#15和菓子ト少シノ距離
※毎日12時に更新しています!
凪が少しだけ元気を取り戻し、綾女・柚月・空良たちとの再会を果たす回です。
くずもちを通じて、久々に“普通の高校生”のような時間が流れるなか、斎もまた、少しずつ自分の気持ちと向き合い始めます。
ほんのり甘くて、ちょっぴりぎこちない、そんな距離感をお楽しみください。
朝の空気が、まだ冷たい。通学路へ向かう生徒たちのざわめきが徐々に増していく。
職員室では、教師たちが授業の準備を始めていた。
保健室に迎う綾女を斎が呼び止めた。
「……蘇芳先生、少しよろしいでしょうか」
呼び止められた綾女は、ふと眉を上げる。
「なに? 朝から真面目な顔して」
斎は一呼吸おいてから、静かに口を開いた。
「……凪様と、少し話をしたいのです。放課後、伺っても構いませんか」
綾女は一瞬だけ沈黙し、目を細めた。
「……今はあまり近づくなって、言ったわよね」
「承知しています。ただ、それでも今、話をしないとと思いまして」
その真摯な声音に、綾女は視線を外し、肩をすくめる。
「……あぁもう、こじらせてるわね。まあ、いいわ。今日は凪も熱が落ち着いてきてたし、放課後に一緒に行きましょう」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる斎を見て、綾女は呆れたように小さく笑った。
***
昼休み。校舎裏のベンチにいた柚月と空良のもとへ、斎が歩み寄ってきた。
「柚月さん。放課後、凪様と少し話すことになりましたので、ご報告までに」
食べかけのパンを口にしながら、柚月は一瞬ぽかんとしたあと、笑い出した。
「先生、律儀すぎ。報告って……」
横からひょこっと顔を出し、空良が騒ぐ。
「えっ!? 凪くんのお見舞い!? 行きたい行きたい!」
弾けるように喜ぶ空良に、柚月が慌てて「落ち着け」と手を振った。
「空良、ちょっとそれ綾女先生に聞いてからな」
「うん! 今すぐ聞いてくる!」
そう言うが早いか、空良はパンを柚月に押し付け、保健室のある校舎へ駆けていく。
斎はその様子を見送りながら、ふと呟いた。
「……私自身、戸惑っています。話すということが苦手なので」
柚月は少しだけ目を細めて、斎に向き直る。
「……伝わるといいな。先生の言葉」
*
ホテルの高層階にある静かなスイートルーム。
凪はベッドに寄りかかるようにして座っている。
うっすらとした微熱を抱えながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
知らない天井。けれど、本家の閉ざされた地下の部屋とは違う、開かれた空間。
どこか、夢を見ているような感覚だった。
控えめなチャイム音。扉が開き、綾女が先頭に立ち、柚月と空良、そして斎が入室する。
「凪、少し、いいかしら」
綾女の後ろで、空良が小さく手を振る。
「凪くん、お見舞いに来たよ!」
凪はベッドから降りようとして、すぐ綾女に止められた。
「寝てなさい。まだ熱はあるんだから」
「……はい」
綾女が手にしていた保冷袋を空良に渡す。
「宮坂さん、篠森先生の手土産。出すの手伝ってくれる?」
「はーい!」
部屋に備え付けられたミニキッチンで、綾女と空良が何やらカチャカチャと始めた。
「今日は夕焼けが見えるんだ!なんか別世界って感じだよな」
「ずっと、外を見てるけど全然飽きない」
「……そりゃさすがに飽きるだろ」
凪と斎の会話を背中越しに斎が聞いている。
(一年か……柚月さんは優しい。俺にも、あんなふうに話すことができるだろうか)
「見てみてー!きれいにできたよ!」
空良がトレーから、テーブルに配膳する。
「凪くんの分は持っていくから待ってて」
空良はにこにことベッドに近づき、小さなガラスの皿に一口大のくずもちを取り分けて差し出した。
「凪くん、食べられる? すっごくおいしいの。ほんとに!」
「なんで、もうおいしいって知ってんだよ、空良」
「えへへ、ちょっとつまみ食いしちゃった。職員室の冷蔵庫で冷やしてくれてたんだって」
柚月はあきれたように、ため息を一つこぼした。
差し出されたくずもちを、 少し迷ってから、凪はおそるおそるそれを口に運んだ。
ひんやりとした葛の感触。ほのかな甘さと黒糖のコクが広がる。
「……おいしい」
ぽつりと呟いたその声に、空良がぱぁっと表情を輝かせる。
「でしょでしょ! ね、綾女先生!」
「ええ、本当に美味しいわ。丁寧に作られてる」
柚月も遠慮がちに一つ摘まむ。
「スーパーで買ったのしか食ったことなかった。本物のくずもちって、こんな味なのか……」
斎が静かに補足する。
「葛は漢方薬としても用いられます。解熱作用もありますし、黒糖にはミネラルが豊富で、今の凪様には最適かと」
「へぇ……先生、詳しいんだな」
もぐもぐと口を動かしながら、柚月が感心したように言う。
綾女がふと首を傾げる。
「これ、どこで買ったの?」
斎はほんの一瞬、言葉を選ぶ間を置いてから、静かに言った。
「私が、作りました」
一同、沈黙。
「「……は?」」
凪すらも、わずかに目を丸くした。
綾女と空良が、ミニキッチンの方へ戻ったのを確認してから、
柚月も空気を読んで、綾女と空良の後を追い、ミニキッチンへ消えていった。
空気が一息ついたところで、斎がそっと言葉をかける。
斎は静かに凪の傍に腰を下ろした。
声を落としながら、けれど視線だけはまっすぐに。
「……少しだけ、お時間をいただけますか」
斎の声は静かで、けれどどこか切実だった。
凪は、短くうなずいた。
今回は“癒し”と“会話のはじまり”の章でした。
斎のくずもちの正体(?)に一同が驚いたり、空良たちの聞き耳隊が活躍したり、柔らかい空気の中で物語が少しだけ進みました。
次回は、そんなひとときの裏で、また静かに動き始める“何か”が現れます。