第8話【空腹】
「また人間か……私の住処に勝手に入り込み、何をしようというのだ?」
その声はまるで地の底から湧き上がるような重低音で、アリアの心臓が一瞬止まりかけた。それでも彼女は動じることなく、深く息を吸い込んで応えた。
「私はこの近くの国に住むヴェルノーク・アリアと申します。この地を私たちは開拓地して、新しい街を築こうとしています。ここを皆が安心して暮らせる場所を目指しているのです。」
彼女の言葉に、ドラゴンはゆっくりと頭を動かし、さらに冷たい眼差しで睨みつけた。
「人間がこの近くにいるなど、断じて許さぬ。早々にお前たちはここから立ち去れ。」
ドラゴンの強い拒絶に、アリアは一瞬たじろいだ。だが、それでも諦めるわけにはいかない。彼女は少し躊躇しながらも、穏やかに尋ねた。
「もし、よろしければ……何故、人間をそこまで憎まれるのか、教えていただけないでしょうか?」
しばらくの沈黙が続いた。ドラゴンは彼女の問いにすぐには答えず、ただ静かにアリアを見つめていた。その瞳の奥には、深い悲しみと憎しみが渦巻いているかのようだった。
やがてドラゴンは視線を外し、ぽつりと語り始めた。
「……昔、人間と魔王が戦ったときのことだ。私は当時、勇者に仕えていた。あの者は非常に強く、何よりも心優しい存在だった。人間でありながら、魔族であっても無駄に殺さず、優しく接していた。私はその姿に心打たれ、彼に忠誠を誓ったのだ。」
その声はどこか遠い記憶を辿るように、かすかに震えていた。アリアは息を飲み、ドラゴンの言葉に耳を傾けた。
「我らは幾たびも戦場に立ち、共に命を懸けて魔王軍と戦い抜いた。そして、ついには魔王を打ち倒すことに成功した。しかし、魔王討伐後――私の役目が終わると同時に、勇者もまた国に戻り、英雄として讃えられるはずだった……」
ドラゴンの声には、次第に苦渋が滲み始めた。アリアは胸の奥に締め付けられるような感覚を覚え、ただ黙って彼の話を待った。
「だが、やがて世界は彼の力を恐れ始めた。あまりに強すぎる彼は、脅威と見なされ、半ば追放される形で国外へと追いやられたのだ。世界を救った英雄が――」
その瞬間、ドラゴンの瞳に悲しみが浮かび上がった。その悲しみは深く、彼が抱える憎しみの理由がアリアにも伝わるようだった。
「他の国でも同じことが起こった。そして彼は、孤独に心を病み、最後には自ら命を絶ってしまったのだ……」
アリアの胸に重たい感情が押し寄せた。魔王を倒し、世界を救った英雄が、その後孤独の果てに自死してしまったという悲劇。それを見届けたドラゴンの心中を思うと、言葉が出てこなかった。
やがて、アリアはそっと尋ねた。
「……他に、勇者の仲間はいなかったのでしょうか?」
ドラゴンは静かに首を横に振り、寂しげに答えた。
「最初はいた……だが、勇者が持つ英雄のスキルがあまりに強すぎたこと、そして私がいれば、ほとんどの魔物には対処できたため、仲間たちは役割がなくなってしまい、離れていったのだ。」
その言葉に、アリアは強い悲しみと共に、怒りさえも感じた。国が、そして人間が、彼を孤立させ、追いやったことに対するドラゴンの憤りも痛いほど理解できた。
その時、突如として洞窟内に鈍い音が響き渡った。
「……!」
アリアは驚いて辺りを見回したが、音の原因はすぐに判明した。それはドラゴンのお腹から聞こえた音だった。ドラゴンは少し恥ずかしそうに視線を逸らし、体を小さく丸めた。
アリアは戸惑いながらも、恐る恐る尋ねた。「もしかして、お腹が空いているのですか?」
ドラゴンはしばらく黙り込んだが、やがてため息のように応えた。
「勇者が死んで以降、何も食べていない。……最後の食事は……勇者が作ってくれた料理で生涯を終えたいのだ。……私は他のドラゴンを裏切って勇者についたのだ。もう、私の死を悲しむ者など、もう誰もいない。」
アリアはふと、自分のリュックを開き、中を探った。何か食べられるものがないかと必死に探すと、そこに「ピッツァポテト」の袋があるのを見つけた。少しでも慰めることができれば、と思い立ったアリアは、袋を開封し、そっとドラゴンの方へ差し出した。
その瞬間、ドラゴンは驚いて顔を上げ、鋭い瞳でアリアをじっと見つめた。しかし、袋から漂う香ばしい匂いに気づいたとたん、その厳しい表情はゆるみ、思わず口元からよだれが溢れ出してしまう。
「なんて…なんていい匂いなんだ…!こんな匂いは初めてだ....」と、ドラゴンは信じられないような表情でつぶやいた。
アリアはドラゴンを見上げながら、優しい声で語りかけた。
「勇者様のことは、とても残念だと思います。でも…だからこそ、あなたは勇者のために生きるべきじゃないでしょうか。今、本当の勇者様のことを覚えているのはあなただけなのです。
私も、勇者様のためにできることがあれば、出来る限り力になりたいと思っています。どうか、それを見届けてから、死ぬかどうか決めて頂くことは出来ないでしょうか。」
そう言うと、アリアは袋から取り出したポテトチップスを軽くつまんで、ドラゴンの口元に向けて投げた。
ドラゴンは驚きつつも、あまりの良い香りに惹かれて反射的にポテトチップスをパクリと口に入れた。そしてその瞬間――
「……んっ……なんだこれはっ!?」
口に広がる濃厚な味わいに、ドラゴンの瞳は見開かれ、驚愕の表情が顔に浮かんだ。サクサクとした食感、そして絶妙な味付けが彼の舌を刺激し、思わず体が震え始める。
「なんという美味さだっ……!!こんなものがこの世にあったとは……!」
ドラゴンはまるで狂ったように袋に向かって口を伸ばし、次々とポテトチップスを頬張り始めた。彼の目には、長い時を孤独に過ごしてきた哀しみと怒りが、一瞬の美味に消え去ったかのような輝きが戻っていた。




