Daddy(3)
明け方、日が昇るよりも先に目を覚まし、朝の鍛錬をするのが藤巻の日課だった。
時計を持っていないので時間はわからないが、おそらく午前三時か四時頃だろう。空にはまだ月と星の姿がある。
マイクロバスから降りた藤巻は上半身裸となると、霞切で素振りを千本行った。
千本の素振りが終わるころには汗が吹き出してきており、身体から湯気があがるほどだった。その頃になれば、少しずつではあるが明るくなってくる。
素振りを終えて汗を拭った藤巻は、火を熾して焚火を作った。焚火では湯を沸かし、コーヒーを淹れた。
藤巻の持っているリュックサックの中には、ファイヤースターターをはじめとする必要最低限のサバイバルグッズとコーヒーに関する様々なアイテムが入っている。そして、どんな状況下にあっても、コーヒーだけは欠かせなかった。時間がない時などは、事前に粉にしておいたコーヒーをドリップバッグに入れて飲むときもある。今回も以前焙煎した豆を粉にしたものが残っていたため、それをドリップバッグに入れて湯を注いだ。
「うーん、いいねえ。いい香りだ」
まずは香りを楽しみ、そしてひと口啜るように飲む。ゆっくりと時間の流れを感じながらコーヒーを味わい、至福のひと時を過ごす。
その様子は、昨晩デッドマンふたりを斬り捨てた人物と同じとは思えなかった。
「彼女たちは、どこにいるんだろうねえ」
空を見上げながらつぶやくと、コーヒーをまたひと口飲む。
娘の玲奈と弟子の小鳥、そして玲奈の友人の響。この三人が一緒に行動していることはわかっていた。そして、三人がすぐ近くにいるということもわかっていた。
どうにかして、彼女たちと合流して、彼女たちを安全地点へと送り届けたい。藤巻はそう考えていた。
もしかしたら、あの煙を見て彼女たちもこの地点へと向かってきている可能性も考えられた。そうであるならば、ここからは動かない方がいいかもしれない。
しかし、ここは危険な場所であることも確かだった。昨日の夜に現れた二体のデッドマン。デッドマンたちが二体だけで行動しているとは考え難かった。やつらは単独行動は取らない。それは人間だった頃の習性なのかはわからないが、やつらは群れを作って行動することが多いのだ。だから、二体のデッドマンが居たということは、他にもデッドマンたちが居るという可能性が高い。10人前後の集団ならばいいが、これが100人規模であった場合を考えると、彼女たちを危険な目に合わせてしまう可能性があった。
どうしたものだろうか。
藤巻は焚火の炎を眺めながら思案した。
先にこちらからデッドマンの群れを見つけ出して、先制攻撃を仕掛けて片づけてしまうというのもありかもしれない。しかし、100人規模のデッドマンの群れがいたとすると、そいつら全員を相手しなければならないというのは、いくらターンオーバーを果たした藤巻といえども少々無理があった。
出来る限り、近くにいるデッドマンたちは刺激せずにこの場所から離れた方が得策だろう。
コーヒーを飲み終えた藤巻は火の後始末をすると、リュックを背負った。
彼女たちは、こちらから見つける。待っているよりも、動いた方がいい。そう藤巻は判断したのだ。
しばらく山道を歩いていると、なにやら気配がした。
足を引きずるような音。この歩き方はデッドマン特有のものだった。
藤巻は山の斜面を駆け上がると、少し高い位置から遠くを見渡せる場所へと移動した。
見つけた。
五人のデッドマンが、曲がりくねった山道のガードレールのところに集まっている。
面倒だな。始末するべきか。
藤巻は考えたが、ここでデッドマンと交戦しても何にもならないということはわかっていた。ただ無駄に体力を消費することとなる。
しばらく様子を見ていると、山の道路を下の方から一台の車が上がってくるのが見えた。それは軽トラックであり、荷台部分に何人かが乗っているのが見えた。
「まずいねえ」
藤巻は呟いた。
デッドマンたちが車の排気音に気づき、そちらの方向へむかって動き出している。
助けるべきか、それとも見捨てるべきか。
そう考えるよりも先に身体が動いていた。藤巻は斜面を駆け下りながら、霞切を鞘から抜き放った。
群がってきたデッドマンたちに行く手を阻まれた軽トラは、どうすることも出来ずにその場で止まってしまう。運転手は運転席にいるからいいが、荷台にいる人間はたまったものではない。
荷台にいる人間たちは棒のようなものを使って、周りを囲んでいるデッドマンたちに必死の抵抗をしていた。
「あれは……」
藤巻は斜面を駆け下りながら、荷台にいる人間の顔を見てハッとなった。
娘の玲奈、弟子の小鳥、そして玲奈の友人である響だった。三人は、必死に木の棒を振り回してデッドマンたちを追い払おうとしている。
足に力を込めた藤巻は跳躍し、デッドマンを背後から一刀両断した。
軽トラに気を取られていたデッドマンたちは突然現れた藤巻に対応することが遅れ、次々と首を跳ねられていく。
全部で十五人。藤巻は軽トラを囲んでいたデッドマンたちを全員斬り倒していた。
「あんた……何者なんだ」
デッドマンたちを次々に倒した藤巻の姿を見た軽トラの運転手は驚いた顔をしている。
「え、お父さん?」
軽トラの荷台から声がした。
そこには藤巻の愛娘である玲奈の姿があった。
「玲奈!」
「お父さん、無事だったの」
荷台から飛び降りた玲奈が、藤巻に駆け寄ってくる。
それに続くように弟子である小鳥と響も降りて来た。
玲奈は藤巻に抱きついてきた。
藤巻もしっかりと玲奈のことを抱きしめる。
「良かった。本当に良かった……」
玲奈は藤巻の胸で、子どものように泣きじゃくった。
しばらく抱き合った後、落ち着きを取り戻した玲奈は山を抜けて街へ行こうとしていたと説明をはじめた。
この軽トラックは、山で農家をやっていた運転手のものであり、デッドマンたちから逃げるために走っていたところ玲奈たちに会い、荷台でもいいから乗せてほしいと頼まれて乗せて街へ向かう途中だったそうだ。
「もう東日本は危険だ」
運転手はぼそりと呟くようにいった。
ラジオ放送で聞いたという話では、日本の首都機能はすでに大阪へと移転しており、東日本に残っているのはごく少数だという。
そのラジオ放送というのは、正規のラジオ局ではなく、誰かが電波を使って流している非合法なものだそうだ。
本当に首都機能は大阪へと移転しているのだろうか。
藤巻の頭の中には沢山の疑問が浮かんでいた。
大阪にはデッドマンが居ないというのだろうか。東京でこれだけのことになっているのに、大阪にデッドマンが居ないというのは考え難い。おそらく、ラジオ放送で語られていたことは嘘であり、大阪も東京と同じような状況に陥っているのではないだろうか。
そう思ったが、藤巻はそのことを口にはしなかった。皆、それはわかっているのだ。でも、少しでも希望がある限りは、その希望を捨てたくないという気持ちがあるから、行動をしているのだろう。
とりあえずは行けるところまで行く。その先に何が待っているかはわからないが、希望を捨てるわけにはいかないのだ。
藤巻は運転手の好意に甘えて、玲奈たちと一緒に軽トラの荷台に乗せてもらった。
運転手によれば、藤巻のような強い人間がいた方が安心だというのだ。
やっと再会できた、娘たち。藤巻はその喜びを嚙みしめながら、この先に待ち受けているであろう苦難を乗り越えようと決意した。