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その日、彼氏のユウと映画デートの予定だった。

選んだのは、みなみの好きなミステリーサスペンス。

上映中、何度か彼が手を握ってくれようとしたけど――みなみは、うまく応えられなかった。


(なんで……?)


目の前のスクリーンに集中しようとしても、頭のどこかで、別の“声”がこだましていた。


《……本当は、自分でも気づいてんじゃないの?》


(違う。違う……あたしは……)


隣でユウが小さく笑う。

それだけで、みなみはいつも安心できた。

けれど――今日は、その笑顔がやけに“幼く”見えた。


(あたし、なに考えてんの……)


ブロックしたはずの男のことを、どうして。

もうLINEも届かないし、会う理由もないのに。


「……みなみ、今日あんまり元気ない?」


上映後のファミレス。ユウのその言葉に、みなみはハッとする。


「……別に。普通」


「映画、つまんなかった?」


「違う。ちょっと寝不足なだけ」


(本当に、寝不足。……あんな夢、見なきゃよかった)


 



 


――昨夜。


夢の中、みなみはまたあの屋上にいた。

風が強くて、髪が揺れて、缶ジュースが床を転がっていた。


そこに立っていたのは、滝沢。

いつもの軽薄な笑みじゃなく、妙に冷たい目をしていた。


「……触ってないのに、どうして震えてんの?」


そう言って、スカートの裾に手を伸ばした――


「っ、……やだ……っ」


――目が覚めた。

汗ばんだ額と、胸の奥に残るザワつき。

そして、シーツの下で“濡れている”自分の身体。


「……最低……あたし、最低……っ」


その瞬間、スマホを手に取って滝沢をブロックした。

通知が来るたびに、心が乱れるのが怖かった。


でも。

今のほうが、ずっと怖い。


(……夢にまで出てきて、何が“ブロックした”だよ)


(どうかしてる)


 



 


「なあ、来週の記念日さ、どこ行きたい?」


「え?」


ユウの声で現実に戻される。

ファミレスのテーブル。ポテトの油の匂い。


「水族館? それとも映画、もう一回とかでもいいけど」


「……考えとく」


「そっか。……最近、みなみ、なんか変じゃね?」


一瞬、心臓が跳ねた。


「は? 変ってなに。」


ユウは、少し困ったように笑った。


「……なんか、心ここにあらずって感じ」


「……」


否定できなかった。


(全部……顔に出てんの?)


(違う。気のせい。あたしは、ユウが好きで……)


でも。

スマホに映るユウの笑顔と、夢の中で見た滝沢の目が、脳内で重なった。


 



 


その夜。


スマホを持ったまま、ベッドに横たわる。

ロック画面には、ユウとのツーショット。

花火大会のときの写真。嬉しそうな笑顔。


でも、どこか“子どもっぽい”と感じてしまう。


(あたしは、いつから……ユウを“守ってる”つもりになったんだろう)


(“安心できる相手”を選んで、そこで止まってるだけなんじゃ……)


通知は鳴らない。

滝沢は、もうLINEすら届かない位置にいる。

ブロックして、遮断した。だから、もう終わりのはずだった。


それなのに。


《……次に笑った時、それが“素”じゃなかったら……バレバレだから》


あの声が、耳にこびりついて離れない。


「……なにがバレバレよ。キモ」


吐き捨てるように言った声が、震えていた。


 



 


週明け。


バイト先のシフト表を見て、足が止まる。


(金曜、被ってる……)


滝沢の名前。

自分と、たった30分だけ。

それだけの重なり。なのに。


(……顔、合わせたくない)


そう思うはずだった。

なのに、同時に胸の奥が“疼いた”。


(……どうせ話しかけてくるんでしょ。

 また、こっちのこと見透かしたような顔して……)


みなみは自分の心が“待ってる”ことに、気づきたくなかった。


でも、気づいていた。


そして――その“30分”が、決定的な一歩になるなんて。


このときの彼女は、まだ知らなかった。


⭐︎⭐︎⭐︎

 


バイト終わりの21時15分。

タイムカードを押した瞬間、みなみの背筋がこわばった。


「お疲れ」


聞き慣れた、低くて間延びした声。


滝沢レン。

ブロックして、無視して、忘れたはずの男。

それなのに。


「……あんたも、今日いたんだ」


「シフト表、見てなかったの? 珍しい」


「見た。30分だけだから無視できると思った」


「でも、無視できてない。ちゃんとこっち見たし」


「は?」


睨むように顔を向けたのに、彼はまるで挑発するように笑った。

その笑い方が、ほんの少しだけ心臓に引っかかる。


(……違う。これは腹立ってるだけ)


「バイト、辞めれば? 俺の顔、見たくないなら」


「その手には乗らない。逃げたと思われたくないし」


「へぇ、偉いね。そういうとこ、嫌いじゃない」


「殺すぞ」


そう吐き捨てて、更衣室へ向かう。

でも背中には、ずっとあの視線が刺さっていた。


見られている。

見透かされている。


“また来るだろ”という確信を、奴はもう持っている。


それが、腹立たしいほど悔しかった。


 



 


「佐伯さん、今、休憩終わったとこっすよね? ちょっと発注確認してもらっていいすか?」


厨房で、バイトリーダーの小島が声をかけてきた。


「あ、はい。すぐ行きます」


紙を手に厨房に入った瞬間。

隣にいたのは――滝沢だった。


「……邪魔だからどいて」


「いいけど、通るとき胸当たんじゃね?」


「死ね」


反射的に言ったのに、滝沢は笑いもせず、こう言った。


「それ、もう三回目」


「は?」


「“死ね”って言葉。お前、俺にだけ言う。……しかも、目を逸らさないまま」


「だから?」


「つまり、それって信頼されてるってこと。

 他人に“攻撃”できるのは、心許してる証拠。知らなかった?」


「……っ」


何も言えなくなった自分に、軽く肩をすくめて通り過ぎていく。


その肩が、ほんの数センチ、触れそうで触れない距離。

それだけで、背中が粟立った。


 


(なんで、あたし……)



 


閉店後。


みなみがロッカーで着替えていると、スマホに通知が入った。


【滝沢(新アカウント):「よ!」】


「……っ」


怒りよりも先に、喉が詰まった。


(なんで……ブロックしたのに、また……)


既読をつけてしまったことに気づいたのは、1秒遅かった。


すぐさま、通知が返ってくる。


【滝沢:今どんな顔してる?】


【滝沢:耳、赤い? それとも、脚組んでんの?】


 


スマホを閉じた。

でも、顔が熱くなるのは止められなかった。


更衣室の鏡に映る自分。


制服の胸元が、ほんの少し上下している。

鼓動が、はっきり見て取れる。


(……気のせい、だよね)


でも――


脚の付け根が、じんわりと湿っていた。


「……嘘」


彼には触れられてない。

指一本、爪の先ほども触れられてない。

声をかけられただけ。言葉を投げられただけ。


なのに、身体が反応してる。


(こんなの、あたしじゃない)


(こんなの、認めたくない)


「……最低」


自分に向けて呟いた言葉が、やけにリアルだった。


 



 


帰り道、駅のホーム。

誰もいないベンチに腰掛け、スマホを見つめる。


【ユウ:今日お疲れ! 会えなくて寂しいけど……無理しないでね】


優しいメッセージ。

文末の絵文字も、あたたかい。


なのに――


(なにこれ、こんな“やさしさ”じゃ、心が動かない)


そう思ってしまった。


ほんの数ヶ月前までは、これだけで幸せだった。

でも今は、“もっと強い刺激”に身体が慣れ始めている。


たった数回の会話。

たった1通のLINE。


なのに、もう、“戻れない”。


その予感が、胸の奥を静かに満たしていく。


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