第10話 湯煙と少女
「お、お、お、温泉だぁーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
ルカの歓喜に満ちた絶叫が辺りにこだまする。
眼前に煙る、白い蒸気。
川縁の岩場に湛えられた、白濁した湯。
街に存在する大衆浴場とまではいかないけど、大きさもそれなりにある。
なにより、露天風呂だ。
周囲は独特の臭気が立ちこめていて、それが否が応でも僕らの旅情をかき立てる。
ここは白竜山脈の中腹、目的の廃村にある秘湯だ。
街道を逸れた場所にある廃集落を抜けて、二十分ほど山道を歩いたその先。
ちょうどさきほどの断崖から川を遡上した場所に位置するこの温泉は、『白竜の湯』と言う。
名前は廃村がまだ温泉街だったころに付けられたものだ。
湯船からはすぐ近くを流れる谷川や、少し標高が高めの場所なおかげで、対岸の先にはこれまで歩いてきた樹海が一望できる。
栄えていたかつての時代は、この湯と絶景を求めて、さぞかし人の往来があったことだろう。
もっとも地上に魔物が溢れる現在では、ふんだんに護衛を率いることができる貴族や大商人のような連中か、冒険者のようにある程度戦闘訓練を積んだ者しか、この恩恵にあずかることは難しい。
まあ、僕は冒険者見習いだけど。
「どうする? いつ入る? このまま飛び込んでいい? いいよね!?」
視線を湯船と僕で何度も往復させる彼女のテンションが、さっきからマックスから下がらない。
「ひとまずあそこで、最低限の装備以外は外した方がいいと思うよ……」
温泉の脇にある、朽ちかけた小屋を指し示す。
引き戸の横には、『脱衣所』と書かれている。
ルカの武器は、先の戦闘で活躍した片刃剣と腰の後ろに差したサブのダガーだ。
もちろんどちらも金属製。少なくともダガーの方は僕も持っているから知っているけど、耐蝕加工はされていない。
軽鎧の肩や胸などにも鉄製のプレートが入っているだろう。
この温泉は酸性湯だ。
着の身着のまま飛び込んだら、肌はすべすべになるかもしれないけど、装備は劣化してしまう。
「う、うん、ごめん……。少し舞い上がりすぎてたかも」
バツの悪そうな顔でそう答えるルカ。
「僕は念のため、魔物避けの簡易結界を回りに設置してくるよ」
まあ、さすがに一緒に入るのはダメだろう。
僕もそこまで無神経ではない。
「う、うん、ありがとう」
彼女の声を聞きながら、僕はその場をあとにした。
◇
「ふうー…………」
湯船の縁に身体をあずけ、ルカは天を仰いだ。
すでに空は深い紺色に変わっている。
対岸の奥に見える樹海はすでに闇に沈んでおり、背後を見れば淡い陽光が山際を影絵のように際立たせている。
テオが灯してくれたランタンのお陰で湯船周辺は暖かな光で照らされている。
湯船から立ち上る湯気がふんわりと周囲を漂い、幻想的な光景を作りだしていた。
(し、幸せだぁ…………)
風呂に入るのは、実のところかなり久しぶりだ。
拠点にしていた前の街では、泊まっていた宿に井戸しかなかった。
だからこうして温かな湯に浸かっていると、今までの疲れやストレスが外に溶け出していくような気分になる。
(テオ君、先に入ってごめんね)
なんとなく心の中で謝っておく。
自分の身体が汚れているとは思わないが(というか、温泉に浸かる前にちゃんと身体も流したし)、ストレスや疲れが溶け出した湯は、あまりきれいなものとは思えなかった。
もっとも、この温泉は当然ながら掛け流しだ。
ルカが浸かったそのすぐそばから、川へ湯が流れ出していく。
テオが入る頃には、もうすっかり新しい湯に入れ替わってしまうはずだ。
「ほわぁーーー……」
ぼーーーっとしていると、あっという間に時間が溶けていく。
湯船から見る外の景色は、すでに闇一色だ。
ルカは視線を水面に映した。
少し動くたびに波紋が生まれては、白い湯に広がり溶けてゆく。
そんな様子をぽけーっと眺めていると、頭の芯までぽかぽかとしてきた。
「はえーー…………」
だんだんと、ルカの視点が定まらなくなってくる。
もう顔はだらしなく緩みっぱなしだ。
そのせいだろうか。
取り留めなく、いろいろな考えが頭に浮かんでは消えてゆく。
(お風呂、いつぶりだろ……)
ソロで冒険者をやっていると、懐事情はどうしても厳しくなる。
仲間同士で融通しあえる物資も、自分で調達しなければならない。
急な出費があったときや怪我を負ったときは自己責任だ。
今まで、よくソロで頑張ってきたな、と自分を褒めてやりたい気分だった。
(それにしても、私に仲間ができる日が来るなんて……夢みたい)
ルカは湯に首まで浸かると、ぼんやりと視線を水面に視線を漂わせた。
ルカが冒険者になり名簿にその名を登録したのは、もう二年も前のことだ。
……それは、ちょうど15になった日だった。
見習い期間中、仲良くなった少女がいた。
少女の方が歳は少し上だったがルカとはなにかと気が合い、しかも二人とも【剣士】だったこともあり、以来、いつも一緒に行動するようになった。
組んでいたパーティーこそ違ったが、それ以外はいつも一緒。
依頼を終えたあとは共に労をねぎらい、一緒に夕ご飯を食べた。
休暇の日は一緒に街に出かけ、買い物を楽しんだ。
もっとも立ち寄る店のほとんどは武具屋だったが。
剣についてはどんな技が好きか、どこの銘がいいかよく語り合ったし、どんな冒険者になって、どんな活躍をしたいかなど、お泊まり会と称して一緒に宿を取り、部屋で夜通し語り合った。
普通の女の子の有り様とはちょっと違うような気がしたが、それは友人も同じだから気にならなかった。
二人とも年頃の女の子だったから、もちろん恋の話もたくさんした。
少女の好きなタイプは『少し気弱で護ってあげたくなるタイプ』だそうだ。
男か! とルカは思ったが、よくよく考えてみると、自分もそういうタイプが結構好みだった。
何しろ、自分には武の才があった。
自分の身は自分で護れるのだ。
今ではとてもそんな思い上がりなど、と恥ずかしくなるが、少なくとも当時はそう思っていた。
ともかく、ルカは彼女を、家族と同じか、その次くらいに大切に思っていた。
だから。
冒険者検定にその支部の史上最速で合格したことを、郷里で暮らす親よりも早く、少女に真っ先に報告した。
自分でも、満面の笑みだったと思う。
けれど少女は、笑わなかった。
その夕方、少女が見習いで所属しているパーティーのリーダーが、ルカを食事に誘ってきた。
名目は、『検定合格おめでとう打ち上げパーティー』だ。
なぜ少女ではなく、彼女の所属しているパーティーのリーダーに誘われたのか分からなかったが、少女も来ていると言われたので、夜、約束していた酒場に向かった。
少女はいなかった。
代わりに居たのは、彼女以外のパーティーの男たちだった。
みな見たことのない、歪んだ笑みを浮かべていた。
その後のことは、あまり覚えていない。
ルカが気がついたときには、床に人相が分からないほど顔が腫れ上がり、四肢が異様な角度にねじ曲がった男たちが転がっていた。
剣を持っていなかったのは、幸いだった。
街で人を殺せば、冒険者登録などできなくなってしまうのだから。
ルカはその後少女の宿泊している宿に向かった。
少女は不在だった。
仕方ないので、男たちの元に戻り訳を聞こうと詰め寄ったが、彼らはルカを見ただけで恐慌状態に陥ってしまい、なにも聞き出せなかった。
結局、ルカは一人で冒険者ギルドに出向き、冒険者名簿に登録した。
対応した受付嬢から「今日はひとり?」ときかれた。
ルカは曖昧に笑い、言葉を濁した。
何かを察した受付嬢は、少女が実はもうすでに五回検定に落ち続けていたことを教えてくれた。
それと、すでに少女は街を出たことを。
悲しい顔をした受付嬢は、ルカが少女の行く先をいくら尋ねても教えてくれなかった。
以来、ルカはずっと一人で冒険者を続けてきた。
テオと出会うまでは。
(いかんいかん……! ぼーっとしてたらイヤなこと思い出しちゃったな……)
ザバッ! と勢いよく立ち上がり、ババンッ! と両手で頬を張る。
ヒリヒリした痛みが、火照った両頬に心地良い。
おかげで、のぼせた頭がスッキリした。
「肝心なのは、今でしょ!」
ルカは誰に聞かせるともなく、けれども元気よく叫ぶ。
「そう、今じゃな」
あのとき何を間違えたのか、いくら考えても、どうしても分からなかった。
だけど今度は、間違えない。
わからない。
でも間違えたくない。
私よりずっと弱いのにかかわらず。
あのとき私の隣に並んだテオ君とは。
これからも、ずっと一緒に並んでいたい。
もちろんテオ君とは普通に仲良くなりたいし、できれば一緒に夜通し語り合ったりは……したい……いや、今はまだ早いかな……でもそのうち、もうちょっと先なら……
「ああっ! その先はだめだよっ!」
その先を妄想しそうになり、慌てて首を振る。
「そうなのかえ? 確かにあっち側は少し深いのぅ。今の我の背丈では、背伸びをせねば足が付かぬかも知れぬのじゃ」
「そうそう、私ももっと地に足を付けて……」
そこで気付いた。
「……誰?」
話というか返事が噛み合っていない気がするが、それはどうでもいい。
……湯気の向こう側に人影が見えた。
そういえば、テオが魔物避けの結界を張ると言ってここを離れてから、それなりの時間が経っている気がする。
もう戻ってきたのだろうか。
「テ、テオ君……?」
(もしかして今の、聞かれてたっ!?)
ルカも冒険者だ。
今更誰かに裸を見られて動じるほど乙女ではない。
だけど、テオ君にしては少し口調がおかしいような。
それに、こんなに甲高い声だっただっけ?
そもそもテオ君はこっそり湯船に入り込んだりしない。はず。
いや、多分、きっと。
ルカは眉をひそめ、湯煙の奥に目をこらす。
と、そのとき。
ざあっ、と湯船の上を、宵の風が吹き抜けた。
濃い湯煙が、一瞬で取り払われる。
「…………ほんとに、誰?」
そこには、どっぷりと肩まで温泉に浸かり、だらしなく顔を緩ませた――
赤髪の小柄な少女がいた。
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