表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

1

「……は? あんたみたいな軽そうな男、無理だから」


真顔でそう言い放ったのは、バイト初日だった。

新しく入ってきた高校生――佐伯みなみは、ひと目見ただけで「絶対面倒くさいタイプ」だと感じた。


その顔。その態度。その眼。


滝沢レンは、思わず笑ってしまった。


「いや、ちょっと挨拶しただけなんだけど」

「“ちょっと”がウザいんだけど」

「へえ、強気だね。彼氏いんの?」


「いるけど、あんたに関係ない」


その返し。速さといいキレといい、ドンピシャだった。


(こいつ、落としたら絶対おもしれーな)


滝沢の中で、火がついた。


彼女がピンと張ったプライドの糸。

それを少しずつ、音もなく緩めていく作業は、彼にとっては“娯楽”だった。


 



 


「お前、最近バイト多くね?」


彼氏・岸田ユウは、スマホを見ながらそう言った。

カフェでの待ち合わせ。制服姿のまま、ポニテを揺らしてみなみが現れる。


「は? お金かかんの、色々。あんたの誕生日も近いし」


強い口調。でも、その中にある優しさを、ユウは知っている。

彼女は、好きな相手にこそ甘くなれないタイプ。

素直に「好き」なんて言えない。でも、態度で出す。


「ありがと。でも、無理すんなよ?」


「……あー、ほんっと、優しすぎてムカつく」


頬を赤くしてそっぽを向く彼女の手が、滝沢に握られる日が来るなんて。

このときのユウは、微塵も思っていなかった。



⭐︎⭐︎⭐︎


閉店後のカフェ。

店内には掃除機の音と、アイスの冷凍庫がうなる低いモーター音しかなかった。


「お疲れー」


「……お疲れ」


無愛想な返事。

佐伯みなみは、今日も変わらず塩対応だった。


制服の上からエプロンを脱ぎながら、後ろのポニーテールを解く。

その仕草すら、滝沢レンの目には妙に艶っぽく映った。


「さっきの客、ガム落としてったな。床ベタベタだわ」


「あー、あれ? 気づいてたけど、先輩が気づくかなーって見てた」


「おいおい、俺パシリじゃねーんだけど?」


「いや、パシリでしょ。どう見ても」


ため息をつくフリをして、滝沢は笑った。

ほんの少しだけ、手の届く距離に近づいて。


「ねぇ」


「ん?」


「彼氏とは順調なん?」


一拍置いて、みなみが睨んできた。


「キモ。なんであんたに報告しなきゃいけないの?」


「いや、気になっただけ」


「気にすんな。順調。以上」


「そっかー。……じゃあ、そいつとはもう、ヤったの?」


バチンと音が鳴った。

振り返りざま、みなみの指が滝沢の肩を小突いていた。


「マジで一回ぶっ飛ばされてみる?」


「いや、冗談冗談。……って顔じゃないな。ごめんって」


「……うっざ」


でも、怒ってるわりに、耳がほんのり赤い。


それが面白くて、滝沢は掃除のモップを持ちながら一言。


「処女か、処女じゃないかなんて、どうでもいいって。

 俺が知りたいのは、あんたが誰かに溶かされるとこ」


「……は?」


低い声だった。


「誰にも負けない顔してるクセに、実は“女”としての扱いに慣れてない。……そういうの、わかるんだよね、俺」


「勘違い、しないで」


にじり寄る距離感を、みなみは睨み返す。


「私、あんたみたいなチャラい奴にビクともしないし、

 “自分に自信ある女はスキがある”とか、安い読みしてくるタイプ、一番ムリだから」


その目は確かに強く、鋭い。

でも。


そのあと、モップを片付けようとした瞬間。

たまたま触れた、滝沢の手の甲。


「……っ」


一瞬、ビクリと跳ねた指先を、滝沢は見逃さなかった。


「お? なに今の。まさか、触れただけで……?」


「は、触れたくらいで、何勘違いしてんの……?」


言いながら、彼女は一歩引いた。

ほんのわずかな距離。でも、目はそらさない。

口は強くても、指先の震えが嘘をつけてない。


「……へぇ。おもしろ」


そう呟いた滝沢の目に、みなみは初めて“ゾクッ”としたものを感じた。


この男、ただのチャラ男じゃない。

人の表情と呼吸と、心の隙間を読むのが上手すぎる。


(ムリムリムリ……こいつ、ほんとヤバい……)


「とっととロッカー戻って。あんたと一緒とか、吐き気するから」


毒を吐いて、みなみは更衣室に消えた。


その背中を見送りながら、滝沢はポケットのスマホを取り出した。


開かれた画面には、バイト中に撮られた“うっすら頬を染めるみなみ”の横顔。


「へぇ……初日から睨んできたクセに、そんな顔すんだ」


画面をスライドして、もう一枚。

笑顔のつもりが引きつってる、でもどこか“女”を意識した表情。


(ちょっとずつでいい。あと2週間あれば、崩れるな)


滝沢の中ではもう、勝負は始まっていた。


 



 


帰り道。

スマホにメッセージが届く。


【ユウ:今日もバイト? おつかれ! 明日会えたら嬉しいなー】


【みなみ:ムリかも。疲れてるし】


絵文字も、ハートもなし。


指を止めて、送信。

一瞬、スマホ画面に滝沢の顔が浮かんだ。


(……なんで、思い出したの、今)


悔しいような、気持ち悪いような、でも――

どこか、刺激的だった。


⭐︎⭐︎⭐︎


「なぁ、今日ってこのあと暇?」


バイト終わりの更衣室。

佐伯みなみがスカートのシワを整えていると、背後からぬるりと滝沢の声が落ちてきた。


「ない」


「冷た。まだ誘ってすらないんだけど」


「誘う気満々の声してた。無理」


「あーもう、そこまで読まれてたら逃げ道ねーじゃん」


「逃げ道なんかいらないでしょ。どうせ口説けたらラッキーくらいにしか思ってないんでしょ?」


「……まぁ、否定はしない」


そのあっさりした肯定に、みなみは思わず笑った。


「最低」


「うん、自覚はある。でもさ――“話すだけ”なら、よくね?」


「……は?」


「このビルの上、テナント全部閉まってるから人いないし。屋上、けっこう風気持ちいいよ。鍵も俺持ってる」


「屋上?」


「うん。別に変なことしないって。話すだけ」


みなみは一瞬だけ、沈黙した。


(屋上、か……)


学校にも家にもない、誰にも見られない空間。

ほんの数分、涼むだけ。話すだけ。

――それくらいなら。


「……五分。マジで話すだけ。触ったら蹴る」


「はいはい、触りませんって」


 



 


「おー、風あるな。夜景もちょっとだけマシかも」


屋上には、使われてない送風機と、コンクリ壁。

夜の空気はほんの少し湿っていて、肌を撫でる風が心地よかった。


「な?」


「……まぁ、悪くはない」


「でしょ? ほら、ジュース」


「ありがと。……って、自販機こっちにあったの?」


「いや、買いに行ってた。俺、今日チャンスだと思ってたから」


「は?」


「今日、いつもより口数少なかったし。たぶん疲れてたでしょ? こういう時って、女の子のガード、ちょっとだけ甘くなるから」


「……マジでぶっ飛ばすよ?」


「やめて、モテなくなっちゃう」


くだらないやりとり。

でも、不思議と苛立ちはなかった。


(なんで……こいつと話してると、彼氏といるときより……)


「なあ」


「……ん?」


「彼氏と、どこまでいってんの?」


「……は? 何言って――」


「キス止まり? それともやってんの?」


「……っ、ほんっと最低」


みなみがジュース缶を床に置く。

すぐに帰ろうとしたその時――


「なあ待てよ」


滝沢が、急に声を落とした。


「処女とか非処女とか、そういうのどうでもいいし。……たださ」


「……なに?」


「俺から見ると、あんた、無理して“守ってる側”に回ってるだけっていうか……

 本当は、自分でもわかってんじゃないの?」


その一言で、空気が変わった。


みなみの表情から、一瞬だけ“余裕”が消えた。


「……帰る」


「いいよ、止めない。けどさ」


「……なに」


「俺はもう、“あんたの表情”ひとつひとつ、全部覚えたぜ。んで、次に笑った時、それが“素”じゃなかったら……バレバレだから」

「……っ、……」


足音だけが、屋上に響いた。


 



 


その夜。


みなみは、ベッドの上でじっと天井を見ていた。


(なんで……あいつの言葉、あんなに引っかかってんの)


(ユウのこと、好きだし……安心するし……優しいし……)


でも、“あいつ”に言われたことを思い出すと、心がざわつく。

あの目。あの声。

“見抜かれてる”感覚が、頭の奥でずっと残っていた。


(あたし、別に……濡れたりなんか……)


そう思おうとした瞬間、自分の脚の間が――ほんの少し、熱を持っていることに気づいた。


「……うそ」


 



 


次の日。

滝沢からLINEが来た。


【滝沢:今日も屋上来る?】


【みなみ:行かない。てかブロックすんぞ】


【滝沢:そっか。昨日の顔、可愛かったよ】


みなみは即ブロックした。


けれど――そのメッセージは、画面に焼き付いて離れなかった。


(アイツ……なんで、あたしの顔なんか……)


鏡を見た。

いつも通りの自分。

でも、目だけが、どこか“期待”していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ