第1話【異世界転生】
東京の夜、日付が変わった後も街はまだ明るい。遅くまで残業をして帰路につく主人公、佐々木葵は、すっかり疲れ果てた表情で、ふらふらと駅の方向へ向かって歩いていた。
長時間労働が続く日々、心身ともに擦り減っていた葵にとって、この夜もまた普段と何も変わらない「平凡」な日常のはずだった。
「はぁ、疲れた……」
葵は深いため息をつき、目をこする。仕事の資料が入った重いバッグを肩にかけながら、疲れた足取りで、暗い路地にさしかかった。眼の前に広がる街の灯りがぼんやりと霞んでいる。
疲労のためか、足元が覚束ない。スマホで時間を確認すると、もう午前1時を過ぎていた。長時間のデスクワークと残業で、彼女の体は限界に近かった。
ふと、視界が揺れる。少し足を止めて深呼吸をしたが、体は重く、気だるさが増すばかりだった。葵はそのまま、ふらふらと歩き出す。自分でも意識がはっきりしていないことが分かっていたが、家までの道は体が覚えているから大丈夫だろうと思い込んでいた。そのとき――
「――っ!」
突然、強烈な光が視界を襲った。目の前に一台の車が迫ってくる。葵は咄嗟に反応しようとしたが、疲労で動けない体がそれを拒否する。叫び声を上げる間もなく、車のライトが目の前に迫り、次の瞬間、衝撃とともに意識は闇に沈んだ。
やがて、葵はぼんやりと目を開けた。真っ白な天井が見える。まるで病院の天井のようだと一瞬錯覚したが、視界に入るのは繊細な装飾が施された見知らぬ部屋。天井には豪華なシャンデリアが輝き、どこか荘厳な雰囲気が漂っている。
「あれ……?ここは……?」
まだ頭がぼんやりしている葵は、ゆっくりと体を起こし、周りを見回した。柔らかいベッドの感触に、ふんわりとしたシーツ。見知らぬ豪華な部屋にいることに気づき、徐々に覚醒していく頭で混乱を覚えた。
「どうして……?確か、私は……」
記憶を辿ろうとするが、何かが引っかかる。確かに、交通事故に遭って――その後は思い出せない。混乱しながらベッドから降りようとしたそのとき、部屋の扉が開かれ、一人のメイドが入ってきた。彼女は葵――いや、アリアを見て驚きの表情を浮かべた後、すぐに深々と頭を下げた。
「アリア様、ようやくお目覚めになられたのですね!」
「えっ……アリア?」
戸惑う彼女に対し、メイドは自然な様子で「アリア様」と呼んでいる。名前を呼ばれたその瞬間、自分の姿を確認するため、鏡の前に駆け寄る。そこに映っていたのは、見知らぬ若い少女の顔。金髪に青い瞳、14歳ほどの少女だった。
「えっ、これ……私なの?」
驚愕する葵に、少しずつ新しい記憶がよみがえってくる。この体の名前は「アリア」。名門ヴェルノーク家の令嬢として生まれ育った、異世界の貴族の娘であることを。
(まさか、異世界に転生……?しかも貴族の令嬢なんて)
突然の展開に葵――アリアは愕然とする。しかし、これが現実であり、自分は今やアリアとしてこの世界で生きていくしかないことを悟る。葵としての記憶と、アリアとしての役割と立場に、少しずつ慣れようと決意する。
それからしばらくの間、アリアは異世界での生活を少しずつ学び、周囲の人々にも馴染んでいく。貴族としての教育や礼儀作法、王族との交流など、新しい環境に苦労しながらも、彼女は持ち前の忍耐力で日々を過ごしていた。
特に、婚約者である王子との関係は周囲からも注目され、貴族社会での地位を確立する一つの要因として大きな意味を持っていた。
しかし、ある日突然、その平穏な生活が崩れる出来事が訪れる。
ある晩、アリアは父に呼ばれ、応接室に通された。普段は穏やかで柔和な父親が、険しい表情を浮かべていることに違和感を覚えながら席に着くと、父は厳かな声で告げた。
「アリア、王子殿下より婚約破棄の申し出があった」
「……えっ?」
頭が真っ白になる。その言葉が何を意味するのか、一瞬理解できなかった。婚約破棄?なぜ?
父は重々しく続けた。
「理由は、我が家が王家に相応しくないとのことだ。王子の意思で、もはや君と結婚はできない、と」
ショックで言葉を失うアリア。周囲の貴族たちの間では、彼女が王子と婚約していることが当然のように扱われてきた。それだけに、この婚約破棄は大きな波紋を呼び、アリアの家の名誉も傷つけられることとなった。
彼女は心の中で叫ぶ。
「……どうして、どうしてこんなことに……!」
王子が一方的に婚約を破棄したことで、アリアの立場は一瞬にして危うくなった。さらに家の名誉も損なわれ、他の貴族からも冷たい視線を感じるようになる。