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第12話 迷い道

 廃村で一泊して、早朝に出発することにした。


 幸いなことに村の内部には建物が残っていたので、比較的快適に夜を明かすことができた。


 ルカのあとに温泉に入ったけど、なかなか風情のある場所だったし。


「うーん、いい天気だなあ」


 廃村から出てほとんど山道と化した街道をしばらく登ると、森が消え、灌木だらけになった。さらに進むと、それも消えた。


 ギルドの座学で習った、森林限界、というやつだ。


 そのあとの道は絶景だった。


 視界いっぱいに広がる草原、岩場、それに残雪。


 その先には、蒼天を灰色に削り取ったかのような荒々しい山脈の威容。


 空は快晴。


 すでに雲はもうはるか下だ。


 その様子を見下ろしながら、僕らはさらに高度を上げてゆく。


 すでに空気は身が切れそうなぐらい冷たい。


 けれど、文句なしの旅びよりだった。


 この調子なら、正午を回るまでに峠に到着できるだろう。


 実際、旅は順調だった。


 旅、自体は。


「…………」


 僕の後ろで、ルカが黙って付いてくる。


 道を知るのは僕だから、先頭を行くのは問題ない。


 けれど。



 朝から僕らは一言も喋っていない。



 というか、ルカが口をきいてくれない。


「……昨日のことは、本当にごめん。まさか温泉の上にあった道が崩落するとは思わなかったんだ」


「……っ!」


 僕が振り返った途端、そっぽを向かれた。


 長い黒髪からのぞく耳が真っ赤だった。


(参ったな……不可抗力だったとはいえ、もうちょっと気を付けるべきかも)


 といっても、どう気を付ければよかったのか。


 まったく思い浮かばない。


 昨晩、魔物避けの結界を敷設していたら巨大な影が温泉に向かって飛ぶのを見た。


 急いで戻ったはずが、なぜか道に迷ってしまったのだ。


 それで、ようやくたどり着いたと思ったら、なぜか元来た道と反対側にある、小さな崖の上に出てしまった。


 崖の上は草木が生い茂っていて、足元が見えづらかった。


 ルカの身を案じて、急いでいたのもあった。


 あっと思ったときには崖から滑り落ちていた。


 ちょうど落ちた場所が、温泉の少し水深のあるところだったのは不幸中の幸いだった。


 そのあとは……まあ……ルカってすらっとした身体の割には結構……いや、やめておこう。


 後ろで怒気が殺気に変わった気がする。


 僕はまだ死にたくない。



 ◇



 しばらく歩くと、草原地帯が消え、ほとんど岩と残雪だけになった。


 山道もほとんど岩を登っているような状態だ。


 先人が残した目印や錆びた鎖などを目印に登ってゆく。


 間もなく峠が近い。



 ……そして。



 峠に到着する少し手前で、僕らは立ち往生していた。


「道、なくなってる……」


「道、なくなってるね……」


 僕らは口を揃えて、呟く。


 目の前の山道が崩落していた。


 足元には、目がくらむような深く切れ込んだ谷が広がっている。


 谷の下には雲がかかっていて、底が見えない。


 この辺は、冬はかなり雪が降る。


 雪崩と一緒に山道ごと山肌が崩れてしまったのだろう。


「……どうする? テ……サポーターの君から見て、ここって渡れるものなの?」


 ここに来て初めて、ルカが僕を見た。


 しばらく歩いたからか、少し機嫌が直ったらしい。


「うーん、ちょっと難しいかも……」


 山頂に近いせいか、山道は細く険しい。


 谷側は切り立った断崖絶壁だし、山側はこれまた険しい崖だ。ルカと一緒では、とても登れそうにない。


 もっとも僕は、故郷では【羊飼い】として山羊を追ってしょっちゅう岩場を渡っていた。


 だからどこの足場が危険で、どこが安全かが経験上分かる。


 僕一人ならば、危険を冒して渡ることもできなくもない。


 ただ、ルカに同じ事をさせるつもりはない。


 もちろん剣士だから身体能力は僕よりずっと高い。


 けれど、それはつまり僕と同じ力加減やバランス配分で足場を移動できないということだ。


 僕にとって正しい指示が、彼女にとって同様に正しいかどうかは分からない。


 少しでも重心移動や掴む岩、足の置き場を間違えれば、底なしの谷に真っ逆さまだ。


「いったん引き返そう。ちょっと遠回りになるかもだけど、他にも峠を越える道はあると思う。そっちを探した方が安全だよ」


「そうだね」


 ここまで来て残念だけど、どうしようもない。


 元来た道を戻る。



 ……戻ろうとした。



「…………ねえテオ君。私たち、さっきこんな道通ったっけ?」


「通った覚えがないね」


「私たち、道に迷ってない?」


「そんな気がする」


「ここにこんな花畑、あったかな」


「……なかった気がする」


 僕らは完全に道に迷っていた。


 最初は順調に道を降っていた。


 けれど、残雪にまみれた岩場で下から這い上がってきた雲に飲み込まれたあとは、ほんのすぐ先の道すら定かでないほどの濃霧に包まれてしまっていたのだ。


 そこから、どう歩いたのか……記憶が曖昧だ。


 どうやら完全に知らない道に迷い込んでしまったらしい。


 今いるのは、周囲に白い花が咲き乱れる、なだらかな斜面だった。


「一本道だったよね?」


「うん。脇道はなかった……と思う。ただ、岩場でルートを間違えたのかも」


 険しい岩場は、階段も手すりもない。


 もちろん先人の残した目印や鎖が設置されてはいる。


 とはいえ、ただでさえ濃霧の中だ。


 目印と自然にできた岩の傷と見間違えてしまっていたとしても、ありえない話として否定はできなかった。


 ただ、どうやって岩場からこんな場所に出たのか、その過程がすっぽり抜け落ちたように思い出せない。


「仕方ない、いったん山を登ろう」


「えっ、降りた方がいいんじゃない?」


「ダメだ。さらに道に迷ってしまう可能性が高い」


 山で道に迷ったときの基本は、「降るな、登れ」だ。


 何も考えず山を降れば、必ず沢に出る。


 沢はその先に滝がある可能性が高い。小さな滝なら脇から降りることもできるが、高ければそこで行き止まりだ。


 それに水場だから、足場が悪く怪我をしやすい。


 転んで傷を負うくらいならまだマシで、滑落して足でも折れば、あとはその場で死を待つだけだ。


 現在地は麓よりずっと山頂に近い。


 登る方が山道に復帰できる可能性が高いだろう。


「大丈夫だよ、きっと元の道に出られるから」


 不安そうなルカにそう言って、僕は元来た道を登り始めた……


 そのとき。


「テオ君、下がってッ!」


 急にルカの顔つきが変わった。

 素早く前に飛び出し片刃剣を抜く。


「ルカ?」


 まさか、魔物?


 気配は感じられない。


 彼女の見据える方には花畑しかみえない。


 もっとも周囲を漂う濃霧のせいで、視界はかなり悪い。


 見間違えでは……と思った次の瞬間。


 霧の向こうで、僅かに影が差した気がした。


「出てきなさい! そこに隠れているのは分かっているんだからね!」


「ほう……見えるのか、我が」


 臓腑を撫でるような、気味の悪い声がした。


 ぞわり。


 霧が凝縮するように、影が実体を帯びてゆく。


 深い霧の奥から、小柄な人影が歩み出た。


 豪華な装飾の黒いドレス姿で赤い髪をした、可愛らしい女の子だ。


 年は十くらいだろうか。


 どこかの貴族の、深窓のご令嬢といった趣だけど……


 こんな場所で一人で立っているのだから、違和感しかない。


「君は……フレイ!?」


 ルカが驚いたような声を上げた。


「知ってるの?」


「う、うん……実は、テオ君が飛び込んでくるちょっと前に……なぜか温泉に入ってた」


「なんで!?」


「知らないよ! でも、悪い子じゃないって思ってたから!」


 そもそもルカの態度がおかしかったのは、この子のことを僕に言うべきか迷っていたからだったのかな?


「忠告したはずじゃぞ。この領域に立ち入るなと」


 少女の顔がぐにゃりと歪んだ。


 笑みを浮かべたのかと思ったが、違う。


 顔そのものが、まるで粘土を捻ったかのように歪んだのだ。


 歪みは顔だけに留まらない。


 首から胸、胴体から手足の先まで。


 すでに少女の姿はどこにもなかった。


 少女の人体だったものが、


 (いびつ)に捩れ、


 ぎちぎちと不快な音とともに引き延ばされ、


 時には分裂、そして増殖しながら形を変えてゆく。


 そして――


「カカカカ……活ィきの良い餌じゃ……骨まで舐って、しゃぶって、味わってやろうぞ」


「……マジか」


「……うそでしょ」



 僕とルカは、同時にそれを見上げた(・・・・・・・)



 大きく開いた腔内にちらつく仄暗い炎が、乱杭の様に生える無数の牙を舐め。


 深い眼窩に嵌まった眼球には魂を凍り付かせるような青白い光を湛え。



 僕らの前には、今。


 巨大な翼を広げた赤竜が立ちふさがっていた。

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