第903話 彼女は『伯爵』に相談する
第903話 彼女は『伯爵』に相談する
『ふむ、その老吸血鬼を……エルダー・リッチにねぇ』
『御老公』を王都のリリアル城塞で預かるという提案。とはいえ、吸血鬼のままでは王国内での活動が制限される。いくら吸血衝動を抑えらえるとはいえ、『貴種』の吸血鬼が自由に王国内を歩き回るのに良い感情は持たれない。
『できるかできないかでいえば……できる。が、その後はどうするつもりなのかね』
『伯爵』曰く、彼自身、自分の新たな身分を手に入れる為帝国で商業活動を行い、端的に言えば金で身分を手に入れた。後継者のいない伯爵家の血筋の女性の養子となり、爵位を受けた。帝国では、女性が爵位を継げる方法がない。そのままでは権利者不在で消滅する爵位を、養子をとることで「金に換えた」というわけなのだ。
爵位と資金を元に、帝国内で商会を運営し、今は伯爵の生活拠点を王都に移しているが、名目は『販路拡大の為王国に滞在中』となっている。不死者と言えど、社会的立場が現にある。
『御老公』は滅びたヌーベ公領の領主の家系であり、既に現世に立場がない。王都で客人とはいえ、何十年、何百年と彼女の後継が生活の面倒を見ることになるのだが、果たしてそれが現実的なのかとなれば疑問だ。
『アリーは、サラセンとの戦争に行くんだろ? 帰ってくるかどうかもわからないじゃないか』
「……それは……そうですね……」
死ぬつもりはないが、死なないとは限らない。あとのことも整理してから遠征に赴く必要がある。自分の後は誰が務めるのか……まあ、ほおっておけば、王家に接収されるのでそれはそれで終わりなのだが。
リリアル領はともかく、『デルタの民』と『御老公』の行く末を定めておかねばどういう風になるかわからない。
『伯爵』曰く、貴種吸血鬼をエルダーリッチにすることは不可能ではないのだという。
「できることはできると」
『うん、少々面倒なんだけどね』
生身の人間であれば、エルダーリッチにすることは難しくないのだそうだ。実際、『伯爵』も、今周囲に仕えている元娼婦のメイドたちも、生身の人間からエルダーリッチに変化させている。
『吸血鬼のような不死者荷なってしまっている者は、『親』の力が邪魔をする。貴種になっているようだと、その影響も相当強まっている。なので、それを打ち消すだけの『魔力』が必要になる』
「具体的には」
『いつものアリー謹製ポーションがワイン樽で10も20も必要になる。その上で、一旦『リッチ』に変化させ、状態が安定した後、再度『エルダーリッチ』に変化させないといけないんだよ』
生身の人間より、魔力による形状安定効果が強い『吸血鬼』の場合、その姿形を崩し、改めて生身の姿を整えなければならないということのようだ。因みに、ノイン・テーターは、不完全なリッチ扱いなので、変化はできないとのこと。ガルムは、何故、吸血鬼になれなかったのか!!
ノイン・テーターだからさ。
『まあ、報酬はいつものもので構わないんだが……』
彼女の魔力で作られたポーションとワインを更にレイズ。
『その御老公とやらを、王都に住まわせて……その後どうするんだい?』
一先ず、今の王都を楽しんでもらえればよいかと考えていた。聖征の時代から四百年以上経っている。『聖征』の時代の『尊厳王』の作った王都以前の状態しかしらないであろう『御老公』。ヌーベに逼塞すること四百年ほどであろうか。吸血鬼故に、休眠期間もあるのだから時代の変化も判らなくなっていてもおかしくない。
『伯爵』のように、いち早く変化に対応し、新しい社会に適合できるとは限らない。かといって、彼女が面倒を見続けることは難しい。彼女は定命、『御老公』は、自分の意志と生き方? 次第では永遠の時間を過ごす事ができる。吸血鬼のように、眷属を増やし人を狩る必要はない分、危険な存在とはいえないが、一般の兵士程度では全く歯が立たない『魔物』なのだ。役割りを与え、在り方を明確にしておく方が安心できる。
「しばらくは王都見物を楽しんでもらうつもりです。その間に何か……」
『まあ、リリアル領の開発が進めば、仕事は幾らでもある。現に、何人かの魔物は仕事を与えられているんだろう?』
ノイン・テーターのシャリブルとガルムは鍛冶師と……騎士見習のような立場で学院に所属している。魔猪もいれば、『精霊』『妖精』もいるのであるから、そこにエルダーリッチが加わっても……問題ないのかもしれない。
「彼の方に領主の仕事を手伝ってもらえという事でしょうか」
『適性はあるんだろ? まあ相談役や、対外的には『老執事』のようないで立ちで控えてもらうだけでもいい。君たちにはそういう年配の人材が不足している。若い、女性というだけで、これから先、侮る者も出てくるだろうからね。居てもらうだけでも助かるんじゃないかな?』
吸血鬼の貴種としての外見は、壮年の老執事といった風貌ではある。歴戦の戦士を思わせる皺の目立つ顔でありながら、柔和さも感じる。王家の血を引く貴顕の存在であると頷ける面立ちだ。
「提案をして、受け入れていただけるのであればそうしたいと思います」
『まあ、君の御祖母様にでも王都での滞在中相手をして貰えば良いんじゃないかな。それで、「孫娘の側仕えになる」とでも紹介しておけば、王都での顔も繋がる。君たちが、サラセン征伐に参加している一年やそこら、王都で交流を深めておけば、不在中も何らかの役に立つだろうしね』
「なるほど」
遠征にはリリアル生全員を参加させるつもりであり、留守居は使用人組の孤児院出身者と、赤毛のルミリを当てようと考えていた。魔力量が少なく、元々リリアル領の商会運営を担わせる人材と考えていたので、今回の長期遠征に連れていかずとも良いと考えていたからだ。そもそも、『金蛙』は『水魔馬』と異なり、海水は合わない。『水魔馬』は河川・湖沼だけでなく、海岸沿いにも表れる水の精霊系統の魔物であるから問題ないのだが。
『伯爵』の提案を受け、彼女はそれがよいかもしれないと考え始める。
『まあほら、吸血鬼と違って、エルダーリッチは魔力の補充ができなければ存在が維持できない。魔力不足で、「餓死」することで存在を滅することもできないではないんだ。その『御老公』からすれば、自分が消え去る時期を上位の吸血鬼ではなく自分で決められる分、悪くはない提案だと考える
とおもうよ』
吸血鬼になるには、一般的に上位の吸血鬼に眷属として受け入れられねば慣れないという反面、その行動、生死にかかわることまで上位の吸血鬼にしばられることになる。吸血鬼を辞めることで、自分の死を自ら選ぶことができるというわけなのだ。
他人に生死?を握られることが嫌で、最終的に吸血鬼ではなくリッチとなることを選んだ『伯爵』なので、彼女もその基準に深く納得する。人間を越えた力を得たとしても、何かに隷属している存在であれば、あまり自由を感じられないのではないだろうかと。
そういう意味では、『副伯』『侯爵』などといつのまにか位階を上げている彼女は、単なる貴族の娘でしかなかった頃より随分と不自由な存在になっていたと思わないでもない。
「まずは、この提案を当人に確認してからということになります」
『ああ。ついでに、君の御祖母様にも話を通しておくといいよ。こちらは、ポーションが準備でき次第、いつでも取り掛かれるのだからね』
彼女は『伯爵』に礼を述べると、そのまま館を後にするのである。
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彼女はそのまま、王都内の祖母の家へと足を運んだ。サラセン征伐の為、学院生の大半が一年からそれ以上、学院を離れること。その間、学院は休業状態にするので、連絡はとれなくなることを説明する。
「そうかい。先王陛下のやらかしのせいで、あんたにも苦労を掛けるね」
「いえ。魔導船もありますし、ニースの騎士団と同行するので、そこまでの心配はないと思います」
先王の時代、当主であった祖母は若い頃から面倒事を押付けられたことが幾度もあるという話は、本人からではなく父親や関係ある王都の貴族・商人から何度か耳にしたことがある。生来の気質に輪を掛けたのは、先王の無茶振りに答え続けた結果であるとか。
――― 彼女と重なる部分を感じざるを得ない。
ヌーベ討伐の後始末として『御老公』を王都に招くこと、そして、内海に向かう前に、開拓村とデルタ民の生活基盤を整えておきたいことなど、彼女の抱える今の課題を相談する。
「学院が開店休業になり、あんたたちが皆いなくなると、開拓村も困るだろうねぇ」
「はい。ですが、帰国がいつになるかわかりませんし、既に開拓民は移住し
始めているので、止めるわけにはいきません」
「そうだろうね。それぞれの村の都合もあるだろう」
移住させる若者たちは、所謂、村ではお荷物なのだ。貴族で言えば部屋住み、一家を構えることが本来できない存在であり、兄の小作人になるなどするか、街に出て何らかの収入を得るしかない。あるいは、兵士か冒険者となる存在なのだ。いつまでも村には置いておけないという都合もある。
「開拓村で当初受け入れる分は、村づくりは終わっているのかい」
「街路の整備、屋根以外の壁や床は『土魔術』で整えています」
「それなら、仮の村長なり寄合で代表者を決めておけばいいよ。必要な資材に関しては、こっちに連絡すれば王都からニース商会にでも運ばせるように手配しようじゃないか」
王都の代官を務めた祖母からすれば百人少々の開拓村に物資を手配する程度の仕事は大した手間ではない。ニース商会ならば、必要な物資を王都で集めることも難しくはないだろう。
彼女は、開拓村に向かい、祖母との連絡手段を整えることにする。
加えて、『羅馬牧場』と『デルタ村』についても放置するわけにはいかない。シルゲン夫妻は既に彼女の祖母と父親である子爵とも顔合わせしており、そちらは、何かあれば彼女の留守中は相談することで問題はない。
問題なのは『醜鬼』だと思われていたデルタの民たちの対応である。彼女がリリアル領にいるのであれば、いかようにも隠せるのであるが、デルタの民たちを王都の商人と直接やり取りさせるわけにはいかない。祖母にお願いしたいのは、その辺りの事になる。
彼女は祖母に「デルタの民」について、説明をする。古帝国時代以前からこの地に住む先住民の一族であり、ヌーベが鎖国状態であったためそこに集まってきたところを『吸血鬼』に利用され、奴隷同然の扱いであったということ。吸血鬼たちの指示命令により、戦力として各地に派遣され、その為にリリアル
とも幾度か戦ったこと。しかしながら、今では遺恨を捨て、新たな領民としてリリアル領の開拓に協力するとともに、彼の地を第二の故郷とする事を心に決めている事。そして、『兵士』として身体強化を用いた戦闘で大変優秀であること。
祖母は一通り聞き、「そうなのかい。いや、そうではないかと思ってはいたんだけどね」と歯切れの悪い返事をしたが、一度、彼らデルタの民に会いたいと彼女に伝えた。
「では一度」
「そうさね。あんたたちの開拓村も見ておきたいから、ワスティンに案内してもらおうかね」
祖母は二つ返事で、引き受けてくれたようだ。
そして、最後にして最大の課題に話は移る。
「魔物を執事……いや、この場合『家宰』になるね。任せるつもりなのかい?」
執事というのは、貴顕の身の回りで政務や内務を手伝う存在。従僕が雑用係とすれば、執事は秘書のような存在と言えばいいだろう。これが『家宰』となると、王国における宰相に当たる。王に変わって政務を司る者が宰相。故に、宰相が置かれない場合もある。王都に常駐するあるいは、実務の力の怪しい当主……例えば蛙殿下などであれば、優秀な王家の官吏あたりを『家宰』として仕えさせ、領地運営を委ねる。
成人した子弟がいれば、それが務めることもあるが、代々、家に仕える一族の執事などから選ばれる場合も無いではない。当主代理に相当する立場になるので、上級使用人頭にすぎない『執事長』等と比較すれば、かなり異なる。商会であれば『副会頭』が家宰、『使用人頭』が執事長に相当する。小さな商会であれば兼務されることもあるが、規模が大きければ全く異なる役割となる。
「他に適任者もおりませんし、何より、彼の方に相応の責任をもってヌーベが虐げた先住民の皆さんの行く末を見守っていただこうと考えています」
「……そうだね。先住民を奴隷同然に扱い、使い捨ての兵士になることを強要したんだものね。いくら、直接ではないとはいえ、血縁者の不始末。あの領地は元々王家から何度か血が入っているからねぇ。王家の不始末と言えなくもない」
つまり、王家の代官である子爵家に連なる祖母と彼女にも、その尻拭いをする責任があるという理屈なのだろう。
そう話を進めれば『御老公』も、リリアル副伯家の『家宰』を務めることに否と言えなくなるだろう……祖母の意図するところはその辺りにある。
「上手く伝えれば、引き受けるだろうさ」
「はい。この後、足を運ぶことにします」
まずは、『御老公』主従を王都に呼び寄せることに『諾』と言わせること。祖母と合わせ、王国・王都のこと、リリアル領の家宰として身に着けてもらうべきこと、夜に限っては社交も行ってもらうことになるだろう。
その間に、『伯爵』にエルダーリッチへの変化の準備をすすめてもらい、彼女はそのために必要な二十樽のポーションを作成する。素材は並の薬草より効果の高い「踊る草」の葉を用いた魔力ポーションを作成することになる。時間はそこそこかかるだろうが、増えた魔力量からすればさほど問題でもない。
王都城塞に戻り、馬車に乗り込むと彼女は一旦学院へと戻ることにする。大量の魔力ポーション作りの準備を事前にしておいてもらう為である。
「二十樽分……」
「まず、新しい樽を二十個用意しないとね!!」
彼女の指示を受け、薬師組は慌ただしく準備を始める。それをサポートするのは三期生年少組。
「誰も反対しないのね」
「今さらでしょ?」
「シャリブルさんにはお世話になってますから!!」
魔装銃兵兼薬師組女子からは異口同音の声。元弓銃職人、いまはリリアルの魔装銃の調整や定期整備を任せている。リゼルの元工房は……姉の物になっていたりする。ガルム……知らない子ですね。
魔物、魔物になった元人間、あるいは妖精や精霊の類はリリアルに沢山いたりするので、領宰・家宰が『元吸血鬼のエルダーリッチ』でも問題ないのだ。
『人柄は悪くねぇし、婆ぁと上手くやれるのは上位貴族・王族くらいの格が
ねぇとなぁ』
国王陛下を顎で使う女傑と言われていた彼女の祖母。単に、国王が彼女の祖母に強く出られないというだけなのだが、端から見れば子爵程度が国王に直言するというのは驚くべき態度なのだろう。とはいえ、晩年……いや若い頃から自意識過剰で無駄にデカかった先王と比較すると、臣下の話に耳を傾ける今の国王の姿勢は、祖母が身に着けさせたものと言えるかもしれない。平凡ではあるが、無能とは言われない程度には評価されている。
帽子と君主は軽い方がいい、その存在を感じさせないほど名君であるという言葉もあるが、その基準で言うならば、今の国王陛下は『名君』だと言えるだろうか。