The World After that
穏やかな風が吹いていた。
切り株に腰掛け、鳥のさえずりを聞きながら、淹れたてのコーヒーを飲む。
理想的な生活だった。
デッドマン・ウイルスが消えて三年。地球上の人口は四分の一以下にまで減ったが、人類は再び繁栄を築くための準備に取り掛かっていた。
なぜデッドマンたちが姿を消したのかは、まだはっきりとはわかってはいない。
わかっていることは、突然、デッドマンたちが共食いをはじめたことだった。
まるで人類への興味を失ったかのように、デッドマンがデッドマンを襲い、そして食い尽くされた。
これは世界各国で同時多発的に発生したことであり、一部の学者はデッドマン・ウイルスが変異しお互いを攻撃し合うようになったのではないかという論文を発表していたが、その真相は誰にもわかってはいなかった。
新聞の記事を読み終えた藤巻謙治郎は、ステンレスのマグカップに入ったコーヒーを切り株の上に置くと大きく伸びをしてから立ち上がった。
山の中にログハウスを建てて暮らす。それが長年の夢であった。思っていた人生設計とは違っていたが、その夢を叶えることが出来たのだ。
娘たちは学業優先ということで、都心部で暮らしており、週末だけこのログハウスへとやってくる。
「いやぁ、実にいい天気だ」
ひとりごとを呟き、置いてあったナタを手に取ったところで、携帯電話が着信を告げた。
液晶ディスプレイには、弟子である小鳥の名前が表示されている。小鳥は、藤巻の娘たちの面倒を見るために都心部で暮らしていた。
「先生、ご無沙汰しています」
「ひさしぶりだねぇ、どうかしたのかい」
小鳥から電話が掛かってくることは滅多になかった。あるとすると仕事の話があった時だ。小鳥は藤巻の弟子であると同時に、藤巻が社長を務める芸能事務所のマネージャーでもあるのだ。
「先生に是非出ていただきたいという番組のオファーがありまして」
「私にかい?」
「はい。是非、先生に出演していただきたいということで」
「どんな番組だい。バラエティーはもう出ないよ」
「わかっております。きっと、先生も喜ばれるかと」
「ほぅ」
オファーが来たという番組は、藤巻探検隊と呼ばれる藤巻謙治郎が隊長を務めて秘境を巡るというドキュメント番組であった。藤巻はこの番組を第13弾まで続け、アマゾンやエジプト、アフリカ諸国などを巡ってきていた。
「今度は、どこへ行かせようっていうのかな」
「ヒマラヤです」
「なるほど、私に雪山を登れというのだね」
藤巻は嬉しそうに言った。
仕事の話はトントン拍子で進み、藤巻はヒマラヤ山脈に登ることとなった。
登山メンバーは、藤巻と小鳥、そして現地のシェルパだけだった。撮影隊というものは同行せず、カメラは藤巻と小鳥に取り付けられた小型カメラのみであるため、小鳥が少し先に進んで、登ってくる藤巻を撮影したりしなければならなかった。
そんな困難を極めるような撮影スタイルであっても、藤巻は引き受けヒマラヤへと向かうのであった。
※ ※ ※ ※ ※
藤巻探検隊は無事ヒマラヤでの登頂を終え、日本に帰国した。
しかし、その映像が番組として使われることはなかった。なぜならば、藤巻たちが撮った映像には問題があったからだ。
その問題というのが、藤巻たちが発見したアイスマンと呼ばれる凍りついた人間の死体だった。
アイスマンは元々は、アルプス山脈の氷河で1991年に発見された約5300年前の男性のミイラの名前であった。藤巻たちが見つけたその死体にも、同じくアイスマンという名前が付けられ大々的に報じられたが、そのアイスマンの引き上げを行った研究チームによってアイスマンの正体が明かされた。
その正体については、様々な議論を巻き起こすこととなったのだ。
ヒマラヤで発見されたアイスマンの正体。それは、最近の死体であった。ここ3年から4年の間の死体であったのだが、なぜかその死体はミイラ化していた。
さらに調査が進められると、その死体が日本人であるということが判明した。その人物に関しては遺伝子情報が研究機関に登録されており、身元までが判明することとなったのだ。
その人物の名は、明智欣也だった。
さらに驚くことが判明した。明智欣也は凍りついてミイラ化していたが、感染していたデッドマン・ウイルスのお陰で生ける死体となっており、生きていたのだ。
明智はすぐに生命維持装置のある病院に運ばれ、治療が施されることとなった。
しかし、明智は目を覚まさなかった。
ただ、生きているということだけは確かであり、脈拍もあれば、呼吸もしていた。
研究者の中には明智の目を覚まさせるべきではないと明言する者もいた。明智はデッドマン・ウイルスに感染している状態であるからだ。明智は現存する唯一のデッドマンであると言えた。
「デッドマン・ウイルスの生みの親である明智欣也が、最後のデッドマンというのは何とも皮肉なもんだな」
研究者のひとりが、ベッドの上で眠る明智の姿を見つめながら呟いた。体中には色々な管が伸びてきており、それによって生命維持が行われている。
何か違和感を覚えた研究者は、明智のことをじっと見つめた。
この違和感はどこから来るのだろうか。
次の瞬間、明智が目を開けた。
まさか、そんなことが。
研究者は驚きのあまり後退りしようとしたが、明智の腕が伸びてきて、研究者の腕を掴んだ。
そして、明智は大きく口を開けると研究者に噛みついたのだった。
終末のデッドマン ― 完 ―