夏のホラー
(なんで何だよっ・・・・・・)
視界に映るもの、匂い・物音、そのすべてに耐えられない。気づいてしまったときからずっと。気が狂いそうだ。
「元気そうで良かったよ」
「当たり前だろ。なに馬鹿みたいに心配して駆けつけてるんだよ」
山口直人は上半身を起こして笑った。寝癖も無精ひげもないぶん、夜を明かして遊んでいた高校時代よりむしろ健康そうに見えた。
直人は高校の同級生でよくつるんでいた。今はあまり交流がないが、交通事故で入院したと聞いて見舞いに来たというわけだ。
俺は大学に進学し、直人は専門学校に進学、今では社会人だ。
「それにしても災難だったな。こんな病院に入院するなんて」
「それを言うなって。他にも入院している患者がいるんだぜ」
「でもさぁあの天井の汚れなんか、怪しくないか」
「やぶ医者にかかった死者の怨念ってか?」
二人して声を押し殺して笑う。このH病院は、子供のころ、やぶ医院で知られていた。誰が死んだだの後遺症が残っただの、まぁ子供の噂に過ぎないけど。
あまり長居をしては悪いので、見舞いに持ってきた漫画本をおいて、早めに切り上げた。
「じゃあな、今度は病室じゃなくて、どっかの飲み屋で会おうな」
陳腐な表現だが、これが俺と直人との最後の会話となった。生前での……
直人の死因は、交通事故とは関係のない急な心臓発作だったらしい。
同級の死はショックだったが、最近はそれほど親しかったわけでもない。彼の死によって俺の生活が変化することはないーーはずだった。
夢に直人が出た。白い部屋、いるのは直人と俺だけ。直人が俺に向かって話しかける。ぼんやりとして彼の表情までは分からない。
(……なんだ、何を言っているんだ?)
何かを伝えようとしている。だが何を言っているのか聞き取れない。
夢から覚めた。驚いたことに身体が動かなかった。金縛り。こんな体験初めてだ。閉じられない瞳。動かない視界。その隅にぼんやりとした幻が浮かんでいた。
(もしかして直人か? なんだ、どうしてここに?)
気づくと身体が動けるようになっていた。幻もいつの間にか消えていた。
彼は何かを訴えようとしていたのだろうか。最近それほど会ってもいなかった俺に対して、死して伝えたいことがあるなんて。驚いた。不謹慎かもしれないが少し嬉しかった。
翌日、また直人が夢に現れた。彼は口を閉じたままだったが、声が、耳ではなく頭に響いた。信じられない言葉が。
(はっきりいって、僕、お前のことが嫌いだったんだ)
は? 何を……言っているんだ。
(僕はお前が憎らしかったんだ。大学にいって気楽に暮らしているお前が……!)
ちょっと待て。それってーー
(・・・・・・僕の気も知らないで楽しそうに……許さない。絶対に……コロシテ)
「ぅぁぁわぁぁっぁ!!」
目が覚め跳ね起きた。シャツが汗でぐっしょり濡れていた。ナンナンダコレハ。
息が荒い。呼吸をゆっくりと整え落ち着いて考える。考えるまでもない。これは夢だ。単なる夢。直人の亡霊が俺に何かを伝えようとかそういうものじゃない。勝手な俺の妄想、そうに決まっている。
布団にもぐりこんで瞳を閉じた。眠れるはずがなかった。
翌日も、次の日も「夢」は続いた。直人の話はどんどん具体的になっていく。球技大会のこと、数学Bの授業のときのこと、俺が忘れていたことまで、恨み言が綴られる。
――俺はそこまで憎まれていたのだろうか。
あの幻ーーいやもう幻ではなく、はっきりと直人と分かるーーは、どんどん俺に迫ってきていた。
声は聞こえるのに口は閉じたまま。一方で瞼は真っ赤に充血した眼球が飛び出しそうなほど見開いて、その視線はまっすぐに俺に向いている。夢か現実かもう分からないそれは、日に日に近づいてきては消える。日がたつにつれて、迫ってきている。あと数日もすれば俺に触れるだろう。そのとき、俺は……
眠っているのか起きているのか曖昧な夜が続いた。大学の授業はほとんど頭に入らなかった。そして帰宅途中、俺は交通事故に遭った。なんとなく予感はあった。直人の呪いのせいではなく、俺自身の、死んで解放されたいという、願望だったのかもしれない。
だが俺は死ななかった。気づいたら病院の一室で寝ていた。
怪我は思いのほか軽く、検査も含め一週間もかからず退院できるといわれた。
ちなみに俺が入院したのは、あの、H病院だった。少し気になったが、実家から近く、周りに入院施設のある病院がないので、不自然というほどではなかった。
環境が変わったおかげか、あの「夢」は見なくなった。ちょっと強めだが冷房も効いていて涼しい。久しぶりに快適な睡眠が取れた。交通事故の怪我も含め、体調は一気に回復した。
見舞いがひと段落したころ、珍しい顔がたずねてきた。地元の友人の幸田。最近は連絡なかったが、小中のときは良く遊んでいた。
「元気そうで良かったよ」
「はは。まぁもうほとんど治りかけだしな」
久しぶりに会ったので、近況報告だけで意外と話が弾んだ。けどときおり視線を上に移す幸田の仕草が気になった。
「ん? 何を見ているんだ」
「いや、別に。じゃあそろそろ帰るよ。また今度な」
幸田は見舞いにと漫画本を置いて帰った。
静かになった病室。ふと気になって、さっき幸田が見ていた天井を見上げる。通常寝ているときの視界から少しずれる。見覚えのある赤茶けた染みが映った。アレは……まさか、ここって、ウソだろ……
寒気が走った。冷房のせいじゃない。
いまさら気づいた。この病室、四人部屋の入り口から入って左の窓側。ここは、あいつ、直人が入院していたベッドだったのだ。
さすがにシーツや枕は取り替えているだろう。点滴の針だって同じはずがない。けれどここから見えるものを、あいつもずっと見つめていたのだ。視界だけじゃない。匂いだって音だって、あいつと同じものを――
このベッドの上で、気のせいか大きくなっているあの天井の染みを見ながら、窓の景色を見ながら、独特の病室の香りと窓の外でなく蝉の鳴き声を聞きながら、俺のことを憎み続けていたのか。夢に出るほど、姿を見せるほどずっとずっとずっとずっと……
直視できずに、天井の染みから顔を背ける。目に入ったのは、幸田が置いていった漫画本だった。タイトルは違うが俺が直人に持っていったものと同じ作者だった。
……くそっ。なんでこんな縁起でもないものを持ってくるんだ。あいつ。思えば、間の悪いやつだった。あのときもあのときもあのときも……
ゆるさない。ユルサナイ……
「ねぇリカぁ・・・・・・もぉやめよーよぉ?」
「大丈夫だって。もぉ絵美子ったら、恐がりなんだから」
数年後、廃院となったH病院は、不況の影響で買い手もなく、解体されずに放置されていた。近所の人間はなぜか近寄らないが、転校してきたリカにとっては絶好の肝試しスポット以外の何物でもなかった。友達となった絵美子を連れて、わいわい騒ぎながらどんどん階段を上って行く。
「ここは病室だったのかな。何もないねー。うわぁぁ。ほら見て、なんか天井のシミかな? すごいよ。なんていうか、でっかくて気味悪くて心が吸い取られるような――」
尻込みする絵美子に対して面白そうに解説していたリカが急に黙り込んだ。
「……ねぇリカ、なんで黙ってるのよ」
沈黙に耐えられなくなって、絵美子はリカの肩をつかむ。リカがゆっくりと振り向く。絵美子は、はっと息をのんだ。
リカが、ぞっとするほど冷たい瞳で、絵美子を睨んでいた。
勘違いで、仮題がそのままタイトルになってしましたが、題名を決めるのは、なかなか難しいのでかえって良かったかもです(笑)
サポート担当のrame様には大変お世話になりました。