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少女は影に潜まない  作者: 冬至 春化
一章 亡国の姫君について
15/21

5. 疑心 2



「……ユォノさまが、ホルタの人間と通信していた?」

「ああ」

 信じがたい、と言いたげなオリウの視線から目を逸らしながら、セオタスは深いため息をついた。

「あれはホルタの王族に伝わる暗号の板だった。戦時にホルタの王城から押収されたものと同じ形式だ。王女であるユォノどのなら読めないはずがないし、記すことも可能だろう」

「刻板、といいましたか」

「そうだ」

 オリウは物知り顔で頷く。それも当然である。

 ホルタ侵攻の際に都と王城を攻め落としたのはオリウその人であった。刻板を含む、様々な物証を王城から押収したのも彼自身である。

 将軍を失った隊を代わりに率いて軍功を上げたとして将軍位についたのがオリウであったが、その事実を明け透けにユォノへ語ることは憚られた。



「何を記してあるのかは読めましたか」

「いや……刻板の解析はまだそれほど進んでいないし、俺も読み方についてはとんと。博士はそれなりに読めるらしいが」

 セオタスはそこで一度言葉を切り、机の天板を指先で叩き始める。苛々としているときの仕草であった。

「問題はそこではない」

 口を開きかけたオリウを制し、セオタスは強い語調で言い切った。


「ユォノどのが、これをひた隠しにして報告しようとしないことが、気にかかる」

 オリウは少しの間黙った。思案するようにセオタスを見据えながら、一度瞬きをした。


「……ユォノさまが、何か企てをしていると仰りたいのですか」

「その可能性を否定することはできないだろう」

「やはり、ユォノさまは……」

 仄暗い目をして呟いた主君に、オリウは何事か言おうとして、やはりやめたように口を閉ざした。

「刻板に関して調べますか」

「頼む。リッチェル博士にもそれとなく解析の進捗を訊いておけ」

「御意に」


 オリウは短く応じ、立ち上がると素早く部屋を辞した。規則正しい足音が離れてゆくのを耳の端で捉えながら、セオタスは天板に置いた拳を強く握りしめる。ユォノの顔を思い出そうとするたびに、浮かぶのは頑なに強ばった眼差しばかりである。他の表情も知っているはずなのに、今は何故か、こちらを睨みつけて揺らがない、憎悪と恐怖に支配されたユォノの青ざめた顔ばかりが目の前にちらついた。


 幻覚から逃げるように、セオタスは片手で目を覆って呻いた。深々とため息をつく。

「……俺には、あなたの考えていることが分からない…………」



 ***


 後宮内の人間の中に協力者を探すにも、手がかりもなしに、しらみつぶしに顔を見て回ったとて得られるものはあるまい。となれば、刻板が部屋に残されていた日に、ユォノの部屋に近づいた者を探れば良い。

 そう思ったのだが、この調査も難航した。そもそもユォノの部屋は大部屋であり、多くの人間の目につくところに置かれている。そのような部屋に侵入――それも、ユォノが不在のときに入室しようとする輩がいれば、それを咎めぬ人間がいないはずがない。これまでそうした話がユォノの耳に入ってきていない以上は、部屋に侵入した者はいなかったのだろう。

 現に、エイナを初めとして近隣の部屋の寵姫たちに話を振ってみたが、芳しい答えは得られなかった。


 となれば、扉からではなく、窓から侵入したのだろうか? これも難しく思えた。

 ユォノの居室は二階にあり、窓のある面――通路に面していない側の壁は、つるりとした木目が滑らかな壁面である。よじ登ろうにも、手をかける場所もない。


(……しかし、一応見ておく価値はあるか)

 ユォノは冷静な思考でそう結論づけ、椅子から腰を浮かせると自室を出た。ぐるりと建物を回っていこうとしたそのとき、後ろから手を取られて、弾かれたように振り返った。手首に触れた指先を鋭く振り払い、飛び退る。膝を落として身を低くし、腰の高さに手を浮かせて身構え、相手を厳しく睨み据えた。ばくばくと心臓が暴れている。

 そこまでしてから、相手がリュシアであることに気がついた。リュシアは撥ねのけられた手を所在なく宙に浮かせたまま立ち尽くしている。その目は大きく見開かれており、このユォノの反応に酷く驚き、そのあとに深い衝撃を受けたらしい。


「ゆ、ユォノ、私……」

 ユォノは我に返り、姿勢を戻してから慌てて歩み寄る。先程のは、とてもではないが、女人に向ける眼差しではなかった。

「申し訳ない、リュシアどの」

「いえ、いきなり近づいた私も悪かったわ」とリュシアは口ではそう言ったが、その指先が震えを隠すように背後に回されたのをユォノは見逃さなかった。リュシアの反応を目の当たりにし、ユォノは自分が過剰な警戒を示してしまったことを悟る。

「申し訳ない」と彼女はもう一度謝った。リュシアは無言で頷いてから、顔を上げてユォノを見つめる。


「……大丈夫?」

 おずおずとかけられた言葉の、その受け取り方すら知らずに、彼女はただ黙って微笑んだ。



 後宮内を散歩するなら同行したいというリュシアの申し出に、ユォノは些かの不信を抱いた。これまで彼女がそうした言葉を投げかけてくることはなく、普段には見られないような親しげな様子を見せるのも怪しく思えた。

(セオタスどのの差し金だろうか)

 やんわりと、しかしにべもなく同行を固辞したユォノに、リュシアは少しだけ食い下がったが、やがて寂しげな微笑で退いた。その顔を見た一瞬だけ、つきりと胸が痛んだが、ユォノはそれを押し殺して踵を返した。

(この件を片付けてからでないと、わたしは誰にも顔向けできない)

 強く唇を噛み、彼女は大股で後宮の裏へと回った。




 自室の窓の下に立ち、ユォノは顎に手を添えて壁面を見上げた。やはり登れそうな壁には思えない。縄をかけて登ったにせよ、壁にそれらしき痕跡もない。

 やはり手がかりは掴めないか――そう項垂れた瞬間、ユォノはぞわりとうなじの毛が逆立つのを感じて飛び退いた。飛び退いてから、自分が何にそれほどの恐怖を示したのか、その正体も分からずに首を捻る。


 恐る恐る、今しがた目を向けた方向に歩み寄り、地面に顔を近づけた。壁面から腕を広げたほどの隙間を空けて、幅の広い花壇が建物に沿って続いている。かつては手入れをされていたのだろうが、今は見る影もなく荒れ果てた草むらとなっていた。イネの仲間に見える細身の草が、膝の高さほどのところで風に揺れている。地面を這うように広がっていたと思しきシロツメクサの枯れた残骸が、花壇をはみ出て足下まで覆っていた。

 後宮の裏は塀に面した薄暗い通路であり、庭園の手入れとしては優先されないらしい。いきおいこの道を通る者もいなくなり、いつしか荒れ果てたのだろう。湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。


 草の影に隠れるようにして、地面の上に、見覚えのある四角が転がっていた。それも、一つや二つではない。ユォノは鋭く息を飲み、それを拾い上げて側面に指を滑らせた。……文面にはいくつかの種類があったが、そのどれもが覚えのある言葉である。

 すなわち、これまでに部屋に届けられていた伝言と、同じ。


(これは一体、)

 呆然と言葉を失ったのも束の間、ユォノは次の瞬間、打たれたように顔を上げていた。視線を向けた先には自室の窓がある。あの窓は部屋のどの位置にあたる?

(……寝台脇の、窓だ)

 これまで部屋に置かれていた刻板の姿が、脳裏に次々とひらめいた。思えばどれも、机の上や棚の上などではなく、部屋の最も奥にある寝台の枕元や布団の上に置かれていた。


 窓から投げ込まれていたと分かれば、今度は誰にでも疑いが出てくる。何せ、こんな辺鄙な通路に忍んで窓に木片を投げ入れるなど、誰にだってできる芸当である。

 しかし、そこで彼女は木片を持った手を見下ろしながら思案した。

(いくつも刻板を用意して、失敗したものは地面に放置するだろうか?)

 刻板に刻まれた言葉を読める者がいないにせよ、これは明確な証拠となるだろう。それなのに回収もせずに、こんなところに転がしておくのは妙である。


 ユォノはゆるりと首を巡らせた。背後を見やれば、そこには身長を優に超える塀がある。建物と塀の距離は近く、五歩も行けば手がつくだろう。窓目掛けて木片を投げ入れるのも不可能ではない距離である。

(…………刻板の出所は、外、か)

 それならば、自分がこれまで目の色を変えて後宮内を調べ回っていたのは無駄骨だったことになる。ユォノは口惜しさに歯噛みした。刻板を握りしめ、塀を睨みつける。



 と、そのとき、視界の隅を何かが横切った。それは弧を描いて空を切ると、窓の傍の壁に当たり、ユォノの足下に落ちてくる。咄嗟に悲鳴を上げそうになるのを、口を手で塞いで堪えた。

 飛びつくように刻板を拾い上げ、ユォノは側面に指先を走らせた。

 そこに刻まれた言葉はいつものごとく短く、そして、


『主君を殺して成り代わった気分はどうだ、アスラ』


 ――いつものごとく、心の深く傷ついたところを、狙い撃つように抉った。

 彼女は刻板を掌の中に握りしめ、地面に膝をついたまま深く項垂れる。胸の底で、心臓が嫌に暴れ狂う。何度目の当たりにしても、この得体の知れない剥き出しの悪意を受け続けることには決して慣れなかった。

 自分は知っている。お前が全てを欺いてのうのうと生き延びていることを知っている――そうひっきりなしに囁く声は、絶えて止まない。アスラとユォノの真実を殊更に突きつけ、このことは決して誰にも相談できないと、この木片は言外にそう告げていた。


 ひょう、とまた頭上を木片が横切る。それは、今度は過たず窓から室内へと吸い込まれた。それを目視した瞬間、ユォノは弾かれたように立ち上がる。

(今なら、塀の向こうに、刻板を投げ入れている人間がいる!)

 慌てて塀に飛びつくも、漆喰で固められた高い塀は頑としてユォノがよじ登るのを許さない。一瞬の逡巡ののち、ユォノは裳裾を翻して駆け出していた。足に纏わり付く布地が厭わしく、片手で強く引き上げ、足が剥き出しになるのも構わずに後宮を横切る。



 後宮の出入り口のひとつにあたる椿の門へ駆け寄り、ユォノは門番に声をかけるのももどかしく門を潜ろうとした。それを押しとどめたのは門番である。

「ユォノさま、申し訳ありませんが、お一人での外出は禁じられております」

「放して! わたしはすぐに戻ってきます、本当です!」

 片腕で行く手を塞がれ、ユォノは焦燥感にせき立てられながら叫ぶ。その様子に二人の

門番は顔を見合わせ、「申し訳ありません」となおもそう言った。


「寵姫の外出は、事前の申請か陛下、あるいは殿下によるお召しや同行が必要であると決められて――」

「知っている! セオタスどのには私から説明するから、今はとにかくここを……!」

「でしたら、今から殿下に確認に参りますので、」

「そんな時間はない!」

 融通の利かない門番に掴みかかり、ユォノは必死に首を伸ばして門の外を見やった。


(早くしないと、犯人が逃げ去ってしまう)

 人影だけでもその姿を認められないかと首を巡らせるも、それらしき姿はおよそ見つからず、ユォノは歯噛みする。

 ついに掴まれた腕を振り払い、ユォノは勢いよく駆け出した。門番が叫び、鋭く笛を吹き鳴らした。それを尻目に、ユォノは弦から離れた矢のごとく真っ直ぐに飛び出し、門から外へまろび出ると先程刻板が投げ込まれた位置へと直行する。



 しかし、そこには下手人の姿はおろか、人影一つ見当たらない。

「…………いない……?」

 吹き抜ける風はうそ寒く、ユォノは身震いした。雑木林に面した塀は沈黙したまま立ち上がり、それが、やけに冷え冷えとした光景に思えた。

(せっかく見つけた手がかりだったのに……)

 為す術なく立ち止まり、胸を上下させて息をしながら、彼女は悄然として立ち尽くす。ようやく頭が冷え、自分が何をしでかしたのかを理解すると、不意に寒気が襲った。


 背後から衛兵の足音が近づき、乱暴に腕を取られて取り押さえられる。その手つきに容赦はなく、ユォノは抵抗しないままに拘束され、後宮まで連れ戻された。




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