第901話 彼女は『侯爵』位の内示を受ける
第901話 彼女は『侯爵』位の内示を受ける
既に、リリアル勢は彼女と伯姪を残し学院へと撤収している。羅馬が二頭乗馬として残されており、魔装羅馬車に乗って彼女と伯姪は変えることになりそうである。
「無事で何よりね」
「しっかり食事と睡眠をとらせてもらったわ」
調印式も終わり、彼女と伯姪は天幕が解体されるのを背に、王太子軍の陣に向かい羅馬を進めている。さっさと帰ろうかと思っていたのだが、明日、公都に騎士団と近衛連隊の一部が接収の為に入場し、城館を王太子とその幕僚に明け渡す代わりに、彼女は『御老公』を王都へと送り届ける任務を与えられた。
武装解除するとはいえ、傭兵の数は二千名ほどおり、何か騒ぎを起こさないとも限らない。明日、武装解除して一旦、王太子軍の陣地で捕虜収容施設を設置し、中隊単位で暫時、レンヌへと移送することになりそうだ。
「遠征は終わったかもだけれど、統治のための手続きは延々と続きそうね」
「ええ。けれど、王宮から代官と官吏を派遣させて、王太子殿下の名代としてこの地の統治を進めるのでしょうから、殿下自身がこの地にずっと残ることはないでしょうね」
「そうれはそうね。そんな事になったら、延々と血痕が先延ばしになりそうだものね」
ルネがいくら心優しい公女殿下であったとしても、何年も待たされれば怒るだろう。いや、それ以前にレーヌ公国が抗議してくるに違いない。外交問題化することを考えれば、準備期間の後速やかに王太子妃として成婚を迎えるべきなのだ。
その後は、巡幸などもするのだろう。いわゆる、新婚旅行になるかも知れない。
姉も初産という事もあり、ニースに長期の滞在。しばらく王都周辺は忙しくも平和なはず……である。
王太子本営に顔を出し、後は帰るだけと考えていた彼女なのだが、思わぬ存在と出会う事になる。宮中伯アルマン。接収の手伝いに来たのかと考えるのだが、どうやらか風向きがおかしい。
「殿下、早急にご決断を」
「国王陛下はどのように考えておられる」
「……王太子殿下の判断にゆだねると」
宮中伯の言葉に隠す事もなく顔をしかめる王太子。すっかり生前譲位する気満々なのを隠す気配のない国王に対し、嫌そうな顔をする。
先代の神国国王である帝国皇帝が生前から徐々に息子と弟に皇帝位や神国とその王の統治下にある各所領を委譲していったことは珍しい事であった。本来、後継者は定めてありまた、病気や老衰で実務をその後継者に肩代わりさせていたとしても、死ぬまで至高の位に居座るのが皇帝であり国王なのだ。
国王は、先代国王のやらかしのツケを払い続けるだけの人生が嫌なのだろうことは良くわかる。戦争をせず、愛人も作らず、城館を不要に築いたり改装したりしない。父親とは正反対の人生を堅実に送り、息子に譲ろうとしている。あと十年は健康に国王を務められると思うのだが、本人は『大公』となり、王国全土を行脚する気らしい。
既に、それにつかう豪華な装備の魔装馬車を強請られているということもある。その完成は……王太子の意志次第になるだろう。完成しなければ譲位しても全国行脚の旅には出られない。
「副元帥、良いところに着た。ヌーベ遠征も未だ完了とは言い難いこの時期に、また厄介ごとを委ねるのは気が引けるのだが」
王太子は周囲の護衛と幕僚を下がらせると、彼女と伯姪、宮中伯と王太子の四人だけで話をし始める。
「まずは、座ってもらえるか」
「「……」」
あーこれ、もう長くて厄介な話だと二人が観念したように無言で進められるままに席につく。
「殿下、私から二人に説明しましょう」
「頼む」
宮中伯が説明し始めたのは、『ドロス島』がサラセンに奪われて以降、東方貿易の拠点となっていた東内海に浮かぶ海都国の海外領土である『キュプロス島』に、サラセンの大軍が上陸し島を占領する為に活動するという情報が教皇庁経由でもたらされたということであった。
陸地においては、大沼国の大半を自領に加え、帝都『ウィン』攻めを幾度となく繰り返すことにくわえ、海上ではそれまで友好を保っていた『海都国』との通商条約を破棄し、サラセン海賊たちも港湾都市を襲撃し始めただけでなく、貿易拠点として東端に位置する『キュプロス』にも大軍を送り占領しようと軍を編成し始めているのだという。
「海都国は教皇庁を通じ、内海の御神子教国に救援の艦隊の編成及び支援を求めている。だが、王国が表立って活動するのは難しい」
一つは、御神子教国の大国としての面子を異教徒討伐に掲げる神国が王国軍が参加することを喜ばないということ。言い換えるなら、王国海軍が参加するならば神国とその影響下にある諸邦は協力しないという意思表示をしている。王国だけでなく、貿易のライバルである海都国が勢いを増す様な活動に繋がる支援もしたくないのだという。
「それに、王国の内海海軍は神国とその影響下にあるゼノビア海軍より格段に戦力が小さい。数分の一といったところだ。教皇庁もそれは望んでいない」
「なにより、先代国王が美麗帝配下の海軍提督という名の海賊を国賓として招いて、王国海軍がサラセン海賊と共に海賊活動を行ったという汚名も未だ拭えていない」
戦争好き、女好き、城館好きで法国被れであった先代の『無駄デカ』王は借金に継ぐ借金でその趣味を満喫し、晩年は金が無さすぎて破産する直前であった。そこで、サラセン海賊のお先棒を担いで小遣い稼ぎをした結果、悪名はさらに一層高まり、教皇庁や神国との関係も一層悪化した。
ニースを通じてマレス島への支援や、その他海賊討伐の実績作りも重ねてきたが、未だ先代の汚名をすすげてはいない。
「それで、私たちが……」
「リリアル副伯は姉を通じてニース辺境伯家とは縁戚関係にある。ニースに対する援助という名目で、王国海軍の名代として……参加してもらいたいというのが、このたびの依頼になるだろう」
「『王国海軍提督』として、『侯爵』に任ずることになる。今回の軍事行動に関しての国王の名代、全権大使と同格となる」
「……大出世ね」
「ニアス卿はその副代表、法衣子爵になるだろう」
「お互い……大出世ね」
「……」
つまり、国王が面倒事を王太子に丸投げし、王太子は彼女と伯姪に丸投げすることにしたのだ。
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「海軍提督兼侯爵兼全権大使様」
「何かしら、ニアス子爵閣下」
「「……」」
長閑な魔装羅馬車を駆り、街道をゆっくりとリリアル学院へ向け進む二人。気分は最悪。
ついでにとばかりに付け加えられたのは、公女カトリナの婚姻祝いに、ニースが建造する大公夫妻の御座船を『魔導船』に改装する依頼が加わった。船体自体は既にニースで建造が始まっており、表向きニース家と彼女からの祝いの品という態を装うが、王家も一口乗せてもらいたいという事のようだ。
今回の『キュプロス島』救援には、かの島の旧王家の相続権を有するサボア大公家も支援艦隊を派遣したいのだが、その船が内陸国であるサボアには存在しない。故に、魔導御座船を聖エゼル騎士団に貸与し、ニース海軍の魔導船と艦隊を編成させ、援軍として向かわせるという依頼が来ているのだという。老土夫&癖毛案件。
サボア大公・王国・ニース辺境伯家の思惑を全乗せした依頼である。
「船の名前はなにになるのかしらね」
「さあ。トレノの守護聖人の名前でも付けるのではないかしら」
トレノの守護聖人は『洗礼者』であったと記憶する。
「意表をついて、『聖カトリナ』号はどう?」
「聖人様たちに怒られるわよ。異端審問に呼ばれるかもしれないわね」
普通に、「聖エゼル」号でよいのではないか。
とはいえ、魔導外輪の製造と『御老公』の王都移住、内海遠征の準備を含め、二カ月程度は猶予を貰わねばならない。
開拓村への支援、デルタ民の移住先の確保、支援物資の手配なども十分になさねばならない。ヌーベ領内に残ったデルタ民の中で、リリアル領に移りたいもの、あるいは、戦後に元の村に戻りたいものも確認しなければならないだろう。
その辺りは、さらに時間がかかりそうではある。ヌーベ領が王領となり、代官が派遣され、各村や町の自治体制もどうなるか定まるまで年単位で調整が必要となる。農作業を行うにも、古帝国時代の農法にも似た石器を用いた粗放農業では生産性だって低いままであるし、教育指導する者も必要となる。
リリアル領においては、彼女を中心に意思疎通できる者が少なくないが、新たに派遣される王領の代官がデルタ民に対し十分な意思疎通を行うとも思えないし、技術指導をする事も難しいだろう。そもそも、農村の中で伝わる技術を教える王国の官吏などいるのであろうか。
開拓民が多いリリアルの開拓村同士であれば、技術的交流や人手を出す代わりに技術を教えてもらうような取引も開拓村同士で可能となるだろう。また、必要であれば彼女は仲介することも考えている。それを王領の代官やその配下の管理に求めることは恐らくできない。統治し、税を集めることが仕事であり、それ以外の事は良く知り得ない事であろうからだ。
「時間が無いわね」
「いつものことでしょ? それに、今ならリリアルの子たちも手伝ってもらえる事も増えているじゃない」
一期生も成人したものが大半であり、彼女の代理人として振舞う事が出来る者もいないではない。騎士でありながら官吏の仕事も担える者はローテ―ションから外れており、二人と仕事を分担できる分もある。
「内海遠征中は、開店休業になるのかしらね」
「……貴方のおばあ様に頼むのにも限度があるわよね」
「多分断られるわ」
二隻の魔導船で何か月かの遠征。年単位で領地を開ける事になるかもしれない。歴史ある貴族家であれば、留守居の人材は十分いる。先代当主や次期当主、あるいは隠居した使用人や見習である子弟。親族などにもその候補者は事欠かない。が、彼女と学院にはそれに該当する人材がいない。
「薬草畑や魚の養殖・兎の飼育は一旦、終了するしかなさそうね」
「開拓村にできることは委ねましょう。兎や薬草なら、土地を選んで自給できるようにしてから遠征に向かえるかもしれないのだし」
「それもそうね。よし、早速、開拓村の移住者に連絡しましょう!!」
早々に移住してもらわないと、最初の開拓村は土台と街道だけできた状態で年単位の放置となる。それはお互いによろしくない。移住を機に結婚する者もいるのだから、今いる村にとっても早々に移住してもらいたいと思っているだろう。
既に、何組かの移住者は最初の開拓村(ガルギエムの湖の麓)に移住している。残りの移住者も早々に転居してもらい、生活を始めてもらう必要があるだろう。支援なしで良いならいつでも良いのだが、そうでないのなら早々に移住してもらう必要がある。
羅馬牧場も同様だ。繁殖や育成はともかく、牧場の立地選定、従業員の宿舎などの建築は遠征前に終わらせておきたい。土魔術でできる範囲であれば、数日で済むのだが、そこに至るまでの打ち合わせを早々に進める必要がある。場所は元盗賊村・今はデルタ民の避難村になっている場所から少し離れた林間の地になるだろうか。
レーヌ公国で育種家として馬を育てていた名伯楽『ぺテル・シルゲン』。妻・アデラは家を取り仕切る家政の達人。今は学院で食客然と時間を過ごしているが、ヌーベ遠征が終われば牧場を建設する約定であった。
リリアル馬房(仮)計画を進めなければならない。
「移住者は、なんなら魔装馬車で送ってもいいしね」
「そうね。開墾などで手伝えるところは元気な魔力持ちを送り込んで、早急に森を切り拓いた方がいいでしょうね」
「家畜の手配もしなければね」
「その辺は、王宮に丸投げしようかしら。私たちより、上手に交渉して現地に送り届けてくれるでしょうから」
「丸投げ合戦ね」
一方的な関係などあり得ない。今回の内海遠征を引き受ける上で、在外公館の主に等しい『侯爵』の位を与えられ、それに応じた年金を支給されるのであろうが、本来、彼女が行うべきワスティンの森の開拓や新しい領地の整備に関しては、ヌーベ領のついでにリリアル領もできるだけ王宮に任せることにしようと彼女は考える。計画書と、現地の住民の理解さえあれば、後はある程度計画と予算に則って開発整備が進むで
在ろうと思われる。
辺境ならともかく、王都の目と鼻の先で官吏がそうそう勝手なことができると思えない。主でるリリアル『侯爵』は王家の覚えも目出度い『竜殺し』の英雄であるのだから。
学院に戻り、一期生を集めると彼女は王太子からの依頼内容を伝え、早急に準備に入ることを伝えた。
「全員で遠征ですかぁ」
「盗賊、山賊の次は海賊討伐」
「リリアルらしいです!! 鈍器が唸ります!!」
最近でこそ王国内での山賊討伐は減ったものの、一期生の遠征と言えば途中で元帝国傭兵である山賊狩りが付きものであった。親の顔より見た山賊の顔。いや、孤児は親の顔など見た覚えが無い者も多いのだが。
その上で、学院内の薬草畑、兎飼育等を開拓村やデルタ民の避難村に委譲して学院遠征中のことを任せることを伝え、一年ないし二年程度この場所を離れる前提で、関係各所と調整し開拓村や領都整備を進めるとした。
「王都城塞はどうするんですか?」
「騎士団に警備と運用を委託するつもりです」
『御老公一行』(本人と執事)が滞在する予定であるので、完全封鎖するわけにもいかない。リリアル学院での食事の用意が不要となるので、学院で雇用している使用人は王都城塞に移動してもらい、そこで御老公と警備の関係者の世話をして貰う事にしようかと思う。使用人として紹介状を書いて余所で働いてもらう事も一考したのだが、折角の繋がりを切ることも勿体ない。今のところ、王都城塞での食事は、各班で自炊しているのだが、騎士や兵士、あるいは御老公の執事であるマジョルド氏がそれぞれ自炊するという事もおかしな話となる。専門の使用人がいた方が、委ねるにしても気が楽である。
『ワスティンの修練場』も一時閉鎖となる。ノイン・テーター二人も遠征に同行してもらう事になるか、あるいは、王都城塞で使用人と共にしれっと生活してもらうことになるかもしれない。吸血鬼はともかく、ノイン・テーターやエルダーリッチが流れる水の上を渡れないという話は聞いたことがない。海賊討伐で、ガルムは剣の腕を見せ体であるし、シャリブルは魔装銃や弓銃を実戦で使ってみたい事だろう。睡眠いらずの二人がいるならば、夜の見張も問題なく行えるだろう。仕える者は死者でも使え。
「忙しくなるわね」
「今まで通りのことよ」
海賊討伐で盛り上がる一期生を横目に、彼女と伯姪は明日からの仕事を考えると、気が滅入るのでった。