第84話 彼女は大猪を学院生に退治させる
第84話 彼女は大猪を学院生に退治させる
大猪の突進を躱しつつ、彼女は跳躍して伯姪の背後に移動し気配を消す。彼女の場合、匂いまで消えるので大猪は目標をロストしたようである。
大猪は、前足を掻き鳴らし闘牛場の牛のように学院生たちに対峙する。牙をガキガキとならし、気合十分。そして、一瞬で正面の伯姪たちの前に飛び込んできた。
「「『結界』!!」」
黒目黒髪と碧目水髪が二面の結界を展開し、さらに黒目黒髪が二枚目を展開する。正面は魔力に余裕のある黒目黒髪。見えない魔力の壁で突進を押さえつけられた大猪が怒りで絶叫する。
「怯まないで!!足を切り裂きなさい!!」
「「「お、おー!!」」」
あまりの大きさに驚いた学院生が怯むのを、伯姪の号令で正気に戻す。結界越しにミスリルの武器に魔力を通し、その大木のような四本の脚に刺突と斬撃を繰り返す。
ザグナルもブージも斧の代わりとなる斬撃を繰り出せる武具であるので、身体強化と魔力付与を加えた攻撃に、大猪はみるみるダメージを受けていくのだが、槍や弓では大したダメージが与えられない。
「こいつ、身体強化使えるんじゃない?」
「あり得るわね。魔物化しているのだもの。知性もあるかもしれないわね」
学院生総出で攻撃しているものの、脚以外にはたいしてダメージを与えられておらず、このままではゴブリン討伐に影響が出そうだ。
「そろそろ止めを刺しちゃえば?」
彼女が止めを刺すのは容易いのだが、もう少し様子を見ようかと考えていると、老土夫から声がかかる。
「ちょっと、儂に試したいことがあるんじゃが」
「……あなたがですか」
「いや、馬鹿弟子がじゃよ」
みると、癖毛の両手には金属の塊が握りこまれている。ガントレットでは無く、大きな腕輪を握りこんでいるように見える。
「ミスリル製の打撃武器じゃ。素手での、魔力を通して相手を殴る。その昔、古の帝国の拳闘士が使っていたものを参考にしておるんじゃよ」
「それで、猪を殴ると……お考えですか」
「おう、魔力制御が難しいのなら、身体強化してそのまま拳から魔力を叩き付けてやればいいかと思っての。ほれ、あれを見て見ろ」
背後にある一抱えもあるだろう木の中央が大きく穿たれている。
「小僧の拳の効果じゃ。試す価値……あるじゃろ?」
「そうですね。一度だけ、大猪の頭を殴ることを許可しましょう。危険である事は変わりませんから」
「そうこなくてはの。虎穴に入らずんば虎児を得ずじゃな」
ガハハと老土夫は笑い、癖毛は照れ臭そうに頭をゴシゴシ撫でられている。よかったの!だそうだ。
「じゃ、一発殴ってくるわ」
「おう、加減してやれ。うまくいけば番犬ならぬ番猪になるからの」
「え……」
確かに、猪と犬の知能は同程度であるという。なのであれば、飼いならすこともできるのかもしれない。まして、魔物化しているのであれば、知能もそれなりに改善しているのだろう。邪悪なものではないのであれば、畑の開墾などで活躍するかもしれない。餌代がかかりそうではあるが。
結界の前に立ち、癖毛が息を整える。
「大丈夫なの?」
「ああ、任せておけ。俺だって……戦えるんだぞ!!」
大きく振りかぶると、結界越しに猪の壁のように大きな右顔面を拳で殴り付ける。何かが砕けた嫌な音がし、猪が天を向いてひっくり返る。
「おー やるなお前」
歩人がのんきに声を出す。大猪はそのままひっくり返って泡を吹いて倒れ、意識が無いようなのである。
大猪を一撃で倒した癖毛と老土夫は得意満面である。何故、このようなことを考えたのか……魔力をコントロールせずにそのまま叩き付ける方法を。彼らは彼女の周りに集まった学院生に向け話し始める。
「あの拳にはめた護拳……ミスリル製ね」
身体強化も中途半端、身体操作だって身についていない。なら……
「身体強化で一直線に突撃して、防御無視して拳に魔力を集めて只……殴り倒す」
「はは、カッコいいじゃない! 先に当たればノックアウト、当たらなければ自分が……死ぬ……かもしれない。でも、そのくらいの根性、見せてみろっていう事なんでしょ!!」
『ジジィ……マジスパルタだな。脳筋ドワーフなだけある』
『シンプルな戦闘方法こそ、魔力の強大さをそのまま投影できますから。鍛冶で鍛えた筋力だって、活かせます。そのまま……ミスリルのハンマーあたりでも同じことできそうですね主』
魔力が大きすぎ、自分の不器用さからかメンタルの弱さからか扱いかねていた癖毛。彼女のような器用さがない癖毛を、正直、持て余していたという事もある。恐らく、老ドワーフは、自分も同じような壁にぶち当たった事があるのだろう。
「経験者ならではの解決方法……かしらね」
「そうそう、ドワーフの武器は大きな斧と相場が決まっているもの。繊細な操作が不要な武器こそ活きるのよ。こいつも、そういう事なんでしょうね」
ドワーフ譲りの身体操作……癖毛はもしかすると……
『ああ、ドワーフの血、少し混ざってるな。山村なんかでは交流があって鉱山で採取するドワーフと人間の夫婦ってのも昔はいたんだろ』
今はいない理由。一つは、ドワーフ自体の数が減ったこと。森が減り鉱山も掘りつくされてしまったという事もある。そして、なにより……
『寿命が異なる者同士、先に旅立たれるのは少々辛いという事でございましょう』
人の倍ほども生きる彼らは、必ず先に別れがやって来る。先に年老いて死んで行く配偶者のことを考えると、やはり一緒に住むのは難しいのだろう。
学院生はいままで散々燻ぶっていた癖毛の覚醒に、興奮しているようだ。
「いけいけ! やっちゃえ!」
「ぶっ倒せ!!」
一応、戦いは終わってるからねみんな。これは練習で、次が本番だから。それに、女の子がそんなこと言っちゃダメでしょ! と思わないでもないが、意外と捻くれ優しいところのある癖毛は、女の子に嫌われていないようだ。
『まあ、手の掛かる弟枠だな。あれは』
恋や愛ではなく情が移った結果なのだと、魔剣は解説する。それは、魔剣も魔術師であった頃、そう思ってくれていた幼馴染がいたからよくわかるのである。
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しばらくし、大猪が息を吹き返したので、再び結界で押さえつける。
『Gwaaa……ワシハ負ケタノカ』
『お前の大負けだぞ猪』
おどけた調子で歩人が肯定し、伯姪がこの後の大猪の未来を語る。
『ええ、そこの小さな癖毛の少年に一撃でのされました。このまま皮と肉を剥ぐので大人しく殺されなさい』
そこに、老土夫が割って入る。彼女も言葉を添える。
「まあ、お前の命助けてやらんでもない」
『Gooo、何故ダ……』
「番犬ならぬ、番猪するなら飼ってやるわ。そうね、あなたを倒した少年と使い魔の契約を結びなさい。それで命を助けましょう」
『Guuuu……ワシヨリ強イ者ニ従ウノハヤブサカデナイ。契約ヲ結ボウ』
「よ、よろしくな相棒」
『ア、相棒カ……ウム、悪クナイ。ナラバ名ヲ付ケルノダ我主ヨ』
癖毛は考えたのだが、単純に王国語で『山』を意味する『ラモンターニュ』から採って『ラモン』と命名することにした。
「お前の名は『ラモン』だ」
『主、我命果テルマデ忠誠ヲ誓ウ』
彼女はポーションを何本か取り出すと、癖毛に大猪に飲ませるよう渡した。とはいえ、刺さった矢を抜かないとそのままになるので、さっさと鏃を抜くことにする。大猪の筋肉も外皮も硬いので、矢はたいして刺さっておらず、あっという間に抜けてしまった。魔物化の効果であろうか。
「ほれ、これを飲めば傷が癒えるぞ」
『アリガタイ』
「これは、学院のみんなからだ。学院の者にも従うんだぞ」
『承知シタ。主ト其ノ友ニ忠誠ヲ誓オウ』
因みに当然だが、この会話は魔力のあるものにしか聞き取ることはできない。故に、この大猪に関しては学院で飼育していることを示す鑑札を耳にでも付ける必要があるだろう。
「猪って乗れるのかね」
『魔狼に乗るゴブリンがいるのだから、猪もあり得るだろうな。まあ、裸のまま乗るのは厳しいだろうから、乗れるように鞍でもつけないとだな』
巨大な猪に鞍を付けるのは難しそうである。
『このサイズなら、象と同じように籠を乗せるのはいかがでしょうか主』
『象使いならぬ猪使いか。まあ、できなくもないだろうな』
夢は広がるのだが……魔物なのだが大丈夫なのだろうかと彼女は心配になったりする。
「問題ないだろうな。エルフやドワーフ、ホビットは人間と敵対しない亜人。ゴブリン、オーガにオークは敵対する亜人。魔物も同様じゃ。まして契約で結びついておるのだから問題ない。外見はただの大きな猪だからの」
老土夫が彼女の心中を察したのかフォローを入れる。小綺麗にし、飼育していると分からせれば問題ないだろう。
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このまま帰ると打ち上げパーティーの猪が不足するので、何頭か捕まえることにする。その後、一旦、村に引き上げ、先に癖毛と老土夫は学院に大猪を連れて帰ってもらうことにした。村人も落ち着かないであろうからである。
狩りを伯姪と歩人に任せ、彼女と大猪たちは村に戻ると、村の警戒に当たっている騎士が大慌てしているのが見えた。
「先触れだすんじゃったの」
「ここでお待ちください。説明してまいります」
『Gooo,申シ訳ナイ』
途端に低姿勢の大猪である。
彼女の説明に騎士たちは最初大いに驚き、そして『流石妖精騎士だ』と讃え始めたのである。うーん、今回は癖毛と老土夫のおかげなのだが、何でも妖精騎士のおかげにするのは、風評被害も甚だしいと彼女は思い始めている。
村の外に大猪と二人を待たせ、村長と村の主だった者たちに、猪討伐の完了を報告する。
「廃砦はほぼ破壊され、中にいた猪は森の中に逃げ散りました。群れの支配者であった大猪は、あの通り、学院生が退治し使い魔として契約をしたので、学院で引き取ることになりました」
「……つまり、魔物であったと」
「なったのは、つい最近のようです。ゴブリンが襲ってきたのを返り討ちにして、その体を食べた結果のようですね」
「人を襲う事は?」
「魔物を食べなければ魔物化しませんのでご安心ください。猪に襲われ殺される魔物は、今しばらく発生するとも思えませんので。猪を皆殺しにして困るのは村の方々でしょうから、今回は多少間引く程度で納めています」
おおそれはと参集していた村人が賛辞の声を上げる。とても現金だ。
「では、討伐完了の署名をお願いします」
「……猪に関してですね」
「はい。ゴブリン討伐は騎士団からギルド経由でいただいてますので。村の依頼とは別です」
村長は、依頼額とリスクが乖離しすぎていて、村からの依頼を直接受ける冒険者がいないという事を理解していなかったようである。まあ、そんなもんだ。
「因みに、あの大猪はどう倒したのですか?」
興味本位ですがと騎士団の分隊長がきいてくる。
「潜んでいるところに魔力で熱した油の球をぶつけて怒らせおびき出し、弓で牽制して暴れさせて外におびき出しました。その後、魔力の結界で封じ込め、魔力で強化した斬撃と刺突でダメージを与えましたが止めには至りません」
「……それで最後は……」
「あの、少年が魔力を拳に込めて思い切り頭を殴りつけて昏倒させました」
「……え……」
「ミスリル製の拳闘具で拳を固め、魔力を通して頭を殴り昏倒させました。森の中に、大きく穴の穿たれた木があります。彼がデモンストレーションで殴りつけた木です。あとで見てみてください」
では失礼しますと、頭を下げると彼女は大猪の元に戻っていった。
大猪は二人を背に乗せると、馬のような速度で走り始めた。犬ほどではないが、長時間走るのは猪は割と得意なようである。
『滅茶苦茶速えな』
「乗り心地は最悪ではないかしら……」
猪に股がり遠ざかる二人を見ると、あまり楽しそうには見えない。さて、ゴブリンの掃討に向かわねばならないか。
既に、猪の肉は前回同様村の水路にドブンと漬けられており、帰りに馬車に乗せて帰るだけだ。そして、村で待機する学院生と使用人には救護の用意と猪肉の回収を任せてある。
『騎士団はよろしいのでしょうか主』
「帰り支度をしている間に、分隊長さんにでも立会確認をお願いする形になるでしょうね。完了確認は彼の署名が必要ですもの。余り待たせるのも申し訳ないので、速やかに完了させましょう」
村を離れると、彼女は隠蔽を発動し、ひとまずゴブリンの村塞の偵察に向かうことにした。




