第947話 彼女は海戦の切り札を考える
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第947話 彼女は海戦の切り札を考える
とりあえず、金貨五百枚、サラセンに勝てば更に三千枚の商談が完了。メルカトル氏は、彼女から受け取ったポーション五十ケースを自身の魔法袋へと収納する。商人のたしなみらしい。その際の検品も、どれも素晴らしいポーションの質だと絶賛する。
素材と魔力の質にこだわっているのだから当然といえば当然だろう。リリアル領に戻ったなら、今回の取引内容を基本に、ポーションの卸値の見直しを行うことも吝かではない。
何なら、海都国に定期的に売却してもよいだろう。今回は確実に使うであろうから、次回分は「非常時に備えて」ということになる。海外領土の多い海都国にとって、同胞を守るポーションに対し金に糸目はつけない。傭兵を当てにする神国からすれば、兵士の損耗は傭兵たちの自弁ということになるが、海都国の特に船乗りは国の支柱である市民たちだ。船乗りや商人としての経験は金では買えない。
死なずに済む市民を一人でも多くしたいと考えるのは当然だろう。海賊が主力のサラセン海軍はその辺り、頭目次第。サラセンの帝国で総督や提督を名乗る大頭目ならば、結果を優先させるだろうが、下は自分の財産である海賊船や船乗りを大事にすると考えられる。
金貨五百枚なら男爵家の年収レベル、三千枚がさらに加われば伯爵家のそれに匹敵する。開拓村一つ、デルタ民の難民村一つ、羅馬牧場一つを維持する程度なら、二三年は賄えるだろう。海軍提督代理と法衣侯爵の年金だってある。彼女の中にある資金繰りの懸念が、大いに解消された。
――― もっとポーションを作らねば。
そう思うのである。
メルカトル氏との商談を終え、彼女と伯姪は氏を連れて聖エゼル海軍の軍港へと足を向ける。いまだ、訓練中の魔導船『聖フローチェ号』は戻って来ていない。
30m級魔導キャラベル船『聖ブレリア』号と同型である聖エゼル海軍の魔導船は強力な魔導外輪を装備しているため、王国以外に提供することは考えられない。提供するのならば『試作船』リ・アトリエに装備していた魔導外輪を元に量産化した18m級魔導ホイス船『聖フローチェ』号になる。
サラセン海賊が主に使っている小型のガレー『フスタ船』と同程度かやや大きい船体を有する。喫水も浅く、ずんぐりとした商船としても問題ない積載量・50tほどを乗せることができる。高価な商材を高速のガレー船で輸送することで優位性を保ってきた海都国だが、取引相手となる東外海の諸侯がすべてサラセン皇帝の配下になったことで、今後は微妙となるだろうが、サラセンとしても海都国から入手する奢侈財に大きな需要がある。長い目でみれば、海賊を討伐し、安全に取引ができる魔導外輪船は大いに魅力があるということは明らかだ。
彼女は桟橋に向かうと、魔法袋から『リ・アトリエ』号を取り出す。
「私たちの魔導船はこの時間、沖で訓練中ですので今ご用意できるのはこの船となります」
「……随分と小さいのですな」
メルカトル氏の視線の先には、聖エゼル海軍の魔導船がある。あれに乗りたいのであれば、彼女ではなく聖エゼル海軍か辺境伯閣下に申し出ればよい。おそらく、却下されるだろうが。彼女も『聖フローチェ』を見せることは問題ないが、『聖ブレリア』に乗せるつもりはない。見せても売らないのだから意味がないのだ。
彼女が操舵し、伯姪とメルカトル氏の三人で港を出ていく。波は穏やかであり、速度も大して出してはいない。
「なかなかの船足ですね」
「もとは、内水……川や湖・運河での移動を目的に作らせたものです」
メイン川やネデルの運河でも『リ・アトリエ』は活躍した。馬車と馬二頭に人間も数人なら十分に載せられる。おそらく、ほかの川船を牽引すれば更に輸送力は増すだろう。
港の突堤を抜け、港外へと出る。やや波が高くなるものの内海の海は穏やかであり、連合王国へ向かった時に経験した大きなうねりのような波は来ない。
十分沖に出たところで、彼女は一つ提案をする。
「魔力は持っていますか」
「さほど多くはありませんが。身体強化を短時間できる程度は」
「ならば、替わってみますか」
「……是非ともお願いいたします」
彼女は総舵輪をメルカトル氏に委ねることにした。
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「くっ、これは……」
「見ているほど簡単じゃないわよ。セニヨール」
「はっ、失礼。簡単だとは思っていませんでしたが……これほどとは」
魔導船の操縦で必要なのは魔力の有無なのは当然だが、それ以上に、操舵を握った指先・手のひらから魔導外輪を安定して回転させる一定の魔力量を継続して出し続けることに慣れる必要がある。
リリアル生の場合、魔装糸を紡ぐ過程、あるいはポーションを作成する際にそのような魔力の使い方をする。一気にドバっと出すような使い方ではなく、細く長く魔力を出し続ける必要がある。それは、『魔力走査』や『導線』といった魔力の運用においても使われる。
身体強化と比べると、体の一部から魔力を少しずつ出すという行為に慣れなければならないのが異なる。放出系の魔術の場合とも大いに異なる。故に、彼女の姉は魔装馬車や魔導外輪の運用は正直苦手としている。継続して弱い力で動かし続けるという行為が性に合わないらしい。さすが『大魔炎』好きなだけはある。あれは、魔力をマシマシに込めればいいのだ。
左右の掌・指先から同じだけの魔力を出さないと……
「蛇行しているわね」
「も、申し訳ありません……」
左右が不均衡なので、舳先が左右に振れるように蛇行する。
「う、気持ち悪ぅ」
「身体強化した方がいいのではないかしら」
『ただ船乗っているのに身体強化が必要ってどんなんだよ』
『魔剣』に弄られるレベルの蛇行航行はしばらく続いたが、やがて動きが止まる。
「あ、あれ。故障ですか」
「あなたの魔力が不足しているのでしょうね」
「替わるわ。気持ち悪いのよ!!」
「す、すみませんニアス卿」
魔力枯渇からか、あるいは伯姪のオコな雰囲気に気圧されたのか青い顔色のメルカトル氏が慌てて操舵を譲る。
伯姪は「もういいわよね」と独り言のように告げると、左の魔導外輪だけを回転させその場で旋回を完了する。大きく体を揺さぶられたことにも驚いたメルカトル氏だが、通常の船では考えられない回頭にさらに大きく驚いている。
「これは……」
「簡単よ。片手だけ魔力を流してどちらかの外輪だけ回転させればいいのよ」
両手で均等に長い時間魔力を流すことに比べれば、片方にだけ魔力を流すのは簡単なこと。片手を放しても同じことが起こるのだから容易である。
行きとはことなり、スイスイと滑るように港へと戻っていく魔導船。
「侯爵閣下。この船はどのくらいの速度がでるのでしょうか」
彼女が操舵すれば限界まで速度を上げることができる。『リ・アトリエ』ならば5ノット。出力を強化して『聖フローチェ』に取り付けられているもので航行すると10ノット程度だろうか。ちなみに、出力を大幅に強化し、その分魔力を二倍程度消費する軍用の『聖ブレリア』の魔導外輪の場合、15ノット程度が最大速度になる。
「この船は私が操船するならば5ノットほどです」
「では、仮に、王国が許可をするとすればどうなるのでしょう」
彼女は「あくまでもリリアルが運用した場合」として、10ノットで巡行できる18m級の船に相当する魔導外輪が提供されるだろうと伝える。
「10ノット。風を背にすればさらに速度が乗りますか」
「どうでしょう。それに、リリアルも聖エゼル海軍も魔力もちの騎士を多数抱えています。四時間三交代で二十四時間運航するとしても最低三人の上級騎士レベルの魔力もちが必要となります」
「……といいますと」
多少弱い出力とはいえ、身体強化に準じた魔力の出力を四時間継続して行える人間が最低三人、魔力量が少なければ六人必要となる。魔力は休息することで回復するが、八時間で完全回復しないのであれば、丸一日間をあけることになる。六ないし七人で四時間ずつ運航する必要がある。
「暗くなれば投錨して休息するのであれば、四時間交代で四人もいれば問題ありません」
「それは……少々困難かもしれません」
海都国人の多くは魔力もちといえるほどの能力を持たない。船乗りも同様であり、身体強化できるとしても数分が良いところ。また、稀に魔力に恵まれている者が生まれたとしても、魔術師や魔導師の道に進んでしまい、船にのることはない。
王国や帝国の騎士階級のように、親から子に魔力持ちの才能が引き継がれていないわけではないが、干潟育ちの海都国人は魔力に恵まれたものが王国・帝国ほど多くないのだ。精霊の祝福・加護持ちもほとんどいない。故に、貿易商人としての才覚に国ぐるみで取り組まなければならなかったと思われるし、それが長年成功してきた結果、魔力もち・魔術師が国内にあまりいない状況が加速したと考えられる。
「でも、考えてみなさいよ。精々三十分しか動けない、無駄飯食いを多く乗せたガレー船と、短い時間とはいえ一人の魔力で動く魔導船。港の接岸だって容易になると思わない?」
魔力もちを集める苦労を考えるメルカトル氏に対して、伯姪が語るのはちょっとだけでも十分有効という点。ただの帆船よりも、外輪で加速できる分、相当有利になるのだ。その場で旋回しちゃうし。なんなら、バックもできるのだ。
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聖エゼル騎士団の港湾に面した詰め所の応接室を借り、『聖フローチェ』が戻るまで、しばらく休憩と歓談を続けることにする。
「それで、魔導船を試してみた感想はいかがでしたか」
メルカトル氏はしばらく沈黙した後、「王国は、この船を数多く作り、新大陸や遠い東の海で商売するつもりはないのでしょうか」と問うてきた。
王国の経済政策に口を出す立場でも資格もない……こともない彼女だが、王国は国内で経済が完結できるほどの人口と経済規模を持っている。人口でいえば、海都国の二十倍を有し、食料自給も可能。帝国や連合王国あるいは神国などは東外海の大原国あたりから小麦を輸入しなければならない。連合王国などは、羊毛を売って小麦を買う方が「コスパがいい」と、農地を潰して羊を飼う牧畜用地に変えている。あるいは、農民が共同で使用する森林を領主が取り上げ伐採、牧羊地にしているとして暴動が発生したりもしている。
「私見ではありますが、王家にはそのような考えはないと思います。あくまで今の段階ではですが」
「それは、なぜでしょう」
神国や連合王国が新大陸航路で争ったり、あるいは内海においてはゼノビア&神国と海都国が争っているのは、国内で経済が成り立たないからではないかと彼女は考えている。おそらく、王太子も同じだろう。
あえて今、外と揉める必要はない。国内で富をぐるぐる回し、余ったものを相場で外国に売る。必要なものは自国で開発し、国内の技術や生産力を高める。
戦争には無駄に金がかかり、その対価となるものも大して得られるものではない。王国周辺で王国の影響下に入りたいと願うように近隣から見て魅力のある国作りをした方が良いのだ。
「王国は、先代の法国戦争で、多くの時間と金銭、あるいは人材を浪費しました。現国王陛下も、次代の国王である王太子殿下もそのことに関して深く嫌悪しております」
泥酔帝のように、偉大な先代に負けぬように帝国や海都国に絶えず戦争を仕掛け続けるようなことをしようとは考えていない。サラセンがそれを可能にするのは、領土内に多数の新たに組み入れられた民がいるからであり、農民を徴募していくらでも兵士を補充できるだけの版図を持つからだともいえる。
王国でそれを成せば、耕作地が荒れ生産力が低下し、経済が不安定になる。そして、戦争には金がかかり、王家の借金がまた増える。だからやらない。
「あくまで、この魔導船も防衛のための戦力であると」
「海軍は資金力が必要です。数をそろえるよりも、少数で強力な船舶で防衛する方が良いのではないでしょうか」
「はは、貿易のため航路を維持する必要のない王国故に許される考え方なのでしょうな」
王国が海戦で大いに敗れた戦いがある。いや、何度となく連合王国の長弓兵の射撃で大損害を受けている。
その一つに聖征の時代、連合王国の諸侯が惰弱な王に対して叛旗を翻した際に、王国は諸侯を支援し白亜島に戦力を送り込もうと艦隊を編成した。
帆船主体の艦隊は上手に密集隊形が組めずに先頭の旗艦から長弓兵の射撃を受け大損害を出して敗走。護衛してきた船団をことごとく拿捕され、王国水平の大半は海に投げ込まれて殺されたとか。
「それで、帆柱の上から『生石灰』を撒いて王国艦隊に目つぶしを食らわせたという話は聞いたことがあるわ」
生石灰は、水をかけると高熱を発する。百年戦争の時代、旧都防衛戦において、攻め寄せる連合王国兵に対し、煮えた油や湯をかけるほか、生石灰を目つぶしで投下して戦果を挙げたという記録もある。
目に入った生石灰で、失明することもあるのだ。
「サラセン海賊対策に、生石灰の目つぶしを利用できないかしら」
「水厳禁なんでしょ? 消石灰でもいいと思うわよ」
生石灰と水を化合し、熱反応させた後の物質が消石灰。若干安全度が増している。人造岩石を作る際に、石灰を使用するので、手に入れることは難しくはない。王国内でもブルグントで産出する。
彼女の中では既に、紙の袋に石灰を入れ、サラセン海賊船に切り込む直前に一斉に投擲し目つぶしに用いることや、こちらに飛び移ろうとする海賊に向かって紙袋に入れた石灰を投げつける光景などが浮かんでいた。
「紙袋を二つ紐でつなげて、投擲武器のようにするとよいかもしれないわね」
「回している間に袋が破れたら危険でしょ。止めておきなさい」
彼女の中で石灰投擲が膨らんでいく。が、伯姪はあまり乗り気ではないようである。おそらく、赤毛娘は非常に喜ぶだろうことは容易に想像できる。
人数の少ないリリアルは、道具で数の不利を補う必要がある。そう自分に言い聞かせて、彼女は石灰を使った海賊討伐に思いをはせるのであった。
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