5.疑心 1
「ユォノどの? 大丈夫ですか、雨に打たれたと聞きましたが」
案じるような声を受け、薄らと目を開く。事態を確認して、ひとつ息を吸って、そうしてユォノは「参ったな」と苦笑した。セオタスの部屋に通されたまま、長椅子に座って寝入ってしまっていたらしい。
「大丈夫だ、セオタスどの。心配をかけて申し訳ない」
淀みなくそう答えると、セオタスはほっとしたように胸を撫で下ろした。その目が柔らかく細まるのを眺めながら、彼女はまるで、この会話をどこか遠くから聞いているような心地で座っていた。否、それは今までずっと抱いていた違和感そのものである。
「オリウから聞きましたよ。何でも、ユォノどのはずっと雨の中立ち尽くしていたんだとか」
「ああ……」
「本当に大丈夫ですか? 体に不調があるならすぐに言ってください」
「そうだな」
セオタスがせっせと声をかけてくる中、ユォノは生返事で思考を飛ばしていた。
……どうしたって頭から離れないのは、あの木片のことである。あれは既に厨房の脇にある屑籠の中で他のごみに埋もれているだろうし、明日の朝には焼却炉に入れられて跡形もなく燃え尽きるはずだ。だからあれを見咎められることはあるまい。
(あれはホルタの中でも、王家やそれに仕える者にしか伝えられていない符合……刻板の刻み方も読み方も、今となってはわたししか知らないかも、とさえ思っていた。一体誰が……)
彼女は落ち着かない仕草で唇に触れた。僅かに逆立っていた甘皮が指先を掠め、無意識のうちにその端を爪で引っ掻く。
(……分からない。分からない……あの戦乱の中で逃げ延びた人がいたんだ。でもそれがどうして、わたしのところに伝言を……。目的はなに?)
ぴり、とした痛みが下唇に走った。僅かな風をひやりと感じ、血が滲んで濡れていることを悟る。
(何とかしなくちゃいけない。だって私はこの宮殿で、ホルタを守らなくてはいけないのだ。だから決して、この秘密を公にするわけにはいかない)
血がつうと唇の縁を越えて、顎の方に流れてゆくのを感じた。それでも指を止めることができなかった。
(ちゃんとしなきゃ、間違わないようにしなきゃ……。だってわたしは、私は、ユォノさまなんだから――)
「ユォノどの!」
怒気の混じった声と同時に、唇を抉り、血を滲ませていた指先が引き剥がされた。手首を痛いほどに掴んだセオタスは、自分が大声を出したことに驚いたような顔をして、すぐにその力を緩める。彼女は呆然としたまま、セオタスの顔を見返した。焦りと驚愕に彩られていた彼の表情が、ややあって、途方に暮れたように気弱に下がる。眉を八の字にしながら、セオタスは顔を覗き込んできた。
「……ユォノどの?」
心の底から案じるようなその眼差しを受け、胸の奥がつきんと痛む。セオタスの声は首が縮むほどに優しかった。
「何か、ありましたか」
眉根を寄せ、セオタスは憂色を濃くする。その視線を受け止めたまま、ただの一文字さえ発することもできずに唇を噛んだ。セオタスが更に身を乗り出し、傷ついた唇の端に親指で触れる。自然と強ばっていた顎がほどけ、彼女はどうしようもなく項垂れた。
(もしも、私が……わたしが、ユォノさまでないと知ったら、このひとはきっと失望するのだろう)
フェウセスに来てから出会った人々の顔が、浮かんでは消えてゆく。リュシア、オリウ、リト、ザーシェ、エイナ……。今までに一度として感じたことのない心細さが、足下からじわじわと這い上がってくる気がした。
(わたしの正体が知れたら、わたしはもうここにはいられないのだろう)
ユォノどの、と呼ぶ声が遠く聞こえた。違う、初めから一度だって近いことなどなかった。彼の言葉がわたしに向けられたことなど一度だって存在しなかった。
(誰に相談することもできない。わたしが自分で何とかするしかない)
頭の芯がゆっくりと冷えてゆく。自分の為すべきことを見定めて、両目に強い光が宿る。
(刻板を忍ばせた人間について探ろう。刻板について知っている人間ならば、ホルタの王城内で顔を合わせたことがあるやもしれない。その人間をいち早く突き止め、……始末しなければ)
――すべては、主君の意志を継ぐため。
(ホルタを、守るため)
不意に、唇に柔らかいものが触れ、ユォノは驚いて目を瞬いた。見れば、真剣な表情でセオタスが顔を寄せ、ユォノの唇に人差し指で軟膏を塗り込んでいた。ユォノは咄嗟に身を退き、セオタスから距離を取る。
「な、何を……」
「塗りますか、と訊いたら了承したでしょう」
セオタスは呆れたように嘆息した。その手には軟膏で満たされた小ぶりの壺が握られており、反対の指先には僅かに黄色みを帯びた軟膏の残滓がついている。どうやら適当に相槌を打っている間に、そのような会話がなされていたらしい。
「舐めてはいけませんよ」
ぬるぬるするような違和感に眉をひそめ、上下の唇をすり合わせると、セオタスが笑み混じりの声で叱る。ユォノはおずおずと小指の先を伸ばして唇の輪郭をなぞった。指先に鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。
『……オウィ花とルテヤ、』
それらの薬草の名をフェウセス語で何というのか分からず、ユォノは自然と母語に戻ってそう呟いた。嗅ぎ慣れた匂いである。トカットリア山脈でも広く分布する草であった。
『よくご存知ですね』
不意に目の前のセオタスが流暢なホルタの言葉で返してきたので、ユォノは面食らって顔を上げた。セオタスは何やら意趣返しが成功したような得意げな笑みで、「拙いですが」と今度はフェウセスの言葉に戻り、ユォノに向き直る。
「……ユォノどの。気がかりなことがあるのでしたら、どれほど些細なことでも、どうぞ何なりとお聞かせください。一人で思い詰めて事態が好転する例は少ない。私はあなたが先程から何やら懊悩している様子であることが気になります」
セオタスの言葉は息が詰まるほどに真摯であった。
「私たちは確かに同じ目的の下に手を組んだ同士です。ですがそれ以前に、私はあなたのことを親しい……友人と思っています。あなたが辛そうな顔をしているのは、俺も辛い」
聞けば聞くほど、セオタスは優しい人間であった。その言葉を受け止めるうちに、胸の中にひんやりとした氷の膜が広がってゆくような気がした。
知らず、笑みが零れ落ちていた。言葉は自然と滑り出た。
「ありがとう。だが、心配には及ばない」
ユォノが選ぶであろう道を、語るであろう言葉を、彼女は深く理解している。だからそれはちっとも難しいことではなかった。ユォノがここにいたのなら、彼女が取ったであろう行動を思い浮かべて辿ることは。
アスラの知るユォノとは、容易く人の助けを借りることを良しとしない女だった。悪意を向けられてもそれを平然と撥ねのける女だった。だから彼女もそう在るだけである。
「雨に当たって体が冷えてしまったようだ。帰って休ませて頂く」
おもむろに立ち上がったユォノに、セオタスは驚きつつも、「そうですか」と頷いた。
「ありがとう、セオタスどの。オリウ将軍にも心配をかけたと伝えておいて欲しい」
そう言い残して、ユォノはごく自然な態度で踵を返す。セオタスは黙ってその背を見送った。
セオタスの視界から外れると、途端にどっと疲労がのしかかってきた。壁に手をつき、力の入らない足で一歩ずつ進んでゆくが、頭にもやがかかったようで上手く体が動かせない。寒気が背後から這い寄り、吐き気までもが喉を突き上げてくる。
やっとの思いでたどり着いた後宮は、柱や壁、梁がぐにゃりと歪んでいるように見えて、足下は絶えずゆっくりと回転しているような心地がした。
「ユォノさま、大丈夫ですか!? ひどい汗です」
エイナの声がしたが、振り返ることもせずに片手を振って黙らせた。壁伝いに歩きながら、向けられる視線が体に纏わり付くような心地がして、不快に頭を振る。自室の扉を不自由に開け放ち、ユォノは声をかけてくるエイナを撥ねのけるように扉を荒々しく閉ざした。もどかしく靴を脱ぎ捨て部屋を横切り、崩れ落ちるように寝台に倒れ込む。
全身が泥水のように重く、澱んでいた。指先を持ち上げることすら億劫だった。ユォノは目を閉じたまま、思うように動かない腕で布団を引き寄せる。
そのとき、何か硬いものが布団の上から滑り落ち、一度肩に跳ねて、顔の脇に落ちてきたのを感じた。瞼を開けることは手を動かすよりももっと難しく、ユォノは指先を敷布の上に這わせるようにしてそれの正体を探る。
今にも眠りに落ちそうな中、指先が捕らえたのは木片だった。特定の規則のもと刻まれたそれは、まるで耳元で囁くように告げている。
『お前の罪を許してやる、アスラ』
それが、何者かによって残された伝言であると気づいた瞬間、ユォノは重く温かい眠りから弾き出されたように覚醒していた。目を見開き、慄然と背筋を凍らせる。寝台の上に胸をつけたまま、一瞬にして鼓動が嫌な速さで脈打つのを感じた。
……自室と思っていた場所も、もはや安息の場ではないのだ。その事実をまざまざと見せつけるような言葉であった。
(……たすけて、)
そう胸の内で呟いた瞬間、軟膏で湿り気を帯びた唇が戦慄いた。
「たすけて、誰か、たすけて、……ユォノさま…………!」
遠くの記憶で主君が笑っている。
――わたし、ユォノさまがいないと全然だめなんです。ユォノさまがいてくれてよかった。
――それはお互い様じゃない。
繋いだ手の温もりが戻らない。あの人の熱がもう分からなかった。あるじが目を細めてこちらを見た。
――私、あなたがいてくれて本当に嬉しいのよ、アスラ。
「わたし、ユォノさまがいないと、何も分からないんです。ユォノさまがいなきゃ何もできない……」
目の前が滲んだ。せっかくセオタスが軟膏を塗ってくれた唇を、強く、皮が切れそうなほどに噛みしめる。何も見えないように目を閉じ、布団を頭まで被り、彼女は身を縮めて囁いた。
「置いていかないで、ユォノさま……」
***
「殿下、お話ししたいことがございます」
後宮を訪れたセオタスを呼び止めたのはリュシアだった。彼女が語った内容に、セオタスは眉をひそめる。
「ユォノどのの様子がおかしい、と」
「何が、という訳ではありませんのですけれど……」
リュシアが思案するように腕を組み、指先を顎に添える。気遣わしげな眼差しが向けられるのは、ユォノの居室の方向である。セオタスは腰に手を当てて喉の奥で唸る。
「そのご様子ですと、殿下も同じようなことを思っておいでで?」
「ええ。何か思い詰めている様子なのですが、私が近づいても避けられるばかりで……」
セオタスは眉根を寄せてゆっくり息を吐いた。
「むしろ、リュシア嬢の方が何かご存知かと思っていたのですが」
「私は何も知りませんわ。あの意地っ張り、ちっとも私に相談事なんてしなくてよ」
リュシアが鼻持ちならないと言いたげに唇を尖らせる。ふて腐れたような表情を見下ろして、セオタスはそれどころではないのに思わず笑みを漏らしてしまった。怪訝そうなリュシアに「失礼」と詫びてから、彼は頭を掻く。ユォノは淡々と語っていたが、リュシアとの仲はそれなりに良好らしい。
「そういえば、オリウとの……ことは」
濁して話題を持ち出すと、リュシアは一瞬だけ好戦的な目をしてセオタスを見上げた。
「殿下の差し金なのでしたっけ?」
「そう言われてしまうと否定できませんが、……もちろん、お二人の気持ちが一番大切ですから」
ふうん、とリュシアが不遜にも思える態度で声を漏らして頷く。
「構いませんわ。大部屋に入れられた時点でこの後宮から出ることは叶わないと思っていましたので、殿下の御代になられた際に外へ出られるのなら渡りに船でございます。帰ったら弟と跡目争いになりそうなのが少し恐ろしくはありますが、それも将軍の後ろ盾がつくとなれば都合もよろしい」
リュシアの言葉に、セオタスは「ああ……」と納得を示した。
「オーウェン家は、現在寡婦となられたお母上が当主をしておられるのでしたか」
「オーウェンの血が流れない母に対する各方面からの反発は大きいようです。弟も当主を継ぐにはまだ少し幼いですし。私を後宮から出せという各所からの嘆願は届いておられます?」
「ええ、それはもう。しかし、……父上は現在、後宮の管理にまで手が回らないようですから」
決して明言はしなかったものの、そこに含まれた苦々しさをリュシアは敏感に感じ取ったらしい。もちろん彼女も当代の王に関する批評を口にすることはなく、「ままならないものですわね」とだけ言ってこの話を終わらせた。
「ユォノが……さまが、隅から隅まで後宮を見て回るようになったのは、おおよそ半月ほど前からでございます」
リュシアが一度だけユォノを呼び捨てにしかけたのを、セオタスは耳ざとく聞きつけたが、あえて指摘することもなく「なるほど」と頷いた。
「何が目的なのか訊いても答えないのです。ただ、一度だけ訊かれたことがありました」
リュシアはそこで言葉を句切り、聞き耳を立てているものがいないことを確認してから、声を潜めて囁いた。
「――この後宮に、自分以外の異国人はいるか、と」
***
自身の居室に籠もったまま、ユォノは悶々と考え続けていた。初めて刻板にて伝言が届けられてから、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。それなのに送り主の正体は尻尾さえ掴めず、ユォノの行く先々で彼女を嘲笑うようにひっそりと鎮座していた。
訓練場で荷物に紛れ込んでいることが最も多いが、自室の寝台の上にぽんと無造作に置かれていたことも一度や二度ではない。
ユォノは机の上に並べられた木片を再度見下ろした。木に刻みを入れることで言葉を記す、要するに文字の一種であるが、傍目から見ればそれが文字に見えないというところに特徴があった。
木片はそれぞれせいぜい掌ほどの大きさしかなく、大抵は四角形をした板切れのようだ。その四辺に刻まれた線を指先でなぞる。
『お前の正体は分かっている』
『こちらはいつでも明るみにできる』
そうした脅し文句は彼女の胸に重くのしかかっていた。木片がひとつ、またひとつと増える度に、手足や首につけられた枷が増え、鎖が四肢に纏わり付くような心地がしていた。
初めはその形を見るだけでも恐ろしくなって、届く度にどこかへと捨ててしまっていたが、徐々にその作業すら厭わしくなった。気づけば机の上に並べられるまでの数にまで増えている。
それらを見比べているうちに、分かってきたことがある。きっかけは一つの刻板だった。
『後宮を出て一人になれ』
直接的な指示は初めてであった。これを受け、直後はどうしたものかと焦りを覚え、一睡もできなかった。布団にくるまり、隠れて持ち込んだ短剣を握りしめながら一夜を過ごした。しかし朝日がちょうど枕元に射し込む頃になって、ふと閃いたのである。
相手は、後宮から自分を連れ出すことはできない。
自分で後宮を出てこいと命じることは、裏返せば実力行使でそれをさせることができないことの表れである。考えてみれば、後宮の守りは厚い。小さな子どもが夜の闇に紛れて忍び込むならいざ知らず、ひと一人を無理矢理に連れ出そうとすれば、衛兵の目に留まらないはずがなかった。
しかし、後宮の外で待ち受けているということは、相手も外にいるということに他ならない。けれど木片は後宮のユォノの部屋にも置かれており、すなわちそれは後宮内に誰か――協力者がいるということを意味するだろう。
黒幕ではなくて末端の協力者ならば、口を割るやも知れない。そう思って後宮内でそれらしい人間がいないかを探し始めたが、……如何せん上手くいかないのが現状だった。
(どうすれば……)
頭の中心がじわりと重くなってくる。窓の外を見やり、既に傾きつつある陽に嘆息した。もう秋も暮れである。橙色に染まった空に黒々とした雲が散在し、長い影を落としているのを見るともなく眺めながら、彼女は頭を抱えた。そろそろ手元も怪しくなってくる薄暗がりであった。しかし燭台を灯すだけの気力も沸かない。
背後から扉を叩かれる音がした。そろそろ食事が運ばれてくる頃合いである。エイナが夕食を持ってきたのだと思ったユォノは、「どうぞ」と振り向きもせずに声をかけた。扉が控えめに開かれ、蝶番が僅かに軋む。
「ユォノどの」
静かな、しかし押し殺すように威圧の籠もった声だった。ユォノは鞭で打たれたように振り返る。
「セオタスどの、」
「お時間、よろしいですか?」
セオタスの顔は逆光で表情が読めず、ユォノは固唾を飲んだ。セオタスはユォノの返事を待たずに部屋へ足を踏み入れ、そこではたと足を止める。
――ユォノの机の上を、西日が四角く照らし出していた。そこに浮かび上がった木片にセオタスの視線が向けられているのを悟って、ユォノは咄嗟にそれらを隠すように立ち塞がった。セオタスはゆるりと顔を上げ、ユォノの目を見据える。その眼差しに何とも言えない疑念の色を見つけた。瞬間、全身が凍り付いたように強ばる。
「……外に出よう。もう部屋の中は暗い」
そう声をかけて、ユォノはセオタスの胸を押して通路に出た。セオタスは抗わず、数歩後ろに退いて部屋を出る。刹那、視線は確かに交錯したが、二人は何を言うこともなかった。
扉を後ろ手に閉じると、セオタスはすぐ傍に佇んでいた。
「ユォノどのは、体調は治りましたか?」
「ああ」
扉を背にしたまま、ユォノは顎をもたげてセオタスを見上げる。夕陽による影が長く伸び、ユォノの体を覆うように広がっていた。そういえば、前は体調が悪いと言ってセオタスの来訪を拒んだな、と思い出す。
セオタスはしばし口を噤んでユォノを見据えていた。彼は何も言わなかったが、その目がもの問いたげにユォノを探っているのは明らかだ。ユォノは唇を引き結び、目を合わせまいとするように顎に力を入れる。
「何か、用事でも?」
木片を見られたとて、あれがホルタの一部に伝わる文字であると分かる人間は少ないだろう。しかし、相手がフェウセス――ホルタを攻め滅ぼした国の嗣子であることが気にかかった。もしや、ホルタの手管など、既にすべて知られているのではあるまいか。
(見られただろうか?)
ユォノはセオタスの顔色を慎重に窺った。彼はなおも語らずユォノを見据えている。しばし睨み合う沈黙が続いた。
「……私が親しい友人のもとへ歓談しに来ては悪いのでしょうか?」
「悪いとは言っていない。しかし、王子ともあろう人が、用もないのに頻繁に訪ねて来られては、周囲の人間とて気が休まらないというものだろう」
「周囲の人間?」
セオタスが片眉を持ち上げた。
「私の訪れを嫌がっているのはあなたではないのですか」
妙に険のある口調だった。ユォノは鼻白んでセオタスを負けじと睨み上げる。
「何が言いたい?」
「あなたが最近、私を避けていることに関してです」
そう言って、セオタスが一歩を踏み出した。ユォノは逃げるように片足を引いたが、直後に踵が阻まれて息を飲む。とん、と背中が扉に触れた。
「ユォノどの。……私は、あなたを信じたい」
セオタスは呻くようにそう言った。
「……あなたは、何をそんなに、一人で抱え込んでいる?」
「貴殿には関係のないことだ」
「私に言えないような、後ろ暗いことでもあるのですか」
長身と斜陽ゆえに、ユォノはまるで押しつぶされるような息苦しさを覚えながら唇を噛んだ。
「…………違う」
絞り出した否定の言葉は自分でも分かるほどに弱々しく、セオタスは目に見えて眉根を寄せる。
「ユォノどの」
「わた、私が何を考えているのかは、いつか、きちんと釈明する。だから今は、……そっとしておいてくれないか」
ゆるゆるとユォノは首を振り、項垂れた。片手をもたげて、視線から逃れるように目の上にひさしを作る。セオタスの表情は読めない。長い沈黙の間も、彼の視線が常に向けられていることを痛いほどに感じた。
「そうですか。あなたの言い分は分かりました」
ややあって、セオタスはそれだけ言った。くるりと踵を返して離れてゆく後ろ姿に、咄嗟に手を伸ばしかける。しかし指先が袖に触れるよりも前に心が萎えた。はたりと腕が空を切って落ちる。裾を強く握りしめて、ユォノは深く俯いたまま歯を食いしばった。
(一秒でも早く、刻板の送り主を突き止めて、始末しなければいけない)
その目がぎらぎらと殺気立っていることを、彼女は自分では気づけないでいた。




