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渋谷駅で、さようなら

作者: 曲田原保志

週一水曜日投稿です。

楽しんでくだされば幸いです。



咲季、またね、と肩先30センチで高速で手を振る美流季が可愛くて、顔が綻んだ。

美流季は私の笑顔を見ると更に高速で手を振って、八重歯とエクボの目立つ口元で、ニッと笑った。


スキップみたいな足取りの美流季がもう振り向かないと分かるまでキープしていた楽し気なオーラを一気に脱いでドブに投げ捨てる。

あぁ、鬱陶しい。



玄関の古い門が片方開けっぱなしになっている。

奥にある私の水色の自転車が変に曲がって止まっている。ロックはされていない。



自転車を見た瞬間、咲季の眉根はギュッと音を立てたように強く歪んだ。

乱暴に回した割にカチャッとトイレの個室ドアか何かの音みたいなライトな響きがした。

この家のドアは薄い。家が古い。


防音がない家なのことを咲季は気にしている。

足を踏み鳴らしてバーンとドアを開けてやりたいところをやっと堪えて、静かにドアを開ける。

あの男が寝転がってお菓子を食べながらテレビゲームをしていた。


「ねぇ。私の自転車使わないで!」

男はわたしをチラリと見て、無表情でゲームに戻った。

「大事な自転車なんだから、触んないでって言ってんの」

お前は出て行け、パパがくれた最後のプレゼントに触るな、本当はそこまで言いたい。

男は意地悪く愉快そうに笑っている。ヒッ、と口の片側で笑いながら、見ていたテレビの画面を切り替えた。


制服姿の女の子が胸を露わに出して、中年男に鷲掴みにされて喘いでいる動画だった。

女の子は男のキモさに演技を越えて素で嫌がっている。

自分がこのエロ画像を故意に見せられていると理解するまで訳がわからないまま呆然とそれを眺めてしまった。


ここに刃物があれば余裕でこいつを刺してやるのに。

せっかくさっき耐えて静かに開けたドアを力一杯閉めたて足で蹴る。

何か言ったら負けだ、こいつを相手にしちゃいけないんだ。

堪える。こらえる。堪えるんだ。


一度自分の部屋に入って呼吸を整えようとした。

でも無理だ、あの汚らわしい男と同じ家にいるなんて。

上がりかけた階段で踵を返した。

廊下にトイレから出てきた男が立っていて一瞬驚いた表情になる。

こちらには怒りすぎて、鉢合わせくらいに驚がないし、逆に1秒1秒が長く研ぎ澄まされて感じる。

咄嗟にバッグの中の消毒液の入ったスプレーを出して男に向かって吹きかけた。


今度は男がキョトンとして、その間に咲季は靴を履いて玄関を開けた。


目を押さえながら「テメェ、この野郎、殺すぞ」と怒鳴りちらすを背中に受けて玄関ドアを足で締める。

ハンドルとサドルに消毒スプレーを掛けてから自転車に乗った。


自転車を漕ぎながら瞼を大きく開けたり頬を左右に動かして、今さっき不幸が染みついた顔を直す。

制服のポケットにつっこんであったマスクを取り出し、片手運転しながら着ける。

ほんの5分ほどの間に外気が冷たくなっている。

お日様が夕焼けの中に残しておいた温かみは、全部暗闇に吸われてしまったらしい。

部屋まで戻ってコート着てくればよかった。

ママは私がいないことに気づいてくれるかな、

探したら、あの男を問い詰めて怒ったり……

してくれないよな。


息を短く吐いてペダルを勢いよく踏むと、ギィ、と嗄れた嫌な音がした。



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