#16ソノ手ノヌクモリヲ知ラズニ
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凪と斎、ふたりきりの会話です。
あの夜、ようやく向き合いはじめたふたりの本音と、心のすれ違い。
「守る」という言葉の意味が、少しずつ変わっていくきっかけになればと思って書きました。
凪は、すこしだけ警戒した目つきで斎を見る。
だけど、先ほどのくずもちの甘さが残っていたからか、拒絶の色は薄い。
「……何?」
斎は一瞬きょとんとし、それから気まずそうに目を伏せる。
「……先日、凪様の意志を聞かずに行動したこと。あれは……」
「“器”を、任務として守ったんだろ?」
凪の声は静かだった。
感情を乗せないぶん、斎の胸にずしりと沈む。
「……いえ。私は、あなたを“器”としてではなく、あなた自身として――守りたかった」
「俺を?」
「はい」
迷いのない声。けれどそれは、無意識に空回りしてしまうほどに不器用だった。
凪はしばし視線を泳がせてから、ふと口元をゆるめた。
「守りたかった、か……」
こっそり会話しているつもりだったが――
「(うわ、先生、真顔で告白みたいなこと言ってる……)」
「(空良、声小さくって!)」
「(でもマジで今のはキュン案件じゃない?)」
「(だまって……!)」
ミニキッチン側からひそひそ声の応酬。すべて聞こえている。
凪は、ちらりと目線を後ろにやって、ため息をついた。
「……壁、ないからな、ここ」
「申し訳ありません」
「……それだけ、俺に伝えたかったんだよな?」
凪が、視線を手元に落とす。
「……はい」
わずかな沈黙の中にも、コソコソ声がまだ続いている。
「……俺、いえ、私は、昔から口下手で。生前、それで誤解されることもありました」
「だろうな」
「……人の心に触れるのが怖くなって、距離を置いて……結局、仕事に逃げたんです」
「くずもち、すごかったもんな」
「……恐れ入ります」
また、短い沈黙がふたりの間に落ちる。
また、短い沈黙がふたりの間に落ちた。
「今、ちょっと“俺”って言ってた?」
「……気のせいです」
「ふーん。気のせい、か」
(「先生、今“俺”って言ってた」「空良、ほんとに黙って」)
「じゃあ、俺の話も、聞いてくれる?」
「……え? は、はい」
思ってもいなかった問いかけに、斎がわずかに上ずった声を返す。
「俺は、生まれた時には“器”になることが決まってて、この先もずっと“器”として生きるのが役割だと思ってた。
”器”に感情は不要。揺れてはいけない。須皇 凪は“器”の名前だと、そう思ってた」
「……」
「触れられたら、近づかれたら、今までの俺が壊れてしまう気がして。だからずっと、距離を置いてきた。
俺も、逃げてたんだと思う。人の心から」
斎は、じっと凪を見つめていた。
凪は続ける。
「……そこのお節介な友達が、教えてくれたよ。心を閉じてるつもりでも、誰かは見てるって。」
「……蘇芳先生も、柚月さんも、空良さんも……皆さん、凪様を大切に思われていますから」
凪が顔をあげ、斎と視線を合わせた。
琥珀色の瞳が、斎の心の奥をじっと見透かしている。
「あんたは?」
「え?」
「あんたは、俺のこと……どう思ってる? さっきは“守りたかった”って言った。じゃあ、今は?」
「……守るべき人だと、思っています」
「それは、任務だから?」
「っ……違います! あなただからです!」
斎が声を荒げ、凪に身を乗り出す。
なぜこんなにも必死になるのか、自分でもわからなかった。
「篠森先生」
「……はい」
「いい大人が、そんな泣きそうな顔するなよ」
凪がふと、斎の頬に手を添えた。
体温が伝わり、斎の心臓が跳ねる。
「なぁ……篠森先生」
「なんでしょうか」
「俺のこと、“凪”って呼んでくれる?」
「……それは、ちょっと、まだ……勘弁してもらえないでしょうか」
「……あんた、本当の名前、なんていうの?」
少しむくれたように語尾が強まる。
「斎、です。篠森は、生前の名字です」
「じゃあ、斎」
「……はい」
名を呼ばれた瞬間、斎の心が一拍跳ねた。
「俺は“斎”って、あんたの本当の名前を呼んだ。あんたは? 俺のこと、なんて呼ぶ?」
――なんて目をするんだ、この人は。
学校で見せる優等生ぶりは影を潜め、今の凪はすべてを見透かす絶対者のようだった。
「……“凪さん”で、勘弁してください」
「仕方ない、及第点てところかな」
ふぅ、と凪が深くため息をついた。
「……あんたを信じるには一つ、条件がある」
「なんでしょう」
「綾女さんに、“監視”と“見守り”の違いを教わってくれ」
「……はい」
凪がにこりと笑って、斎の耳元でそっと囁いた。
「ありがとう」
その一言が耳の奥に残る。
斎の身体が、微かに震えた。
凪が、静かに斎にもたれかかる。
「な、ぎ、さん?」
荒い息遣い。明らかに、熱がぶり返している。
「蘇芳先生!」
「はいはい」
手をふきながら、綾女が近づいてくる。
「まったく……素が隠せなくなるほど辛いのに、無理するから」
凪を寝かせ直し、額に手を添えた綾女は、スマホを取り出してミニキッチンへ戻っていった。
「え、これ、両思いじゃ……」
「空良ほんと黙ってて……」
「でもいい感じだった! なんか途中に冥府? 名前? え、あれ何だったの?」
「……俺が説明してやるから」
すでにコソコソ話ではなくなった声量で、柚月と空良が騒いでいる。
不器用者同士の心が、少しだけ近づいた。
けれどこのぬくもりが、いつまでも続くとは限らないことを、
凪も、斎も、どこかでわかっていた。
「俺、いえ、私は――」
斎の一人称が揺れるこの場面が、個人的にもとてもお気に入りです。
凪の問いかけと、斎の答え、そして“呼び名”のやり取りがふたりの距離を静かに、でも確実に縮めていきます。
けれど、やっと少し近づいたそのぬくもりの中に、次なる“ざわめき”が忍び寄って――。
ここから、第三章が本格的に動き出します。