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少女は影に潜まない  作者: 冬至 春化
一章 亡国の姫君について
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2.虎穴 下



 ザーシェが後宮に侵入した事実はもみ消さねばならず、その為にはまずこの少年を外に出してやる必要があった。どうも塀の向こうに蔓草が上まで伸びているところがあるらしく、それを伝って入ってきたらしい。後日庭師に声をかけておかねばなるまい。しかし後宮の中からはそうした場所はなく、ザーシェを外に出すには大人の手伝いが必要になるだろう。

 ザーシェの尻を押し上げてやるくらいならユォノにもできるが、セオタスは断固として自分がやると譲らなかった。万が一衛兵に見咎められたときのことを思えば、確かに適当な判断である。


 夜半になって、セオタスは再びユォノの部屋を訪れた。人目を避けるようにしてザーシェを伴って外へ出ると、しばらくしてユォノの部屋に戻ってくる。どうやら首尾良く少年を逃がすことができたらしい。



「何だか疲れましたね、ユォノどの」

「ああ」

 どういう訳か当然のような顔をして部屋に入ってきたセオタスに、ユォノは無愛想に返事をした。そのままご自分の寝所へお戻りになって頂いて構わなかったのが、律儀に暇乞いでもしに来たのだろうか。


「申し訳ない、もう寝支度を済ませたあとで……」

 薄手の寝間着を胸元でかき寄せながら、ユォノは眦を下げてセオタスを見上げた。何せ、もう湯浴みも食事も済ませた後である。後宮の女たちもほぼ全員が自身の部屋へと戻り、寝支度をしている頃だろう。出歩く者は数えるほどしかおらず、あたりはしんと静まりかえっていた。……要するに、人の生活空間を訪れるにはあまりにも遅すぎる。常識外だ。神経を疑う。


 恨みがましく長身の男を睨み上げれば、セオタスは目を細めて微笑んだ。

「ユォノどのは眠っていないと、ザーシェが言っていました」

「……余計なことを」

 舌打ちするのを堪えて、ユォノは目を逸らす。それを肯定と取ったらしい、セオタスは手を伸ばし、不躾でない程度にユォノの背を支える。


「どうも顔色が優れませんね。先日、訓練場で体調を悪くしたのもそれですか」

「不眠は私の問題であって、他人に口出しをされるのは心外だな」

 ユォノはセオタスの胸を押して離れると、距離を取って目を眇める。対するセオタスも腕を組み、頑なな姿勢を崩さない。


「あなたに倒れられたら私が困るんですよ」

「ああ……確かにその通りだな。……申し訳なかった」

 言われてみればごもっともである。協力すると頷いたのに、ユォノが勝手に倒れていては話にならないだろう。あっさりと頷いて謝罪の言葉を口に乗せたユォノに、セオタスが僅かに苛立つような、もどかしげな表情を浮かべた。


「わざわざ戻ってきたのは、あなたがきちんと布団に入って目を閉じているのを確認するためです」

「寝ていない訳ではない。浅いだけだ」

「布団にも入っていないでしょう」

 否定できず、ユォノは黙り込む。セオタスは聞かせるつもりはないようなため息を漏らし、ユォノを寝台へと促した。背を押されてしまえば無理に抗えず、ユォノは渋々されるがままに寝台に腰掛ける。思わずぽつりと呟いた。

「……あの日からずっと、眠るたびに悪夢を見る」

「夢も見ないほど深く眠れば大丈夫ですよ。今日は疲れたでしょうから、おあつらえ向きだ」

 よく分からない言い分で、セオタスは椅子を片手で引き寄せて腰を下ろした。



 柔らかい布団に腰を沈ませたまま、ユォノは傍らの椅子に腰掛けたセオタスをちらと窺う。

「……言っておくが」

「夜伽を命ずるつもりなどありませんよ」

「それを聞いて安心した」

 セオタスは枕元の小さな台に頬杖をつき、目を伏せて苦笑した。

「まだ地盤も固まっていない状態で、弱みとも火種ともなり得る子どもを作るのは、憚られますから」

「たとえその気があるにせよ、相手は慎重に選んだ方が良い。やはり王家とも縁の深い旧家の令嬢の方が、繋がりを得るには有利か?」

「そうですね。宰相の娘がじきに成人すると聞いていますし、他にも候補は何人か……。実際に相手を見て話をしてみないと何とも言えませんが」


 足を組み、セオタスは黙考に耽るようにどこかの虚空を眺めている。

「父にトカットリア遠征を思い留まらせるか、無理矢理にでも計画を阻止したら、ユォノどのにもそれなりの嫁ぎ先を用意せねばなりませんね」

「ああいや、気にしなくて構わない」

 ユォノは咄嗟に首を振った。どこに下賜されたって、ホルタの王女であった女を快く迎えるような男などいるはずがない。また新たな環境で針のむしろに晒され、特定の人間とぎこちなく深い繋がりを築くくらいなら、後宮にいた方が余程気楽というものである。


「しかし、ユォノどのをこのまま後宮に置いておくわけには」

 セオタスは眉根を寄せて呟いた。その視線を受け止め、ユォノは間違ったなと頬を掻く。考えてみれば、ユォノのような曰く付きの人間が宮殿に留まり続けるのも扱いに困るというものだろう。ユォノがここにいるかぎり、ホルタの因縁は人々の心につきまとい続ける。ユォノは素直に頭を下げた。


「申し訳ない、浅慮だった。それなら、どこか適当な地にでも放逐してくれて頂きたい。山の近くだと私が嬉しいが」

「え? あ……山がお好きで?」

「ああ、とても」

 ユォノが力強く頷くと、セオタスは「覚えておきます」と微笑んだ。


「どうせ私に帰るべき場所はないのだし、もう帰りたい場所も会いたい人もない。それでも山とともにありたいのは、……ホルタ人の習性かもしれないな」

 自嘲混じりに零せば、セオタスが目を見開き、返す言葉を探すように狼狽えた。ユォノは更に苦笑を深め、「意地悪を言った」と手を振る。


「――私は貴殿を責めるつもりはないし、恨むつもりもない」


 告げれば、セオタスは不意に、やけに静閑な眼差しでユォノを見据えた。その視線を真っ向から受け止め、ユォノは微笑みを浮かべてみせる。

「フェウセスが戦勝したのは結果の話であって、もしもホルタが辛くも勝利を収めていれば、私たちの立場は逆になっていただろう。それだけの話だ。戦に勝った瞬間に我々が虐げられた者の立場に嵌められる訳でもあるまい。憎むべき相手を見誤ってはいけないし、憎しみに駆られて目を曇らせてもいけない」

「それではあなたは、大切なものを奪った相手を、憎むことをしないのですか」

「簡単なこと。……奪われたことで相手を憎むようなものを、持たなければよい」


 低く吐き捨てると、セオタスがしばし言葉を失ったように黙り込んだ。探るような目が突き刺さる。ユォノは目を伏せ、これ以上の追究を避けるように顔を背けた。



「……神童と名高いユォノどのが私の伴侶になると聞いたときは、驚きましたし、畏れもしました。初めてあなたと顔を合わせて、私はあなたに痛烈に憧れを抱いた」

 脈絡なく、セオタスは不意にそう呟いた。

「あのときもあなたは似たようなことを言っていました。情に流されるな、主君は冷徹であれと説くあなたに、私は往年の父の面影を見出していました」

 ユォノは黙ってその言葉を聞いていた。蝋燭の光は互いの顔色を窺うにはあまりに心許なく、怪しく揺らめく炎に照らされてセオタスの横顔はつかみどころなく陰影の狭間を漂っている。


「ユォノどの。私はあなたのことを、幼少の頃からずっと慕い、追い続けてきました。そのことに嘘偽りはありませんし、本当ならばあなたと共に添うてみたいとも思っていました。恋情がなくとも、我々は良い関係を築けると信じていましたが……事態は変わりました」

「次代の王がホルタの女を正妃に迎えるわけにはいくまい。私とてそれくらいのことは理解している」

「ええ」

 セオタスは頬杖から顔を上げ、ゆったりと微笑んだようだった。応じるようにユォノも息を漏らす。



「――それならばせめて、ユォノどのが心安らかに、人並みの幸せを得られるように心を砕きたいと思うことは、叶いませんか」

 話が数段前へ戻ったのを察した。ユォノは黙ったまま曖昧に首を振った。

「私は後宮で息を殺しているだけで十分です。……今更、私が幸せになれるとも思っていません。大切なものを手ずから殺めたようなものですから」

 ユォノは俯き、口元を歪めて微笑む。


 長い沈黙ののち、セオタスは掠れた声で問うた。

「それは、アスラという名の侍女に関わる話ですか?」

「広義で言えば、はい」

 頷き、ユォノはこれ以上の対話を拒むように体ごとよそを向いた。布団の上に置いた手が強ばり、布に放射状の皺が寄る。


「ユォノどのが、昔、秘密だと言って教えてくれたことがありましたね」

 セオタスの言葉を聞くまいとするように、彼女はぎゅっと目を瞑った。控えめな男の声が、闇に落ちた部屋の中に落ちる。


「――アスラは、ユォノどのが唯一信頼する、大切な親友だ、と」


 遠くで風が薙ぐ。ユォノさま、と何度も呼んでいる。それに応えて、アスラ、と声が響く。

 胸元で強く拳を握りしめた。噛みしめた唇が痺れるように痛んだ。きつく目を閉ざし、浅くなる息を必死に整える。


「いつか、聞かせてもらえますか」

 その言葉から逃げるように首を振った。床を蹴って尻で後ずさり、寝台の上で膝を抱える。セオタスの手が伸びてくる気配を感じ、咄嗟にそれを空中で叩き落とした。眦をつり上げて男の輪郭を睨みつけ、拒絶するように鋭く吐き捨てる。

「わたしには、あなたに話すことなど一つもない」

「あなたはそう仰るかも知れませんが、私はどうしても知りたいのです」

 セオタスは意にも介さずに微笑んだ。


「そこにあなたの変貌の理由があると、私はそう踏んでいます」

 身を凍らせて、その言葉を聞いた。セオタスは感情の読めない笑みを口元に浮かべたまま、じっとユォノの姿を見据えているようだった。

「……あなたは最側近の侍女を殺して生き残ったと、そのように言われていますね。けれど私には、ユォノどのがアスラを嬉々として見捨てるとはとても思えない。そのことがずっと引っかかっているのです。……戦時中、囚われている間に、何があったのですか」

 薄暗がりに目が慣れれば、真っ直ぐな視線が射貫くほどに強く向けられていることに気づく。セオタスは眉根を寄せ、見定めるように目を眇めた。


「――あなたは何を隠している?」


 独り言のような呟きに、彼女は返す答えも持たずに唇を引き結んだ。



 ***


 ぱっと、泡が弾けるように目が覚めた。一気に覚醒して目を見開いたユォノは、目の前に見慣れぬ膝を見つけて眉をひそめる。全身が重たい温もりに包まれており、動く気にならなかった。目だけを上げて膝から上を辿れば、椅子の上で腕を組んだまま俯きがちに眠っているセオタスの姿を見つける。


「……っ!?」

 咄嗟に叫びそうになるのを堪えて、ユォノは目を見開いた。目を閉じ、背もたれに体を預けたまま顔を伏せているセオタスを、無言で見上げる。すっと通った鼻梁やら、頬に影を落とす睫毛などを眺めながら、ユォノは思わずやさぐれたような気分になった。横顔に朝の白い光を浴びながら眠る姿はやけに絵になっており、それがまた癇に障る。少しだけ。

 口を開いてしまえば慇懃無礼な男だが、こうして眠っている様子を見れば、やはり顔立ちの整った男である。


(この顔のせいだろうか)

 整いすぎて、まるで人形か何かのようである。そうでなくとも、あまり威圧感のない優男であることに間違いはなかった。

(宮殿内で力を持たないと言っていた。セオタスどのにさしたる過失があるようにも思えないし、致命的な欠点も見受けられない。けれど現にセオタスどのは周囲から侮られ、無謀な戦を企てる父を阻むことも叶わないでいる)

 寝起きの頭でそのようなことをつらつらと考えながら、ユォノは重い布団の下で瞬きを繰り返した。自分で寝台に横たわり、布団を被った記憶はない。寝入った瞬間も覚えておらず、この状況からして、いつしか眠ってしまった自分をセオタスが丁重に寝かせておいてくれたものと考えられた。


 布団からそろそろと片手を出せば、ひやりとした朝の空気が前腕を撫でた。何をしようとした手なのかは自分でも判然としなかった。未だ夢見心地のような気分で、ユォノは指先を宙に彷徨わせ、――ついうっかり、セオタスの腕に触れた。


「う……ユォノどの?」

「はっ……」

 薄らと目を開けたセオタスに、ユォノは一瞬にして正気を取り戻す。慌てて飛び起き、布団を蹴散らすようにして姿勢を正した。

「……おはようございます」

 寝起きはあまり良くないのか、セオタスは目をしょぼしょぼとさせながら、くぐもった声で告げる。ユォノは「申し訳ない」と寝台の上で平身低頭し、昨夜勝手に寝落ちたことを詫びた。しかも布団にまで寝かせてもらってしまった。まさか一国の王子に面倒を見させるとは……。


 そうしたことを早口に告げると、セオタスはいまいち飲み込めていないような顔で眠たげに目をしばたいていたが、不意にへらりと眦を下げた。

「よく眠られたようでよかった」

 その言葉に、ユォノは久々に悪夢も見ずに、ひと晩熟睡していたことに気づいた。ここ最近、常に体にのしかかっていた重みが消えている。ユォノは一度俯き、それから小さな声で「感謝する」とだけ呟いた。



 ***


 四の鐘が高らかに打ち鳴らされた。ユォノとセオタスはこそこそと柱の陰に隠れながら、城門の辺りを窺う。

「ザーシェはまだ来ませんね……」

「あまり長いこと隠れていることはできないぞ。既に注目を集めかけている」

「分かっています」

 歓談にしては怪しげな二人の様子に、行き交う文官や兵たちが怪訝そうな顔をしている。突き刺さる視線を感じながら、ユォノは歯噛みした。


「あっ、来ました」

「よし行くぞ」

 セオタスは小さく頷くと、颯爽と足を踏み出し……かけて、一旦戻ってきた。

「どうした」

「と……とてつもなく迫真なので、つい驚いてしまって」

 セオタスが小刻みに首を横に振りながら言うので、ユォノも柱の陰からそっと顔を出し、城門前の様子を確認する。



「母さんが……母さんが危篤なんだっ! 最期に一目で良いから姉さんに会わせてやりたいんだよ! 後宮ってところにおれの伯母さんがいるんだ!」

 通りすがりの文官の腰に縋り付き、見覚えのある少年が声を張り上げている。その両目からは滂沱の涙が流れ出し、くしゃくしゃに歪められた顔には悲壮感と焦りが滲んでいた。

「ちょ、ちょっと僕、そんなこと俺に言われても困るよ」

「うわあああああああ! もう誰も助けてくれないんだ!」

 ザーシェはその場で床に伏し、喉が張り裂けんばかりに号泣している。そのあまりの気迫に、ユォノは思わず目を瞬いた。


「……ユォノどの、演技力に自信は?」

 言い出した張本人であるはずのセオタスが、臆した様子で顔を窺ってくる。彼女は一度腰に手を当てて嘆息し、遠くの空に目をやりながら首を傾けた。

「――まあ、多少は」

 呟くと、ユォノは片手でセオタスに合図をして、悠然と一歩を踏み出した。




「どうした?」

 声をかけると、それまで遠巻きにザーシェを眺めていた周囲の人間が、ざわりと動揺を示す。ザーシェは泣き濡れた顔を上げ、必死にしゃくり上げながら自身の境遇を語ろうと口を開きかけた。

「実は、おれの母さんが――……えっ、ユォノ姉さん?」

「シッ、この馬鹿」

 うっかり口を滑らせかけたザーシェを黙らせようと、ユォノは顔を手巾で拭ってやるふりで口を塞いだ。「ふぐぐ」とザーシェが手の中で呻く。


「話なら聞こえていました」とセオタスが一歩遅れて姿を現した。「何でも、危篤の母のために、後宮にいる伯母を探しに来たようですね」

 ユォノはセオタスを振り返り、白々しく「なるほど」と頷いてみせる。



 城に入るための最も大きな入り口での騒動である。通行はすっかり滞り、出仕してきた文官やら積み荷を運び入れる商人やらの視線が一身に集まる。

「セオタスどの、何とかできないだろうか?」

 ユォノは決められた言葉を口に乗せる。

「実を言えば、私はこの少年を一昨日から見かけて、気にかかっていたんだ。……何とか力になってやりたい」

 ザーシェの前に膝をついたまま、真っ直ぐな目でセオタスを見上げる。セオタスはわざとらしく躊躇うような様子を見せ、腕を組み難しい顔をしてから、「仕方がありませんね」と苦笑した。


「え? え?」

 未だに事態が飲み込めていない様子で、ザーシェが目を丸くしてきょとんとしている。ユォノとセオタスを見比べ、狐につままれたような顔で絶句した。急に差し伸べられた救いの手に本気で驚く、その態度は真に迫っている。まさかこんな展開など全く予想していなかったかのように……いや、多分本当にそうだ。


 ユォノに助け起こされて立ち上がったザーシェは、目を白黒させながら慌てふためいている。

「えっ? ……姉さんたち、何者? だって昨日……」

 また余計なことを言いかけたザーシェを遮って、ユォノは泰然と微笑んで胸に手を当てた。やや芝居がかった仕草になってしまったが、ザーシェに対するいたずら……意趣返しと思えば許容範囲だろう。


「私はユォノ。王子殿下の寵姫……まあ簡単に言えばそこそこ偉い人だ」

「私はセオタス。国王の息子だ。簡単に言えば結構偉い人だ」

「は?」

 ザーシェが今度こそ完全に壊れた。ぽかんと口を開けたまま静止し、ぴくりとも動かなくなってしまう。目だけが動き、ユォノとセオタス、そしてどこかの虚空を行ったり来たりする。


「お、おうじ……? こくおう……」

 少年の大きく見開かれた両目が、ユォノとセオタスの顔を穴が空くほどに見つめた。全く事態に追いつけていない表情に、二人が顔を見合わせて苦笑した直後、ザーシェがあんぐりと口を開ける。



「え、えええええぁぁああああアアアッ!?」

 ややあって、ようやく我に返ったザーシェの絶叫が城門前に響き渡った。



 ***


 諸々の手配に一日を要し、エイナが後宮から出ることが叶ったのはその日の夕方頃だった。とはいえ、異例づくしのこの事態に対応するのに後宮に関する各所は大わらわだったようで、これでも十分早いほうである。

 夕陽の中、ザーシェに手を引かれて堀の上の跳ね橋を渡ってゆくエイナの後ろ姿を眺めた。城門前を見下ろせる廊下に陣取ったセオタスが、柱に寄りかかって二人の背中をずっと見送っている。

「いやあ、善行をしましたね」

「仕込みじゃないか」

「それは言わない約束ですよ」


 長い影が落ちるのを見るともなく見ながら、ユォノは思わず頬を緩めた。目線だけをよこせば、セオタスは悪戯に成功した子どものような笑顔で歯を見せている。

「後宮の閉鎖的な性質については、かねがね気になっていましたから。こうしたことが相次げば、寵姫たちの外出ももう少し融通が利くようになるでしょう」

「セオタスどのはそれで良いのか?」

「どのみち後宮は私の代になったら縮小するか解体する予定でしたから。それが早まっただけです」

 セオタスは満足げに頷き、小さく遠ざかってゆく一対の背をずっと見つめていた。釣られてユォノも眼下へ視線を向ける。腕を組んだまま、ユォノは密かに相好を崩した。




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