちきる前に止められる』


『お前が核にされるだろ』

過去のシキが答える。

『保てても、それはお前の名前じゃない』


『でも、見てる人がいなくなるよりはましだよ』


そこで映像がぶつりと切れた。

ラベル削りみたいなノイズが走り、二人の輪郭が細かい文字化けに変わる。


「ログが崩れる!」

俺は即座に《凍結保存》を叩き込んだ。


青い粒子がガラス壁に広がる。

断片映像の崩壊が一瞬だけ止まる。

だが、声の続きまでは戻らない。


「あとでいい!」

シキが怒鳴った。

「今は下だ!」


その通りだ。


俺たちはさらに奥へ走る。

《アーカイブ・ガーデナー》は鐘音で足場をずらし、レール拘束で道を塞ぎ、港由来のラベル刻印針で壁面表示そのものを削って、ルートを消しにかかる。


ひどい相手だ。

でも、今まで見てきた壊れ方の寄せ集めなら、対処も寄せ集めでいい。


前方に、砂海城門の蝶番に似た半開きゲートが現れる。

本来なら左が閉鎖路、右が保守通路。

だが下層キャッシュでは、どっちも途中までしか存在していない。


「ナギ! 右の線、途中で消える!」

ユウトが言う。


「分かってる。だから左だ」

「え?」

「《通行認証》――保守通路」


青い光が、左の半開きゲートへ走る。

本来閉鎖中のルートを、一時的に“通行可”として認識させる。

すると《アーカイブ・ガーデナー》側のレール拘束も、それに引っ張られて左側へ流れた。


「管理側の経路予約を盗った!」

俺が叫ぶ。

「今のうち!」


四人で飛び込む。

背後でレールが閉じ、《アーカイブ・ガーデナー》の片腕が一瞬だけ引っかかった。


時間稼ぎには十分だ。


保守通路の先は、旧観測席の真下に当たる空洞だった。


ここだけ、音が違う。

鐘の余韻も、発車ベルも、吹雪も、全部が少し遠い。

代わりに、かすかな心音みたいなものが響いている。


ドームの中心には、壊れた観測席の下部フレームが剥き出しになっていた。

座面の裏。

焼け焦げた配線。

千切れた接続輪。

その真下に、透明な種子みたいなものが宙へ浮いている。


正確には、浮いているように見えて、まだ無数の細い線で席の残骸と繋がっていた。


視界中央に小さな表示が出る。


――――

Failed Sync Cache

Auxiliary Witness Seed Candidate

Branch ID: E-NA

Origin: N0-A / Nursery Archive

――――


「……同じだ」

ノアが、小さく息を呑んだ。

「私と」


「同一じゃない」

俺は表示を見ながら言う。

「でも同じ庭だ」


ノアは頷いた。

「音が似てる」

「私より少し古い」

「でも、同じところから切られてる」


シキが、その言葉にひどく硬い顔をした。


「やめろ」

「近づくな」


「なんで」

ノアが問う。


シキはすぐに答えなかった。

代わりに、種子の向こうに残っていた別の記録片が自動で再生された。


今度はもっと鮮明だった。


壊れる前の観測席。

白い根がまだ暴走していない。

その前に、エナとシキが立っている。


『壊すなら、全部は壊さないで』

エナが言う。

その声は静かで、変に落ち着いていた。

『あとで来た人が、選べるように残して』


『何言ってんだ』

過去のシキが怒鳴る。

『そんな余裕あるかよ』


『あるよ』

エナは少しだけ笑った。

『席は、壊しても痕が残るから』

『全部切るんじゃなくて、少しだけずらせばいい』

『そしたら、次の人は壊す以外も選べる』


『次の人、って』

『来るよ』


そこで映像の中のエナが、ふっとこちらを見た気がした。

もちろん記録だ。

なのに、今ここにいる俺たちを見ているみたいだった。


次の瞬間、席の暴走が始まる。

白い根が二人へ伸び、観測席が眩しく発光する。


過去のシキが席へ突っ込む。

壊すために。

止めるために。


だが、エナは逆に一歩前へ出た。

根に呑まれる寸前、自分の胸元から、透明な種子みたいな光を引き抜いて、壊れた席の下へ押し込んだ。


『今度は、壊す前に選んで』


映像がそこで途切れた。


数秒、誰も動けなかった。


「……残りかすじゃないな」

俺が低く言う。


シキは目を伏せたまま、何も言わない。

ただ、拳だけが強く握られている。


その静止を、《アーカイブ・ガーデナー》が破った。


保守通路の天井ごと、白い根が裂けて落ちてくる。

次いで観測レンズが三重に開き、吹雪の白、砂海の熱、温室の湿気が一気に流れ込んだ。


「補助観測子を確認」

「未承認回収を阻止します」


「くそ、来る!」


今度は逃げ道が狭い。

《アーカイブ・ガーデナー》は狭い通路でも強い。

むしろ七つの断片を混ぜやすい分、ここが本領だ。


鐘の音が鳴る。

床が半歩ずれる。

同時に、駅のレール拘束が斜め上から伸びる。

さらに観測レンズがこちらを見失った瞬間、研究棟型の位置飛びが発生し、敵の本体が一段近くへ飛んだ。


「見失うな!」

俺が叫ぶ。


「二ついるように見える!」

ユウトが返す。


「左が偽物!」

ノアがすぐに言う。

「本物は音が遅い!」


蜃気楼混成まで載せてきやがった。


ユウトが盾を左へ振りかけて、直前で止める。

右へ回す。

そこへ《アーカイブ・ガーデナー》の移植アームが激突した。


金属音。

火花。

ギリギリで本物を受けた。


「助かった!」

「いまの外したら終わってたぞ!」


終わっていただろうな。


俺は《分岐案内》で、崩れかけた床の中に一本だけ残る青線を追う。

その先に、種子の真下へ降りる細い足場があった。

ただし途中に港のラベルスクレイプが走っている。

触れればたぶん、対象識別を消される。


「シキ! あいつ、どっち追う!」

俺が叫ぶ。


「俺だ!」

シキは即答した。

「未完了席の方が優先だ!」


そして本当に、シキは一歩前へ出た。

壊れた席のフレームへ自分の左肩をわざと触れさせる。


青い罅が大きく光った。

その瞬間、《アーカイブ・ガーデナー》の全レンズがシキへ向く。


「前は壊して終わった!」

シキが、《アーカイブ・ガーデナー》を睨み返して叫ぶ。

「今回は残して終わらせる!」


その言葉と同時に、敵の植付けアームがシキへ殺到した。


俺はもう迷わない。


「なら、今度は一緒に持ち帰れ!」


《凍結保存》。

まず、種子へ繋がる細い接続線の根元だけを止める。

次に《園丁長の剪定鋏》で、赤く縁取られた偽接続蔓だけを切る。

同時に《育成偽装》を、宙に浮く補助観測子へ。


「未成熟種子」


透明な種子の表面に、ほんの一瞬だけ緑の育成タグが走る。


――――

Auxiliary Witness Seed Status:

Unripe / Nursery Hold

――――


「よし、見つかりにくくなった!」


だが《アーカイブ・ガーデナー》も止まらない。

ラベル刻印針が、今度は種子そのものの識別情報を削りにくる。


そこでユウトが吠えた。


「ナギ! 上!」


見上げる。

天井の割れ目に、港の搬送アームの残骸がぶら下がっていた。

落ちかけて、半分だけ止まっている。


「《貨物指定》――あれだ!」


対象指定。

搬送対象として、残骸クレーンが一瞬だけ青く光る。

この下層キャッシュでは、港の“まだ終わっていない搬送予約”まで生きている。


操作盤なんかない。

でも指定だけは通る。


残骸クレーンが、遅れて、しかし確実に動いた。

アームが下り、《アーカイブ・ガーデナー》の肩口を横から引っかける。


敵の体勢が崩れる。

そこへユウトが盾でぶつかる。

真正面じゃない。

押し切るんじゃない。

半歩だけ、壊れた線路の方へずらす。


「そっちだ!」


《アーカイブ・ガーデナー》の後脚が、零番線の退避路残骸へ踏み込む。

見た目は床。

でも内部は“途中で終わった路線”だ。


一拍だけ沈む。


その隙に、俺は種子へ手を伸ばした。


冷たい。

でも冷気じゃない。

ログの手触りだ。

透明な種子の内部で、小さな光が脈打っている。


ノアが、その上にそっと自分の手を重ねた。


「大丈夫」

「この音、まだこっち向いてる」


その瞬間、補助観測子の内部で、ほんの一瞬だけ人影が揺れた。

エナだ。

はっきりと顔は見えない。

でも、今度はノアと違う個体だと分かる。

同じ庭から切られていても、違う生き方をした枝だ。


「取るぞ」


俺は透明な種子を掴み、最後の接続線を鋏で断ち切った。


ぱちん。


小さな音。

それだけで、下層キャッシュ全体が一度、静かになった。


直後、システムメッセージが金色に変わる。


――――

Auxiliary Witness Seed Recovered

E-NA trace secured


Distributed Observation Requirements

All conditions satisfied

――――


「取った!」

ユウトが叫ぶ。

だがその声のすぐ後で、別の表示が重なる。


――――

Automatic Reselection Countdown: 02:24

Seat Auto-claim will resume

――――


「二分二十四秒」

シキが、息を切らしながら言う。

「感動してる暇はないぞ」


「知ってる!」


《アーカイブ・ガーデナー》が退避路の沈み込みから這い戻る。

完全には落ちない。

管理側のやつは本当にしぶとい。


でも、目的は果たした。


「戻る!」

俺が叫ぶ。

「中央へ!」


四人で下層キャッシュを駆け上がる。

今度は逃げ道が見える。

《分岐案内》の青線だけじゃない。

ユウトにも補助証人の残留ルートが見えている。


「そこ段差じゃない! 階段の残りだ!」

「右の吹雪は偽物!」

「次の鐘は床ずれじゃなくて壁回転!」


こいつ、思ったより適性があるな、と少しだけ思う。

言わないけど。


背後で《アーカイブ・ガーデナー》が追う。

鐘が鳴る。

ベルが重なる。

雪が砂へ変わり、ラベル片が舞い、植付けアームが床を抉る。


だが、俺の手の中の透明な種子だけは、もう揺るがない。


出口の白い回廊が見えた時、種子の内側で小さく音が鳴った。


最初はノイズかと思った。

でも違う。

声だ。


『今度は、壊す前に選んで』


エナの声だった。


俺は走りながら、その種子を少しだけ強く握る。


壊して終わるんじゃない。

選んで終わらせる。


なら、次は席の前だ。


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