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少女は影に潜まない  作者: 冬至 春化
一章 亡国の姫君について
12/21

4.流転 下



「こら、あなたたち、そんなところで何をしているの!」

 自室で寛いでいたユォノは、扉の向こうから聞こえてきたエイナの声に顔を上げた。大部屋と呼称されている、ユォノにあてがわれた居住区は、実際には幾つかの部屋を含む一角であった。ユォノが一人で生活していたため、これまで空き部屋であったそれらの部屋のひとつに、現在はエイナが移り住んでいる。要するに隣室である。


 エイナには子はいないはずだが、それなりに大きな子どもがいても不思議ではない程度には年嵩である。そのせいだろうか、彼女は母でもないのにまるで母のような貫禄を漂わせることがあった。

「え、エイナさん……!」

「あなたたち、ユォノさまに何か用事なの?」

「あ、えっと、私たち、ユォノさまに……」

 若い少女の声がエイナに応じる。自分の名前が出てきたので、ユォノは自然と本を傍らに置き、体を固くして耳をそばだてた。


 ややあって、エイナの声と共に扉が叩かれる。ユォノは努めて軽い調子で入室を許可した。

「ユォノさまにお話があるという子たちがいるのですが、……どうなさいますか?」

「通してくれて構わない」

「承知しました」

 扉から顔を出していたエイナは再び顔を引っ込め、扉の向こうに何やら声をかけ、手招きをするような仕草をする。すると声を潜めた押し問答が少し続き、それからおずおずと一人の少女が顔を出した。そばかすのある少女が、恐る恐るというようにユォノの前へと歩み出る。次いで、ざっと数えて八名ほどの少女が並んで入ってきた。彼女たちの顔はみな強ばっており、ユォノと目を合わせて良いものか躊躇うように、互いに顔を見合わせている。



「……何の用事?」

 優しい声を出したつもりだったが、少女たちはびくりと肩を震わせて竦み上がった。ユォノは眦を下げる。

「私に何か伝えたいことがあるなら、どうぞ気兼ねせずに話してくれて構わない。自分で言うのも何だが、私はそれなりに気が長い方だぞ」

 冗談めかして言ったつもりだったが、その言葉で堰が切れたようだった。一人が勢いよく正座して頭を下げたので、ユォノは呆気に取られて身を乗り出す。

「ど、どうし――」

「申し訳ありませんでした、ユォノさま!」

「お?」

 よほどの諫言でも飛んでくるのかと思ったら、出てきたのはいきなりの謝罪である。続くように他の少女たちも一斉に頭を下げる。異様な光景に泡を食ってユォノは立ち上がり、彼女たちの肩に触れて頭を上げさせた。


「どうしたの?」

「わ、私たち、周りに流されて、ユォノさまに酷いことをいっぱい……」

 狼狽え、言葉を詰まらせながら、少女が額に皺を寄せる。その言葉で、ユォノはおおよそ事情を把握して頬を掻いた。「なるほど」と呟き、全員に座るように合図すると、ユォノもその前に膝を折って腰を下ろす。言われてみれば、見覚えがある顔も混じっている。



「一人一人に細かいことは問わない。あなたたちの謝罪を受け入れよう」

 真っ先にそう告げると、少女たちは一様に安堵のため息を漏らした。が、「しかし」とユォノが発声した瞬間、その顔が凍り付く。ユォノは一瞬だけ怖い顔を作ると、それから苦笑交じりに頬を緩めた。

「……もう、そうしたことは、誰に対してもしないと約束できる?」

 ユォノの問いかけに、彼女らは異口同音に「もちろんです!」と頷く。それは黙考の末というよりは反射的な反応で、ユォノは小さく唇を尖らせた。


 と、一番端に座っていた、一際小柄で気弱そうな少女が口を噤んだままであるのを認めて、ユォノはそちらに顔を向けた。

「……端のあなたは、約束できない?」

 水を向けると、彼女は叱責を恐れたのか、ぎゅっと肩に力を入れたまま青ざめる。「違、」と呟いた唇が震えているのが分かった。



「わ、わたし、自信がありません」

 やっとのことで、少女はそれだけ答えた。しかしユォノは追究の手を緩めず、「どうして?」と追って問う。

「この先、間違えずにやっていける、自信がありません」

「間違うというのは、どういうこと?」

「わ……わたし、嫌いな人がいたらその人のことが嫌いです。嫌なことをされたら恨みます。周りが嫌いって言っている人のことを自然と避けてしまいます。けれどあとから、人に対する見方を変えることがしょっちゅうです。そしたら毎回、以前の自分の言動を思い返して、どうしてあのときあんなことを言ってしまったんだろうって、いっつも後悔します」

「同じようにして、私に対する見方を変えてくれたから、こうして謝罪をしに来てくれた訳だ」

「その、通りです」

 深く項垂れてしまった少女を眺めながら、ユォノは顎を撫でた。他の少女たちは息もしていないような有様で、固唾を飲んで見守っている。


「……それは何も間違いではないよ」

 ユォノははっきりと告げた。

「人というのは……物事というのは、絶えず動くものだ。ある倒木の側で一度鹿を見つけたからといって、毎日その倒木に腰掛けて鹿を待ち続ける狩人はいるまい。ならどうするか。ずっと追うしかない。その目を見開き、耳をそばだて、微かなしるしをつぶさに拾うしかない。あるいはその行き先を予測し、先回りするしかない」

 囁く言葉が、部屋の中で淡々と木霊していた。


「この世のすべてが同じことだ。ひとつの意思を貫くために必要なこともそれだ。今回のあなたの過ちは単なる浅慮に過ぎない。再び繰り返さないためには、相手をまっすぐに見据える、それだけしか方法はない。斜に構えたり、穿ったり、自らの都合の良い見方をしてはならない」

 少女の顔を上げさせながら、ユォノはおずおずと微笑んだ。彼女は呆然としたまま、黙って瞬きを繰り返している。

「その人そのひとに誠実に向き合えば、誰もが自分とさして変わらない生き物だと悟るはずだ。そうすれば、おのずと取るべき行動だって分かってくるだろう」


 そう言って話を終えると、ユォノは軽く手を打った。

「この話はここでやめておこう。あまり長く突き詰めるような話でもないからね」

 空気を変えるように明るい声を出して、彼女はさっさと立ち上がる。「今日は天気も良い、こんな部屋の中に籠もっているのも悪趣味だろう」と声をかけた。彼女らだってユォノの部屋にずっといては息が詰まるだろう。予想通り、少女たちはユォノの言葉にほっと表情を明るくし、口々に謝罪やら礼やらを述べるとそそくさと退室していった。



 最後の一人を見送ったところで、ユォノは椅子に腰を下ろして息をついた。知らずに言葉が漏れる。

「ありがとう、か……」

「何がですか?」

「うわっ!」

 前触れもなく顔を覗かせたのはセオタスだった。振り返った拍子に椅子から転げ落ちかけたユォノを、セオタスがすんでのところで助け起こした。


「大丈夫ですか、ユォノどの」

「ああ、ありが……」

 何気なく言いかけて、何故だかそれが随分と照れくさい言葉に思えて、ユォノは思わず口を噤んだ。そんな彼女にセオタスは怪訝そうな表情で、ユォノを椅子の上に戻して首を傾げる。


「どうしました?」

「いや……」

 柄にもなく言い淀み、ユォノはセオタスの顔をまじまじと観察した。彼は更に面妖な顔をしてユォノを見返す。数秒ののち、至近距離で見つめ合っていたことに気づいたのはほぼ同時だった。かっと頭に血が上る。ユォノは弾かれたように顔を背けて距離を取った。


「久しいな、セオタスどの」

「ええ、ここ数日政務が立て込んで」

 セオタスは頭を掻く。ユォノはそっと目を逸らす。前に顔を合わせたときの記憶が不意に蘇り、足先が居心地悪くもぞもぞとした。

「……今日は、何の用があってここに?」

 とってつけたように問うと、セオタスはゆるりと首を傾げた。

「私が親しい友人のもとへ歓談しに来ては悪いのでしょうか」

「別に、悪いとは言っていない」

 ユォノは答えたが、どうもふて腐れたような声音になってしまったのが自分でも不満だった。案の定セオタスはくすりと笑みを零し、微笑ましいものを見るかのように目を細める。ユォノは更に顎に力を込めた。



 セオタスは片手を差し伸べながら微笑んだ。

「どうです、せっかくの陽気ですから、散歩にでも誘おうと思って」

「ふむ」

 ユォノは窓の外を一度見やると、少し躊躇い、セオタスの顔を上目遣いに確認してから、おずおずと腕を持ち上げた。

「……貴殿が来ない間に、嬉しいことがいくつもあった」

「へえ、それは良かったですね。もしよろしければ聞かせて頂いても?」

 やや芝居がかった口調に、ユォノはくすりと息を漏らす。久しく感じていなかったおかしさが胸にこみ上げ、自然と頬が綻んだ。


「ああ、もちろんだ」

 ――そうしてユォノはセオタスの手を取った。



 ***


 前日の快晴は翌日になっても続き、実に朗らかな昼下がりであった。それを映し出したかのようにユォノの心は晴れやかで、足取りまでもが軽いような気がしていた。常にはない微笑みを湛えて剣を振るユォノに、オリウを初めとした兵たちが一様に怪訝な顔をしていたが、わざわざ口に出してまで問う者もいなかった。


 一方でユォノは、ここ数日のことを思って感慨に浸っていた。フェウセスに来ておよそ半年、彼女は初めてこの地で自らの居場所を見つけられたような気がしていた。周囲に受け入れられたという手応えは確かだった。

(きっと大丈夫だ。全て上手くいく)

 脚を踏み出すと同時に、前方へ剣を横薙ぎに振り出す。その切っ先が陽光に照り映えるのを静かな双眸で見据えながら、ユォノは手に触れられそうな自負を噛みしめた。


 何も不安に思うことはない。セオタスやオリウ、あるいはリュシアとともに、自分はこの国を救う澱んだ気配を振り払うことができる。傾きゆく国を先導する王を阻み、あるいはいずれその座を継ぐであろうセオタスがいれば、既に形を失った祖国が、これ以上の蹂躙に晒されることもあるまい。

(ホルタを救わねば……トカットリアを守らねば……)

 剣が空を切る音は、まるで熊蜂の羽音のように低く唸る。乾いた地面に足を置き、ここ数日の好天で浮いてきた砂を踏みしめた。


(それが、私の責務だ。果たすべき……果たさなければならぬ役割だ。たとえ帰るべき国を失おうと、山の民が還る地は常にそこにあり続ける。それならば私はその地を未来永劫、魂の行き着く霊峰として、森厳なる聖域として、保ち続けねばならない)

 剣は空を切っていたが、彼女の目には確かに敵の姿が見えていた。正体も知れぬ敵だった。それは彼女がこの先どのような難題に突き当たるか分からないがゆえの不安の表れであった。しかし剣の描く軌道に迷いはなかった。


(そのためには、更なる力が必要だ。セオタスどのを一点の曇りもない王へと押し上げ、私自身も簡単に揺らがぬ地位を手に入れねばならない。生半可な力ではトカットリアを守れまい)


 彼女の視界では、呆気なく切り倒されてゆく敵の姿がはっきりと見えていた。けれど吹き上がる血は色を持たず、それは彼女の心の中では決して自らに降りかかることはなかった。柔らかく力を失った肉の感触も、そこに残された熱のありかも、彼女には未だ知れぬ代物であった。


 ……それを知らずにこの先の道を歩み続けることは許されまい。決して認めはしないが、胸の内にはそうした予感が徐々に息づいていた。

(いずれ私が、血の色を知ったとき、……私が、自らの力を得るために多くの犠牲を払うことを選んだとき、あの山はそれでも私を受け入れてくれるだろうか)

 一抹の心細さが喉元を突いた。けれどそれはすぐに確かな自負に上塗られた。


「……私ならやれる」

 彼女は僅かに上がった呼吸を整えるようにゆっくりと息を吐きながら、低く囁いた。一人で剣を振る姿はさながら剣舞のように見えているだろうと頭の端で考える。剣を握った手に力がこもる。


「私はトカットリア山脈第一峰ホルタの王の娘――ユォノだ」


 確信を込めた言葉は強く響いた。振り抜いた剣先は白い光を残して弧を描き、音もなく空を鋭く切り裂いた。



 遠くの空から雷雨を伴う嵐が近づいてきつつあった。それは瞬く間に空を覆い、フェウセスの都に激しい雨を叩きつけ始める。下級兵たちは後片付けに雨の中奔走し、外に出ていた者たちも一人残らずずぶ濡れになった。

 彼女も慌てて剣をしまい、近くの柵にかけてあった上衣を引っ掴んで屋根の下へと駆け込もうとする。と、そのとき背後から「ユォノさま!」と聞き慣れた声で呼び止められ、背に小さな手が触れた。


 リトは降りしきる雨が目に入らぬよう顔をいっぱいに顰め、片腕で頭を庇うようにしながら、何かを差し出してきた。

「何か、上衣から落ちましたよ」

 そう言われて受け取ったのは、身に覚えのない木片である。掌に乗るような大きさのそれは、のみで削り取ったような溝がいくつも刻まれている。それを目の当たりにした瞬間、胸の底がひやりとした。

「それにしても、凄い雨ですね」

 リトは道具の片付けしなに声をかけただけのようで、それを渡すと慌ただしく雨の中へと再び駆け出していった。



 ――嫌な予感がした。

 心臓が早鐘を打つ。雨の中、いち早く屋根の下へ逃げ込みたいのに、両足はまるで岩で固められたかのように動かなかった。呼吸を三度繰り返す間に、雨は髪を芯まで濡らし、毛先から筋となって流れ、肌着の下まで染み込んで肌を濡らした。


(ホルタの刻板、)

 考えるより早く、身に染みついた動きで、木片に刻まれた跡を指先で辿っていた。それは最も手繰り慣れた言葉である。示されている音を唇に乗せれば、やはりそれは最も舌に馴染んだ言葉であった。


 知らぬうちに上衣に紛れ込まされていた板は、抗いようもなく彼女・・へ差し向けられたものであった。指先が冷えた。

 今もどこかで、この書簡を忍ばせた人物が、こちらを見ている。そんな直感に襲われて、彼女は水で視界が煙るような豪雨の中、身じろぎ一つできずに立ち竦んでいた。



 板に刻まれていた言葉はただ一言。彼女・・は今一度それを音へ乗せる。



『お前の秘密を知っている』


 忌まわしい記憶が強く胸を撃った。目の前に、ずっと追い続けてきた主君の姿が鮮明に立ち現れる。あのひとがこちらを振り返る。視線が重なる。微笑む。その唇が動き、幾度となく聞いてきた声が今にも耳底で木霊しようとしていた。


 送り主の影さえ窺わせない板が、わたしを呼ぶ。

 ――ユォノさまが、わたしを呼ぶのと同じように。



『 アスラ 』




 昔日の話である。

 少女は幼い頃より、王女ただひとりを主と仰ぐ従者として仕え続けた。その役割は一般には側仕え、侍女と呼称されていたが、実際のところ、それは正確ではなかった。


 神童と評された王女の傍に、何ひとつ優れた性質を持たぬ凡庸な少女が侍ることを許された理由は単純である。王女と面立ちが似ているとして見出された彼女は、王女の影武者であり、有事の際にはその身を挺して身代わりとなることを求められた少女であった。


 主君その人の立ち居振る舞いをつぶさに観察し、それを自らのものとし、その言葉さえをも胸の内に刻み込んだ。求められたのは王女としての振るまい、王女を守るための武術や知識、そして主に対する敬虔な忠誠心。……それらを完璧に満たしていたと、彼女は言い切ることができない。


 昔日の話である。

 何もかもが狂う前の、ささやかな昔話である。


 ――王女の影武者であった少女の名を、アスラという。




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