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第43話 魔王の血

『オノレ……殺ス!』


 魔人が剣を構え直す。


 殺気がさらに膨れあがった。


 同時に、剣に纏わり付いた黒炎が激しく燃え上がる。


 これまでとは桁違いの熱量だ。


「うわっ……熱っ……これじゃ、近づけないよ」


「この熱量では、我は近づいただけで蒸発してしまうのじゃ!」


 二人の困惑した声が届く。


『殺ス殺ス殺スコロスコロス……!!!』


 魔人の射殺すような視線は、片時も僕から外れることはなく、膨れ続ける殺気とともに呪詛のような言葉を吐き出し続けている。


 なぜかは分らないけど、さっきからルカとフレイには目もくれず、僕だけを標的にしているようだ。


 それ自体は、こっちの有利に働く要素だけど……


『ママママ魔王マオマオウノ血チチチ……根絶(ネダヤ)シネダネダネネダダダダダ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォーーー!!!』


 魔人が徐々にヒートアップしているのは、かなりの不安材料だ。


 しかも、魔人の身体がガクガクと痙攣しだし、ついにはあり得ない方向に曲がったり頭をガクガク激しく振りだした。


「な、なにあれ!?」


「うぬ……キモいのじゃ」


 ルカとフレイがドン引きしているけど、確かに魔人の様子をずっと見ていると、正気度が下がりそうだった。


 しかも、


「ひゃわっ!? 危なっ!」


「ぬわーっ!? 熱いのじゃ!!」


 おまけに魔人の剣から激しく噴き上がる黒炎があちこちに火の粉をまき散らし、ルカやフレイのいる場所まで飛んできている。


 炎はすでに祭祀場の天井に触れるところまで成長しており、しかも魔人の身体を包み込みつつある。


 まずいな……今ところ発狂状態でこっちに向かってくる様子はないけど、これでは僕らから仕掛けることもできない。


 というか、『魔王の血』ってなんだ?


 僕を睨み付けて『魔王』とか言っているけど、僕はただの『羊飼い』だぞ。


 ……レイスにまともな思考を求めても意味はないんだけど。


 それにしても、異様な光景だ。


「……まさか」


 以前、ギルドの座学で習った覚えがある。


 魔物は、人や獣と違い、基本的に身体が魔素で構成された半生物だ。


 そのせいか、ごく希にだけど、怒りや憎しみなど強い感情を抱いたときに己の体内の魔力を暴走させることによって強力な存在へと進化する個体が存在するらしい。


 目の前の魔人は今まさに、強力な存在へと進化をしている最中に見えた。


「……まずいな」


 ただでさえ厄介な相手なのに、さらに強力になったらそれこそ手が付けられなくなる。


『マオウウウウウウゥゥゥッ!!!! ココココココロスロスロスロスロスロスコロロロロ――――ウム、殺ソウ』


 ぴたり、と魔人の動きが止まった。


 先ほどまで憤怒に支配されていた魔人の殺気が、まるで凪いだ湖面のように静かなものへと戻っている。


 目には知性の光が宿り、まるで正気を取り戻したかのように見える。


 そして同時に、あれほど荒れ狂っていた黒炎がきれいさっぱり消え失せていた。


 けれども魔人から放たれている殺気は、さきほどの発狂状態とは比べものにならないくらい、鋭い。


『魔王ノ血ハ根絶ヤシニセネバナラヌ』


 魔人がゆっくりとした動作で剣を担ぐような独特の構えを取る。


 いやだから、どう考えても人違いなんだけど……


 けれども魔人の目は有無を言わせぬ気迫に満ちており、とても僕の話を聞いてくれそうな様子はない。


 クソ、やはりやるしかないのか……!


『――《無間の閃き》』


 さきほどとはうって変わって、ゆっくりと、けれども水が流れるような淀みのない動きで、魔人が剣を縦に振り下ろした。


 アイツ、完全に間合いの外なのに、何をやって――


 ――ギンッ!!


 鋭い音が、すぐ目の前で鳴った。


「……ウソだろ」


 僕は思わず呟く。


 見れば、展開した《加護》の表面にうっすらとだけど、細く真っ直ぐな縦の線が引かれている。


 ごく僅かにだけど、防御結界を斬り裂いたのだ。


 いや、マジか……とんでもない威力の技だ。


『……我ガ必殺ノ剣ガ防ガレタ、ダト……!?』


 けれども魔人にとっても、僕が攻撃を防いだのは相当な衝撃だったらしい。


 レイスらしからぬ愕然とした表情で、こっちを見ている。


 ヤツの中では、今頃僕は結界ごと真っ二つになっていたようだ。


 けれども、魔人が呆けていたのはほんの一瞬だった。


『ナラバ……斬リ刻ムマデダ! ――《無間の閃き・散》!」


 すぐに険しい表情に戻り、再び遠い間合いから何度も大剣を振り回す。


 ――ギギギギギギギギギンッ!


「ぐっ……!」


 今度は連続の斬りつけだ。


 結界の表面に引っ掻いたあとのような跡が無数にできている。


 だけど、耐えきれた。


 僕も、この状況を手をこまねいて見ているだけじゃない。


「――《護れ》」


 傷ついた結界に重ねるようにして、新しい結界を展開させる。


 これで仕切り直しだ。


『ヌウ……マダマダダ……! ――《無間の閃き・嵐》ッ!』


 魔人は歯ぎしりをしながらも、さらに大剣を縦横無尽に振り回す。


 ――ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギン!!!!!!!!!


 数えるのもバカらしくなるほどの夥しい斬撃が飛来し、《加護》の結界を斬り刻んでゆく。


 ……今度は一瞬でボロボロになった。


「ハハ……マジかよ」


 思わず乾いた笑いが口を突いて出る。


 さすがは世界を滅ぼしたといわれる魔人のレイスだ。


 というか、生前はどれだけ強かったんだよ……


 コイツ一体だけでも、簡単に世界を滅ぼせるレベルだぞ。


 ……だけど。


 僕だって、まだ余力を残している。


「……《護れ》」


 新しい結界を展開しなおす。


 ボロボロになった方はその直後に粉々に砕け散り、虚空に融け消えた。


「テオ君!」


「お主!」


「大丈夫! 二人は手を出すな!」


 心配そうな顔をするルカとフレイに向けて僕は叫ぶ。


 今、二人を僕に近づかせるわけにはいかない。


 魔人の剣から放たれる不可視の斬撃は僕の《加護》にダメージを与えるような、とんでもない攻撃だ。


 喰らえば、フレイは当然のこと、《守護者》で身体能力が超人の域にあるルカの防御力でも、ひとたまりもないだろう。


 だから僕が、アイツの体力か魔力切れまで粘って、隙を作るしかない。


 ヤツがいくら伝説の種族だとしても、所詮はレイスだ。


 体力も魔力も無尽蔵とはいかないだろう。


 チャンスは必ず巡ってくるはずだ。


 そこまで耐えきる。そうなれば僕らの勝ちだ。


「おい魔人、お前の本気はその程度か!」


『……ッ! ナラバ、コレハドウダ!』


 どうやら今度は言葉が通じたらしい。


 魔人は僕の挑発にギリリと歯を噛みしめ、腰を低く落とした。


 大剣を片手で持ち、もう片方の手は刃に添えている。


 まるで矢をつがえるように僕にその切っ先を向けた、見たことのない奇妙な構えだ。


 けれどもその殺気は、それだけで僕を穿(うが)ち殺すような、凄まじい鋭さだった。


 ハハハ……今度のは、マジでヤバそうだな……


 あまりの迫力に、笑いがこみ上げてくる。


 だけど……受けきるしかない。


「……《護れ》」


 さらにもう一層、結界を重ねるように展開。


 さすがに今の僕では、《加護》の重ね掛けは二層までが限界だ。


 これでダメなら……いや、よそう。


『死ネ。――《次元穿(ジゲンセン)》』


 魔人がぼそりと呟く。


 大剣が僕に向かって突き出される。


 極度の集中状態に入っているせいだろうか。


 まるで針のような細さにまで超圧縮された魔力が、空間を歪めながら僕目がけて一直線に突き進んでくるのが見えた。


 ――バキン


 魔力の刺突攻撃が一層目の《加護》を貫いた。


 ――バキン


 二層目が砕かれた。


 僕は動けない。


 魔人の動きが緩慢に見えたのは、極度の集中のせいで意識だけが加速しているからだったらしい。


 思考に身体が付いてこない。


 刺突がちょうど心臓目がけて突き進んでくるのを、僕はただ見ていることしかできなかった。



 やばい……これは、死ぬかも……



 その確信が全身に満たして――





「殿方同士の決闘を邪魔するのは無粋かと思いますが……今、貴方に死なれては困りますので」




 女の声がどこからともなく聞こえて、僕の前に、黒い影が突如出現した――僕にはそう見えた。


 黒い影が、手をスッと前に差し出す。


 そして、鋭く尖った魔力の塊をそっと掴むと――パキン、と素手で砕き折ったのだった。


「申し訳ございません、魔王様」


 ふわり、と黒い影が振り返り、そしてこともあろうか……うやうやしく、僕の足元にかしづいたのだった。


「……は?」


「先ほどまで所用を片付けておりましたゆえ、お側でお仕えすることができず……この私、一生の不覚」


 黒い影が顔を上げる。


 見覚えのある、女の子の顔がそこにあった。


「…………ノンナさん?」


「はい、魔王様だけのノンナです」


 まるで恋する乙女のような瞳で僕をじっと見つめながら、ノンナさんが熱っぽい口調でそう言ったのだった。

「おもしろかった!」

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