3.異人 下
一瞬だけ目撃したリトを追って外の通路へ降りたユォノは、敷石の上でしばし途方に暮れた。リトはどちらへ向かっただろうか。数ヶ月でその構造を把握するには、この宮殿は広大で複雑すぎた。見慣れぬ造りの建物の数々は、ユォノの目にはどれも同じに見える。
それでも上階から見えた角度を思い返し、ユォノはリトが向かった方向に当たりを付けて歩き出した。道は整えられた石畳で、雑草が生えている様子もない。さりとて瀟洒な庭園が広がっている訳でもなく、簡素な道が続いているようだった。
果たして行く手に見えたのは、どうやらこの宮殿の務め人が寝泊まりするための官舎のようだった。後宮住まいのユォノには縁のない一角であり、彼女は背の高い楼閣に一瞬だけ瞳を揺らす。場所を取らずに多くの人間を収容するためか、官舎は宮殿内の建物と比べて些か背が高い。飾り気のない木組みの建物ではあったが、窓辺に干された洗濯物や入り口脇に置かれた手押し車なんかに生活感の漂う風体であった。
官舎の周辺に人気はなく、なるほど、今の時間帯は誰もが宮殿の方に働きに出ているのだから当然のことである。ユォノは周囲をぐるりと見回した。官舎に続く道は一本道で、途中でリトの姿は見かけなかった。そうなれば、この辺りにリトがいるのだろうが……。
「……めろよ、やだ、」
か細い悲鳴のような声を聞き咎め、ユォノは弾かれたように振り返った。声がしたのは右手である。そちらには現在はほとんど空になっている馬房が横一列に並んでおり、数頭の馬が耳を動かしながらユォノをじっと眺めている。
声はどうやら馬房の向こうから聞こえるようだった。ユォノは眉をひそめ、足音を忍ばせながら馬房を回り込んだ。壁に身を寄せるようにして、そっと角から顔を覗かせる。
「……っ!」
ユォノは咄嗟に片手で口を塞いだ。背筋に怖気が走る。膝に力が入らなくなった。
地面の上で、まるでぼろ切れのように汚れ、横たわっている少年の姿があった。その胸は僅かに上下しているものの、土や血のついた顔はぴくりともせず、目を閉じたまま動かない。それがリトであることは疑いようのない事実だった。痛めつけられたリトを囲むようにして、四、五人の青年が顔を見合わせてせせら笑っていた。
地面に力なく投げ出されている手は、何かを握りしめるように強く閉じられている。その手を無理矢理こじ開けようとするように、背の高い青年がしゃがみ込み、手首を捻り上げた。リトの唇が歪み、隙間から掠れた呻き声を上げる。
「ほら、早く金出せって。持ってきたってことは払う気があるってことだろ? 渋ってんじゃねぇぞ」
薄らと目を開き、リトが何事かを囁いたようだった。それは離れたところにいるユォノの耳には入らなかったが、青年に聞かせるには十分だったらしい。一瞬の間をおいて、青年はリトの頬を強く張った。鋭く響いた音に、ユォノは思わず首を竦める。
「おいおい、俺たちはお前のことを見逃してやるって言ってるんだぜ? それなりの対価が必要なのは当然じゃないか。皆に知られたら生きていけないだろ?」
別の青年が歩み寄り、リトの頭頂の髪を掴んで頭を上げさせる。それで、リトの顔がはっきりと目に入った。酷い顔をしていた。暴力を受けたと思しき頬は真っ赤に腫れ上がり、鼻血の流れた跡が顎までくっきりと伝っている。
一瞬だけ、少年の双眸に、息を飲むほど激しい憎悪が宿ったような気がして、ユォノは唾を飲んだ。
リトの顔はこちらを向いている。ユォノは馬房の陰から様子を窺っていた。視線が重なる。どくん、とユォノの鼓動が大きく一度跳ねた。壁に当てた手を滑らせ、考えるより先に一歩踏み出す。青年たちはまだユォノの姿に気づかない。
「それとも言い触らしてやろうか。お前が、城外にいる怪しい異国の奴らとつるんでるって――」
覗いているのがユォノであると気づいたらしい、リトが腫れ上がった目を一杯に見開く。その首が小さく横に振られた。だめです、と唇が弱々しく動く。この期に及んで、助けを求めるのではなく、暴力に晒されていることを恥じるような姿勢を見せるとは。それが、どれだけの無力感に裏打ちされているかを、ユォノは知っている。
頭を振り、リトが顔を歪めたのを目の当たりにした瞬間、考えるよりも早くユォノは飛び出していた。
「――お前たち、何をしている!」
鋭く叫び、ユォノは目を怒らせてリトと青年たちの間に割って入った。壁越しに馬が落ち着かない様子で身じろぐ気配がした。リトを背後に庇い、ユォノは憤然と青年たちを見据える。「ユォノさま、」としわがれた声が、呆然としたように小さく呟いた。
「何だ、この女」
眉をしかめて、一人がユォノを睥睨する。
「異国のお仲間だろ、気味の悪い色をしている」と指されたのは、ユォノの背で緩く波打つ金髪だろう。リトは色彩だけでは異国とは分からない見た目をしていたが、目の色も髪色も違うユォノは誤魔化しようがなかった。
「私が何者だろうが関係ない。このような所業を見逃すわけにはいかない」
ユォノは撥ねのけるように厳しい声で告げ、リトを助け起こす。ふらつく体を支えるように背に手を添えてやりながら、ユォノは顎を引き、青年に侮蔑を込めて睥睨した。
「このことはオリウ将軍に報告させて頂く。処分は追って伝えられるだろうから、それまで待っていろ」
余計な言い合いは不毛である。ユォノは短く言い放つと、リトを促して踵を返そうとした。と、しかし腕を取られて阻まれる。肩越しに振り返ると、鼻に皺を寄せた青年がユォノを威圧的に睨み下ろしている。
「そう言われて、はいそうですかと帰すわけがないだろうが。馬鹿か」
「自分が既に、どこにも顔向けできないような愚かな行いをしている自覚はないのか。これ以上恥を重ねるものじゃない」
ユォノは掴まれた腕を振り払い、リトの背を軽く押した。ふらふらとリトがたたらを踏むようにして距離を取る。しれを視界の端で確認してから、ユォノは弧を描くようにして立ち並んでいる青年たちに正対する。歳の程はユォノとさして変わらず、未だに幼さの抜けきらない面立ちをした者が過半数である。
「その金髪……東の方の人間か?」
「どうだろうな」
ユォノは僅かに腰を落としながら空の手を構える。今さらながら、何も持たずに飛び出したのは早計だったと悟り始めていた。背後ではリトが小さな声で「やめてください、」とうわごとのように呟いているが、この男たちがそれを聞き入れる気は全くないらしい。
「少し痛い目に遭わせてやった方が良いみたいだな」
そんな言葉とともに伸ばされた手を、ユォノは片足を引いて半身になることで素早く避けた。空を切った腕を掴み、ユォノは無言で相手を睥睨する。片手でリトに合図をすると、少年は少し躊躇うような仕草をみせたのち、くるりと背中を見せて逃げ出した。その足音を聞きながら、ユォノは目の前の青年を鋭く睨みつける。
「――退け。悪いようにはしないから」
「この女、何を言っているんだ?」
「お前たちのために言っている。私に対するこれ以上の暴力は控えろ」
ユォノは掴んだ腕が振り払われるのを無理に追わず、一歩下がって慎重に言葉を選んだ。しばらくの沈黙ののち、ユォノは唸るように問う。
「リトを狙ったのは何故だ」
「あいつが怪しい振る舞いをしていたからだよ。火のないところに煙は立たないって言うだろ? こういうのはな、やられる側にも問題があるんだよ」
「お前たちがもし異国で、彼のように単身で生活していたら、そのようなことが言えたか?」
ユォノは背後の気配を探りながら、じりじりと距離を取る。リトの声は聞こえてこず、恐らくもう避難した後だろう。それで良い。
「一方的な搾取や暴力は、力の差があって初めて成立する。逆に言えば強者は決してそれらに晒されることなく、得てして弱者は弱者である、それだけの理由で虐げられる。そこに正当性など存在しないし、因果も原因もあったものではない」
ユォノは一度息を吸い、眦を決して拳を握りしめた。
「分かるか。――そうした虐待は、力関係が逆転すれば容易く繰り返されるものだ。そしてお前たちが永遠に強者でいられる保証は、どこにも存在しない」
「何だ、その物言い。お前も反乱軍の人間か?」
「私が語っているのは、お前たちがいかに浅慮で卑劣な人間であるかという一点だけだ」
口を挟んだ青年を一瞥で黙らせ、ユォノは一度唇を引き結んだ。再び距離を取るように足を引けば、青年たちは無言で歩を進める。
「その立場が逆転したとして、それでも変わらないと思える振る舞いをすることが、お前たちの誇りを守ることにもなる。相手を単なる異国の人間、弱者としてしか見ない人間にだって、相手の立場になって考えることはできるだろう。簡単な話だ。お前が多勢に無勢だったとして、先程と同じような言葉を、私やあの少年に投げかけられるか?」
ユォノが問うても、しかし返ってくるのはにやにやとした下卑た笑いばかりである。これだけ説いてもまるで響いている様子のない態度に、彼女は思わず歯噛みした。
気づけば、馬房の壁に追い詰められていた。とん、と背が柱に触れる。ユォノは唇を噛んだ。
「偉そうな口を利いたって、所詮お前は敗戦国の人間だろ。フェウセスにおいては負け犬なんだよ。負け犬はもっと負け犬らしくすることだな」
右肩を掴まれ、壁に押しつけられる。身じろぎするが手が外される気配はなく、ユォノは左手でその腕を掴みながら反駁した。
「肩書きや属性によって定められた『然るべき振る舞い』など存在しない、身勝手にもそれを他者へ当てはめ、押しつけがましく要求することの恥を知れ!」
「……っこの、」
ユォノは壁に体を縫い止められたまま、昂然と頭を振り上げて叫ぶ。それを受けて激高したように、青年が手を高く振り上げた。頬を張られるのを見越して、ユォノは体を強ばらせる。ぐっと奥歯を噛みしめ、衝撃に耐えようときつく目を閉じた。振り下ろされた手が空を切る。頬を差し出すようにしてユォノは肩に顎を寄せた。
きぃん、と耳鳴りがするような衝撃が脳髄を揺らす。目の前がちかちかとした。咄嗟に呼吸の仕方が分からなくなる。リュシアにぺしんと叩かれるのとは訳が違う殴打であった。声を出すものかと食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れた。頬が焼けるように熱い。それでもユォノは負けじと目を見開き、眼前の青年の両目を厳しく射貫いた。
「生意気な」と言葉がその口から漏れ、今一度、腕が肩ごと後ろに引きつけられる。奥歯を強く噛み、唇を引き結んだ。一度味わわされた痛みが瞬間に蘇り、知らず体が凍り付く。言葉も出ない恐怖であった。再び目を閉じ、ユォノは為す術なく声を押し殺した。
「――っと、あなたも随分と無鉄砲な方ですね」
ぱし、とくぐもった音と共に、ユォノの横っ面を張ろうとしていた手が後ろから掴まれて阻まれた。覚悟していた痛みが訪れなかったことに驚き、ユォノは弾かれたように顔を上げる。そうして彼女は息を飲んだ。
「図書館は反対方向ですよ、ユォノどの」
「……セオタスどの、」
殺気立つ青年の腕を掴み上げたまま、セオタスは笑顔で頷いた。突如現れた新顔に青年たちは呆気に取られたまま固まり、その一瞬の沈黙を縫って慌ただしい足音が近づく。
「殿下! いきなり飛び出さ……」
セオタスの後を追うように姿を現したオリウは、そこで自身の動転を誤魔化すように一旦立ち止まり、わざとらしい咳払いをした。剣呑な空気の漂う空間を見回し、厳しく眉をしかめる。
「……お前たち、ヨーレス将軍のところの兵だな?」
一目で青年たちの所属を見抜いて、オリウは大股で距離を詰めた。セオタスの手が無言で肩に触れ、ユォノは壁から離れて退くように誘導される。砂混じりの乾いた土が足の下で擦れるような音を立てた。セオタスの背に庇われたまま、ユォノは成り行きを見守る。
「オリウ将軍……!?」
「さっき、セオタス殿下って……」
それまでの小競り合いには似つかわしくない、そうそうたる人物の名に、青年たちは一斉に毒気を抜かれたように狼狽え、顔を見合わせる。「だからやめとけって言ったんだ」ユォノが小声で毒づくと、オリウがちらと視線を向けた。
「殿下、ユォノさまを連れて兵を呼んできてください」
「ああ」
セオタスは短く応じ、ユォノの腕を取る。ユォノは目を見開いたまま、半ば引きずられるようにして馬房裏を離れた。
官舎の前まで戻ったところで、セオタスがユォノを振り返る。真顔でこちらを見下ろしたまま、何も言わないセオタスに、ユォノはおずおずと声をかけた。
「セオタスどの、その、」
「ユォノどのは」
着地点も決めずに口を開いたユォノを遮って、セオタスは呻くように告げる。
「……ユォノどのは馬鹿だ」
「ばっ……!?」
前触れのない罵倒に、ユォノは思わず目を剥いた。見れば、セオタスの顔色は蒼白で、その額には汗が薄らと滲んでいる。随分と心配させたらしい。切実な色がその目に浮かんでいるのを認めて、ユォノは喉元までせり上がった反論を飲み込んだ。
「行きましょう」
セオタスはそれ以上何も言わず、ユォノの肘の辺りを緩く掴んだまま歩き出す。ユォノもそれに抵抗することなく、かける言葉も見つからないまま、沈黙のうちに宮殿までとって返した。
頬を腫らした寵姫の姿に宮殿は一時騒然とし、セオタスの言葉で兵が一斉に官舎の方角に走ってゆく。その様子を、ユォノはぼんやりと眺めていた。
***
「軽い脳震盪ですね。少なくとも今日中は安静にしてください」
部屋を訪れた医師の言葉に、真剣な顔で頷いたのはセオタスの方だった。ユォノは寝台に腰掛けたまま、薄らともやのかかったような意識で首肯する。不快な耳鳴りが続いていたが、特にそれ以上の支障があるわけでもない。
眠くはなかったが、寝台の上に寝かせられる。甲斐甲斐しく布団を掛けられ、天蓋から垂れた紗を引き、セオタスは落ち着かない様子で枕元の椅子に腰を下ろした。その輪郭が、ひだを作って床に向かって緩やかに降りる薄布越しに見える。
医師が部屋を辞してからしばらくの間、重苦しい沈黙が続いた。互いに、切り出す言葉を決めあぐねているような、どちらが先に弁明するかを押しつけ合っているみたいな探り合いだった。
観念して口を開いたのはセオタスだった。「ユォノどの、返事はいらないから、勝手に喋っていても良いでしょうか」と、セオタスはその言葉通り、ユォノの了承を待たずにぽつぽつと語り出す。
「……あなたのことを信頼すると、そう言っておきながら、あとを付けるような真似をしたことを、申し訳なく思っています。けれど結果からして、それが間違いだったとは思っていません」
そうだろうな、と思わず息を漏らすと、紗の向こうでセオタスも苦笑したようだった。
「あの少年兵から道中で話を聞きました。彼を庇うために自分で飛び出されたそうですね」
「ああ」
ユォノは仰向けになって天蓋を見上げたまま、小さく頷く。再び沈黙が落ちたが、今度はそれほど気詰まりなものではなかった。
「昔会ったユォノどのは冷静な方でした。さっきだって、いち早い解決のために引き返し、助けを呼んでくるのが最も適切だったとお分かりでしょう。……それなのに、あなたは身を挺して彼を守ることを優先した」
「……申し訳なかった」
「叱っている訳ではありませんよ。それはまた明日です」
「えっ」
思わず聞き返すと、セオタスはくつくつと喉の奥で笑っているらしい。嬉しくない予告に、ユォノは密かに眉根を寄せて渋い顔をした。
「要するに、言いたいのは……」
と、そこで、セオタスが言い淀んだ一瞬に、扉が控えめに叩かれた。「殿下」と呼びかける声はオリウのもので、セオタスは軽く振り返って入室を命じる。軋むことなく扉が開かれ、小気味よい足音が近づいた。
「ユォノさまは?」
「軽い脳震盪だそうだ。そこで休んでおられる」
その会話に、ユォノは片手を伸ばして天蓋の幕をそっと押し開けた。隙間から二人の姿が覗き、視線が合ったオリウは目を丸くする。
「――ユォノさま」
一呼吸の溜めののち、オリウは音もなく片膝をついてユォノと目線を合わせた。セオタスが紗を片手で持ち上げ、枕元に光が射した。ユォノは枕に頭を乗せたまま、オリウに顔を向ける。
「呼ぶべき名はご存知でしたか、オリウ将軍」
思わずといった風に漏らすと、オリウは僅かに動揺したように肩を強ばらせた。セオタスは怪訝そうな顔をしつつも、黙って成り行きを見守っている。
「これまでの度重なる無礼を深くお詫び申し上げます」と、オリウは頭を垂れてそう言った。いきなりの謝罪にユォノは面食らい、一体何がそんなに急に、この男の心を変えたのかと首を捻る。
「私は貴女を、ホルタの王女――敵国の人間であることに固執し、私の思う敗戦国の人間らしい振る舞いをしない貴女に疑念を覚えていました。けれど、それは結局……今日、問題を起こしたあの輩と同じ理論を振りかざしているに過ぎないと、そう気づかされました」
訥々と語るオリウに、ユォノは黙って目を細めた。オリウは床を見据えたまま、目を伏せる。
「ユォノさまの寛大に、……深く御礼申し上げます」
「私はただ、私がそうすべきだと判断した振る舞いをしているに過ぎない。私は自分が寛大であるとは思っていません」
咄嗟にそう答えると、セオタスが否定するように緩く首を振った。ユォノは眦を下げた。未だに意識は朦朧としている。彼女は薄らと瞼を下ろしながら、布団の下で敷布を強く握りしめた。
「私は、ただ……憎むべき相手を違えてはいけないと、……そう、自分を律しているだけです。それが、ホルタの王女に相応しい行いだと、そう思っているからです。……それだけ。それだけのことです。……もう、何の実も持たぬ誓いだと分かっていても、それを貫かねば、わたしがここにいる意味など……」
それまで気づかなかった頭痛が、不意に襲ってくる。ユォノは不快に顔を顰めてこめかみに手を添えた。
「……オリウ、下がれ。報告は外で聞く」
セオタスが低めた声で囁く。寝台を覆う幕が再び下ろされる。訪れた薄暗がりに、ユォノは身を縮めた。二つの足音が離れてゆくのを耳で追いながら、唇を強く噛む。
(……ああ、悪い夢を見そうだ)
そんな直感を遠くに感じながら、ユォノは引きずり込まれるような眠りに落ちた。
――ずっと一緒だからね、アスラ。
――はい、ユォノさま。
絡めた小指から、まるで蔓草の巻き付くように、腕が、肩が、喉笛が、ぎりぎりと少しずつ締め上げられてゆくような。息苦しく、行き場がなく、途方に暮れた子どもがどこかで泣き叫んでいるような……そんな悪夢を見た。
***
剣と剣が打ち合わされる音が、晴れ渡った空に響いた。ユォノは息が上がっているのを自覚しながら、好戦的に頬を緩める。
「流石、オリウ将軍はお強い」
「ユォノさまもなかなかの腕前ですね」
つばぜり合いから先の展開を無理に追い求めようとはせず、オリウはあっさりと剣を引いて退いた。剣を下ろしたまま、顎に手を当ててユォノの全身を眺める。頭のてっぺんから足先までをつぶさに観察され、ユォノは居心地の悪さに身じろいだ。
ややあって、オリウは小さく頷いた。
「ユォノさまは普通に立っているときでも、体重がやや後ろ足に寄りすぎておられる。それが踏み込みの遅れに繋がっているかと」
その言葉にユォノは目を瞬く。オリウが剣を収めて歩み寄り、「失礼」と一声かけてからユォノの腰に触れた。ぐい、と腰を押し上げられて、ユォノは思わずよろめきそうになるのを踏ん張る。
「これくらいの方が動きやすいと思いますが、如何ですか」
「……妙な感じがするな」
「身に染みついた癖を直すには時間がかかりますから。それでも矯正するだけの価値はあると思いますよ」
「なる……ほど」
ユォノは躊躇いがちに頷いた。オリウは満足げに腕を組み、しげしげとユォノを眺めて悦に浸っている。
「教え甲斐がありそうですな」
「お手柔らかに頼むぞ」
不穏な気配を感じ、ユォノは申し訳程度の抵抗として釘を刺しておいた。




