第905話 彼女は『公女』殿下と再会する
第905話 彼女は『公女』殿下と再会する
翌日、祖母が王都城塞へと御老公を訊ねてきた。朝一番の先触れがあり、幸い彼女が王都城塞に泊っていたため、『伯爵』邸に遣いを出すと、御老公主従は昼前に戻ってきた。
昼食を共にしながら、彼女と御老公、祖母の三人で今後について話をしようということのなる。
「はじめまして……でよかったかい」
『ええ。これからよろしくお願いする。執事のマジョルドだ。彼が使いに伺うこともあるだろう。見知っておいてもらいたい』
老執事は黙って一礼する。
「代官……家宰にするのかい?」
「他に良い人材もおりませんし、近々『侯爵』位を賜り、サラセン海軍征伐の遠征に向かいますので。誰かにその留守居を頼まねばなりません」
付け加えて、旧ヌーベ領で傭兵家業と粗放農業を強いられていたデルタの民の行く末を見届けさせなければならない。ヌーベ公家の人間として、彼らの生活が成り立つまで支える義務があると彼女は考える。
「まあいいさ。でも、吸血鬼なんだろ? 大丈夫なのかい」
どうやら、『退魔の鐘』は貴種の吸血鬼にはさほどダメージが無いようで、太陽の光も大丈夫なのだが、問題は吸血衝動の抑制。なるはやで吸血鬼からエルダー・リッチに機種変……ではなく『形質変化』することになっていると祖母に説明する。
「どのくらいかかるんだい」
「一月ほど」
「そっちの執事もってわけじゃないんだろ」
祖母は、いかにも老執事然としているマジョルド氏を示しながら確認してきた。いないわけではないが、老人の吸血鬼というのは考え難いからだ。
『マジョルドは生身の人間だからね』
「なら、その間、私に預ければいい。その間に、王都の諸事情を教えようじゃないか。家宰なら社交に参加する必要があるだろうが、手紙のやり取りや誰にどう話を通すべきかは執事が理解していないと話にならないからね。執事さえ知っていれば良いこともある。必要なことを先に教えておこうじゃないかね」
祖母の提案に三人は納得する。
「お婆様の家に住み込むわけにはいきませんわね」
「ああそうだね。今は通いの使用人しかいないから、私がここに暫く滞在しようじゃないか。まあ、食事くらい出してくれるんだろうね」
それは勿論だ。祖母も、ここに御老公が滞在していることで、商人や職人が出入りすることを察している。仮に、老執事が祖母の家に滞在していた場合、その辺りの連絡が付きづらくなる。商人や職人とのやり取りも祖母が立ち会うなかで指導することもできるだろう。王都城塞にいる方が良いのだ。
「それでは、学院長私室をご使用ください」
「そうだね。そこの方が、仕事の話もしやすいだろうしね」
彼女用の部屋はリリアル城塞の防御施設内にある。御老公の客室は反対側の面であり城館風の内装だが、城塞防御施設側は人造岩石製の床壁であり、宿舎と食堂、武器庫などが集められている。
「食事も食堂でリリアル生と一緒にとるといい。顔なじみになっておいた方が、同じリリアル領で仕事する仲間なんだからね」
『わかったかマジョルド』
「畏まりました旦那様。奥様」
御老公を旦那様、祖母を奥様というのは年齢的立場的に仕方がないのだが、この言い方だと二人が夫婦のように聞こえなくもない。いやないか。
「では、早速明日からはじめようか」
『明日は……』
「なに、三人で明日は王都見学でもしようじゃないか。馬車を借りるよ」
「二輪馬車の方がよろしいでしょうか」
「そうだね。四輪だと入りにくい場所もあるからね」
広い街路ばかりではないのが王都。特に、下町・職人街の道は狭い。路の上にまで家を拡張したり、道端を作業場代わりにしている場合もある。
元々が狭いということもあるのだが。
彼女は祖母に明日からのことをお願いし、後のことはよろしくと二輪馬車を中庭に出すと、一人、羅馬に跨り学院へと戻るのであった。
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学院に戻ると一台の魔装馬車が止っていることに目が行く。
「カトリナの馬車じゃない」
ギュイエ公女カトリナ。今は成婚を前にサボアに滞在しているはずなのだが。立場的には、王太子妃となるルネ公女と同じ。王太子の成婚の後に王太子夫妻を迎えてサボアで式を挙げる予定と聞き及んでいる。
何も予定が無ければ、彼女と伯姪、カトリナと顔見知りの一期生のリリアル騎士も参列するつもりであったのだが、タイミング的に内海遠征・サラセン討伐に向かう事になりそうなので難しいだろうと考えられていた。
彼女が馬を預け中に入ろうとすると、正面扉が開きカトリナと侍女のカミラが姿を見せる。その背後には、聖エゼルの女騎士の見知った顔が続く。
「久しぶりだなアリー。また竜を倒したそうだな」
「ええ。貴女は相変わらずのようね」
ズンズンと近寄ってくると手をガシッと握り、そのまま抱きしめようとするカトリナに、バックステップで逃れる彼女。一段と暑苦しさが増しているようなきがする。
「みなさんもご無沙汰しています」
聖エゼルの女騎士とカミラがすっと頭を下げる。以前、学院を姉に伴われ訪れた時とはすっかり雰囲気の変わった四人。団長・アレッサンドラ、アンドレイーナ、アンナリーザ、ベネデッタ。他にも何人かいるが学院に滞在したことがある……姉に引きずり回された経験のあるのはこの四人だと記憶している。あの頃は、いかにも修道女になったばかりの貴族子女という雰囲気で、おどおどしている感じであったが、今はサボア大公領の統治の一翼を担う存在となっていると聞く。『竜殺し』の女騎士達でもある。
いきなり話始めようとするカトリナを伯姪が抑え、彼女は一旦、着替えて応対することにした。
「他のサボアの護衛兵たちは先に王都へ向かわせている。なので、ここにいる私たちと聖エゼルの騎士達だけ泊れれば良いのだ」
どうだ気が利いているだろうとばかりに得意気なカトリナだが、そもそも訪問も滞在も宿泊も聞いていないし、先触れすら当然ない。
「前を通るのに素通りと言うのも味気ないではないか!!」
言っていることはその通りかもしれないのだが、公女殿下が突然訪問するというのは如何なものかと思うのだ。アレッサンドラ以下、聖エゼルの面々は「失礼なので」と止めたようだが、そもそもヌーベ討伐の進捗が出発時点でサボアにおいては不明であったため、遠征中であろう彼女達に配慮してそのまま王都に向かう予定であったのだそうだ。
「ブルグントを通る際に、ヌーベ征伐が既に達せられたと聞きましたので、リリアル学院に戦勝のお祝いに顔を出したということなのです」
「それはそれで有難い事なのよね」
「だろう? ともに戦った戦友同士、こういう時はきちんと祝うのが筋だ。それに、サラセン征伐にはサボアも兵を出す。リリアル謹製の魔導船というのか? それを持ちて参戦する予定なのだ」
確かにサボア公家が援軍を出すという話を聞いている。彼女とニース家、それに王家との三者で『魔導船』を仕立て、サボア公成婚の贈り物にする話も聞いている。船体はニース、魔導外輪はリリアル、その他諸費用などの資金は王家が支出するということに。
しかしながら、その魔導外輪船でサボア公家がキュプロス派兵に参加するという話は聞いていない。
「船体は既に完成しているとニースからは伝え聞いているからな」
「……外輪は恐らく問題なく完成するでしょう。けれど、間に合わないものもあるのよ」
魔導外輪はさほど手間がかからない。外輪の駆動部は魔装鍍金で仕上ている。鋼、銅の合金を魔銀鍍金で仕上げるだけなのだ。問題は、船体の防御を高める『魔装網』の内装。魔装布程ではないが、魔装糸を撚って紐とし、更に縄となるまで撚りその縄で『網』を作り、船体の内側に張り巡らせ強度を出す仕様になっている。
「船体に魔装網を……か」
「ええ。簡略化もこころみているのだけれども、サボア公の御座船に簡易な装備は施せないわ」
王国からサボア公国への祝いの品である。船体こそ小さく河川や内海で試用するに適した20m級なのだが、装備は王家の御座船並みを施す前提となっている。そもそも、前線に出る船ではない。
「当たらなければどうということはない」
「……当たるから大問題になると思わないのかしら?」
船体を赤く塗装した海賊の如き物言いをするカトリナを、一蹴する伯姪。サボア公夫妻が使用する目的は、親善旅行であったり、内海での貿易に魔導船を用いたり、あるいは、少数・数十人程度の先遣部隊や強襲部隊を送り込む船としての活用にある。
「む、キュプロス遠征には私と聖エゼル騎士団も参加するぞ。というよりは、魔導船を受領して、完熟訓練を行おうと思っているのだ」
「……何を言っているのかしら」
「聖エゼルの騎士達を預けるので、魔導船の操作を訓練してもらおうと思ってな。それで今回、連れてきているのだ」
彼女は口の中で「先触れ」「先触れ」と唱えつつ、この公女殿下も王太子妃殿下の心配りを見習ってもらいたいと心の底から思うのであった。
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カトリナ一人がご機嫌となり、カミラを始め、聖エゼルの者たちは居た堪れない空気を醸し出している。折角の夕食の場がカトリナ以外皆大人しい。
「まあ、魔導船があると貿易とか良いわよね」
「はい……」
気を使った伯姪の言葉に、元商会の娘であるアンナリーザ、皆から『リザ』と呼ばれる騎士が気まずそうに頷く。聖エゼルの営む商会の責任者を務めるのだが、魔導船が聖エゼル預かりになるというのも「今聞いた」レベルなので驚いている。
多分、サボア大公もカトリナの考えを「聞いてない」というと予想される。
「大公殿下に、キュプロス遠征に付いて早急に確認した方がいいと思うわ」
「なに、問題ない」
カトリナは自信満々だが、横のカミラが「早急に」と小声で答える。カトリナの中だけで「自分が魔導船に乗って聖エゼル騎士団と共にキュプロス遠征に参加する」と確定しているようだ。
どこの公女・大公妃が遠征に参加するというのだろうか。夫の遠征の隙を突いて本国を襲撃された際に、古の王妃や王女が王の代わりに指揮を執り敵を撃退したという話は残っている。が、遠征軍を率いるというのは聞いたことがない。戦死したらどうするのだと思わないのがカトリナらしい発想だとは思う。
「魔導船は聖エゼルで管理するのは確定なのね」
「まあ、ニースに聖エゼル海軍があるとはいえ、聖エゼル自体はサボアの聖騎士団だからな。最終的にニース港が母港になり、サボアの関係者が貿易や外交で扱う事になるだろうが。聖エゼルも商会運営を行っているから、貿易船として活用するのも良い」
トレノからミランを通って東に進む川は、やがて海都国近くで内海へとつながる。サラセンとの関係が今ほど悪くなければ、サボアは直接東内海での貿易を行い、利のある取引ができたかもしれないが、この先は難しいと思われる。
ニースから内海を西に向かい、神国をぐるりと回り王国の西側、ギュイス公領のボルドゥやレンヌ、あるいは旧都まで直接魔導船で運ぶことができるのであれば、割と良い商売が成立すると思われる。少し足を延ばせば、連合王国・ランドル・ネデルもそう遠くはない。
「魔導船……旅行に貿易と夢が広がる」
それを担うのは聖エゼル騎士団の面々。若干顔が引き攣っているのが隠せていない。姉と彼女の関係を、そのままカトリナと聖エゼルに当てはめれば似ているだろうか。カトリナ付きの聖女騎士団なのであるから、より当たりがきついと考えた方が良いかもしれない。
「では、聖エゼルの皆さんに、魔導船の操船訓練をリリアルの者たちと一緒に暫く受けてもらうということでいいのかしら」
「うむ。滞在の費用はこちらに請求してもらいたい」
「必要無いわ。王家から魔導船に関する費用は王家持ちと言われているのだから。それに……」
彼女は遠征に際し海軍の肩書として『侯爵』を賜る事になったことをカトリナに伝える。伯姪は法衣子爵になることもだ。
「侯爵閣下か。そのくらいの肩書がなければ、神国や教皇庁の爺どもから舐められるだろうから当然だな」
「神国の提督はやはりやっかいなのね」
「すっかり内海の支配者気取りよ。マレス島の防衛だって、最後の最後に派兵しただけなのに、まるで自分たちの力で勝利したような顔するしね」
内海で教皇庁がサラセン海軍=海賊に対抗するのに期待できる戦力は聖マレス騎士団の海軍数隻と、ニース海軍数隻。それ以外の大半の戦力は、神国の海軍と、神国が資金を負担するゼノビア海軍の傭兵となる。ゼノビアと神国の海軍は数十隻の艦船を保有しているが、神国の利益の為にしか動かないという問題がある。
王国も内海に海軍を有しているのだが、あくまで自国の商船の護衛程度でしかなく、尚且つ、サラセンとは未だ緩やかな同盟関係を維持している。先王時代ほど明確にサラセン海軍の寄港を許したり補給を与えたりはしていないが、積極的に戦える戦力は皆無であると言える。
内海の海軍は=ガレー船であり、全装帆船・帆走のみの船は輸送船としてしか活用されていない。帆走+櫂走で速度を上げ、帆船を囲んで射撃戦からの白兵戦が海賊の戦い方。自走できない船では戦えないのだ。
「魔導船があれば、海賊に対して優位に立てる」
「けど、サラセン海賊って大体、五六隻から十数隻で船団を組んで海岸沿いの村落を襲ったり、商船を襲撃したりするじゃない? 一隻の魔導船じゃあ、勝てないわよ」
一頭の鹿を数頭の狼が追いかけ、疲れ果てるまで待って襲い仕留める。そんな狩りの仕方に似ている。
「そこは、ニース海軍とリリアルの艦隊に加えてもらう予定なのだ」
「……それ、貴方の頭の中だけの予定よね」
「そうとも言う」
ますます暗く成る聖エゼル騎士団たち。とはいえ、魔導船で艦隊を纏めるということは彼女もその方が良いと考える。ガレー船や帆船と一緒に魔導船が行動するのは難しいということもある。
「艤装は中途半端になるでしょうけれど……貴方が遠征に参加するかどうかはともかく、聖エゼルの皆さんの教育は、リリアルである程度基本的な操作を身につけるまで進めておくわ」
「おお!! これで私も安心だ。頼んだよアリー」
魔導船の操船は魔力持ちでなければならない。聖エゼルのメンバーの中でも魔力量の多い者が操船を担当する必要があるのだが、果たして適正者がいるのかと彼女は心配になるのである。