第946話 彼女は海都国に高く売りつける
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第946話 彼女は海都国に高く売りつける
「じゃちょっと行ってくるね!!」
「……落ち着きがないのは妊婦になっても変わらないわね」
{フリじゃないからね、安心していいよ」
不安しかない。とはいえ、彼女が関わりすぎるのもよろしくない。今は王太子領の一角とはいえ彼女自身は直接関係のない土地。少し縁があるだけにすぎない。
姉は今は一貴族婦人に過ぎないが、将来的にはあの地で領主となることが内々に決まっている立場である。ノーブルの役人や水晶の村の村長あたりであれば、そのことを知っている。南都で総代官を務める家の跡取りであり、ニース辺境伯・聖エゼル海軍提督を配偶者とする王家に近しい新伯爵家。ノーブル領を王家が信用できる貴族に任せると判断したと周囲は理解している……ようにみえる。
その実は、王国南部に第二のリリアルのような存在を置きたいという試みもある。サボアとニースという国境を守る大領と王国南部の王太子領に比較的容易に派遣できる戦力。『ノーブル伯騎士団』あるいは、『聖エゼル王国騎士団』。聖エゼルは王国とサボア領に分割され、それぞれの王家・大公家が保持している。王国内の騎士団は現在休眠状態であるが、それを姉に与え活用しようというところだろう。
実際は、王家が設立しその総長ないし騎士団長をノーブル伯が務めるという形になるのだろうが。サボアでは既に本家が「女子修道騎士団」という形で復活させ、姉もその設立にそれなりにかかわっている。
それに先駆け、『薬草園』の名目であの廃修道院を復興させるというのは悪くない先行投資であると判断したと思われる。
「では、ちょっと行ってくるよ!!」
「……ちゃんと街の領主館に泊まりなさい」
「その辺は問題ないよ。手配済み☆」
王国内のみならずその周辺にもホイホイ足を延ばしている姉である。急な出立でもその辺り抜かりはない。二輪魔装馬車に乗り込み、姉と村長の孫娘、そしていつもの使用人アンヌが乗り込んでいく。
「ほ、本当に、私が御者でいいんですか?」
「疲れたら替わってあげるから、できるだけやってみてね」
「わかりました」
姉はこの旅で、村長の孫娘の素養を確認するつもりだとみえる。姉の構想の中で、二期生のサボア三人組は『聖エゼル王国騎士団』を編成するうえで基幹要員にするつもりなのだろう。ニース商会経由でノーブル伯領の騎士・官吏を担える人材も集めつつあるとも聞いている。王太子領の官吏の中でもノーブル出身の者はそのまま残るであろうが、王太子領故に派遣されていた者たちは次の任地へと向かうことになる。何もないリリアル領とは異なり、最初からある程度領地運営ができる者を「家臣団」として編成しなければならない。
これは、子爵家の家人があくまでも貴族家のそれでしかなく、領地を運営する経験も能力もないからであるといえる。また、総代官となる現子爵にそのままついていく者も少なくない。両親の身の回りの世話をしていた者はそのままついていくし、王都の屋敷の管理をしていた使用人は王都に残り別の貴族の家に仕えることになる。
伯爵家に相応しい陣容を整えるのに、辺境伯家の縁故もある程度頼らねばならない。
それなら、在地の村長や地域社会の支配層の中から優秀な人間や家を伯爵家の陪臣に迎えた方がよいかもしれない。現地に足を運ぶ機会は多い方がよく、顔をつないでいく必要もあるだろう。
「ノーブルにもニース商会の支店を構えないといけないしね」
「……今は少しさびれているかもしれないわね」
「少しじゃなく、かなりだよ。場所柄、旧市街とは別に新市街を作らないとだめかもしれないね」
旧有力者の力を削ぐために、川の対岸に新市街を建設したルーンのような街もある。ノーブルの場合、川の合流点に街壁を築いて領域を作っているので、その中で街を作り直すのは難しい。
新しい街に新しい人材を入れてノーブル領を活性化しようなどと姉は考えているのだろう。何もないところに一から街を作るリリアル領からすれば贅沢な悩みだといえる。住人も集めから始め、税も取れないのだから。むしろ、与えるまでの状況のリリアル。
そんなことを思いつつ、彼女は二輪馬車の中からブンブント手を振り去っていく姉を見送るのであった。
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姉を見送り、静かになったことに内心ほっとしつつ、彼女はポーション作りに専念する。毎日百本近く作っている。自身が作り出す魔力水と学院で採取してきた薬草を組み合わせ、無心にポーションを作っていく。
「血止めの傷薬も必要よね」
『そうだな。軽装で斬り合いも多いだろうから、内服よりも傷口に塗り込んで包帯で押さえるような薬も必要だろうぜ』
彼女は、薬草からポーションを作る際に、微妙な素材と判断し撥ねた薬草を使って、傷薬を作ることにする。
「油脂が必要ね」
『何使うつもりだ』
馬油を使うことが多いが、臭いに癖がある。蜜蝋とオリーブ油を使うと臭いを気にせずすむが、その分割高となる。
『貴族のご婦人が使うんじゃねぇんだから、安くても効果が同じなら馬油でいいんじゃねぇか』
「それもそうね。自分用には蜜蝋製のを作ることにするわ」
うら若い女性である彼女も、血の匂いはともかく、馬油臭いのはいやなようである。
聖エゼル海軍施設の一角にある工房で彼女はポーションづくりに励んでいる。薬師組や三期生のお手伝いは日中の訓練の後に夕方から夜にかけて同じ場所で行われるのだが、彼女は主に日中この場所でポーション作りを行っている。夜は何をしているのか? 日課の魔装糸紡ぎである。無心で糸巻きを回す時間がそこにはある。昼間は乳鉢を無心ですりすりし、夜は糸巻きを無心でくるくるする。それが最近の日常である。
この時期は神国と海都国、教皇庁の間で春から再度行われる聖王同盟艦隊の編成の会議が行われているはずで、彼女は聖エゼル・ニース海軍とともに参加する義勇軍、そしてその指揮権は教皇庁艦隊に属していることになっている。なので、上が話を決めてくれなければ、何も始まらない。
「マグスタに救援物資を運び込めて、少しは安心できるわ」
『そうだな。何もしていなければ、今頃、相当焦っていただろうぜ。何かしなきゃってな』
リリアル義勇軍が運び込んだ武器弾薬、ポーション、食料、金属や火薬の材料といったものがあると思えば、あの堅牢な城塞都市がそうそう簡単に陥落するとは思えない。
一度はサラセン軍を後退させ、切り札の一枚である『人喰』四体も討伐し、ついでに破損していた城壁も修復した。歩人が。
また、街の住民も本国が彼らを見捨てたわけではないと理解し、士気も回復させることができた。サラセン軍を後退させ、魔物を討伐し、破壊された城壁を修復して見せたことで、マグスタ市内の意気は大いに高まった。
サラセン軍も、夜襲を警戒してそうそう近づいては来ないだろう。また、キュプロス近海で十数隻の海賊船・サラセン軍船を文字通り沈めている。冬の荒れた海に、あれ以上の追加戦力が補充されるとも思えない。尊い
黒目黒髪の心を犠牲にして、その戦果は成立した。安らかに眠れ。
そう考えると、キュプロス救援艦隊・対サラセン艦隊の編成は落ち着いてできるだろう。なるはやでサラセン艦隊を破砕し、その後キュプロス救援に大戦力を船に乗せ上陸させる……という方法は取らずに済む。
サラセン艦隊を撃滅できれば、上陸しているサラセン軍も引き上げる可能性もある。キュプロスを占領し支配することが目的ならば、首都を完全破壊し住民を虐殺することは考えにくい。海都国の拠点を破壊し、自らの勢力圏からたたき出すだけを目的としているのであれば、マルス島の時と同じく、補給が困難となり神国軍が上陸してくるとみれば後退する可能性は低くはない。とはいえ、先代が賢帝であったのに対し、当代の皇帝はかなりの暗愚だとか。撤退を認めないとなれば、厳しい戦いとなる。
「あと二月くらいはなにもないのでしょうね」
『新年早々だしな。まあ、のんびりしようぜ、偶にはな』
遠征先とはいえ、すっかり馴染んでしまったニース生活。冬の時期に、内海沿いの気候は王都周辺と比べれば春のようであり、母が「老後はニースで」と何度も口にする理由が理解できる。姉がノーブル伯となったなら、ニースに別邸を建てさせ「前当主夫人として屋敷を管理する」といって自分の好きに屋敷を飾り立てるまでが目に浮かぶ。
姉も、王都の流儀を身に着けている母が、法国やニースの嗜好を取り入れ王都に馴染む流行を作り出してくれないかななどと考えているだろう。姉は祖母とは合わないが、母とは馬が合う。
ニースに王都風の館ができ、そこに王都に詳しい貴族婦人が館の主としているならば、ニースの社交界に新しい焦点ができることだろう。いつもで歩いている姉からすれば、内向きのことを母がしてくれることは助かるに違いない。
学院において彼女の留守を祖母が観てくれたように。
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「来客ですって」
「……先ぶれは無いわよね」
「無いわね。侯爵閣下に先ぶれなしで会えると思ってるのかしらね」
聞いたことのない名前に、知り合いではないと思うのだが。とはいえ、どこかであいさつ程度した関係でも、「旧知の仲」とされているのかもしれない。社交の経験に乏しい彼女にとって、姉不在のということもあり、とりあえず会おうと考える。姉がいれば相談して対応できるのだが、どうでもいい時には現れるくせに、必要としているときに限って出かけているのはどうかと思う。
いつもの聖エゼル海軍工房から一旦部屋へと戻り、作業着から侯爵閣下に相応しい衣装に着替える。このあたり、先ぶれがあれば事前に時間を見て着替えるなり準備ができるから、先ぶれの重要性がわかるだろう。本当に失礼なのだ。
彼女は伯姪とともに衣装を着替え、来客を迎える面会用の部屋へと向かう。こちらが先に奥の席に着き、相手をその後呼びつけ話を聞くという形にしなければならない。
「座ったままでいいわよね」
「侯爵閣下に立って挨拶されたら、相手も恐縮するんじゃない?」
「なら、恐縮してもらいましょうか」
「止めて差し上げて」
わざとらしく「うふふ」「おほほ」と笑いあう二人。そこに来客を案内する使用人の声が聞こえる。彼女が入室を許可すると、使用人が一人の初老の男性を案内してきた。
飾り気のない髪形と服装。質は良いが華美ではない装い。当然、謎の襟飾りも身に着けてはいない。彼女は伯姪にちらりと視線を送ると、伯姪を小さく横に首を振る。彼女も同じように返す。どうやら、記憶にはない人物のようだ。
「初めてお目通りいたします閣下。突然の訪問、無礼をお許しください」
「私がリリアル侯爵です。隣はニアス子爵。辺境伯の一門です。それで、あなたはどなたかしら」
男は深々と一礼し自らを『メルカトル』と名乗った。本名なのかどうかはわからない。帝国などではその姓を名乗るものがいるが、本来の意味は古代語で『商人』を意味する。私は商人ですと言っているだけなのかもしれない。
「実は、古い友人のクロスの王から閣下にお会いして助力を請えと私に手紙が参りました」
クロス王とは、海都国人である総督『マリオ・・ティラトレ』のことだろう。先日、依頼されていた「ポーションをできる限り譲ってくれ」ということだろうかと彼女は納得する。
「マリオ・ティラトレ公からのご依頼で、ポーションをなるべく融通してもらいたいという依頼の件ですか」
「はい。それと、魔導船も実物を拝見させていただければ有難いのですが」
商人というよりも、商人の立場を隠れ蓑に活動する海都国の代理人なのだろう。裏の外交官、あるいは密使か。
「ポーションはそれなりの数用意できました」
伯姪の口元が笑いそうになる。そう、彼女は夜なべして作っていたのだ。大半は昼間一人で工房に籠って作ったのだが。
「この場で商談に入るのですか」
「はい。できますれば」
彼女も無駄な話をする気はない。一つ、サンプルとなるポーションを自分の魔法袋から取り出し、控える使用人へ。それをメルカトル氏へと渡す。メルカトル氏は栓を抜き臭いをかぎ、少し自信の手のひらへポーションを垂らし指先で馴染ませている。
「……素晴らしい出来です」
「ご納得いただけたのですね」
「はい。これをできうる限り……」
彼女は指を五本立てる。
メルカトル氏は「五本ではございませんよね?」と微笑しながら問いかけるので彼女は「勿論」と返す。
「一本いかほどでしょうか」
その昔、金貨一枚から三枚で販売していたが、それは卸価格である。そして、今は魔力の質も高まり効果もより大きくなっている。評価は金貨五枚といったところか。
「金貨五枚が妥当でしょうか」
「……随分とお情け深い。流石、護国の聖女と呼ばれる方だけはある」
どうやら、それでも「安い」と判断されたようだ。確かに、侯爵閣下が手づから作ったホーションであるのだからもっと高くてもよかったのかも知れない。
「私が作ったものですから」
「……閣下ご自身がですか」
「はい。リリアルの薬師も作りますが、短い時間で数と質をそろえるのは難しいのです」
だからと言って、値段を上げようというわけではない。
「それでは、その数をお譲りください」
「今すぐ支払えるのですか」
「五十本でしたら、金貨二百五十枚ですから、直ぐにでも。いや、まさか五百本でしょうか」
彼女は五十本ではなく、五十ダースであると告げる。つまり六百本、金貨三千枚である。
「……現金では持ち合わせがありません。五百枚なら出せます。ですが……」
「ニースにも銀行の支店はあります。そちらで、不足分は手形を振り出していただいてもかまいません」
「ですが……」
どうやら、海都国の銀行が振り出す手形を、多くの商人は引き受けないのだという。サラセンに負け、領土を失い経済力を損なう。支払いの信用がないと観られているのだ。
「かまいません。現金で五百枚、手形で……三千枚。半年後払いで」
「よろしいのですか」
彼女はにっこり微笑み応える。
「半年後、サラセンに我々が勝利していれば、その利子として五百枚ほどはいただけるということになるのですから。問題ないわ」
伯姪も思わず横で声を出して笑うのであった。
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