指窓の向こうに見えるもの
小さい頃から、僕は凄く怖がりだった。
風が戸を揺らす音も、ふとした時に視界に写る何かの影も、家の柱が軋むギシギシという音も、その音の向こうや影に僕の知らない恐ろしいモノがいて、いつか僕はソイツらに食べられてしまうんじゃないかと想像して怯えていた。
そんな時、いつもお爺ちゃんは僕を膝の上に座らせて、僕が怖がっているものがただの隙間風だったり、目じりにかかった自分の髪の毛だったり、家鳴りで、そういった事も含めてお爺ちゃんは僕が怖くなくなるまでずっと色んな話を聞かせてくれた。
僕は、お爺ちゃんが大好きだった。
お爺ちゃんが僕に聞かせてくれた話の中に、指窓というのがある。
両手を組んで窓を作って、真ん中を覗き込むと、そこに居るモノの正体が見えるという話を教えてくれた時、お爺ちゃんは言った。
「妖やモノノ怪ってのはな、正体を見破られると逃げちまうのさ。
だから、怖い事がありゃあ窓作ってそんなかを覗いてみな。
大抵はなぁんも居やしねぇ、でももしそこに何かが見えたとしても、お前なんか怖くねぇぞって言ってやりゃあてめぇの正体を見られたソイツはビビり上がって逃げちまうよ」
それから僕は、怖い事がある度に指窓を作ってその向こう側を覗いた。
お爺ちゃんの言った通り、向こう側の景色はいつもと何も変わらない景色で、お爺ちゃんが教えてくれた通りの日常に溢れているものばかりだったから、次第に僕の怖がりはなくなっていった。
僕が十歳になってしばらくして、お爺ちゃんが死んだ。
凄く悲しくて寂しくて、少しでもお爺ちゃんを感じたくて、僕は学校以外の時間をお爺ちゃんの部屋で過ごしたり、お爺ちゃんと二人で散歩した道や場所に行ってはお爺ちゃんのことを思い出していた。
その日はお爺ちゃんとよく釣りをした河原に行って、あの時釣った魚の事やお爺ちゃんが話してくれた河童の話なんかを思い出して余計お爺ちゃんに会いたくなってしまって、寂しくて半べそを書きながら帰り道を歩いていた。
夕暮れに沈みかける畦道に、草履が砂利を踏む音が響く。
夏の終わりかけ、カナカナと鳴く蜩が余計に僕の寂しさに拍車をかける。
「お爺ちゃん・・・」
会いたくて、お爺ちゃんを呼ぶと、歩いていた足が止まってしまう。
そのまましゃがみ込むと、堪えていた涙が一気に溢れ出して止まらなくなった。
どれくらいそうしていたのか、唐突にコロコロと僕のつま先に小石が転がってきて、僕は顔を上げた。周りには誰も居なくて、この小石はどこから転がってきたんだろうとキョロキョロしてると、またコロコロと小石が転がってくる。
それは、道の左側にある雑木林からだった。背の高い草と木々の間から、放物線を描いて小石が飛んできて、地面とぶつかって転がって、僕の足にコロンとぶつかる。誰が、何で小石を投げてくるんだろうと思って目を凝らして見るけど、雑木林の中は暗くってその姿は見えない。僕は無意識に指窓を作って、その中を覗き込む。
そして、息を呑んだ。
「ひっ・・・」
雑木林の中に、ソイツはいた。
指窓を外すと見えないけど、窓を覗くと見えるそいつは居て、ニタニタと笑っている。
僕が見えていることに気づいていないのか、毛むくじゃらな猿みたいなそいつはまた小石を片手にこっちに向かって投げて来た。
「ゲヘヘヘ・・・ゲヘッ・・・」
ギザギザとした鋭い歯を剝き出しにして笑いながら、ソイツは何度も何度も僕に小石を投げてくる。直接僕に当たることはなくてけがをすることもないけど、ソイツの姿が怖くて僕はお爺ちゃんに教わった事も忘れてその場に尻もちをついてしまった。
もう指窓は解けて、ソイツの姿は見えない。でも、コロリコロリと小石は投げ続けられて、僕の足元にはたくさんの小石が転がっている。こんな時、お爺ちゃんが居てくれれば、アイツが一体何かを教えてくれただろうし、怖がる僕を優しく慰めてくれただろう。
心細さのせいか恐怖のせいか、僕はお爺ちゃんに教わったようにアイツの向かって「お前なんか怖くないぞ!」とは言えないばかりか、逆に恐怖心が増してさっきとは違う涙が溢れて来た。もう指窓はしてなくて、アイツの姿も見えないのに、頭の中にアイツの「ゲヘゲヘ」と笑う声が響いて更に怖くなって、僕は頭を抱えて目を閉じた。
「(早く、早く消えて!どっか行っちゃえ!)」
そう願っていると、小石が投げられる音に混じってズザッズザッと引きずるような誰かの足音が聞こえた。
「(今度は何?!もう怖いのはやだよっ僕が何をしたって言うんだっ・・・僕は、僕はただ、お爺ちゃんとの思い出にひたっていたかっただけなのに・・・!)」
頭の中がぐるぐるして、涙が止まらなくてひっくひっくとしゃくり上げている間にも小石は投げ続けられているし、足音はどんどんと近づいてきて、僕のすぐ傍で止まった。
「(なんで、なんで止まるんだよ、どっか行ってくれよ・・・)」
頭を抱えていた手でキツく髪を握りしめながら早く過ぎ去ってくれと思っていると、ふわりと誰かの手が僕の頭を優しく撫でた。ちょっとぎこちない手つきはお爺ちゃんに似てるけど、手の柔らかさや指の細さは全然違って、僕は怖かったのも忘れて顔を上げた。
「・・・わぁ・・・」
足音の主は、とても綺麗なお姉さんだった。
真っ白な肌に真っ黒な髪、切れ長の目にセーラ服を着たお姉さんが僕の横にしゃがんで、頭を撫ででいて僕は思わず間抜けな声を出してしまった。
「坊や、大丈夫?」
綺麗なお姉さんは、声もとっても綺麗でつい頷いてしまった。だけど、コロンと足元に転がってきた小石にさっき見た猿のようなアイツの姿を思い出してお姉さんに抱き着いてしまった。
「あぁ、アイツが怖かったのね」
僕の足元に転がってきた小石を見て、雑木林の方を見たお姉さんは「なるほど」と言いながらまた僕の頭を撫でる。
「お姉さんは、アイツを知ってるの?」
「勿論。アイツはね、猿が妖怪になったモノ。
子供を怖がらせるのが好きで小石を投げて驚かしてくるけど、それ以上は何もしないから大丈夫。
それにね・・・。」
優しい声で僕に説明しながら、お姉さんは小石を一つ手に取って立ち上がると、雑木林に向かって勢いよく小石を投げつけた。
「ギャッ?!」
お姉さんが投げた小石が何かにぶつかる音がして、その後多分あの猿みたいなアイツが驚いたような声を上げると、ガサガサと草をかき分ける音が奥の方へと向かって消えた。あまりにも呆気なく逃げて行ったアイツにぽかんとしていると、お姉さんはそんな僕を見てカラカラと笑う。
「アイツ、逃げちゃった・・・。」
「ふふっ。アイツはね、自分が小石を投げて子供を驚かすのは好きなクセに、自分が驚かされると怖くなっちゃうのよ。
だから、小石をアイツに向かって投げ返してやれば、アイツは驚いて逃げちゃうし二度と小石を投げ返してきた子供の前には現れないの。妖怪のくせに怖がりだなんて、笑っちゃうでしょう?」
おかしいよねって笑うお姉さんに、僕もなんだかおかしくなって大きな声で笑った。
お爺ちゃんが死んじゃってから、こんな風に笑うのは初めてで、ここにお爺ちゃんがいたらもっとおかしなことを言って僕を笑わせてくれるから、きっと僕はお腹が痛くなるくらい笑っていたんだろうなって思って、またお爺ちゃんが居ない寂しさを思い出して、僕は俯いてしまう。
「・・・坊や、大好きな人とサヨナラしたんでしょ」
「えっ・・・なんで・・・?」
「私もね、大好きな人とサヨナラしたことがあるから分かるの。
でもね、どんなに悲しくて寂しくても、ずっとその気持ちを抱えていちゃいけない。
さっきのアイツもそうだけど、妖怪やモノノ怪っていうのはね坊やのそういう寂しいや悲しいっていう気持ちに寄って来てしまうから」
お姉さんが言った言葉の意味を、ちゃんと理解できた訳じゃない。でも、なんとなく、今のままお爺ちゃんの事を考え続けるのは良くない事なのかなって思った。思ったけど、僕はやっぱりお爺ちゃんが大好きで、死んじゃった事が悲しくて、もう二度と会えない事が寂しくて、お爺ちゃんの事を考えていないと僕の中にあるお爺ちゃんとの思い出もなくなってしまう気がして、それが怖くてお姉さんの言葉に頷けないでいた。
そうしたら、お姉さんは僕をぎゅっと抱きしめて、背中をぽんぽんと撫ででくれた。お姉さんの腕の中はとても温かくて、背中を撫でる手が優しくて、僕の目にはじんわりと涙が浮かんだ。
「寂しいわよね・・・分かるわ。あのね、私、坊やのお爺さんを知ってるのよ。」
「お爺ちゃんを?なんで?」
「ずっと前にね、お爺さんに助けてもらったの。
坊やみたいに怖い思いをしたとき、さっき私が坊やにしたみたいにして助けてくれたのよ。
その後で、私はお爺さんとお友達になって、色んなことを教えてもらったの。その時に、坊やの事も教えてくれて、写真も見せてくれた。
怖がりで泣き虫だけど、とっても優しい子なんだって、可愛い、自慢の孫なんだって言っていたわ。」
僕は目をぱちくりさせてお姉さんを見上げた。にっこりと笑うお姉さんと目があって、僕は顔が熱くなったけどお姉さんから目が離せないでいると、こつんとお姉さんのおでこと僕のおでことくっついた。
「私も、お爺さんが死んでしまってとっても悲しい。
でも、お爺さんがたくさん話して聞かせてくれた坊やに会えて、本当に良かった。
これからは、怖い事があったら私が助けてあげる。お爺さんが、私を助けてくれたみたいに。
だから坊や、少しずつで良いから前を向こう。
じゃないと、お爺さん坊やの事が心配で正しく逝くべき所へ逝けなくなってしまうから。」
お姉さんの言葉に僕はそれでもとっても悲しいんだよって言いたくなったけど、お姉さんの顔が今にも泣きそうだったから、僕は小さく頷く事しか出来なかった。
それから僕は何度もお姉さんに会いに河原へ行っては二人でお爺ちゃんの思い出話をしたり、お姉さんが出会った妖怪やモノノ怪の話を聞いたり、僕の学校で流行っている遊びの話をたくさんした。何度も何度も二人で話をしたけど、僕はお姉さんの名前も知らないし、会えるのは何故か夕暮れ時の河原でだけだったけど、そのことを不思議に思うことはなくて。ただお姉さんと話す事が楽しくて、僕はお姉さんに会いに河原へと通った。
僕に悪戯してくる妖怪やモノノ怪もいて僕は怖がって泣いてしまうこともあったけど、その度にお姉さんが助けてくれて、お爺ちゃんがしてくれたみたいに悪戯をする妖怪たちの事を教えてくれた。
そうしている内に、僕も妖怪たちの悪戯を無闇に怖がることもなくなって、指窓を作って妖怪たちの姿を見ながら「お前なんか怖くないぞ!」と言って追い返したりも出来るようになった。そんな僕を見て、お姉さんはおかしそうに大きな口を開けて笑ってくれた。
僕は、お姉さんのその眩しいくらいの笑顔が大好きだった。
ある日の夕暮れ時。
その日も僕はお姉さんに会うために一人で河原に座っていた。夕日を反射して光る川の水面を指窓を作ってぼぉっと眺めていると、ズザッズザッとちょっと足を引きずるような足音が聞こえた。
これは、お姉さんの足音だ。
お姉さんは足が悪いのか、いつもそんな足音をさせていて、僕はその足音でお姉さんが来た事に気付いて指窓を覗き込んだままお姉さんが居るはずの方向へ顔を向けた。
それは本当に偶然で、何を考えていた訳じゃない。ただ何となく、お爺ちゃんに指窓を教えてもらった日の事を思い出して、覗き込んでいただけだった。それなのに、今、指窓の向こうに見える光景を、僕は理解出来ないでいた。
「・・・バレちゃったわね」
とても悲しそうな、お姉さんの声が聞こえる。今にも泣きだしそうな声に、僕まで泣きそうになってしまった。
何で、僕は指窓をしたまま振り返ってしまったんだろう。そんな事しなければ、お姉さんのあんな声を聞くことはなかったのに。今僕の目に映っているお姉さんは、いつもの綺麗なお姉さんじゃなくて、顔が真っ黒に塗りつぶされたボロボロの袴姿のお姉さんで、お姉さんの腕や足、服の所々にはたくさんの血が付いていた。
「おねぇ、さん・・・」
「ごめんね。坊やを怖がらせるつもりはなかったの。本当に・・・。
ただ私は、私の恩人だったあの人の大切な孫を、助けて守ってあげたかっただけなの・・・」
「どうして・・・?」
顔は、真っ黒で見えないのに、僕はお姉さんが泣いているような気がして、怖いよりも悲しいが強くなって、思わずお姉さんに問いかけた。
「私ね、子供の頃からずっと妖怪やモノノ怪、幽霊みたいに人には見えないモノが見えていたの。
親も兄弟も友達も、誰にも見えないから信じてももらえなくて、その内皆に嘘つきだって言われることが怖くなって、彼らを見ないようにして、見えない振りをしてた。
でも、そんな事はお構いなしに彼らはいつだって私にちょっかいを掛けてきた。」
お姉さんは、僕の隣に座ってその時の事を思い出しているのか、こっちは見ないで河原の方を向いて話始めた。僕は、指窓を覗かないと妖怪たちの姿は見えないけど、ずっと彼らの姿が見えているっていうのは、どういうものなんだろう。きっとすごく怖くて、でも他の人には見えなくて、自分にしか分からないものだから怖いって言っても誰も助けてくれなくて、それはとても心細くて怖い事だなって思いながら、僕はお姉さんの話に耳を傾ける。
「あの日、学校からの帰り道で、私妖怪に転ばされて怪我をしたの。
その時、これまで我慢していた怖いとか、寂しいとか、色んなものが溢れちゃって、人目も気にせず大泣きしてしまってね・・・。
でも、誰も彼もが知らんふりして、迷惑そうな顔をして通り過ぎて行った。
その事がまた悲しくて、世界に私の居場所はなくて、独りぼっちになっちゃったような気がしてまた泣いて・・・でも、あの人が・・・坊やのお爺さんが私に声を掛けてくれた。」
何となく、お爺ちゃんらしいなと思って、いつだって僕に優しかったお爺ちゃんは昔も変わらず優しい人だったんだと思うと、とても誇らしい気持ちになった。
でもじゃあ何で、お姉さんは今こんな風になってしまったんだろう。そう思ってお姉さんの方を向くと、お姉さんは僕を見ずに頭を撫でて続きを話し出した。
『お嬢さん、大丈夫かい?』
「あの人の優しい声に安心して、私、泣き止むどころかもっともっと泣いてしまって・・・。でもあの人はそれに嫌な顔もしないで私の手を取って人の少ないベンチまで連れて行って怪我の手当てをしてくれた。
その優しさが嬉しくて、私、聞かれてもないのに今まで見えていたモノたちの事をペラペラ話してしまったの。
全部話し終えてから、私はなんて事を言ってしまったんだろう。こんな風に優しくしてくれた人にこんな変な話をして、この人にまでまた子供の頃みたいに頭のおかしい女の子だって思われてしまう。
それが辛くて、もういっそ消えてしまえれば色々なモノを見なくて済むのにって、そう思っていたらね・・・あの人は私に教えてくれたの。」
『災難だったね。
お嬢さんを転ばせたのは妖怪の仕業だろう。今までも色々見えたり悪戯されたりしていたようだし・・・君は彼らに好かれてしまう何かを持っているんだろう・・・。とても、大変だっただろう。よく耐えて来たね、頑張ったね。』
「そう言って頭を撫でてくれて、今まで私が見て来たモノたちの事を教えてくれたのよ」
それは、僕がこれまでお爺ちゃんやお姉さんにしてもらった事だった。
だから良く分かる。それがどれだけお姉さんにとって嬉しい事だったのか。
『彼らはね、自分が見える人間には特にちょっかいを掛けてくるのさ。
大体はちょっとした悪戯で大した害はない事が殆どだ。
でも、中には危険な奴らもいる。
だから、妖怪たちが見える人間は気を付けないといけないんだよ。
お嬢さんは特に、彼らに好かれやすいみたいだからね。
今までは悪戯程度だったとしても、この先もずっとそうだとは限らない。
だから、自分を守る術は知っておいた方がいいだろう。』
「そう言って、簡単なお呪いや、妖怪たちを追い払う方法や、彼らから逃げるための方法を教えてくれたの。
坊やがさっきしていた指窓も、その一つ。」
「そうだったんだ・・・。
でも、じゃあ・・・なんでお姉さんは、その・・・」
「こうなってしまったか、ね?」
「うん・・・」
僕の疑問に、お姉さんは言うのを躊躇うようにため息を吐いて、それから顔を空へと向けた。
もう、夕日は沈んで辺りは薄暗くなっている。だから、指窓をしていなくてもお姉さんの顔は暗くなって見えなかったけど、なんだか僕は、お姉さんが泣いてるような気がして、僕の頭を撫でている手をとってぎゅっと握った。
少しだけお姉さんの手が震えて、でもゆっくりと柔い力で握り返してくれる。
そしてまた、話の続きを聞かせてくれた。
「坊やのお爺さんに会って、色んなことを教えてもらってから、私は今まで見えていたモノたちにちょっかいを掛けられても追い払ったり逃げたりすることが出来る様になったの。
そうするとね、あんなにも怖かった筈の妖怪たちがそんなに怖くなくなって、自分が強くなったような気がしたの。
そんな時、悪いモノに目をつけられてしまった。
でもその時の私は、ソレが悪いモノだって事に気付けなくて、いつもみたいに追い払うか逃げればいいって簡単に考えていたの。
調子に乗っていたのね。
それが、いけなかったのね。お爺さんからも散々相手をよく見て、ちゃんとソレが私に追い払えるものなのか考えなさい、もしも私の手に負えない相手だと感じたら、一目散に逃げてお爺さんに助けを求めなさいって言われていたのに、その時の私はそれを忘れてしまっていた。
だから、バチが当たったのね。私はその悪いモノに捕まってしまった。」
「それで、死んじゃったの?」
「そう。私がちゃんと、お爺さんの話を聞いて、ちゃんと逃げていれば・・・。
きっとこんな事にはならなかったし、お爺さんに、ゴメンなんて言わせなくて済んだのに・・・」
「じゃあ、今のお姉さんは、幽霊なの・・・?」
「幽霊とは、少し違うかな。
私はね、悪いモノに命を取られて、悪いモノの一部になってしまったの。
自分の意識も朧気で、でも誰かを傷付けている事だけは分かった・・・それを、坊やのお爺さんがどうにか助け出してくれたから、私はその悪いモノから離れて自分の意識を取り戻した。私はね、生きている時と死んでから、二回坊やのお爺さんに助けてもらったのよ。
だからね、お爺さんや、お爺さんの大切な人が困っている時は、私が助けてあげたいって思っていたのよ。」
お姉さんの話は僕には少し難しくて、ちゃんとは理解できなかった。
だけど、お姉さんが僕を助けてくれたのは僕に悪さをする為じゃなくて本当に助けたいと思ってくれてたんだって事はちゃんとわかって、少しだけほっとした。
「だから、お姉さんは僕を助けてくれたんだね」
「そう。お爺さんね、折角自分の意識を取り戻してちゃんと成仏できるはずなのに、私がいつまで経っても逝くべき所へ逝かないから、心配してよく会いに来てくれたの。
その時に、家族の話を聞いたわ。勿論、坊やの事も。
とても心配していたのよ。坊やはちゃんと妖怪たちが見える訳じゃないけれど、とっても彼らに気に入られてしまう性質だからいつか危ない目に会わないかって。
お爺さんが生きていた頃は、お爺さんがずっと坊やを守っていたけれど、お爺さんも普通の人間だから寿命には抗えなかったのね。
お爺さんが死んで坊やに掛けられていた守りが薄くなったのと、坊やの寂しい気持ちや悲しい気持ちが相まって、あの日坊やは妖怪にちょっかいを掛けられてしまった。
それを見つけたから、助けたの」
僕は、何も知らなかった。
聞かされていないから当然なのかもしれないけど、でも、今まで本当に何も知らなくて、でもお爺ちゃんやお姉さんが僕の事を思っていてくれた事がとても嬉しくてぽたぽたと涙が溢れた。
「僕・・・何も、知らなかった・・・」
「知らないままの方がね、良かったのよ。
知らなかった方が、坊やはきっと幸せだった。
でも、知ってしまった。だから坊やはこれから妖怪たちの事をちゃんと知らなきゃいけない。
正しく知れば、ちゃんと対処できる。私みたいにはならない」
「お姉さん・・・」
「大丈夫よ。坊やのお爺さんは坊やの為にたくさんの物を残してくれている。
お家の中にも、坊やの心にも。
だから、ちゃんと学んで、私のようにはならないで」
お姉さんの言葉に、僕は首を傾げた。
今の言い方じゃあ、もうお姉さんは僕に教えてくれることはないみたいで、僕はそんな事ないって言って欲しいっていう気持ちから言葉を口にした。
「お姉さんは、教えてくれないの?」
「私には、もう時間がないから。
いつまでもこうして留まる事は出来ない。
だから、私が教えられるのはこれが最後。
坊や、妖怪たちを恐れる事は正しい事よ。危険なことからも逃げることが出来るから。
でもね、彼らの全てが悪いモノというわけでもないの。
人間と同じ。良いモノも居れば悪いモノもいる。きっと坊やの力になってくれるモノだって。
だから、きちんと学んで、ちゃんと良いモノと悪いモノを見分ける力をつけて。
これから先、坊やが見るモノ全てを拒絶しないで。
大丈夫。坊やにはお爺さんも私も、たとえ姿が見えなかったとしてもいつだって傍に居るから。」
そう言って、お姉さんは星明りのない暗い方へと歩いて行って、溶けるみたいに消えてしまった。
僕は、立ち上がって家に帰りながら静かに泣いた。少しだけ泣いて、ゴシゴシを涙を拭いて走り出す。
それから、僕は家にあったお爺ちゃんが残してくれた妖怪たちについての書物を読んで、彼らの事をたくさん知った。
成長し、大人になった今でも、各地を巡り様々な妖怪たちの伝承や怪奇な話を集めては、それを物語にして人々に語り繋いでいる。
これから先も。
恐ろしいモノたち、悲しいモノたち、優しいモノたちの話を、語っていくのだ。
いつかまた、お爺ちゃんとお姉さんと会える、その時まで。