第892話 彼女はルネの話を聞く
第892話 彼女はルネの話を聞く
ルネは吸血鬼となり戦い続けたが、生きていることを隠す為、前ブルグント公ルネは公式には戦死したこととされた。
息子である『Jr』は東内海の異教徒戦争に参加、これは、聖征により獲得した聖王国領土を異教徒から守る戦いのこと。また、孫のヴィルヘルム三世も第二回聖征に参加している。
名のある君主・騎士はこぞって聖王国を目指した時代である。
曽孫のヴィルヘルム四世も聖王国に赴き最後は聖地で死去。天の国に迎え入れられるには、聖地で死ぬのが良いとされる時代であった。
その後、三世の息子『ガイ』が中継ぎの公となり、成人した五世が跡を継ぐ。 五世に子はなく、妹が王家から王子を婿取り・婚姻し跡を継ぐ。
更にその娘が『女公』として家を継ぎ、息子『ルネ』がヌーベ公となる。『ルネ』二世、三世と続いたが再び二世の娘が後を継ぎ、賢明王の王弟に始まるブルグント公家から婿をもらうも、血筋は王弟の次男の系統に移る。
「随分と王家の血を取り込んだのですね」
『そうしなければ、家を護れなかったのだよ。聖王国が陥落し、私も陰乍ら家を護る為ブルグントへと戻ってきた。まだ私を知る者もいたのでね、不死の身となり、今度はブルグントの家を守ることにしたのだよ』
この時点では、ブルグント公家には吸血鬼はルネしかいなかったのは間違いないのだという。
どこで増えたのか。それは、身近に人の死が当たり前の環境であった『百年戦争』を迎えた頃であったという。戦争があると、魔力持ちの血と魂を容易に手にする事ができることになる。戦場には君主や貴族、騎士や傭兵に紛れて吸血鬼が参入する。つまりは、そういう環境にヌーベ領が置かれた結果であった。
百年戦争において、『王国』『連合王国』『ブルグント・ランドル』の三つ巴の関係から距離を置くため、ヌーベ公領は国境を閉ざし、限られた交流のみ行うことになる。
この時点で、領内の貴族層の多くは『吸血鬼化』が進んだようだ。百年戦争前半での戦い、特に、黒王子の『騎行』に便乗することで、吸血鬼としての成長を大いに促進することができた。その後、『休眠期』に多くの吸血鬼が移行し、『鎖国』することで、戦力が弱体化したことを悟られないように努めることができた。
『言い訳になるかもしれないが、百年戦争が始まった頃、私は休眠期でね。目覚めた時には、いまの環境に贖えなくなっていた』
ルネが守ってきたブルグント公家は形がい化し滅び、やがてヌーベ伯ヌーベ公としてしか生き残れなくなっていた。
『ヌーベがここまで吸血鬼による吸血鬼の為の領地になってしまった理由は様々あるが、既にまともな領民は……吸血鬼の世話をする為の使用人が大半であり、それも……生きた血袋に近い存在だ。領地と言えるかさえ怪しい』
「それで、デルタの民をだまして受け入れたということでしょうか」
『領外との商売なくして、必要なものは手に入れられないからという理由で、その資源を確保する人手が必要になった』
「例えば……傭兵による出稼ぎなどですね」
『恐らくは。出会ったことがあるのではないかな』
デルタの民=醜鬼は、レンヌで襲撃された記憶がある。ガイア城に潜んでいたアンデッドにも含まれていた記憶がある。襲撃者として優秀な種族であるからだろうか、稼げていたに違いない。生前も死後も。
ヌーベ公領が百年戦争以降、否、百年戦争と言う魔力持ちの狩場を得て吸血鬼の巣食う領地となり、同時に外部との交流を最小限にしたのは記録に会った通りであったようだ。
最初に街から人が消え、やがて村へと至る。魔力持ちを狙った行為であったが、街や村の中心人物が消え、領主一族を始め騎士達も昼間滅多に姿を見せなくなると、察したものから三々五々ヌーベから消えていったとか。
「先ほどの執事殿は吸血鬼ではありませんね」
『ああ。代々仕えてくれていた使用人の一族の最後の生き残りだ。彼は、魔力を持っていないので生き永らえた』
少数の街にいる人たちは、魔力を持っておらず、街から出ることも原則赦されていない。コーヌには領外の商人がやってくるが、コーヌから公都迄はデルタの民による荷駄によるものが大半であり、川船も利用している。川の上に出ることを吸血鬼は好まないので、これも魔力無の人間の領民が担っている。
家人を人質に取り、成人男子の魔力無の者を隷属させ、公都と領内の必要な業務につかせているのだという。
「人の気配は本当に少ないのですね」
『今は、一時的にまとめて収監されているのだろう。協力者が出て君たちに利があるのは困る。醜鬼村で既にそういう事が発生しているので、予防措置なのだよ』
デルタの民の多くが姿を消したこと、リリアル領に王都から兵士や物資が集められている事からヌーベの吸血鬼は早々に遠征を察知し、契約していた傭兵(一部ノイン・テーター)も招き寄せた。
『あの鐘はどうになからないのかね』
「魔物除けですので、魔物が取り除かれる迄は続けることになると思います」
『ふむ。私のような者は少し息苦しいだけなのだがね……』
予想通り、貴種より従属種、従属種より隷属種に効果があるようだ。弱い毒のように、徐々に吸血鬼の体力? を削り取っているのだそうだ。
「吸血鬼だけの一族に、先はありませんね」
『子が為せないから当然だ。私も、こうなるとは思っていなかった』
ヌーベ領の行く末を見届けた後は、灰に帰るつもりであったとルネこと『御老公』は述べた。
「何故私を受け入れたのですか。討伐……殺されると思われませんでしたか」
『リリアルは吸血鬼から情報収集する為に、簡単には殺していないであろう?手足を斬り落として暫く飼い殺しにしているとか。帝国の吸血鬼からの情報だが、確かかね』
彼女はその通りであると肯定し頷く。今回は数が多く、従属種・隷属種の大半は即座に討伐するつもりだが、傭兵達との開城交渉の為に『公』あるいは『御老公』と称される貴種吸血鬼は出来る限り討伐しないよう考えている事を伝える。
『開城後はどうなるかわからないのだね』
「私の口からははっきりと申し上げられません。王太子殿下、あるいは国王陛下の思し召し次第でしょう。ですが……」
『わかっている。このまま逃れてもな。既に領地はあれど領民はおらず、生無き人生では生き続ける意味もない。この幕引きを見届ければ、思い残すことはない』
見届けるために死を逃れ吸血鬼となったであろうルネ。ヌーベ公領の行く末が見届けられるのであれば、滅されても悔いはないとでもいうのだろう。
『じゃ、何で止められなかった。止められなかったにしても、こんな望みもしなかったヌーベの結末を何で見過ごしてきたんだよお前は』
突然話しかけてきた『魔剣』に、御老公は少々驚いたようだ。
『我一人抵抗したとしても、二十数体の吸血鬼には対抗できないだろう』
『やってみなきゃわからねぇだろ。そもそも、お前は、聖征で散々サラセン騎士を倒して、力を蓄えたんじゃねぇのかよ。百年戦争ではしゃいだガキどもくらい、黙らせる力の差が無かったとは言わせねぇぞ』
王家と王都を支える子爵家の行く末を見守り続ける元王宮魔術師である『魔剣』は、魂を魔銀の短剣に封じたのだが、志としては同じものを持っていた。祖母と同様、彼女を厳しく鍛えた『魔剣』からすれば、血縁は遠くなったとしてもヌーベの一族の不始末を見逃してきた『御老公』の存在が気に食わないのであろう。
『申し訳ない』
『何のための謝罪だ。誰の為の謝罪だ』
ルネは何も見えない闇に包まれた窓の外に視線を向ける。灯火もわずかに城壁上に見えるだけ。星明かりと変わらぬ程度のそれ。人の気配の失せたヌーベの街。これを見守る意味があるのかと、『魔剣』は言いたいのだろうか。
「いいわ。ルネ様。この戦いが終わった後、あなたには生き残り、このヌーベ領が復興していく姿を見届けてもらいたいと思います」
『……』
彼女に視線を向け、何を言いだしたのかとばかりに注視する。
「王太子殿下には、上手く伝えます。もぐりこむ方法はいかようにもあるでしょう。帝国の吸血鬼に付いても教えていただきたいこともありますし」
『いや、私は吸血鬼だが、随分と血を吸っていない。正直、このままでは長くないのだよ』
「豚の血や鶏の血でも生き永らえることは出来ますが」
『……』
どうやら人の血以外は口にしたくないようだ。
『我儘な奴だな』
「王家の血を引くものの矜持かしらね。矜持で腹は膨れないのに」
彼女は内心『そんなことだからヌーベは滅ぶのよ』と考えるのである。
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老吸血鬼は何を想っているのか彼女には関心が無くなった。長く生きることが必ずしも良い事ではないのかもしれないとも考える。傍観者として長く生きるというのも、元はこの地の領主であったことが心残りになってしまい死にきれなくなっているのだろう。
『卿と立ち合いを臨むのは可能であろうか』
突然の発言。立ち合いというのは、剣での立ちあいを意味するのであろうか。
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
『決闘だな。卿が勝利すれば、我を虜囚として好きにするが良い』
「なるほど」
王国では決闘裁判は百年戦争期に禁止されている。とはいえ、決闘は個人間の戦争であり、副元帥と元領主、残りの吸血鬼が全て討伐されるのであれば、ヌーベの領主に返り咲くことになるのか。戦後処理として決闘で服従させるのもアリと判断されるやもしれない。
「私個人では受けても構いませんが、ヌーベ遠征の責任者は王太子殿下ですので。王太子殿下の了承の上、で宜しければ」
『構わぬよ。ヌーベの最後を見届けられそうでなによりだ。今すぐでは、卿の勝利は揺るがぬであろうからな。
準備する時間がもらえると思えば、悪い事ではないとルネは笑う。いや、嗤ったと言えばいいだろうか。
「では、リリアルから迎えがあるまで、ルネ様はこの城館からでないようお願いします」
『元よりそのつもりだ。我の砦はヌーベ公配下の吸血鬼に占領されていてな。彼らの楽しみのために作られたこの城館を無理やり交換させられたのだよ。窓が多く防御施設としては立地も建て方も良くないからね。それまで、仮の館主としてゆったりと過ごさせてもらう事としよう』
彼女は立ち上がると踵を返し、出口でルネに一礼すると、案内するはずの執事が追いかけるのも待たず館を出ていった。吸血鬼討伐を本日行うに、まだ時間は残っているはずである。
「お嬢様、マジ決闘ですか……でございます」
「聖征時代の剣技を目にする良い機会でしょう?」
「……マジか……」
歩人は「さすが脳筋」という言葉を飲み込む。彼女が相手をすると、おそらく、ジジマッチョ軍団も参戦し、ルネは散々相手をさせられるだろう。憔悴した吸血鬼をイメージし彼女は内心ほくそ笑む。ちょっとした意趣返しである。
「御老公を残せば、後の吸血鬼は殲滅で良いわね。手加減する必要がなくなって良かったわ」
『あいつ、本来はかなり強い吸血鬼だろ。流石『貴種』にまで上り詰めた聖騎士だな』
吸血鬼となった聖騎士とは謎々の類だろうか。堕天使がいるくらいなのだから、堕聖騎士がいてもおかしくはないか。
『本当に相手をするのか』
「するわ。勝って、まだまだヌーベ領の復興を見届けさせることにするつもり」
『吸血鬼だろ?』
「別の存在になればいいじゃない」
どの道お隣さんになるのだから問題ない。今でも王都の下町に潜む吸血鬼ではない不死者になった『伯爵』がいるのだから。もう一人増えても問題ないだろう。精々、生者に混ざって汗水たらして書類仕事をするが良いと彼女は目論んでいるのである。
城館の敷地を抜け、背後の大聖堂へ向かう。
大聖堂の歴史は古く、そこに祀られている聖人は三歳の子供とその母親であると言われる。古の帝国時代、邪教として排斥され、偶像崇拝を拒否し拷問を受けた貴婦人と、その行為を見せつけられ母を助けようと総督の膝の上で暴れた末に投げ捨てられ殺された子供が神の御許に召された故のこと。
百年戦争の時代、大聖堂は火事により焼失した部分を含め改築され、外見上は王都の大聖堂と似た姿をしている。が。
「きったねぇ大聖堂だぜぇ……でございますねお嬢様」
「聖職者もいないでしょうし、礼拝する住民もいなければこうなるわね」
小教区教会などは、教区の信徒が手分けして清掃をする事もあるが、大聖堂の場合、ヌーベの街の商業ギルドが取りまとめ役となって司教区の面倒をみることになるだろうか。司教区も有名無実化しているであろうし、信徒も不在も同様。なら、この荒れ果てた状況もおかしくはない。
「ここから始める感じなんでしょうね」
「王太子殿下に丸投げっすよね、リリアルは無関係っすよね!!」
「……黙りなさい」
人気のない夜の街に歩人の声が響いている。安全な場所というわけではないのだから、不用意すぎる行動だ。叱責されて当然。歩人だけでも復興作業に派遣すべきかもしれないと彼女は頭の中に記録する。
暫くすると二つの陰が現れた。
「煩いわよあんた」
「げっ」
北西から侵入した伯姪たちが合流してきた。どうやら、四角い城門楼の周辺を探ったのだが『魔力走査』が十分できなかったという。分厚い壁越しでは細かなことはわからず、また、魔力量の少ない伯姪と茶目栗毛では浸透できなかったという事だろうと彼女は見当をつける。
「あとで確認してみましょう」
「面倒かけて申し訳ないわね」
「いえ。こちらはそれなりに収穫があったわ」
彼女は伯姪たちに『御老公』ルネとの会談について説明する。伯姪は、「また決闘するのね」とやや呆れた顔で、その尻馬に乗り話をする歩人に彼女はイラっとする。
「代理人指名をしようかと思うの」
副元帥自らが決闘をするのもいかがなものかということである。決闘代理人という職業? 役目もあるのだから当然か。
「セバスを指名することになるわね」
「……は……」
「元とはいえ、ヌーベ公相手に決闘するとは、中々の名誉じゃない!」
「リリアル副伯の代理人ビト・セバスここに眠る。墓碑銘はそれでいいわね」
今日一番の大声で「いいわけあるか!!でございますよお嬢様!!」と叫び声を上げ、その声を聞きつけ集合した赤目銀髪に魔力を込めた後頭部チョップを喰らい昏倒するまでが歩人の役割りなのである。