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ブローディアからラベンダーを

作者: 小田中 慎

 カタン、カタンと車両は揺れる。木の床から硬い石畳に敷かれたレールの軋みを伝えて、キイキイ、ガシガシと騒々しい。でも、毎日の事で、誰もがその音に馴染んでしまい、気にする者など皆無だ。

「次、○○本社前、○○ほんしゃまぇー」

 車掌が声を上げ、一人の男が手を挙げる。

「つぎ、ていしゃぁー」

 チン、と鐘の音がすると、チンチン、と運転手が返事をする。一両編成の電気軌道車はキーンと耳に痛い軋み音で交差点のカーブを曲がり、暖かな光を右手から左手に移し替える。電停がすぐそこで、軌車はガクンとスピードを緩めピタリと停まった。

 手を挙げた男が車掌に小銭を渡して降り、入れ替わりにセーラー服の少女が乗って来る。少女は車掌から薄い紙の整理券を貰い受け、車掌の立つすぐ横の空席に座った。

 チン。チンチン。ギーっと音を立てると軌車は直ぐに走り出す。

「次、XX2丁目、XX2ちょうめぇー」


 男の暗号名コードはマーカスと言った。彼は軌車の一番後ろ、右手奥に腰掛けていた。この車両が始発駅から出て以来20分、ずっと新聞を読むふりを続けている。

 駅は18。既に10が過ぎている。最初から6人。途中で21人。降りた者は8人。運転手と車掌を除く18名(もちろん自分は除いている)。今、ここにいる誰かが彼の『救出人』なのか、それともこれから乗って来るのだろうか?



「・・・アナベさんのお宅ですか?」 = ドジを踏んだ、救出願う

「いいえ、違います」 = 了解した

「おや? そちらは430-25421、ですよね?」 = 23時45分、いつもの場所で

「いいえ、ちがいますよ」 = 確認した。その時間で大丈夫だ

「それは失礼しました、ごめんなさい」 = ではよろしくたのむ

「いや、いいですよ」 = 安心してまかせろ


 マーカスが指定時間に、寂しい裏通りの長いレンガ作りの塀沿いに行くと、決められた場所にチョークの印があった。 

 『安全。モノは置いてある』

子供の悪戯にしか見えない落書きはそう語っていた。

 彼は速度に気を付けながら歩く。塀の途中、街灯と街灯のほぼ中間で薄暗闇となった所にある、塀のレンガの一つが微かに緩んでいる箇所に忍ばせてあった薄い紙片を通り過ぎながら抜き取る。

 足を速めることもなく、そのままのゆっくりしたスピードで裏通りから表通りへ出る。尾行されているはずだが、振り返ったり撒いたりする危険は冒せない。何も後ろめたいことのない人間は、尾行に気を付けたり撒いたりする訳がなく、そんな事をすればクロです、と手を挙げる様なものだ。

 尾行はいたにせよ、隠し場所から連絡文を抜いた彼の仕草には気付いた様子が無い。気付けば抜いた直後に取り押さえればすむからだ。

 そのまま一軒の騒々しいバーに立ち寄り、ショットグラスでシングルモルトを呷るとトイレに行き、先程の紙面を眺める。もちろん暗号だったが、何を意味するかは対訳表など使わなくとも解読出来る。 

 『0715 山の手墓地発の電気軌道に乗り 終点の波止場まで行け』

 便器に落とした脆い紙片はあっという間に溶け、流した水で永久に消え去る。

(これでやっとこの国ともおさらばだ)

 彼はバーテンに今度はダブルで同じものを頼んだ。



「次、XX坂下、XXさかしたぁー」

 チン。チンチン。また一人が降り、今度は誰も乗って来ない。

 その次で2人が降り、3人乗って来る。工場労働者風の3人は仲間なのだろう、昨日の野球の試合結果を批評し合っていた。野球などこの国に来るまで見たことの無かったマーカスは、その連中もどうやら待ち人ではない様子に内心がっかりするが、態度にも表情にも表れない。新聞をまた一枚めくる。めくりながら、もう幾度目か忘れた車内監視をする。残り駅6で女性7名男性10名。

 先程の労働者3名と一番前に並んで座る老人2名は、どう考えても違う。残り5名は、眼鏡を掛けたスーツの30男、ポロシャツ姿の20代、学生風2名、そしてこげ茶の繋ぎ姿の10代。この中で怪しいのはスーツとポロシャツ。

 女という事もあり得ない事ではないので、一応考えると、中ほどでおしゃべりを続ける主婦2名とセーラー服の少女は除外するとして、彼の2列前に座ったメガネの事務員風20代と、そのすぐ前の30代の黒いビジネススーツの女、そして私服の20代が2名。怪しいのはビジネススーツとメガネだろうか。

「次、市役所前、市役所まえー」

 20代女の内一人が手を挙げ、再びカーブを切った後に停車すると7名が一気に下りて行く。乗り込む者はいない。

 20代女2名、ビジネススーツの女、メガネの男女、男の学生2名が消える。マーカスの心臓は少しだけ高まる。あと3駅。対象は10名、いや、男3名女2名の内、どれか、だろうか?そしてもちろん、その中には敵も味方もいるのだ。彼は新聞から目を離さずに微かに右手をずらし、左懐のホルスターに忍ばせた32口径のハンドグリップに上着の上から触れた。

 しかし、彼は大変な勘違いをしていた。


「次、終点、本港、ほんみなとぉー」

 彼は新聞の陰でうろたえていた。接触はなかった。必ずあると思っていたのに。それとも俺がサインを受けそこなったのだろうか? 

 殆どが終点の1個手前、大きな電機工場の最寄り駅で降りて行った。終点まで残っていたのは老人2名と少女だけ。 

 では車掌か?ゆったりと構えている太り気味の車掌はそんな風には見えない。運転手だろうか? 

 車掌はそんな彼の焦りも気付かず近付く。一瞬、マーカスは期待したが、やはり車掌は仕事をしているだけだった。すっと手を出す車掌に、マーカスはコインを3枚乗せる。手際よくポケットから釣銭2枚を出し、「ありがとうございます。」と次の少女の所へ行き、定期を見せられるとその先、先頭の老人の方へ揺れる車内もバランスを崩すことなく巧みに歩いて行った。

(一体、どうすればいいのか・・・)

 その時、何かが気になった。彼の斜め前に座っていた少女、彼女がこちらを見ている。

(え?)

 すると少女は何かを言った。その可愛らしい唇が何かを・・・その直後。

 プスッ。

 音は軌車が最後のカーブを曲がる軋みに混ざって消えた。カーブを曲がり終えるまでにマーカスはこの世の生を終えていた。少女はそっと立ち上がると、通学カバンに銃をしまい、代わりに小さな花束を出した。

 蒼紫色の、何か毛虫にも見える花。ビロードの様な硬い茎と葉。香水の様な香りが漂う。少女がその花束を揺れに合わせてマーカスの方へ放ると、花束は狙い通り首をがっくり下げた男の膝に落ちた。


 電停に軌車が停まると、少女はさっと後ろの出口から降り、仲買たちが大方仕事を終えてトラックが次々と出て行く市場の方へ歩いて行く。その姿は、朝市目当てに来ていた観光客や、市場と港に関連する様々な商い人の中に紛れた。

 その5分後には、彼女は見違えるような金髪とビンテージの革ジャンを羽織っていて、たとえ先程の車掌が見ても同一人物には見えなかっただろう。彼女が着ていたセーラー服は市場のトイレで発見されたが、後に昨日、市内の高校から盗まれたものだと分かった。

「御苦労」

 彼女にサングラスの男が声を掛ける。そのまま並んで市場を出て、広大な港の外れに停めてあったベンツに辿り着くまで2人は無言だった。

 男はバックシートに彼女を乗せると自分は反対側から乗り込み、運転席で待っていた同じサングラスの男に、行け、とだけ言った。

「公安が2人残っていた」

 少女がポツリと言う。

「予定通りだ、邪魔はしなかったろう? 話は付いている」

 男は足元の紙袋から何かを出しながら、

「こちらで処分するなら、あちらも手を濡らさないで済むからな」

 そして、

「プレゼントだ」

 男が少女に何かを手渡す。白い釣鐘型の6弁に涼しげな青紫の線が入った小さな花が吹き零れた小型の鉢植え。少女はにっこり笑って、

「ブローディアね?そうか、フフフ・・・」

 鉢に添えた小さなカードには、彼女を微笑ませた花言葉があった。


 同じ頃。

 車掌は未だに吐き気を堪えて軌車の外に立っていた。既に何かが起きた事を悟った野次馬が集まり出していて、電鉄の事務所から職員が何人か走って来て、警察が到着するまで無粋な人間が軌車に近付かない様にしようとしていた。

 それにしても、これはなんだ。さっきまで生きていて、彼に乗車賃を払った男が、わずか数分後に射殺されていた。 額を撃ち抜かれ、即死なのは彼にも分かった。 


 しかし車掌にとって死体よりも不気味だったのは、その膝に乗っていたラベンダーの小さな花束だった。それには白い2つ折りのカードが添えられ、見える様に開いてている。

 車掌には外国語で書かれたカードの内容は分からなかったが、その不気味さは一生忘れないだろう。

 カードにはこうあった。

『 同志マーカスにラベンダーを花言葉と共に贈る。承認・不信・疑惑、そして沈黙 』


― Fin



ブローディア (ユリ科 トリテレイア属)

 花期4〜5月

 花言葉

 目立たせて・淡い恋・守護・うれしい便り など


ラベンダー (シソ科 ラバンデュラ属)

 花期5〜10月

 花言葉

 あなたを待っています・期待・承認・優美・豊香・不信・疑惑・沈黙 など


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― 新着の感想 ―
[一言]  なるほど。こういう小説もあるのかとおもいました。なかなか面白かったです。暗号文というか連絡文がいいですね。今後も楽しく読ませてください。花言葉がおしゃれです。
2009/08/25 14:01 退会済み
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