#14記録官ノ証言
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須皇凪が「器」として正式に確認されたその日から、幾つもの運命の歯車が軋みはじめた。
記録官・玄路が語る“過去”と、斎と凪が歩みはじめた“現在”は、果たしてどこで交差するのか。
静かに進む夜の中で、それぞれが見つめるものとは──
そこは、静謐な空間だった。
現世と冥府の狭間にある、記録官専用の“補間の間”。
そこにあるのは、書棚に並んだ記録簿と、中央の机。
そして、記録官・玄路が静かに佇んでいた。
「……ようこそ、志乃原いぶき君」
静寂に包まれた記録院の奥、紙の匂いと香の煙がわずかに漂う空間で、いぶきは対面する男の姿を見つめていた。冥府の記録官・玄路。その隻眼は、古い記録の束の一点をじっと見据えている。
「……今の“器”、須皇凪か」
玄路の低い声に、いぶきは小さく頷いた。
「はい。百二十年ぶりの“器”です。ただし、あくまで表向きは……。彼の出自が少し気になり調べに来たのですが、記録に妙な点がありまして」
「……ああ、俺がやった」
さらりと認めたその言葉に、いぶきのまぶたがわずかに動く。
「随分とあっさりですね。自白、録りますか?」
「冗談にしておけ。現世の記録係」
口調は穏やかだったが、その声音には確かに芯があった。
「“記録”とは、あくまで事象の後追いにすぎない。書き換えれば、過去の認識も変わる。だが――」
玄路は、一枚の紙束を取り出す。その最上段に記されていたのは、“明璃”という名だった。
「記録に残らない“想い”まで、書き換えることはできないんだ」
いぶきが目を細めた。
「……先代の、“器”?」
「須皇 明璃。かつて俺が担当していた“器”だ。……優しすぎる子だった」
「優しいだけで壊れるんですか?」
「器は、“冥裁の門”と向き合い続ける存在だ。祈り、捧げ、背負い続ける。……人としての感情を抱えたままでは、いつか軋む」
淡々と語りながらも、玄路の声には、わずかな濁りが滲んでいた。
「……俺は、あの子を管理しきれなかった。“器”ではなく、“人”として見てしまった。だから、止めることもできず――最後は、俺の手で封じた」
その言葉に、いぶきの表情が硬くなる。
「……それで、“感情のない管理者”が必要になった。あなたが斎を選んだのは、その反動、というわけですか」
「……ああ。斎は、和菓子の修行に没頭していたような、静かな男だった。人に深入りせず、感情を抑え込み、ただ役割に従って生きていた。記録を読んだ限り、“器の傍に立つ者”としては理想だった」
「……ご自身の経験も踏まえて?」
「そうだ。あれ以上、同じことは繰り返したくなかった」
だが、と玄路は視線を上げる。
──一方その頃。現世。
仮住まいの簡素な和室。台所に灯る淡い明かりの下、斎は葛を練っていた。柚月に「甘いものでも持って行ってみれば」と言われ、手に取ったのは昔ながらの葛粉と黒蜜。
手間のかかる菓子だ。しかし、無言で想いを込めるには、これが一番いいと思った。
(……今は、会えない)
湯気の向こうに浮かぶのは、凪の姿。
(だが、明日は……ちゃんと、言葉で伝えよう)
そんなことを思う自分に、思わず苦笑する。かつての自分なら、誰かを思って菓子を作るなど──考えもしなかった。
そしてその夜、夢の中で凪は、記憶の断片を垣間見ていた。
誰かの声。迫ってくる闇の気配。
言葉にならないざわめきの中、目が覚める。
そこには、変わらぬ天井。
自分の中で、何かが確かに動き始めている。
──補間の間。
再び、記録官・玄路の言葉が落ちた。
「皮肉なことに、俺が“感情を捨てた管理者”として選んだはずの斎が……器の“人間としての声”を、聞こうとしている」
「それは……失敗では?」
「いいや、むしろ“兆し”だ」
玄路は口元にかすかな笑みを浮かべる。
「あそこまで不器用な男も珍しい。だが、だからこそ、斎は変わる。
生前、あいつは人に興味を持たず、誰かを“想う”ということもなかった。
けれど今、須皇凪という少年に触れて──初めて、“誰かを守りたい”と願い始めている。初めから"人"として見ていた俺とは覚悟が違う」
「……情が深くなれば、また壊れるのでは?」
「記録では、そうだった。だが、記録だけではわからないこともある。
過去は紙に残るが、未来はまだ白紙だ。……それを紡ぐのは、俺たちではない。あいつらだ」
記録官の眼差しは、書物の束ではなく、扉の向こう──現世に向けられていた。
“記録”に残らない想いが、時として人を変えていく。
記録を管理する者。冥府の玄路。政府側の息吹が初登場しました!
過去に囚われながらも未来に託す玄路と、まだ不器用なまま進もうとする斎。
そして、ただ生きるために感情を切り捨ててきた凪が、ほんの少しだけ未来を見た夜。
次回、再び日常が動き始めます。