参、琥珀色の瞳
分からない、さっきまで手に取るようにわかっていたはずの彼の気配が辿れない。
どこ、どこにいるの?どうして隠れたのよ、どうして、こっちを見てくれないの?
あなたと入社式の後の懇親会で会った時、あなたは私に“初めまして”と言った。
その時に私は物凄くガッカリしたし、自分が恥ずかしかった。
ねえ、覚えてない?私たち中学の時同じ塾だったのよ?
話したこともあるのよ、何回か。
私は全部覚えてるけど、あなたにとっては有象無象の一つだったみたいね。
あのね、高校の時も何度か駅ですれ違ってるの。
あなたから声をかけるのを待っていたけど、お友達といたみたいであなたってばこっちをチラリともしないんですもの、ちょっと腹が立ったわ。
大学生の時は、駅前のハンバーガーショッ
プでバイトしていたでしょう?
同じところで働きたかったけど、大学生になってもバイトを許してもらえなくて
仕方がないからあなたがいる日だけ通ったわ。
でもそのうちあなたは見かけなくなって。
ああそんなもんだったのか、私たちの関係は。
神様に見捨てられたような気分になって、人並みに絶望したりもしたわ。
でもね、神様ってば私を見捨ててなんかいなかったの。
だって、適当に入社した会社にあなたも新入社員として入社していたのだもの。
久しぶり、私がそう口を開く前にあなたは言ったわ
『初めまして。』
と。
私、私本当に驚いて、何も言えなかったわ。
でも少し考えて気づいたの。
ああ、あなたは恥ずかしがり屋さんなんだって。
あなたと私の関係を知られて揶揄われるのが嫌なんでしょう?
だって、そうじゃなきゃおかしいじゃない。
あなたとの秘密の関係は楽しかったけれど、ずっと隠しておくのも嫌よ、
だって私はもう何年も前から言いふらしたくて堪らなかったのだもの。
同僚や先輩とは休憩室でしょっちゅう話すの。
彼氏はいる? だの、好きな人は誰? だの。
あなたが嫌がることを無理やりするのもいけないと思ったから、そう。そうね、濁しながら言ったわ。
恋人がいて、同僚で、どんな人で。あとはあなたがどれだけ優しくて、どれだけつれないかも。
名前も何も出していないのにみんな勝手に想像して、勝手に私とあなたを繋げてくれる。
あなたはあの部署ではエースだったから、噂はあっという間に広がったわ。
私、ちょっと嬉しかった。
今まではずっとひた隠していた関係もこれでその必要は無くなったわけだもの。
だから、ねえ?どうしてそんなに青ざめた顔してこちらを見ているのかしら?
どうして私に
『僕と付き合ってるような噂を流してる子知らない?』
なんて聞けるのかしら。
どうしてあなたは、私の名前を呼んでくれないの?
喧嘩、とすら言えないと思う。一方的に私が酷い態度をとってしまったわ。
悪いとは思っているけれど、怒らせるようなことをしたのはあなたも同じ。
けどずっとこのままじゃ嫌なのも確かだから、反省して謝ろうと翌日出社したが、彼は休みらしい。
最近体調を崩すことが多いのだそうだ。
少し心配だけど、私はどこか安心感があった。
今はそうね、家で寝ているわ。
いつからか私は、彼がどこにいて、何をしているのか、なんとなくわかるようになった。
なぜわかるのか聞かれてもそれは答えようがないのだけれど、兎に角わかるとしか言いようがないのだ。そしてそれは徐々に確信へと変わっていった。
いつでもどこで、彼を感じていられる。
ああ、なんて幸せなのだろう。
けれど、そんな幸せも束の間だった。
今朝、ついさっきまで辿れていたはずの気配が、ある時を境にぱったりと途切れるように消えてしまったのだ。
もしかして、最悪の想像が頭をよぎる。
嫌よ、駄目!そんなの。
私は闇雲に街を駆け回っていた。
街に漂う彼の残滓を辿るように、導かれるように。
早く、早く彼を見つけなきゃ、彼を見つけて、
見つけて
見つ、け、
て。
「見つけて、どうするんだい?」
その男の声は、数メートル先にいるのにどうしてだか頭の中にクリアに響き渡るようだった。
「決まってるじゃない、見つけて……、」
「見つけて、それから?」
「それから、話を聞くわ。最近体調が悪そうだったもの。それにこの前ひどい態度を取ってしまったことも謝りたいし、それから……」
「話を聞いてそれから? 納得できなかったらきみは彼を食べてしまうのかい? ああ、納得したとしても食べてしまうのだろうね。」
男が何をいっているのか、私にはわからなかった。
けれど日本人にしてはやけに明るい琥珀色した瞳の鋭さに、余計に言葉が詰まる。
ああ、私はその色の瞳を、知っている。
ワタシはオマエを、知っていル。
にこりと笑う男の瞳は、少しも笑ってなんかいなくて。
「橋姫。おまえの力、おれに寄越しな。」
息が詰まるほどに冷たい声音でそう囁いた。