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日曜日の午後。

街の風は暖かく、待ち合わせに遅れてきたユウは、満面の笑顔だった。


「ごめんごめん、電車遅れててさ」


「……別に」


みなみは薄く笑った。


本音では、何も感じなかった。

怒りでも、喜びでもない。ただの“無”だった。


(変だな……前まで、もっと嬉しかったのに)


ユウの隣を歩く。

歩幅は合ってるし、会話も弾む。

でも――心は、どこか“抜け落ちて”いた。


 


「……ん、目、閉じて?」


駅の裏路地。人気のない壁際。


「は?」


「記念日、近いから……その、早めの」


不器用な笑顔と、少し照れた声。

キス。

たった一秒の、軽い口づけ。


「……ありがと」


「う、うん……」


ユウは顔を赤くし、嬉しそうに笑っていた。


その横で、みなみは自分の唇に手を当てた。


(……なにも、感じなかった)


震えも、熱も、疼きもない。

心臓の鼓動すら、さっきと同じテンポ。


(……どうして)


あの屋上で――

滝沢に「次に笑った時、それが“素”じゃなかったらバレバレだから」と言われた時。


その瞬間の方が、心拍数は高かった。

全身が、ビリビリした。


(私……あのときの方が、“楽しい”って感じてた……?)


「……最低」


また、その言葉が口から漏れる。

今度は、自分に向けて。


 



 


その夜。

ベッドに寝転び、ユウとのやり取りをぼんやりと眺めていた。


【ユウ:今日ありがとー! ほんと楽しかった!】


【ユウ:来週も楽しみにしてる!】


(……悪いことしてないのに、罪悪感あるのってなんで)


みなみはスマホを裏返し、隠しアカウントでログインする。


そこに――滝沢からの新しい通知があった。


【滝沢:今日、キスした?】


「……は?」


読みたくないのに、目が滑るように文章を追ってしまう。


【滝沢:されてる顔、なんとなく浮かんでた】


【滝沢:何も感じなかったろ?】


【滝沢:違うなら、次のメッセージは読まずに消せ】


みなみの指が、止まった。


(……そんなの、知らない)


(たまたま、体調悪かっただけ)


(疲れてたんだよ。……ほんとは、ちゃんと……)


震える指で、次のメッセージを開いてしまった。


【滝沢:俺が言った言葉で、脚の奥、熱くなった時のこと】


【滝沢:それが“本能”ってやつだ。違うか?】


「……っ!」


スマホを床に投げる。

でも、言葉は脳内に刺さったままだった。


(違う……違う……)


目を閉じても、あの声が耳元で響く。


(あたし、まさか――もう…)


 



 


次の日。


学校の帰り、制服姿のまま電車に乗る。

普段ならまっすぐ帰る時間。

でも今日は、無意識に“寄り道”していた。


降りたのは、バイト先の駅。

何の予定もないのに、足がそっちへ向かっていた。


(……いるわけない。今日はシフト違うはず)


わかってるはずなのに、入口のガラス越しに中を覗く。


いない。

ほっとしたような、がっかりしたような。


(……なにしてんだ、あたし)


「お、探しに来た?」


背後から、低い声。


ゾクリと背筋が凍った。


振り向くと、滝沢が缶コーヒー片手に立っていた。


「……は? 違うし」


「顔、赤いけど?」


「うるさい。偶然だから」


「へぇ、制服でこの駅に来る偶然ってあるんだ?」


「……死ね」


「それ、四回目」


笑う滝沢の目が、なぜか優しかった。


「安心しろ。今日も触らない。まだ」


「“まだ”? バカじゃないの?」


「でも、もう“期待している”よな」


「……っ!」


図星。

なのに反論できない。

逃げようとする脚を、彼の言葉が止める。


「俺はいつまでも待つぜ」


滝沢は、それ以上なにも言わず、背を向けた。


そして、振り返りもせずに歩き去っていった。



⭐︎⭐︎⭐︎



バイト先のロッカー室。

制服を脱ぎながら、佐伯みなみは鏡の中の自分を睨みつけていた。


(今日は……絶対、何もさせない)


(向こうが話しかけてきても無視。目も合わせない)


(……もう、こんなのやめるんだ)


それが、自分への誓いだった。


だが。


「おつかれー。……久しぶり?」


不意にかけられたその声で、決意は0.5秒でぐらついた。


滝沢レン。

黒のジャケットに白シャツ、ラフな格好。

まるで“ここに来るのが偶然”かのように、自然に立っていた。


「……あんた、今日シフト入ってないでしょ」


「買い物帰り。近くまで来たから寄っただけ」


「……ふーん」


反応しないつもりだった。

でも、声を聞いた瞬間に、指先の神経が熱を持つ。


(違う……これは怒ってるだけ……)


ロッカーの鍵を回す手が、少し震える。


「最近、どう?」


その言葉で、呼吸が止まった。


(……っ、なんで……)


「……殺すぞ」


「またそれ。五回目」


ニヤリと笑う滝沢に、みなみは拳を握りしめた。

でも――殴るよりも先に、彼の顔を見つめていた。


その目が、もう知っている。

自分の反応。

声の揺れ。

目線の動き。

身体の火照り。


全部、読まれてる。


「今ならまだ、戻れるんじゃね?」


「……は?」


「彼氏に謝って、ちゃんと甘えて、距離取り直して。

 俺みたいな男、完全無視して。できるよな? お前なら」


(できる……はずだった)


なのに、みなみの足は動かなかった。


滝沢が、わざとらしく背を向ける。


「帰るわ。じゃ、頑張れよ。真面目な彼女さん」


その背中。

目の前を離れていく、あの男の存在。


ほんの一瞬――手を伸ばせば、触れられる距離。


(“自分から”なら……誰のせいにも、できない)


(でも――)


その瞬間。


 


指先が、滝沢のジャケットの袖を、つまんでいた。


 


本人すら気づかないような、弱い力で。

でも、それは確かに“触れた”という事実だった。


滝沢が止まる。振り向く。


「……へえ」


低く息を吐くような声。


「違……っ」


言葉が喉に詰まる。


「今なら、止められる。ここで手を離せば、なにも起こらない」


「……」


「でも、手を離さなかった。

 それってつまり、“お前が始めた”ってことだよな?」


 


 


その夜。


ホテルの前までは行かなかった。

けれど――駅ビルの非常階段、誰もいない隅のベンチで。


滝沢の声を、耳元で受けながら、

みなみの身体は、震えていた。


手は繋がれていない。

キスもされていない。

ただ、言葉だけが降ってくる。


「心臓、速いな」


「……っ」


「今、制服の中、どんな?」


「やめ……っ」


「湿ってる?」


「ち、が……」


「じゃあ、確かめてみろよ。自分で、触ってみろ」


その瞬間、みなみは立ち上がった。

何も言わず、踵を返して走り去った。


 


 


でも――


帰宅して、制服の下を脱いだ瞬間。

ショーツの奥、ぐっしょりと濡れていた。


自分の指で触れて、確かめる。

もう、戻れない。

“現実”で、滝沢に反応した。

“触れてしまった”のは、彼じゃない。自分だった。


(……本当に、戻れなくなった)


ベッドに倒れ込みながら、

スマホの通知が点滅する。


【滝沢:今日の顔、ずっと覚えてる】


【滝沢:また、“お前から”来い】


それを見た瞬間。

もう、スマホを投げることさえできなかった。

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― 新着の感想 ―
ちょろすぎて、何らかの特殊能力を疑うレベル。
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