第904話 彼女は『御老公』を王都へ向かえる
第904話 彼女は『御老公』を王都へ向かえる
『まだ死なせては貰えぬというわけだね』
「……はい」
御老公に再び再会した彼女に、五百年余り生きてきた貴種吸血鬼は柔和な笑みを湛えつつ歎息する。
首を刎ねれば殺すことはできる。しかしながら、ヌーベの地を見守る為に生き永らえて……不死永らえてきた存在として、一族の末裔が処刑されて終わりというのはどうかと彼女は思うのだ。
「ヌーベ公が散々利用し、血を流させてきたデルタの人々に対しての責任もあるかと思います」
人手が足らない理由……一つには千人にはなるだろう、リリアル領に移住するデルタの民の存在がある。開拓村一つ程度であれば、さほど問題も無かったのだが、その数倍の規模の難民を受け入れたのであるから、兎に角人手が足りない。吸血鬼の手も借りたい状況なのだ。だから、理屈をつけて、御老公には働いてもらおうと彼女は感じている。
「それと、マジョルドさんのこともあります」
『……そうか。それもあるね』
背後に控える老執事に御老公は視線を向ける。
「いえ、私のことはどうぞご放念ください。老爺一人、どうとでもなります」
本来であれば、ヌーベ公家の仕えた老執事なら小さな屋敷と年金を受け取り、通いの使用人の一人も雇って悠々自適の老後を過ごすことも十分できた身分である。が、それは、今となっては叶わない。家は途絶え、直轄領となるということだけでなく、氏の生活を支える術がない。家はもうないのだから。
『マジョルド、折角のお誘いだ。久しぶりに貴族家の仕事をしようと思うのだが。これからも支えてもらえるだろうか』
「……もちろんでございます……旦那様」
『なら、決まりだ。こう見えて、私はマジョルドがいないと、着替え一つできないのだからね。よろしく頼むよ』
御老公は立ち上がり、背後の老執事の前に立ち、その両の手を掻き抱くように握りしめた。老執事の眼には涙が溢れていた。
彼女は魔装馬車に二人と彼らの荷物を運び出すよう、待機していたリリアル三期生達に伝える。箱馬車が一台だが、荷物自体は彼女の魔法袋に全て入ることだろう。建物以外、全て持ち出すこともできると思われる。
『思い出深い品も多いのでね。荷物が多くなって申し訳ないが』
御老公は恐縮しきりだが、老執事は「当然でございます」とばかりに三期生達に指示を出し木箱に荷物を詰めさせていく。大鋸屑がいくらあっても足らないように思えてくる。
御老公の城館が、王領ヌーベの代官屋敷になる予定であり、いまでこそ騎士団と一部の近衛連隊が公都を護っているが、人事が整えば代官とそれに付随する官吏たちがこの城館へとやってくる。実は、この館を速やかに明け渡すことも必要であったのだ。
「閣下、旦那様の居館はいずこになるのでしょうか」
老執事の問いに彼女はリリアル王都城塞の来賓室にしばらく滞在してもらい、彼女の祖母である先代ルテシア子爵の元で代官業務や王都での生活に付いて学んでもらう予定であると告げる。
「閣下の御祖母様ですか」
「はい。リリアル学院を長期に不在にする際は、学院長代理を務めて貰っていたのですが、流石に領地を賜り、難民や開拓民もいるとなると委ねるわけにもいきません」
『そうか。話が合うと良いのだがな』
話は合うだろう。吸血鬼……元吸血鬼とはいえ、伯家公家の当主を務め、弟に代を譲り、聖征に向かいカナンの地で死して吸血鬼となり、最後まで自領の行く末を見守る為に不死を選んだのだ。高貴なる責任を取る姿勢を祖母はどんな形でも評価し認めることだろう。
戦争と女と城道楽に国を傾けるほど金をつぎ込んだ木偶の坊とは訳が違うのだ。
三期生の本気を見せた結果、半日も経たずに城館の中身は空となった。三期生の仕事の素早さは勿論だが、何でもしまっちゃう彼女の魔法袋の容積も驚くべきである。因みに今日は、ガルギエ湖に魔導船二隻は置いてきた。今頃、赤毛娘と黒目黒髪が操船の練習をしているだろう。壊していないと良いのだが。
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公都ヌーベを出た一行は、魔装馬車で急ぎ王都城塞迄、御老公主従を送り届ける。夜型の御老公はともかく、老執事は夜更かしより早起きが得意な年齢なのだから、夜遅くなるのは宜しくない。
事前に知らせてあったこともあり、王都城塞に関しては既に部屋がしっかり整えられていた。因みに、三期生の乗る魔装荷馬車は学院に直接向かい、箱馬車だけが彼女と主従を王都城塞に送り届けている。
「先生、到着しました」
「ありがとう」
馭者を務めたのは三期生年長組のベルンハルト。十二歳になるかならないかだが、背丈は既に成人女性の平均ほどになっている。つまり、彼女よりちょっと背が高い程度。
ベルンハルトは馭者台を降りると扉の側に回り、足踏み台を置いてノックをしてから箱馬車の扉を開ける。
「足元お気をつけて」
彼女、老執事、そして老吸血鬼。吸血鬼の見た目は青年と言えなくもない雰囲気だが、その肌には傷が残り歴戦の戦士然と見て取れる。やや癖のある長髪は明るい栗色であり、目も褐色。目立たない外見だが、雰囲気がある。
「ご案内します」
王都城塞に派遣してもらっている中等孤児院の使用人見習の女性が自身が整えたであろう客室に二人を案内する。貴人用の客室なので、主寝室・応接室・食堂の他、使用人用の寝室もある一番大きな客室が主従に当てられている。
部屋の中を見た御老公は「いい部屋だ」と満足してくれたようで、横で老執事も「さようでございますな」と同意している。
明日はこの部屋で何組かの商会を呼び、家宰とその従者として相応しい衣装を整えてもらうことになる。仕事の前に、その身分に相応しい衣装を整えてもらうのだ。
夕方、『伯爵』の元に挨拶に向かい顔合わせをする。その上で、どのような形で『形質変更』すなわち、吸血鬼からエルダー・リッチに変化するのかを話してもらうことになる。どの程度の期間が必要であり、その前後でどのような問題が発生する可能性があるのか。事前に説明してもらうことになる。
「一先ずこちらでご休息を」
『そうだね。明日には、色々わかるのであろう?』
御老公の質問に彼女は黙って頷く。とはいえ、『伯爵』ができるといった以上の話を彼女も知らない。とはいえ、幾人もの若い売笑婦を本人の承諾の上でエルダー・リッチに変えているのであるから、人間をエルダー・リッチに変えることは難しくないのだと分かる。それが、吸血鬼、それも貴種となると初めての事になるのではないだろうか。
なので、若干不安でもある。但し、『伯爵』が彼女の作る謹製ポーションを必要としており、関係を壊すような嘘を言うとも思えない。今までの付き合いを考えると、信じて良いのだろう。
エルダー・リッチに『形質変化』してからが本番であり、祖母との交流、リリアル領の統治の引継ぎなど、様々お願いしなければならない。まずは、王都でのリリアル領と取引のある商会・ギルド、移住者やその出身村との顔つなぎを進めなければならない。いきなり「私が副伯の家宰です」と言っても誰も信じないことは明白であり、祖母や彼女が伴って顔つなぎをする必要、あるいは、王都の社交界にも顔を出し、縁を繋いでおく必要があるだろう。
今は「産休」に入っている姉がいれば事足りていたような仕事も、御老公が家宰として働きかけねばならないこともある。勿論、ニース商会の王都支店と良好な関係を築いておいてもらう必要もある。今までの姉妹の関係から、取引先という関係になるのであるから、線引きも改めて必要となる。今まで通りではいけないことも増えるだろう。
姉が先回りしてあれこれ彼女達の為に働いてくれていたことを思い返すと、彼女は姉に感謝の念を改めて抱く。目の前にいれば鬱陶しいのだが。
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王都の服飾職人・商会に、『侯爵家の使用人』に相応しい格の衣装を仕立ててもらう。家宰は使用人というよりも「代理人」であるので、当主より簡素になるが、一般の使用人より貴族らしい装いとなる。簡単に言えば使える飾りや素材の品質が上がる。派手になるわけだ。
『今の流行はこのようなものなのか』
「私も詳しくありませんが、王都では名のある服飾家のものですので、問題ないと思います」
領地を回る際の衣装、社交用の衣装、王宮などに彼女の代わりに呼び出された際に身につける衣装……沢山である。
「追々増やしていくことになるのでしょうな」
『はは、今は仮住まい。それに、当主ではなく代官・家宰だ。そこまで沢山必要はないよ。家の中では、今までの衣装でいいしね』
時代的に百年戦争の初めごろの物なので、かなり時代がかっているものになる。最近は法国の流行を取り入れるのが王国だけでなく各国で流行っているので、あちこち膨らませる衣装が多い。彼の時代にはそういう流行が無いので、すっきりした貫頭衣に近いデザインなのだ。どっちが着やすいか言うまでもない。どこを膨らませているかって、胸ではない!!
「リリアル閣下。本日は、以上でよろしいでしょうか」
「はい。今日の採寸で次回以降は」
「仮縫いまでは進められますので、ご注文いただき次第、速やかに仕上られると思います。お支払いは……」
「学院に私宛にお願いします」
彼女は職人と商会員に挨拶をし、背後で何か言いたそうな御老公に向かい合う。
『リリアル卿』
「アリーとお呼びください」
『では、アリー殿』
「ただアリーと」
『……では、アリー。自分の身につけるものは自分で支払いたいのだが』
「いいえ。今日頼んだ分は、家宰としてのお仕着せ。勿論、執事服もです。リリアルで用意するのが筋です」
使用人でも従僕・下級の執事はお仕着せで雇用主が用意するのが筋だ。これは、制服というわけではなく、賃金の一部として夏*着、冬*着、冬用上着*着といった形で支払う契約であったりする。あるいは、布を支給し家族が仕立てたりする場合もある。兵士の武具や衣装と同じだ。
対して、騎士は武具や馬、あるいは自身の従者を俸給で賄わねばならない。あるいは、騎士に叙任される時点で自腹で用意しておく必要がある。騎士になるのに必要なのは、経験を積める環境だけでなく、騎士の装備一式を用意できる資金も重要なのだ。家宰も、俸給から自分で衣装を仕立てる必要がある。御老公は彼女からまだ俸給を貰っていないのだが。
『そういえば』
「はい。まだ俸給の話も出来ておりませんので」
『追々というわけだね』
「追々です」
とはいえ、『侯爵』の年金が支給されるので、御老公主従の生活を維持する程度の俸給は彼女も出せると信じている。多分、大丈夫。
夜になり『伯爵』邸という名の一見廃墟へと向かう。そういえば、暗くなってからあの界隈、下町からスラムに近い場所へと足を運ぶのは久しぶりのことであった。まだ、学院一期生が入ったばかりの頃、王都で人攫い集団が活動していた折、おとり捜査で歩き回った事があった。
「閣下」
「大丈夫です。襲われるようなことは……」
『なに、これでも私は聖征で異教徒の兵士の首を何千何百と斬り飛ばしたものだよ。恐れることは何もないぞマジョルド』
老執事の心配は思い違い。彼女と御老公の存在に気が付き、強く警戒を持っている者がいるというだけのこと。事実、この辺りは『伯爵』とその使用人であるエルダー・リッチ・メイド団が巡回しており、夜にうろつき回る辻斬り強盗や暴行犯は、彼女らの警邏隊により『処』されているとか。
札付きの悪がいつの間にか消えていくことに気が付き、いつの間にかスラムに流れ込む犯罪者や粗暴なものが逃げ出したり、入り込んでこなくなっているとか。王都の拡張工事・再開発で仕事はある為、スラムで燻る大人はおらず、子供も孤児院に収容され、職業訓練を受けることでスラムに逃げ込む孤児もいなくなっている。
なので王都の下町、スラムというのは、単に貧しいものが集まる場所以上のものではなくなっている。
いつものように扉をノックし、中から案内のメイドが現れる。勝手知ったるとはいえ案内を受けつつ二階のいつもの部屋へと通される。
『ようこそ我が館へ。見た目は少々年季が入っておりますが、中はこの通り。見事なものでしょう?』
彼女が『伯爵』の自画自賛に嫌な顔をした反面、御老公は素直に『然様然様』と頷き、名を名乗り会釈をする。
『話はアリーから聞き及んでおります。吸血鬼を辞めたいとか』
『まあ、そうだね。人の血を啜って生きるのも今さら嫌気がさしてね』
一度は吸血鬼となり、サラセン皇帝への復讐と国土回復を考えた元大公である『伯爵』は、言外に「やっぱりね」と匂わせる。
どうやら、今回の施術の元の発想は、『伯爵』が吸血鬼が嫌になった時、人間には戻れないが、どうにかして吸血鬼を脱する方法を考えた結果エルダー・リッチになれば良いのではないかと考えたことに端を発するのだという。
とはいえ、国土回復が望めない程度にサラセンに旧領地が同化させられた結果、吸血鬼となってサラセン軍と滅されるまで戦う計画は見直され、さらに「最初からエルダー・リッチでよくね?」と考え直したのであった。
当初の計画で破棄された部分に、吸血鬼→リッチ→エルダー・リッチというステップがあり、今回御老公には、この手順で魔法生物化してもらうことになるのだという。
『ふむ、時間がかかりそうだね』
『まあ、ざっと一月くらいだよ。リッチになってしまえば、後はアリーのポーションを浴びるほどつぎ込めば、生身の人間に近い外観を復元できる。吸血鬼をリッチに置き換えるのが、手間がかかる』
どうやら、最初の段階ではポーションは使われないようだ。準備は進んでいるが、あとニ三日時間を貰いたいという事なので彼女は了承する。
『マジョルド。伯爵に私のとっておきのワインを』
老執事は御老公の秘蔵のワインを伯爵に差し出す。
『君とは、親友付き合いができそうだ』
『伯爵』は今日は供と語らうとしようと告げ、彼女一人館を後にするのであった。